成人の儀
バーバリアン族『成人の儀』を終え、王都へ旅立つテリエスの後ろ姿を、ダラスは静かに見送っていた。
自分より頭二つは小さな背中が、街道の先へと遠ざかっていく。
成人の儀が始まる前まで、ダラスは自分が同世代のバーバリアンに負けるなどとは考えたこともなかった。
タヌカン族の中でも飛び抜けて大きな身体。生まれ持った膂力。そして、幼い頃から戦士たちに叩き込まれてきた戦闘技術。
少なくとも素手での比武なら、自分より強い新成人など存在しないと信じていた。
だが——。
遠ざかっていくテリエスの背中を見つめながら、ダラスは決勝戦での比武を思い返していた。
◇
「小さな戦士テリエスよ! 俺はタヌカン族のダラス! 全力で叩き潰してやる! 手加減はできん、死なぬよう気をつけてくれよ!」
巨大な木製ジョッキを掴み、ダラスは中身を豪快に喉へ流し込んだ。
ゴクッ、ゴクッ!
「プハーッ!」
飲み干したジョッキを無造作に放り投げる。
カラコロン、と乾いた音を立てて地面を転がった。
(景気付けだ。戦いの前に酒を飲み干し投げ捨てる。バーバリアンの流儀だと教わったが、テリエスはどうだ?)
<うおおおお! いい飲みっぷりだ!
<最高の戦士ダラス! ダラス!
観客たちの歓声を浴びながら、ダラスは対面に立つ小柄なバーバリアンへ視線を向けた。
「大きな戦士ダラスよ! 俺はアイル族のテリエス! 心配には及ばない、決勝にふさわしい比武にしよう!」
テリエスも負けじと酒をあおる。
——カラコロン
<うおおおおおお! 負けてないぞ!
<小さな戦士! テリエス! テリエス!
(いい飲みっぷりじゃないか)
ダラスの口元が自然と緩んだ。
テリエスは成人を迎えたバーバリアンとしては明らかに小柄で、ダラスと向かい合えばその体格差は親子ほどにも見える。
(体は小さいが、ここまで勝ち抜いてきた偉大な戦士だ)
しかし、テリエスの体格だけを見て侮るつもりなど、ダラスにはかけらもなかった。
「始め!!!」
(手加減はせんぞ!)
開始の合図と同時に——テリエスの姿が消えた。
「なに!?」
(何!? 姿が消えた!?)
ダラスの視線が素早く左右へ走る。
(おのれテリエス! どこへ消えた!)
次の瞬間。
「んごっ!?」
ダラスの顎を下から撃ち抜く強烈な一撃。
巨体が大きく揺れ、片膝が地面へ落ちる。
(何が起こった!?)
ダラスの視界は激しく揺れていた。
平衡感覚が失われ、地面そのものが波打っているように感じる。
しかし、ダラスの身体は何をされたのか理解していた。
(顎……)
目で追えないほどの素早い動きで正確に、顎を撃ち抜かれたのだ。
<ウオオオオ! ダラスが膝をついたぞ!
(俺は今、膝をついているのか?)
ダラスは立ち上がろうとする。だが、身体が思うように動かない。
(ぐっ。だめだ、地面が揺れている。わけがわからない!)
それでもダラスは倒れなかった。
何が起きたのかを頭で理解できなくとも、幼い頃から繰り返してきた鍛錬が、身体の動かし方を覚えている。
(なにを! 足、腰、背中に力を入れて……)
「ふん!」
大腿が膨れ、腰が持ち上がる。
最後に背筋を伸ばし、ダラスは強引に巨体を立ち上がらせた。
<ダラスが立ったぞ! 今だ! やっちまえ!
直後、右脇腹へ凄まじい衝撃が叩き込まれた。
「ぐっ……!」
(右脇腹……重たい!)
テリエスの拳だ。
自分とは比べものにならないほど細い腕から放たれたとは到底思えない。
(この細い体のどこにこんな力があるのだ!)
だが、疑問に思ったのは一瞬だった。
理由を考えている暇などない。
(くそ! ガードだ! とにかく急所を守らねば!)
ダラスは両腕を上げ、頭部と胴体の急所を固める。
テリエスの拳が次々と巨体へ突き刺さった。
ダラスの思考はいつだってシンプルだ。
(速い——見えてから追っていては間に合わない)
……。
(ならば追わなければいい!)
「グハハハ! やるなテリエス! だが、その程度の威力で俺は倒せんぞ!」
ダラスは口を大きく開けて笑った。
肉体の痛み……それだけでは『神童』ダラスは止まらない。
(今度はこちらの番だ!)
「ふんっ!」
巨大な拳が空を切った。
(クソ、当たらん!)
テリエスは真正面から打ち合うつもりがない。
ダラスの間合いへ一瞬だけ踏み込み、攻撃を加えればすぐに離れる。
右。
左。
背後。
小柄な身体が絶えず死角へ潜り込み、ダラスの拳を空振りさせ続ける。
(おのれテリエス。撃ち合う気が無いようだな……。ならば、逃げられなくすればいい。複雑な理屈など……必要ない!)
ダラスの持つ技の中には、動き回る相手を強制的に止めるものがある。
(ならば!)
大きく息を吸い込む。
「ぬあああああッ!! 『咆哮』!!」
轟音が闘技場を震わせた。
空気そのものを叩きつけるような咆哮を正面から浴び、テリエスの身体が一瞬硬直する。
(よし、今だ!)
ダラスの身体はすでに動いていた。
「捉えたぞ……ッ!!」
全体重を乗せた拳が、テリエスの身体を捉える。
——その瞬間。
ダラスの拳に、わずかな違和感が残った。
(む!? 妙な感触だ! 肉を殴った。それは間違いない。しかし、何かが拳とテリエスの身体との間に挟まっていたような——妙な手応え)
しかし、強敵との戦闘中だ。無駄なことを考えている余裕など、ダラスにはなかった。
(まあいい)
「ぐ、ハッ……!」
テリエスの小さな身体が大きく吹き飛んだ。
(ようやく一撃喰らわせてやったぞ!)
まともに入った。
(勝った!)
ダラスはそう確信した。
(この細い体で俺の一撃に耐えられるわけがない——)
<テリエスが……立ち上がった! まだ戦れるようだ!
「なに!?」
ダラスの目が見開かれる。
(立ち上がっただと!?)
テリエスは確かに立っていた。
身体強化系のスキルを使っていることは、ダラスにも分かる。
(肉体強化か! それにしては体が細い気がするが……)
通常の肉体強化ならば、もっと露骨に筋肉が膨れ上がる。
自分が使った時もそうだ。
だが——。
(まあいいだろう!)
細かいことを考えるより、まず倒す。
それがダラスという戦士だった。
再びテリエスが動き始める。
今度は先ほど以上に速い。
(また動き回っているようだが……これで終わりだ!)
ダラスは肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「ガァァァァ——『咆哮』!!!」
再び轟音が迸る。
テリエスの動きが止まった。
(よし! テリエスは動きが止ま——)
その身体に、淡い光が走った。
直後。
——ドォンッ!!
「何!?」
何かがダラスの巨体へ激突した。
地面が消える。
空と観客席がぐるりと回転し、巨体が闘技場を吹き飛んでいく。
<ウオオオオ! ダラスが吹っ飛んだぞ!
<すごい戦士だ! テリエス! テリエス!
遠のいていく意識の中、ダラスの瞳には一つだけ不可解なものが焼き付いていた。
(な……んだっ……たんだ……今の……光は……)
◇
成人の儀を終えた今になって思い返してみても、やはり答えは出なかった。
(ふむ。あの時の光は、なんだったのだろうか)
テリエスの肉体強化も、自分が使うものとはどこか違っていた。
アイル族に伝わる秘伝なのか。
それとも、テリエス個人が持つ特殊な力なのか。
(まあいい)
分からないものは分からない。
それよりも、ダラスにとって重要な事実が一つある。
(とにかく、奴は強かった。この俺よりも)
思い出すだけで、自然と笑みが浮かんだ。
「グハハハ!」
悔しくないわけではない。次に戦えば必ず勝ちたい。だがそれ以上に、同世代に自分を打ち倒せるほどの戦士がいたことが嬉しかった。
(まさか同世代で俺に勝てるような、勇敢な戦士がいるとはな。バーバリアン族の未来も明るいぞ!)
敗北したというのに、ダラスの足取りは軽かった。
もっとも、今から向かうタヌカン村で待っている『継承の儀』については、何をするのかさっぱり分かっていない。
(しかし、タヌカン村に帰るのは良いが、継承の儀とは何を継承するのだろうか)
武器ならば、神授の武具であるヴォル=ウーラの大剣を手に入れた。
肉体強化も、咆哮もすでに身につけている。
父ガルバからも、新成人のバーバリアンとしてこれ以上ないほど仕上がっていると言われていた。
(バーバリアン族というのは、妙に謎めいた儀式のようなものを大事にしているが……意味があるのかないのか、分からんものばかりだ)
少しだけ考えて——。
(まあいい)
ダラスは考えるのをやめた。
今はタヌカン村へ帰る。
それだけだった。




