今は無き幽霊屋敷
「香月様!呼んでいただければお部屋まで参りましたのに…」
一人部屋を訪れた香月に驚いた総支配人の椎名は、酷く恐縮した様子で香月を自身の執務室へと迎え入れた。
堀越と部屋で別れたあと、香月は気になることを確かめるために椎名の元へやってきたのだが、椎名はあまり眠れてないのか相変わらず顔色が悪く、普段はその役職からキッチリと気を使っているであろう身嗜みにも乱れが見て取れた。
「お忙しいかと思いまして、スタッフから場所を聞いてこちらに伺いました。少しお聞きしたいことがあるのですが、お時間頂けますか?」
「もちろんですとも」
そう言って慌てたように香月に応接セットのソファを勧めると、椎名は備え付けの内線電話で何事かを伝えた後、自身も向かいのソファに座り、身を乗り出すようにして香月に話しかけてきた。
「昨夜はいかがでしたか?例の部屋にお泊りになったとお聞きしましたが…」
「ええ、早速収穫がありましたよ」
「本当ですか!?…やはり、何か起こりましたか?」
「まぁ、刺激的な夜になったことは確かです」
霊に首を絞められたことを話せば、色々と面倒なことになりかねない。香月はあえて詳細を省いたが、椎名はそれに気付かず期待の目を香月に向けた。
「恐れ入りますが、すでに除霊なり原因解明が済んだということは…」
「いえ、そう簡単にはいきませんでした。もう少し情報が必要のようです。…そこで早速質問させてもらいたいのですが、新館が建てられた土地の元の持ち主について、もっと詳しい話はわかりませんか?」
「元木幸次郎氏についてですか?…世に知られている程度の業績なら、真珠の養殖業で一財を築き上げた幸之助氏を父に持つ実業家で、戦後に様々な輸入品を扱う会社を立ち上げたそうです。養殖業の方は兄の幸一氏が継いで、幸次郎氏は二男で跡目は継ぎませんでしたが、彼にも商才があり、氏の会社は好景気の波に押されて大きく成長しました。しかし、
バブル崩壊後に事業を縮小せざるを得なくなり、それからは本人も高齢のために静かに余生を送っていたようです」
「その余生を送っていた場所が、この地だったということですか?」
「そのようです。もともとこの土地は元木家の本家の持ち物でしたが、幸次郎氏の事業が成功した時に本家から譲り受けたそうです。―――実は、あの土地と別荘を幸次郎氏のご家族が手放す際に、本家から難色を示されたらしいのです。それで少し揉めたそうなのですが、登記上は幸次郎氏の持ち物となっていましたので、本家も最後には諦めたようです」
「本家が?その理由は何だったのかわかりますか?」
「いえ、そこまでは聞いておりませんが…確かうちの従業員に、その幸次郎氏の別荘で働いていた方の娘がいますよ。もしかしたら、彼女を通してその母親に詳しく話を聞けるかもしれません。今日出勤しているかどうか確認してみましょう」
そう言って椎名は再びデスクの内線電話に向かった。そのタイミングで「失礼します」とドアをノックする音が聞こえ、スタッフの若い女性が部屋へ入ってくる。
彼女はソファに座っている香月を目にして僅かに驚いた様子を見せたが、頬を少し赤くしながらも一礼して盆に載せたティーカップを彼の目の前のテーブルに置いた。また一礼して出て行こうとした彼女に香月が「ありがとう」と微笑んで見せると、彼女は何かをグッと堪えるような顔をしてから照れたような笑顔を見せ、そのままそそくさと去っていった。
その反応に、香月はふと晶のことを思い出した。
彼女もよくこういった表情を見せるが、最近はそれでも彼女なりに冷静に対応しようと努力しているようで、それがわかりやすくて面白い。香月は自然に上がりかけた口角を隠すように手の甲で口元を隠す。
「お待たせしました。今日はすでに出勤しているとのことでしたので、今こちらに向かわせました」
「良かった。ありがとうございます。でも忙しい時間帯なのに、その方を呼び出して大丈夫でしたか?」
今はちょうど宿泊客が朝食を終えてチェックアウトの手続きをし始める時間だ。その女性が何のスタッフかはわからないが、客がまだ滞在している時間帯ならば暇ということはないだろう。
「今は繁盛期なので予め人手は多めに確保しておりますから、御心配には及びません。そんなことよりも…今の話からすると、あの別荘と今回の件が何か関係しているということなのでしょうか?」
椎名の期待するような目に、香月は心の中で苦笑した。
「…まだ何とも。解決したら詳しく報告しますので、それまでは椎名さんの胸に留めておいてください」
「…そうですか…わかりました」
明らかに気を落とした彼の顔から、今回の件を早急に解決したい思いが強く窺えた。彼の疲労を色濃く映した顔を見ればそれは一目瞭然で、香月もこの件を早く解決したい気持ちは同じだった。
「…話は変わりますが、今日、糸の紹介で僕を訪ねてくる客が来る予定なんです。宝石商なんですが、来たら僕の部屋に通してもらえますか?」
「糸様の…?承知いたしました。受付に伝えておきます」
「…そういえば、椎名さんはこのあたりで宝飾を扱う古物商を営んでいる人物に心当たりはありませんか?」
海外の賓客も利用するこのホテルなら、こちらの土産として客が所望する宝飾を扱う業者と関わりがあるかもしれない。そう思って訊いてみると、椎名は少し考えた後、何か思い至ったように軽く頷いた。
「以前こちらをご利用されたお客様に、この辺りの真珠を使ったジュエリーを所望された方がおられたのですが、中々拘りを持っていたお客様でして…お求めのものが見つからないと、アンティークものを扱う業者にも来てもらったことがあります。地元で昔から個人経営の店を開いている者ですが、そちらでよろしければご紹介させていただきますが」
「お願いします。その方の扱う物の中に、真珠を使った宝飾品があればそれをすべて見せてほしいと伝えてください」
「承りました。なるべく早く来てもらうよう伝えます」
椎名は「失礼します」とソファから立ち上がるとデスクに向かい、名刺が保管されているらしい分厚いファイルを取り出し捲り始めた。目当てのものを見つけると、彼は机上にある固定電話で電話を掛け始める。
そうしているうちに、またドアをノックする音が聞こえた。挨拶しながら入ってきたのはこのホテルの制服を着た五十代くらいの女性従業員だった。
彼女は電話中の総支配人とソファに座る香月を見比べて戸惑った様子を見せたが、この女性が例の母親が使用人をしていたという従業員だろうと予想した香月は、その場で立ち上がり、にこやかな笑顔を向けて女性に斜め向かいのソファを勧めた。
「どうぞ、座ってください。お忙しい中ありがとうございます。あなたが元木幸次郎氏の別荘で働いていた親御さんを持つ方ですか?」
「…はい、そうです。西川と申します。…ええと…」
女性は自分の子供くらい若い香月の対応にますます戸惑った様子で、チラリと椎名の方を窺う。電話で通話中の椎名は彼女の視線に気付き、大きく頷いて見せたので西川女史は遠慮がちに勧められたソファに浅く腰かけて香月に顔を向けた。
「申し遅れました。僕はこの度、こちらのホテルの依頼でトラブルを解決しに来た香月と言う者です。早速ですが、椎名さんからあなたのお母様が元木家で働いていたことをお聞きしたので、ぜひとも話を伺いたいと思いまして」
「元木家の?…話というのは…」
「実は、さる事情からこのホテルの新館が建てられた土地の以前の持ち主である元木幸次郎氏について調べていまして、その晩年の様子や別荘の屋敷について知っていることがあれば何でも教えてもらいたいんです。お母様は今も近くにお住まいですか?」
「母はこちらにおりますが…高齢で施設に入っていまして、今はもうまともに話せる状態ではないんです」
「そうでしたか…」
いきなり当てが外れてしまい、香月はさてどうしたものかと考える。しかし、今は少ない手掛かりでも手に入れたいと、そのまま娘である彼女に質問した。
「では、西川さんは元木家の別荘について、何かお母様から聞いたことはありませんでしたか?」
彼女は少し考える素振りを見せた後、何故かとても言いにくそうな様子を見せて話し始めた。
「…こういったことは、使用人から外に漏れないようお屋敷内で箝口令が敷かれていたと思うのですが、母はその……何というか、家族の前ではおしゃべりで、当時、仕事であった出来事なんかをよく家の中で話していました。私はそれを何となく聞いていただけだったので、あまり良くは覚えていませんが…いくつか印象に残っている話はあります」
「それをお聞きしても?」
「はい…。今でもよく覚えている話は、お屋敷には奥座敷というものがあって、そこには旦那様…幸次郎氏以外の人間は入ってはいけないと言われていたらしいです。本当か嘘か、そこに幸次郎氏の愛人が囲われていたとか。でも、誰も姿を見たことはないので、真実味は薄かったみたいですけど」
「愛人ですか…でも、そういう噂が流れていたということは、何か他に疑わしいところがあったということではないのですか?」
「そうですね…確か、幸次郎氏は早くに奥様を亡くされて、ご家族は息子さんが二人いたそうですが、どちらも海外に行ってしまったようで、お屋敷にはお一人で住んでいたんです。ですが、定期的に女性向けの宝飾品を購入していたらしいんです」
はじめは亡くなった妻のために購入してると思われていたが、幸次郎氏の妻は生前、あまり宝飾品に興味がなかった。そこで使用人の間で愛人がいるのではという噂が広まったが、幸次郎氏は高潔な人物だったこともあり、当時使用人の中でも意見が分かれたらしい。
「…なるほど、確かに疑わしくはありますね。購入した宝飾品とはどのようなものだったのでしょう?」
「さぁ…母は立ち会ったことがなかったそうですが、母の同僚がご主人と宝石商との商談に立ち会った時は、大層高価なものばかり購入していたと聞いています。その宝飾品は、購入してすぐに奥座敷に仕舞われたそうです」
「奥座敷に…。他に、何か印象に残っている話はありますか?」
「…あとは…確か、そのお屋敷では使用人が夜勤を交代制で勤めていたのですが、当時母が夜勤を担当するのが怖いと言っていました。なんでも、時々夜中に屋敷の外から女の泣き声が聞こえるとか言ってました」
「…泣き声ですか…それについて噂話は?」
「海風が強く吹き付ける場所だったので、きっと風の音だろうと同僚には言われたらしいんですが、母は一度、その正体を探ろうと夜中に屋敷の外に出てみたんだそうです。…その時、岬にあった東屋に人影が見えたと言ってました。夜中なので見えるはずがないのですが、その日は月明りが眩しいほどで、着物姿の女性の姿がはっきりと見えたらしいんです」
「着物姿の女性…ですか」
「はい。何でも、飛びっきりの美人だったそうです。それで、母はその女性がご主人の愛人に間違いないと思い込んだみたいで…でもそれ以来、一度もその女性の姿を見られなかったと言っていました」
「そうですか…。そういえば、幸次郎氏が亡くなった後に屋敷を引き取りたいと本家から申し出があったようなんですが、それについて何かお母様から聞いていませんか?」
そう訊かれ、女性は少し考える素振りを見せたが、何か思い出したように軽く目を見開いた。
「ああ、そういえば、関係があるかはわかりませんが、幸次郎氏が亡くなった後、屋敷の管理を任されていた母の同僚が家に遊びに来たことがあったんです。その時に聞いた話では、相続の関係で本家の方が屋敷を訪れた時に、奥座敷の鍵は何処だと大変な騒ぎになったことがあったらしいです。使用人は鍵があることすら知りませんでしたし、奥座敷の管理は幸次郎氏がしていたので誰もその行方がわからず困り果てたと…」
「奥座敷の鍵…。結局それは見つかったんですか?」
「いえ、屋敷中探したそうですが、見つからなかったと聞いています。結局、屋敷を取り壊した時に奥座敷も解体されたのですが、そこには当たり前ですけど愛人の姿はなく、ただたくさんの宝飾品だけが綺麗に飾られていたそうです。その後、そこにあったものはすべてご家族が売却したと聞きました。」
「…そうですか」
香月は静かに思考を巡らす。岬の東屋で泣く女。幸次郎氏の愛人。立ち入り禁止の奥座敷。たくさんの宝飾品。女の幽霊。その幽霊が望む真珠。これらはすべて繋がっているのだろうか。
香月はその後も西川女史からいくつか覚えている話を聞き出したが、それ以上の情報は得られなかった。
彼女に礼を言って仕事に戻ってもらった後、電話を終えて控えていた椎名から古物商との約束を取り付けられたことを伝えられると、彼にも礼を言い香月は部屋を退出する。
「…ますます厄介ごとが増えただけだったな」
用意されたホテルの部屋へと向かいながら、香月はひとり呟く。こんなことなら、いつものように力ずくで解決すれば良かったかもしれないと思わないではなかったが、あの時、海を見つめるあの瞳に彼女を重ねた時点で、香月はそれが出来なくなったことを自覚していた。
その理由に複雑な気持ちになるが、もし自分がこのまま生きていくとしたなら、この感情を捨てるわけにはいかないのだろう。
無駄なものをすべて切り捨ててきた今までと、切り捨てたものを探して拾い集めるこれから。どちらが楽かなんて比べるべくもない。己の業の深さに息が詰まりそうになり、彼は浅く長い息を吐く。
香月はその瞳を海底の澱みのように濁らせて、誰もいない廊下をひとり進んでいった。




