リセット【神酒視点】
長い静寂が訪れた。
「どうして・・?どうしてあなたは、そんなに人を信じることができるの?」
それはベルの声だった。ベルは泣いていた。
あたしの腕の中で、ベルはまるでお母さんに抱かれた赤ちゃんみたいに肩を震わせて泣いていたんだ。
「あなたが来るほんの一歩手前まで、私はあなたを殺そうと思っていたのよ。
なのにどうしてあなたは・・・私を信じられるの?」
ベルの声は、いつの間にかまた前のような若々しい声に戻っていた。
どうして私を信じられるの?
あたしはベルのその問いかけに、納得できるような答えを出してあげたかったけど、うまく言葉がまとまらなかったし、何故そんな気持ちになったのかは、自分でもよく判らなかった。
だから、こう応えたんだ。
「あなたが呼んだから・・・。友達のあなたが抱きしめてって言ったから・・・。ただそれだけ・・・。」
屋敷での初めての出会い。そこで交わされた小さな約束。
多分友情がどんなものかをよく知らないベルにとって、その約束はほんの取るに足らないものだったかも知れない。
でも、それはあたしにとって忘れられない約束だったから。
ベルは友達。きっとベルも連れて帰るという約束を・・・
「本当は判っていたの!判っていたのよ!」
ベルは叫んだ。
「こんなことしたって、あなた達の輪の中に入ることなんて出来ない!あなた達を手に入れたって、心までは私のものには出来ないって・・・!」
ベルの鳴き声はいっそう激しくなった。
ベルの気持ちはよく判る。
でも、どうしても忘れていけないことがあるの。
だって、キララやナミやリコの命を奪ったのは・・・・・多分ベル。
あたしはベルを許すことができるの?
自問自答。
答えの出せない気持ちの中の迷宮。
その時だった。ベルの中に一度は押さえ込まれていたレギオンが、また暴れだしたんだ!
「危ない!」
ベルがあたしを左手で突き飛ばした。
ベルの右手の爪が、まるで鋭い刃物のように伸びて、あたしの首に切りつけてきたの!
「逃げて!ミキさん!」
ベルの体はベルのもの。でも右腕だけがレギオンに操られていたんだ。
右手を左手で必死に押さえるベル。暴れる右手の爪が、いくつもベルの体に傷を付けていく。
「この!・・・・やめろ!バカ!!」
「頑張って、ベル!負けないで!!」
あたしは叫んだ。でもベルは・・・・。
ベルは・・・ベルは・・・・。
「ありがとう、ミキさん。短い間だけど、うれしかったよ・・・」
そう言うと、それだけ言うと・・・・。
右手の刃を、自分の胸に突き刺したんだ・・・。
ベルが倒れ、彼女の体から再び黒い雲が飛び出す。
そしてその直後だった。あたしの背後からパラケルススがすごい勢いで飛び込んでくると、いっきにレギオンを噛み砕いた。
あたしには小さくあのレギオンの断末魔が聞こえたような気がした。そう。レギオンはついに消滅したんだ。
こうして永く雛の森の深部に蠢いていた最も邪悪な魂は消え去ったんだけど・・・・。
「ベル!ベル!!」
あたしはベルを抱き起こした。
ベルの息は途切れそうになっていて、もう彼女の命が永くないことは誰が見ても分かったと思う。
「なんで!?なんでこんなことに?」
あたしの問いかけに、ベルは最期の力を振り絞って答えてくれた。
「ミキさん・・・・。あたしが犯した罪は、こんなことじゃ償いきれない・・・。でも、最期にミキさんのためにいいことができたよね・・。これで、あたしもミキさんの友達になれるかな・・・?」
「バカ!こんなことしなくたって・・・・、こんなことしなくたってベルは友達だよ!!」
あたしの言葉は、残念だけどベルには届かなかった。
彼女はあたしが叫ぶ前に、あたしの腕の中で息絶えていたんだ・・・。
その後、神父様が沈痛な顔で祈りの言葉を唱えた後に、パラケルススが近寄ってきて、自分の背中にベルの遺体を乗せるように指示をした。
パラケルスス。
もうこの獣には、前に見たような醜く腐った部分はどこにも無かった。
輝くような黒い毛皮を持つ、誇り高い神の僕に戻っていたんだ。
彼はあたしたちにこう伝えたの。
ベルは生きているとも死んでいるとも言えない不安定な存在。
ベルが行った行為は、彼女の存在が消滅したことにより初めの状態に戻される。つまりリセットされるってことだよね。
だからキララもナミもリコも戻ってくるんだってさ。
それはうれしかったよ。うれしかったけどさ・・・・。
そう言ってパラケルススは、ベルの亡骸を背負ったまま闇の中に消えていったの。
あたしと神父様がこの屋敷を後にした時、不思議なことに屋敷は消え去っていた。
屋敷の外には、いつの間にかキララたちが待ち受けていて、あたしたちは手を取り合って喜んだよ。
奇妙なことだけど、キララたちには雛の森での記憶が全然無かったんだ。
リコに関しては、「なんでリコはここにいるの?」みたいな感じでさ。
結局、こうしてあたしたちの短い冒険は、多くの謎を残して終わりを告げたんだけど、あの地下墓地の子どもたちがどうなったかも、神父様を連れまわした声の正体も分からないまま。
『神父様は、あれが誰かだいたい見当がついたって言ってたけど、誰かは教えてくれなかったんだ』
ここでの出来事は誰にも話さないでおこうって、あたしと神父様で秘密の約束をした。
多分ベルの影響だろうね。
鳳町でも、誰もリコの行方不明騒ぎを憶えている人はいなかったんだ・・・。
数日後、あたしは石着山の奥の森の中に行った。
雛の森があったあの場所だよ。
季節はずれだけど、ムギワラギクの花束を持っていったんだ。
花言葉は「永遠の記憶」
あの時の笹の林は、どこにいったのかすっかり姿を消していたんだけど、あたしは屋敷が建っていた場所の見当をつけて、そこに花束を供えた。
秋の温かい陽射しがあたしを優しく包み込む・・・・。
忘れない。
ここにはあたしだけの親友が眠っている。
知り合えたのは短い間、すれ違いもたくさんあったけど、でも間違いなく親友だったベルが、ひっそりとここに眠っているんだ・・・。




