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秘密の賭け





 「…よく、眠れなかった…」




 アラームの音で目が覚めた晶は、重く鈍る頭に手を当ててむくりとベッドの上に身を起こした。


 カーテンの隙間から差し込む日の光が、薄暗い部屋に光の筋を作る。それをぼんやりと見つめながら、昨夜の出来事を思い出す。


 昨日、厨房の片付けをし終えた後、疲れていた晶は部屋に戻るなり一目散に布団に潜り込んだ。そのまま眠りにつけるかと思ったが、刺激的な一日だったせいか頭は冴え冴えとしていて、いつまでたっても夢の世界には旅立てなかった。


 やっとウトウトし始めたと思った時、遠くの方で雷鳴が聞こえて、それにより過去の出来事がフラッシュバックしたかのように思い出され、ますます目が冴えてしまった。


 (雷は怖い。…けど、なんでか温かい)


 小さい頃、晶は本当に雷が怖かった。父親によるとその怖がり様は異常なほどで、軽くパニックを起こすほどだったという。それがいつの間にか、怖がりはするもののそれほど怯えなくなったらしい。自分でも何がきっかけだったのか覚えていないが、雷が鳴ると生理的な恐怖と同時に何故か胸の奥がじんわりと温かくなるから不思議だ。


 (きっと、雷が鳴る度にお父さんが宥めてくれたんだろうな…)


 もう二度と触れることができないと思っていた父親の温もりは、思わぬところに残っていたらしい。


 そんなことを思い出してしんみりしているうちに、今度は豪雨が窓を叩き出し、その煩さでますます眠れなくなってしまった。子猫のレンのことも心配で、見に行こうかと何度も思ったが、置いてきた小屋はしっかりした作りで雨漏りの心配はなさそうだたことを思い出し、やっぱり大丈夫かと思い直してはまた心配になり、それを繰り返すうちに雨は止んでしまった。


 結局浅い眠りに就けたのは朝方で、アラームを消し忘れたために良く眠れないまま起きる羽目になった。


 「ふぁ~…」


 欠伸をしながらベッドから降りてカーテンを開ければ、昨日の豪雨が嘘だったかのように眩しい太陽の光りが降りそそいでいた。濡れた庭の植物はその雫をキラキラと反射させ、まるで世界がスポットライトを浴びているかのように輝いている。


 そんな外の景色を眺めていると、寝不足で鈍っていた頭が少しだけ醒めてきた。大きく深呼吸して身体を伸ばした晶は、「よしっ」と呟くと身支度を整えるために洗面所へ向かった。


 

 「あ、忘れてた…」


 洗面台には、昨日のお客が忘れていった木の枝が、水に浸かったままになっていた。


 「早めに返したいけど、あの小山さん(仮)は、またお腹が空いたら来るのかな?…そういえば、この屋敷で遭遇した幽霊?たちは、食べ物に飢えていたような…」


 小山は飴を欲しがったし、双子の男の子たちもカレーを美味しそうに食べていた。もしかしたら、また未知との遭遇を果たした場合、何か食べ物があれば穏便に事が済むのではないだろうか。


 「よしっ。それならちょっと厨房をお借りしよう!…その前に、レンの様子を見に行てこなきゃ」


 晶は身支度を整えて堀越から支給された仕事着に着替えると、昨日買っておいた猫缶を持って裏口から物置小屋に急いだ。


 「お~い、レンちゃん、大丈夫だった?」


 言いながらそっと物置小屋の扉を開けると、タオルの上で黒い毛玉が丸くなっていた。その毛玉が微かに上下しているので、どうやらまだ寝ているようだ。小屋の中に入った晶はそっと近付きその艶やかな毛並みを撫でる。するとかわいい耳がぴょこぴょこと動いた。


 「レンも良く眠れなかったのかな…。ここにごはん置いておくからね~」


 そう囁くように言って蓋を開けた猫缶を小屋の中に置くと、晶は小屋を出て次に厨房へと向かう。


 厨房にやってきた晶は、早速戸棚や冷蔵庫を開けて必要な材料があるかどうか確認をする。今から作るものは比較的簡単な材料で作ることができるため、思った通りすべての材料を厨房で揃えることができた。


 「さて、では久しぶりに作りますか」




 


***






 「チーン」



 甘い香りが漂う中、厨房に学校の課題を持ち込んで解きながら待っていた晶は、焼き上がりを告げるオーブンの音に早速天板を引き出してその出来栄えを確認した。


 「家で使ってたオーブンじゃないから不安だったけど…結構上手く焼けたな」


 まだ熱々のものを口に入れ、お馴染みの味になったことにホッとする。この後は余熱を冷まして個別に包装したいところだが、この屋敷に果たしてラッピング用の袋などあるだろうか。


 少し考えた晶は、引き出しからお菓子の下に敷くレースペーパーを取り出した。


 「これに包むか…。堀越さんすみません!後で買い取らせていただきます」


 心の中で手を合わせた所で、突然玄関の呼び鈴が鳴り響いた。


 「!!…お客様?まさか、昨日の子!?」


 慌てて玄関に急ぐと、再び呼び鈴が鳴った。もしまた昨日の「さくら」という子だったら今度は追い返す自信がない。その場合は玄関を開けずに対応してお引き取り願おう。そう考えながら晶は恐る恐る玄関に向けて声をかける。


 「…はい、どちらさまでしょうか?」


 「晶さん?こんにちは。糸ですわ」


 「…糸様!?」


 慌てて玄関の扉を開けると、そこには豊かな黒髪を結い上げ、水浅葱色の涼し気な着物を着た太陽にも勝るほどの輝きを放つ女神のような美しさの糸が立っていた。


 「ごめんあそばし。晶さん、早速会いに来てしまいましたわ」


 そう言って天使も逃げ出すほどの満面の笑みを見せた糸は、晶の目の前にやってくるなり両手で彼女の右手を取った。


 突然の糸の登場に驚きつつも、晶は握られた糸の手の冷たさに、またもや無意識に左手を添えて包み込みながら彼女に問い掛ける。


 「糸様…どうしたんですか?香月さんは今、例のホテルに調査に行ってますけど…」


 「いやだ、わたくし晶さんに会いに来てよ?一昨日約束したでしょう?」


 「私に会いに…?」


 驚いた晶はまじまじと糸を見つめる。その眩し過ぎる笑顔を前に、眼球が焼き尽くされそうになり、あわてて目線を少し外した。彼女の笑顔は凶器だ。危険すぎる。強い。


 「嬉しいです…。でも、私まだ働き始めたばかりで、碌なおもてなしもできませんが…」


 客人に出す紅茶だってまともに淹れられるか自信がないのに、糸ほどのお嬢様に出せるわけがない。そう思って恐縮していると、糸は柔らかな笑顔で首を横に振った。


 「もてなしなどいりません。迷惑を掛けるつもりじゃないのよ。ただわたくしが会いたかっただけ。…友達として…会いたかったの」


 そう言って美しい眉を少し下げた表情は儚げで、何とも庇護欲を唆られるその姿に晶の胸はズキューーンと撃ち抜かれた。


 「そそ、そういうことでしたらっ!…い、糸ちゃん!!ようこそ!!」


 その言葉に、糸はその大きな瞳を更に大きく見開いて、次に神をも瞬殺してしまうほどのキラキラ笑顔爆弾を放った。


 「嬉しい…ありがとう!!晶ちゃん!!!」


 (ほあぁぁぁぁ!!…とっ、尊い!!!)


 頬をピンク色に染めてぎゅっと手を握る糸が本当に可愛くて、晶は眼球が焼き尽くされながらも、女として鼻血を吹きかけるのを必死に耐えた。笑顔爆弾の威力で何だか周りが清浄な空気に浄化されたような気がするのは気のせいだろうか。





***





 とりあえず糸を先日案内した部屋に招き入れ、二人でソファに腰を落ち着けると早速糸が話し始めた。


 「晶ちゃん、このお屋敷に来てまだ間もないでしょ?それなのに一人で留守番だなんて…少し心配で。昨日は何もなかった?」


 その口調から、糸はこの不思議な屋敷についてそれなりに事情を知っているようだった。晶は昨日の出来事について事細かに話を聞いてもらおうと口を開きかけたが、香月との契約のことが頭を過る。


 (…どこまで話していいのかな?)


 流石に彼女は香月の婚約者なのだから、何もかも話しても支障はないはずだと思うが、しかし、何事も香月に確認してからが妥当だろう。


 そう思い直した晶は、色々と話したいのを我慢して曖昧な返事をするに留める。


 「…まぁ色々あったけど、何とかなったよ。…驚きの連続だったけど」


 そう言って困ったような笑顔を見せると、糸はじっと探るように晶のことを見つめてきた。その視線に内心冷や汗をたらしていると、やがて諦めたように息を吐いて糸も苦笑を見せる。


 「…それなら良かったわ。でももし手に余るようなら、ちゃんと瑠依様に相談しなきゃだめよ?」


 彼の婚約者である糸からその言葉を聞いて、晶は思わず彼女を見返す。真意を探ろうと糸の表情を読もうとするが、その顔からは晶への心配と気遣いしか読み取れなかった。


 「…そんなこと言っちゃって大丈夫?あ、いや、私が香月さんとどうこうなることはあり得ないんだけど…。でも、二人の邪魔はしたくないっていうか…」


 先日の映画のワンシーンのような場面を思い出し、晶がおずおずと遠慮がちに話すと、糸はキョトンとした顔で晶を見返した。そして、「ああ…」と呟くと穏やかな表情で軽く首を横に振る。


 「確かに、わたくしたちは婚約者同士ですけど、それはもう便宜上のこと。晶ちゃんが気にすることは何もないから安心して?」


 「便宜上?」


 驚いて聞き返した晶に、彼女は穏やかな顔で頷く。その表情の中にほんの少しだけ寂しさのような、未練とか心残りとは別の、もっと深い所からくる何かが見えたような気がした。


 「わたくしの家と瑠依様の家同士で決めた便宜上の婚約なの。もう随分昔の話だし、お互いの事情も変わったから、そのうち解消されるのではないかしら?」


 「そうなの…?」


 糸は勤めて明るい調子で話しているが、先ほどの複雑な感情を垣間見たせいで、彼女は香月との婚約にまだ未練があるのではないかと勘繰ってしまう。しかし、そこまで彼女を知っているわけではない晶は、とりあえず彼女の言葉をそのまま受け取るに留めた。


 「それに、晶ちゃんの身の安全を守るのはこの屋敷の主人である瑠依様の役なんだから、そこは遠慮しちゃだめよ?」


 「そ、そんな…。なんだか恐れ多いな…」


 あの香月に守られるのは、自分が身の程知らずの勘違いをしそうになるので是非とも遠慮したい。晶は、先日自分が迷惑をかけた事件で学習したことを思い出し、つい遠い目をしてしまった。


 「んもう!そんなことを言ってないで、晶ちゃんはちゃんとナイトを頼ってね?」


 「ナイトって…は、はい」


 やけに香月に頼ることを強調する糸に苦笑気味に答えると、晶は話題を変えようとある事を思い出した。


 「そうだ…糸ちゃん!実はさっきクッキーを焼いたんだけど、良ければ貰ってくれないかな?」


 その言葉に、糸は大きな瞳を更に真ん丸にする。


 「…クッキーって…手作り?…手作りですの!?良いんですの!?」


 晶の申し出に糸が予想以上に目を輝かせたので、晶は「ちょっと待ってて」と言い置いて急いで厨房へクッキーを取りに行き、レースペーパーに包んだそれを持ってきた。


 「ごめん…ラッピングもなしで不格好だけど、味は悪くないはず」


 「……ありがとう…お友達に手作りのお菓子を貰うなんて、初めて…」


 糸に手渡すと、受け取った糸はそれを国宝を扱うような手つきで捧げ持つ。大げさだと思うものの、糸の目が少し潤んでいるように見えて、晶もまた嬉しさのあまり自然と顔を綻ばせた。


 「お近づきの印に。な~んてね」


 「ふふっ!嬉しい…大事に頂くわね。…そうだ。ねぇ晶ちゃん。このクッキーは瑠依様にも渡すのかしら?」


 嬉しそうな顔から一転、何やら真剣になって問う糸に、晶は慌てて首を横に振った。


 「いやいや!まさかそんな滅相もない!!…今回はたまたま已むに已まれぬ事情があって作ってみただけだから、香月さんに渡すつもりなんてなかったよ?」


 「その事情は…まぁ、今は聞かないでおくわ。……それならわたくしからお願いなんだけれど、このクッキー、瑠依様にも渡してみてくれないかしら?」


 「へっ!?…な、なんで?」

 

 突然の提案に晶は目を瞬かせ、次に不可解な顔で糸の顔を見返した。


 便宜上でも彼の婚約者である彼女からそんな提案がされるなんて、その真意がわからずに晶は困惑する。それに、香月ならもっと高級菓子店の美味しいクッキーを食べ慣れていそうだし、何故わざわざ晶の作った素朴なクッキーを渡さなければいけないのか。


 「…香月さんには迷惑だと思うけど?」


 「ふふふっ。そんなことないんじゃないかしら?…じゃあ、賭けをしましょうよ!もし、晶ちゃんのクッキーを瑠依様が食べなかったら晶ちゃんの勝ち。食べたならわたくしの勝ちよ」


 「なんだそりゃ…」


 その賭けに何の意味があるのだろうか。一切不明だが、糸が何故かやる気に満ちているので、晶はまあいいかと彼女の話に乗ってみることにした。


 「…何だかおかしな話だけど、まぁ乗った。じゃあ何を賭ける?」


 話に乗ってきた晶にとても嬉しそうな糸は、「そうね…」と高揚した顔で頬に手を当てて考える。そんな仕草ひとつ取っても非常に可愛らしく、額に飾っておきたいレベルで美しい。晶は目尻を下げながらその様子を見ていたが、やがて、ふと意志の強い瞳を見せた糸が、晶に向き直った。


 「じゃあ、わたくしの秘密をひとつ賭けますわ。代わりに、晶ちゃんは昨日の出来事を私に話すっていうのはどう?」


 「え…そんなのでいいの?何だか重さが違くない?」


 香月にクッキーを渡すまでには昨日の出来事を報告しているだろうし、さして秘匿するような内容でもなさそうなので、香月の許可をもらえば話すことはできるだろう。そんなことと糸の秘密を同等に賭けるのは何だか糸のほうが割に合わない気がした。


 「いいんですの。わたくしの秘密は、晶ちゃんなら教えてもかまいませんわ。…それにこの賭け、わたくしには勝つ自信がありますもの」


 そう言って穏やかな笑みを見せる彼女は、何故だかとても嬉しそうで、期待に目を輝かせている。


 「…わかった。糸ちゃんがそれで良いなら」


 疑問は残るが一応了承した晶に、糸は面白そうにふふふっと笑うと、手元のクッキーを愛おしげに見つめた。




 その後、二人で一緒に淹れた紅茶を飲みながら他愛のないお喋りをして(と言ってもほとんど糸からの質問に晶が答える形式だったが)小一時間過ごし、やがて糸は「また来ますわ」と笑顔で帰っていった。


 糸が乗る高級車を庭先で見送りながら、晶は彼女の残した余韻に浸りながらぼんやりと考える。


 (初めは遠い存在のお嬢様だと思っていたけど、話してみるとごく普通の可愛い女の子だったな…)


 置かれている環境のせいか世間とは少しズレているところもあるが、糸は好奇心旺盛で晶の学校生活や今流行しているものなどに興味津々といった感じで、中身は同じ十代の女の子と一緒だった。晶は今日彼女と会ったことで、自分の中にあったお嬢様の糸への認識を改めることになった。



 その時、何かが足首を掠めた。


 驚いた晶がすぐに下を向くと、そこには黒い毛玉が足元に絡みついていた。


 「わ!…レン!起きたのね。ごはんは食べた?」


 「ミャ~ァ」


 足首にじゃれ付くように纏わりついてきたレンを見て、晶は手を伸ばしその小さな体を抱え上げる。


 晶に抱かれて嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らした子猫は、晶の胸に抱かれながら「ミャ~」と一声鳴くと、先ほど糸の車が出て行った門の方向に顔を向け、そちらをじっと見つめていた。 















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