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愛人の未練






 「瑠依様…やはりお休みになれませんでしたか」




 まだ早朝といえる時間、香月の様子を見に部屋にやって来た堀越は、ドアを開けるなりデスクに向かう主人の顔色を見て僅かに眉を顰めた。


 明らかに疲れた顔をした香月は、何処かうんざりした様子で頬杖を付きながら溜息とともに堀越に目を向ける。


 「…やはりというか何というか。…まぁその分、解決の目途は立ったよ」


 主人のその言葉に、堀越は思わず目を見開いた。


 「本当ですか?…もしや、昨夜に何かありましたか?」


 「ああ。その甲斐あって、今回の件は早めに解決できそうだ」


 堀越は昨夜、何か起きたら隣の部屋にいる自分を呼ぶよう香月に伝えていたが、何の音沙汰もなかったため空振りに終わったのだと思っていた。


 解決の目途が立ったということは、彼は昨夜、一人で怪異と対峙したということだろうか。危険を顧みない己の主人に、今度は堀越の方が盛大に溜息を吐きたくなった。気持ち的には主人の肩を掴んで自分の立場を理解しているのかと問い詰めたいところだが、今は論点がずれてしまうためここはぐっと耐える。

 

 「…それは良かった…んですよね?」


 解決の目途が立ったと言う割に、全然良くなさそうな表情を見せている香月に気付き、堀越は首を傾げる。その真意を探るべく主人の顔をじっと見つめるが、彼は煩わしそうに手を振ってその視線を散らした。


 「早めに帰れるならそれに越したことはないだろう?静野さんも心配だし。できれば今日中に片をつけるつもりだから、堀越はそれまで部屋で待機してて」


 「はぁ…わかりました」


 未だに納得できないような視線を投げかけつつ、堀越は言われた通り一礼して部屋を出て行った。



 パタンとドアが閉じた途端、香月の肩を後ろから抱くようにしてしな垂れかかる黒髪の妖艶な美女が姿を現す。


 「今のは、お主の従者か?」


 「…まぁ、そんなところです」


 「ふふっ、良い男だのう。大人の色気が溢れておって、眼福じゃ。…でも」


 女はそのほっそりとした白い指を香月の頤にかけると、ウットリとした顔を近づけた。


 「お主のほうが魅力的じゃ」


 そう言って赤く弧を描く濡れたような唇を香月の唇に近づける。


 「…」


 寸でのところで顔の前に手を差し入れた香月は、呆れたような顔で女の顔をぐいと押して遠ざけた。


 「戯れはやめてください。それよりも、本当に良いんですか?」


 「何がじゃ?」


 昨晩、香月を襲ってきたとは思えないご機嫌な態度で香月にじゃれ付いている彼女は、邪険にあしらわれているのにどこか嬉しそうにしている。昨晩話を聞いてからずっとこの調子で、香月は鬱陶しくて仕方なかったが、依頼された件の早期解決のためにできるだけ彼女の好きなようにさせていた。


 「…本当に、僕に憑いてくるというんですね?」


 「ああ。今までずっとお主のような人間を探しておったのじゃ。それに、わしに憑かれるなんてお主はかなり幸運じゃぞ?」


 「…そうは思えませんがね」


 溜息とともにそう呟いた香月は、昨夜、この霊が自分を襲った後に話し始めたことを思い返した。



 この少女か女性かわからない霊は、ホテルの新館が建てられている場所に以前建てられていた別荘に憑いていた霊だったそうだ。


 本来なら別荘が壊されたときに成仏するはずだったが、何故かできずに未だに彷徨っていた彼女は、このままこのホテルで彷徨い続けるのも面白くないと思い、どうせなら前の別荘の持ち主のような金持ちの男に憑いてやろうと度々この部屋に出没して、新たな主人を物色していたらしい。


 『他にもグレードが高い部屋はあるのに、どうしてこの部屋にだけ姿を現したんですか?』


 昨夜、香月は話を聞いて疑問に思ったことを口にしたが、その時彼女はそれを聞いてカラカラと笑いながら答えた。


 『この部屋は独り身の男が泊まる最上級の部屋だったんじゃ。わしは憑くなら独り身の男が良かったのでな。他の部屋は女連ればかりじゃったし、わしは男女の濡れ場を邪魔するほど無粋でもないのでな』


 『……。これまでも、条件に合う男性がいたのでは?』


 今回の発端となったルポライターの男性のもとに彼女が頻繁に現れていたということは、彼は条件に当てはまる人物だったのではないだろうか。


 そう訊くと、女は更に笑い出した。


 『今までお主以外にも目ぼしい男は何人かおったが、みなわしの気配だけでガタガタ震えだしてしまってな。そんな気概のない男は願い下げじゃ。でも逆に、大の男が震える姿を見るのが最近の楽しみになってきてなぁ』


 『……』


 どうやら期せずして怪事件を解決しに来た香月が彼女の条件にピッタリ嵌ってしまったらしい。昨夜からべったりと纏わりついてくる彼女は、今もご機嫌な様子で香月の髪を弄んだり顔を撫でたりしている。香月はそれにうんざりしつつも、気になっていることを確認した。

 

 「…昨日あなたは海を見ながら『未練』と口にしましたが、それがあなたをこの世に留めている原因ではないのですか?」


 「未練か…。あるにはあるが、今更どうにもならん。それを断ち切るためにも、お主に協力してもらいたいのじゃ」


 「…協力とは?」


 「ふふふっ。なぜわしが金持ちの男を探していたと思う?…それは、あるものを探して手に入れてもらいたいからなんじゃ」


 いきなり何を言い出すのかと香月が怪訝な顔をすると、彼女はまるで開ける前のびっくり箱を差し出すような目で香月のことを見つめてきた。


 「あるものを探すって…まさか五色の竜の玉とか、火ネズミの皮衣とか言い出しませんよね?」


 軽い冗談のつもりで、無理難題を出したかぐや姫になぞらえて言ってみたが、それを聞いて彼女は何故か酷く驚く様子を見せる。


 香月は途端に嫌な予感がした。


 「……驚いた。なぜ分かったんじゃ?お主はわしの心が読めるのか?」


 「……」


 香月は頭痛を覚え、額に手を当てた。どうやら的を得てしまったらしい。そんな実在するはずのない伝説級の代物を探すなんて、どう考えても不可能だ。それに自分は彼女の求婚者でもなんでもないので、そんなものを探す義理もない。


 香月はまっぴら御免だと両手を軽く上げて首を横に振り、きっぱりと言った。


 「僕では役不足のようですので、他を当たってください」


 「待て待て!冗談じゃ。…いや、当たらずとも遠からずというか…本当のところを言うとな、探してほしいのは『宝来の玉の枝』のほうなんじゃ」


 「……それも冗談ですよね?」


 『宝来の玉の枝』とは、かぐや姫が求婚者の一人に求めた宝物の一つで、根は白銀、茎は黄金、そして実は真珠で出来ているとされているものだ。本物は蓬莱山に生えているらしいが、この宝物は『手に入らないものの象徴』とも言われている。


 「…わしが求めているのはそのものではなくてな。まぁ簡単に言うなら『依り代』じゃ」


 「『依り代』?…あなたは物に宿ることができるんですか?」


 「何でもというわけではないが、今の状態ではこの場所から動けんのでな。だから、わしが宿ることができるほどの『依り代』をお前さんに用意してもらいたい。そうすれば、お前さんの望み通り、ここから出て行くことができるはずじゃ」


 「なるほど…そういうことですか。しかし、依り代といっても何でも良いわけではないのでしょう?『宝来の玉の枝』と言うからには、何か拘りみたいなものがあるんですか?」


 香月が訊くと、少女の霊は一瞬その顔に似つかわしくない老成した表情を見せる。彼女はふいに香月から離れると窓辺に立ち、外に広がる青緑の海に目を向けた。


 「……そうさな…できればわしは、真珠に宿りたい」


 「真珠ですか?…理由をお聞きしても?」


 訊かれた少女は薄っすらとその口に笑みを浮かべたが、その目はどこかここではない遠くの海を見つめているようだった。


 「…理由はない。とにかく、お主はわしが宿れるほどの真珠を用意しておくれ」


 そう言い置いて、少女の霊は空気に溶けるように姿を消してしまった。突然のことに香月は驚き周囲を見回すが、既に部屋のどこにもその気配はない。


 香月は軽い脱力感を覚え、だらりと椅子の背凭れに身体を預ける。


 「…早期解決と思いきや、とんだ厄介ごとに巻き込まれたな…」


 



 

***






 「―――というわけで、ある程度価値のある真珠を探さなくてはいけなくなった。どこか伝手があるか?」


 待機していた堀越を呼び、今の状況を手早く説明して相談を持ちかけると、彼は香月が霊をお持ち帰りすることに多少驚いた様子を見せたものの、すぐに冷静になって考え始めた。


 「真珠ですか…確かこの辺りは養殖が盛んなようですから、探せば何とか…。ですが、ここは糸様に手を貸していただいたほうが良いかもしれませんよ?」


 「糸に?…ああ、確かに彼女の方が詳しいかもしれないな。この辺りの土地は馴染みが深いだろうし。今の時間なら話せるだろう」


 香月は携帯端末を取り出し、すぐに糸に電話を繫ける。何コールかした後に電話に出た糸は、朝から香月が電話をかけてきたことにかなり驚いている様子だった。


 『―――宝石商なら幾つか馴染みはおりますが、その霊のお眼鏡に適う品がすぐ見つかるかどうか…。だって、『宝来の玉の枝』を望んだのでしょう?』


 糸にも掻い摘んで事情を説明すると、彼女はすぐに要領を得たが、香月の求めるものの貴重さにその宝石商が応えられるかどうか自信がない様子だった。確かに、あの霊が求めるものはそこらのありきたりな宝飾品ではないだろうし、それなりの品を、それも真珠に限定して取り揃えている宝石商などよほど運がないと見つからないだろう。しかし今は、手あたり次第見つけなければいけない状況だった。


 「ああ。だからできればアンティークものを扱っている所を紹介してもらいたい。とにかく真珠に強い思い入れがあるようで、彼女が納得するものが見つからないと、いつまでも帰れそうにない」


 溜息混じりにそう言うと、電話口の糸は珍しく声をたてて笑った。


 『まるで愛人におねだりされているみたいですわね。…分かりました。宝石商のことは任せてくださいな。一人だけ当てがありますので、何とか今日中にそちらに向かってもらいますわ。…それに、瑠依様に早く帰ってきてもらわないと、お友達のことが心配ですしね。まさか一人であのお屋敷に残してくるとは思いませんでしたわ』


 少し非難めいた口調で香月を責める彼女は、どう言う訳か一昨日会ったばかりの晶のことを気にかけているらしい。香月はそのことに内心複雑な思いを抱く。


 「お友達…。糸にお友達の概念が存在するとは思わなかった。…静野さんはあくまで使用人として雇い入れただけだから、僕の仕事に巻き込むべきじゃないんだ。それに、今回の件は真珠さえ手に入れば帰れると思う」


 『失礼ですわね。これでも色々と勉強してわかっているつもりですわよ?…ふふふっ、瑠依様のお考えは分かりました。でもわたくしの見立てでは、彼女はまだ不安定な場所に立っているようですわ。瑠依様もきっとお気づきでしょうが…そのことを忘れないであげてくださいまし』


 「……ああ」


 

 糸との通話を終えた香月は、通話終了のボタンを押しながら彼女の最後の言葉を反芻する。


 雨の中に蹲る晶の姿が鮮明に脳裏に浮かび、その場面を彩る感情がチクリと胸の奥を刺す。


 罪悪感にも似た思いが頭を過るが、それを振り払うように息を吐き出した香月は、頭を切り替え、控えていた堀越に向き直った。


 「―――とりあえず今日中に宝石商に来てもらえることになった。でも、その中に目ぼしいものがあるかは運次第の様だ」


 「そうでしょうね…こういったものは本来、それなりに長い期間をかけて見つけてもらうものですから。…糸様は晶さんについて何か?」


 傍に控えて会話を聞いていた堀越は、会話の中に晶のことが出てきたことを不思議に思ったようだ。


 「…糸は『お友達』のことを心配しているようだ。なるべく早く帰ってあげてほしいってさ」


 「糸様が…。それでは私も、なるべく早く帰るためにこのあたりに所縁のある宝石商を調べてあたってみましょう」


 「ああ、そうしてくれ」












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