狂戦士リキエル
村の中でおっさんとテリエスの二人は、「ちょっと変わったバーバリアン」として少しだけ浮いていた。
もっとも、バーバリアンは血と絆を重んじる種族だ。どれほど思考や趣味がズレていようと、同族を意図的に排斥したり仲間外れにしたりするような陰湿さはない。
「相変わらずあの二人は風変わりだな」と温かくも適度な距離を保たれている、そんな付かず離れずの空気感だった。互いの領域を侵さず、過剰に踏み込みもしない。
それは筋肉文化を生きる村人たちと、理屈と知識を慈しむテリエスたちとの間にできた、お互いを尊重するための自然で心地よい『境界線』だった。
そんな平和な日々の中でのことだ。
いつものように村のはずれの秘密基地で特訓を重ねていたテリエスは、ついにその日、初めての『雷魔法』を成功させた。指先から弾けた小さな青白い火花。興奮のあまり、テリエスは周囲の気配に気づくのが遅れてしまった。
「……あ」
木陰からこちらを覗き込んでいたのは、近くにある人間の村から迷い込んできたのであろう小さな子供だった。目が合った瞬間、相手は怯えた表情で脱兎のごとく走り去っていく。
「——!!」
血の気が引いたテリエスは、逃げるようにその場を離れ、地面を蹴りつけるような勢いでおっさんのいる図書館へ駆け込んだ。
「おっさん! ど、どうしよう……見られちゃった……!」
息を弾ませ、パニックになりながら必死に言い訳をまくし立てる。
「近くの人間の村から誰かが来るなんて今まで一度もなかったんだ! 本当だよ! だから油断してて……ごめんよおっさん、ごめんなさい……!」
おっさんはテリエスの慌てようを聞くと、一瞬だけ恐ろしいほど真面目な顔をして沈黙した。
しかし次の瞬間には、いつもの温かい笑みを浮かべ、震えるテリエスの頭を大きな手でガシガシと撫で回した。
「ガハハ! なぁに、見られたのは人間の子供だろう? まぁ大したことにはならんさ!」
そう言ってテリエスを安心させると、おっさんは目を細めてその肩をポンと叩いた。
「それより、雷魔法が使えるようになったのか! すごいぞテリエス、よくやった!」
「おっさん……!」
「……だがな、今後はもっと警戒しなきゃな。お前が魔法を使えることは、絶対に誰にもバレちゃいけない。約束だぞ!」
「うん!」
おっさんのその言葉を、テリエスはいつもの「注意喚起」として受け止めていた。
◇
——それから、一年が過ぎた。十歳になったテリエスの元に、不穏な影が忍び寄る。
ある日突然、王都の紋章を掲げた騎士団が、重厚な甲冑の音を響かせてアイル村へと現れたのだ。威圧的な空気を纏った騎士団長は、村長の前に立ち塞がると言葉を投げかけた。
「魔法が使えるバーバリアンが、この村に潜んでいるという報がある。すまんが、ちょっと調べさせてくれないか」
「むむ! なんのことだ? バーバリアンに魔法が使えるわけがないだろう!」
村長は本気で首をかしげた。実際に何も知らないのだから当然だ。だが、後ろに控えていた騎士団員の一人が、苛立ったように剣の柄へ手をかけ、イキリ立った。
「バーバリアンごときが白を切る気か……! 国家への反逆者を隠し立てして、この村が無事で済むと思うなよ!?」
その言葉を聞いた瞬間、村長と周りのバーバリアンたちの目の色がガラリと変わった。
「知らんもんは知らん! なんだお前、バーバリアンの村で剣を抜こうとしてるのか? ……いい度胸だなあ!?」
村長が巨大な斧を構え、村人たちも一斉に獲物を手にして臨戦体制に入る。バーバリアンは誇り高き戦士の種族だ。理由のない威圧や力による脅しに屈することなど万に一つもない。
一触即発の空気に騎士団長が手を挙げ、部下の暴走を制した。
「待て。……村長、お前たち、こいつを知っているか?」
騎士団長が懐から一枚の古びた羊皮紙——指名手配書を取り出し、かざしてみせた。
「数年前、王都で王室所属の研究員たちを切り伏せて逃げていったバーバリアンだ」
手配書に描かれていたのは、野獣のような鋭い眼光と、顔を斜めに切り裂く深い傷痕を持つ隻腕バーバリアンの人相画だった。
その人相書きの禍々しさは、昼間から酒を飲んで子供相手にヘラヘラと笑っていた、あの冴えない「おっさん」の姿とは似ても似つかない。
【狂戦士リキエル——生死問わず】
(……え!?)
群衆の陰で手配書を覗き込んだテリエスは、全身の血が引いていくのを感じた。
描かれているのは、間違いなくあのおっさんだ。
(俺のせいだ……! 俺が雷魔法を見られたから、おっさんの居場所がバレちゃったんだ……!)
罪悪感と恐怖で膝が震える。村長もまた、手配書に記された顔と右腕の欠損を目にし、全てを察したように一瞬だけ目を細めた。だが、すぐにフンと鼻で笑い捨てて見せた。
「リキエル……なかなか良い目をした戦士だ。だが……知らんな。ここにいるのは、子供たちにホラ話を吹き込んでばかりの酒飲みのおっさんくらいだ」
手配書の男が誰なのか、村の全員が理解していた。それでも村長は、そして村人たちは、「狂戦士リキエル」などここにはいないと、ただの「自分たちの仲間」なのだと言い切ったのだ。
「俺たちはバーバリアンだ。細かいことなどわからん。その手配書の男が何をしたかなど興味もない! だが、村の仲間を連れて行こうと言うのなら……黙って見ているのは勇敢な戦士とは言えねえよなぁ!?」
村長が巨大な斧を地面に叩きつけ、ガツンと重い音を響かせる。村人たちの殺気が爆発的に跳ね上がり、まさに一触即発の空気がその場を支配した。
「俺たちは戦いに来たわけじゃない。その男さえ差し出せば、大人しく引き上げる」
騎士団長は淡々と言い放つが、村長はニッと凶暴に唇を歪めた。
「ハッ! 勇敢な戦士が、仲間を売るようなくだらない取引に応じるわけねえだろうが!」
村人たちが一斉に武器を構え直す。血で血を洗う戦いが始まろうとした、まさにその時だった。
「……ここにいるよ」
静かな声とともに、群衆を割って一人の男が歩み出た。
右袖を風にはためかせたおっさんだ。
「……狂戦士リキエル」
騎士達が腰の剣に手をかける。おっさんはそんな騎士たちを気にも留めず、村長に向かって穏やかに微笑んだ。
「ありがとうな、村長。ただの流れ者の俺を仲間だと言ってくれて。……大丈夫、殺されやしないさ。俺は奴らについていくよ」
「しかし……っ!」
村長が悔しそうに歯噛みし、拳を固く握りしめる。そんな村長や村人たちを気遣うように、おっさんはゆっくりと首を振った。
「仲間って言ってくれたろ? 俺は自分のせいで仲間達が傷つく方が耐えられないんだ。ここは堪えてくれ」
不服そうに武器を構え直そうとする若者たちを、村長は苦しい表情で片手を挙げて制した。
「……引き下がれ、野郎ども。おっさんの……戦士の覚悟を汚すことはできない」
村長の一言に、村人たちの殺気は悔しさと無念さを交えて沈静化していった。
静まり返った空気の中、おっさんはふと騎士団長の方へ振り向くと、軽薄に片眉を上げてみせた。
「おい団長さんよ。連行される前に、酒を一杯飲んでもいいか? ……この村の酒が俺は好きなんだ」
緊迫した場面には不釣り合いな呑気な申し出に、騎士たちは固まった。騎士団長はおっさんの目をじっと見つめ、余計な抵抗をする気がないことを悟ると、静かに息を吐いて頷いた。
「……一杯だけだ。手短に済ませろ」
「へいへい、感謝するよ」
村長がすぐさま村人に目配せし、大きな木樽と、麦酒がなみなみと注がれたジョッキを持ってこさせた。村長から受け取ったジョッキを、おっさんは残された左手で軽々と持ち上げる。
「みんな、急な別れになっちまってすまねえな。……美味い酒と、最高の時間をありがとうよ!」
ガハハ! といつもの豪快な笑い声を響かせると、おっさんは一気に酒を煽り、喉を鳴らして飲み干した。そして空になったジョッキを村長に手渡すと、満足そうに息をつく。
「よし……行こうか」
おっさんが静かに左手を差し出すと、騎士たちは逃げられないよう囲い込むようにして拘束具をかけた。
おっさんは一度も振り返ることなく、静かに村を去っていった。ただ一人、群衆の陰で罪悪感と絶望に打ちひしがれるテリエスを遺して。




