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バイト卒業





 「お帰りなさいませ!ご主人様」




 入店した男性客に向けて今日の定型文を口にした晶は、そのまま彼を混み合う店の奥へと案内した。


 晶のバイト先である『カフェ・ソムニウム』は本日、『メイドデー』となっていて、いつもより客足が多く、店内では店員を呼ぶ声が飛び交っていた。


 フリルの多くあしらわれたメイド服を着用したスタッフの若い女の子達は、トレイを持ちながら注文を受けたり料理を提供したりと右へ左へと忙しく立ち回っている。まさに目の回るような忙しさの中、晶も短いスカートのメイド服にニーハイソックスという出で立ちで注文票を片手にきびきびと動き回っていた。


 「あーちゃ~ん、こっち注文いいかな?」


 「次…、こっちも…」


 「はい!ただ今!」


 他にもスタッフの女の子は数人いるはずなのに、今日は晶の卒業日ということもあってか仕事上の仮名である「あーちゃん」を呼ぶ声が多い。


 卒業といっても店側で何か特別なことをするわけではなく、接客も通常通りなのだが、自分を目当てに来てくれた人もいるかもしれないと、晶はできるだけ来店した客に顔を見せるように動き回っていた。


 「あーちゃん。その注文伝えたら休憩取れって店長から」


 「! わかりました」


 先輩の一人からこそっと伝言を受け取った晶は、先程受けた注文を厨房に伝えた後、そっと厨房の奥にある控室に引っ込んだ。


 控室のドアを開けるとそこには誰もおらず、晶はファンシーなソファを占領するとだらりとひじ掛けに凭れ掛かる。部屋の壁に掛かった時計を見ると、早くも夕方の時刻に差し掛かろうとしていた。


 「はぁ~~疲れた……。気が付けばもう五時間フルで動いてたんだな。お腹空いた…」


 今までも忙しい日はあったが、これほど自分から動き回ったことはなかった。今日来てくれた客がすべて自分目当てというわけではないだろうが、それでも最後に会いに来てくれた人がいたなら満足してもらいたい。そんな気持ちで動いていたらあっという間に時間が過ぎていた。


 疲労感もあるが、それよりも大きい充足感に、これも悪くないと晶はひとり静かに微笑む。


 その時、ノックの音と共に扉が開き、店長が控室に入ってきた。


 「晶、お疲れ様。これ、今のうちに食べちゃいなさい」


 今日も見るものを魅了して止まない彼女は、まだ昼間のうちだからか長い金髪を下ろし、濃い紫色のノースリーブのタイトなワンピースという幾分控えめな装いだ。それでも人目を引く煌びやかさと色気は健在だったが、晶はそんな彼女が持ってきた皿の方に目を輝かせた。


 店長の手にした皿には、賄いのサンドウィッチが載っていた。彼女は部屋へ入ってくると、それをテーブルの前に置いて自身も晶の正面のソファに座る。

 

 「わー!!滅多に食べられなかった豪華サンドだ!いただきまーす!」


 このサンドウィッチは特別なイベントの時しか出てこない賄い料理で、手の込んだ五種類の具材がそれぞれ挟んであり、そのどれもが絶品だった。


 早速おしぼりで手を拭いてから、晶はタマゴと合鴨のハムとトマトが挟んであるものを手に取り、パクリと口に運ぶ。アクセントの黒コショウが効いていて、とても上品な味が口の中に広がる。


 「んん~!美味しい…」


 その美味しさに自然と笑みが浮かぶ。


 これが食べられるのも最後の機会だ。しみじみとした感傷が胸を過り、晶が一つ一つじっくり味わって食べていると、店長が何か言いたそうにじっと見つめていることに気付いた。


 「どうかしましたか?」


 「いえ…何だかあんたが変わった気がして。そんなに美味しそうに食べる子だったかなって」


 そう言った店長の顔はとても穏やかで、晶の方がその珍しい表情に驚いてしまう。


 「そ、そうですか?」


 「今日の仕事ぶりを見ても、今までのあんたと全然違うわよ?自分じゃ気付いてないかもしれないけど」


 「…そんなに違います?」


 「そうよ。今までは、何というか…ここに居るのにいないような、目を離したらふらっとどこかに消えちゃうような幽霊みたいな雰囲気があったけど、今はちゃんと生命反応がある感じ?」


 「…ふふふっ、なんですか、それ」


 その例えに晶はつい笑ってしまう。でも確かに彼女の言う通りだったかもしれない。晶は今まで自分が父親の死から立ち直れず、どこか気の抜けた毎日を送っていたことを自覚していた。つい先月まで、自分はまさに生ける幽霊のようだった。


 「今日のあんたを見て、安心したわ。でも…また何かあったら、いつでも私のところに来なさいね」


 そう言って穏やかな顔で晶を見つめる店長に、晶はこみ上げる何かを感じて少し顔を逸らす。


 彼女は晶にとって恩人の一人だった。出会った時の晶はとても不安定で、あの時放っておかれたままだったら、今ごろ自分はどうしていたかわからない。


 晶は無言で頭を下げる。


 (…店長にも、いつか恩を返そう。自分がちゃんと自分自身の力で立てるようになったら、必ず)


 密かな想いを抱いていると、店長がしんみりとした空気を変えるように、「そういえば」と話を切り替えた。


 「さっき、うちの見張り役から報告があったんだけど、前に出禁にしたストーカー気質の客が店の前をうろついてたみたいなのよね。あんたの卒業を目当てに来たんだろうけど…一応あんたにも伝えておくわ」


 いきなりとんでもない話を聞かされて、晶はガバリと顔を上げて目を丸くする。ストーカーなんて自分にとってどこか現実味のない言葉に驚くと共に、身に覚えのない話に晶は首を傾げた。


 「す、ストーカー?…出禁って…その人何かしたんですか?」


 「まぁ、実際に何かしでかしたわけじゃないけど、ギリギリなことはしていたわね。あんたが怖がるかと思ってその時は話さなかったけど、店が終わる時間まで待ち伏せしてたこともあったみたいよ。今まではうちの怖いおじさんたちが守ってくれてたけど、これからはそういうわけにもいかないから、自分で十分気を付けなさいね」


 この『ソムニウム』で働く女の子たちは普段、店長や従業員の屈強な男性たちからその名誉と尊厳を守ってもらえている。だから今まで安心して呑気に働けていたのだと、今更ながらその事実を思い知った。


 「わかりました…。今まで守ってくれてありがとうございます。他の方にもありがとうございましたと伝えてください」


 「…うちで働いて貰ったんだから当たり前よ。今日もそいつは追い払っておくから、気にしないでバンバン働いてちょうだい」


 そう言って立ち上がった店長は、晶に向けてウインクを残して部屋から出て行った。






***






 「短い間でしたが、ありがとうございました」



 従業員の前で最後の挨拶をした晶は、万雷の拍手の中で頭を下げた。


 店長から彼女に似つかわしくない可愛い花束を受け取った時、ぎゅっと抱きしめられ、「楽しんで生きるのよ」と励ましの言葉を貰った。晶はまたしてもこみ上げるものを必死に耐えて、笑顔で頷き彼女に応えた。


 他の従業員からもそれぞれ労いと別れの言葉を貰い、今になってやっとバイトを卒業する実感が沸いてくる。別れを惜しむほど長く勤めていたわけではなかったが、掛けられる言葉がどれも温かくて、自分が思っていた以上に自分のことを気に掛けてくれている人たちがいたのだと気付き、胸に温かいものが湧き出るような感覚がした。



 ロッカーに残っていた荷物をすべてリュックに詰め終わった晶は、最後に鍵を返すために更衣室を出て裏口に向かった。


 「おう、あーちゃん。今日が最後だってな。元気でやれよ」


 「ムネオさん!今までありがとうございました」


 裏口前の守衛室には、この店の用心棒でもある強面代表のムネオが晶に向かって手をヒラヒラ降っていた。彼にも世話になった晶は、礼を言って深々と頭を下げる。


 「そういや、店長から聞いたか?妙な客のこと。一応店の周りにはいなくなったが、充分気を付けろよ」


 「はい。今まで守ってくれて、ありがとうございました」


 鍵を返し、店の裏口を出ると、晶の顔に夏の宵口の生温く湿った風が吹きつけた。表通りはネオンが煌々と照り付け、街は未だに喧噪の中にある。


 化粧を落とし白いTシャツとジーンズに着替えた晶は、どこからどう見ても『あーちゃん』とは別人に見える。しかし、用心に越したことはないので、晶は黒のキャップを目深に被り直し、街の雑踏の中を駅に向けて踏み出した。


 人の間を縫うように足早に夜の街を抜けた晶は、やがて駅に辿り着くとそのまま改札を抜ける。屋敷の最寄り駅に停まる電車を確かめると、あと一分で発車となっていた。


 晶は少し考え、乗り込む電車が停まるホームに降りる階段を降りずに、そのまま携帯端末を見る素振りを見せた。


 やがてホームに電車が到着し、アナウンスの後ドアが開いて降車した人々が階段を上ってきた。電車はしばし停車すると、すぐに発車のベルが鳴り響く。その瞬間に晶は猛ダッシュで階段を駆け下り、閉まる直前の電車に飛び乗った。


 「ふ~…」


 駆け込み乗車は迷惑行為だとわかってはいるが、店長やムネオから忠告されたこともあって、もし誰かに後を着けられていても撒けるようにと考えた末の行動だった。


 (これで大丈夫かな…)


 車内は座席がほぼ埋まるくらいの乗車率で、ここからしばらく電車に揺られる晶は、仕事の疲れもあり、ちょうど空いていた席に座ることにする。


 (寝過ごさないように、到着時刻前にアラームセットしておこう…)


 寝不足なこともあり、電車の穏やかな揺れも相まって眠気が襲い始める。一日中気を張っていたせいか、晶は席に着いた途端にいつにない疲労を感じてついウトウトと目を閉じてしまった。



 携帯端末のバイブで浅い眠りから目覚めた晶は、電車の窓の外に降車駅の風景が流れてきたのを見て慌てて立ち上がる。やがて滑るように電車が停まり、ドアが開くと晶は他の乗客と流れるように降車してホームに降り立った。そのまま人の波に乗って改札を出た晶は、慣れない駅構内で目的の出口を見つけるためにぐるりと辺りを見回す。


 すると、駅の掲示板に貼ってあるポスターが目に入った。それはこのあたりの地域で明日開催される夏祭りのポスターで、浴衣姿の人々がお面を付けて踊っている様子の写真や、屋台や花火の写真などが掲載されていた。


 (お祭りかぁ。そういえばもう何年も行ってないな…)


 最後に行ったのは、小学校の頃だろうか。父親と一緒に住んでいたアパート近くの小さいお祭りに行った記憶が蘇り、懐かしさと寂しさで急に胸がツキンと痛み出す。


 あの時は父親にせがんで色々買ってもらった。その時食べたりんご飴の味は、今でも思い出せるほど甘酸っぱくて美味しかった。


 そんなことを思い出しながら痛む胸にそっと蓋をした晶は、ようやく出口を見つけ、駅の外に出る。するとちょうど帰りのバスが停まっているのが目に入り、晶はこれ幸いと小走りでバスへと近付きそのまま乗り込んだ。


 バスの車内にはすでに仕事帰りのサラリーマンやOL、学生など数人が乗り込んでいた。これから五分後に出発とのアナウンスが流れ、晶はまた寝てしまうことを考慮して到着前に鳴るように再びアラームをセットする。


 晶の後に一人の男性が乗り込み、時間になってバスは出発した。


 誰一人喋らない車内は運転手の穏やかなアナウンスが流れるのみで、案の定、晶はまた睡魔に襲われ始めた。ここから二十分ほどバスに揺られ、そこから更に屋敷まで遠い道のりが待っている。


 (今日はレンはどうしていたかな?…帰りにまた近道使わせて…もらえる…かな…香月さんは…今ごろ……)


 日差しの降りそそぐ砂浜をバックにした香月を想像して、またその似合わなさに口角を上げた晶は、彼の瞳の色を思い出しているうちに、次第に意識を泥のように溶かしていった。












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