帰還
倒れ込んだテリエスの視界の中で、巨大なグリーンスパイダーの死骸が淡い光の粒子となって消滅していく。
その跡には、異例の巨体を象徴するかのような超巨大な魔石と、一冊の古びた魔導書が残されていた。
「はぁ……はぁ……。こんなでかい魔石、滅多にお目にかかれないよ……」
ルーエンが荒い息を吐きながら魔石を覗き込み、目を丸くする。一方、シェリルは魔石の脇に転がっていた一冊の魔導書を小さな両手で大切そうに抱き抱えた。
「テリエス、ルーエン……これ、天然ドロップの魔導書です! 街で売ってる人工の魔導書とはワケが違います……! 初めて見ました! すごいです! すごいです!」
シェリルが興奮気味に語る内容に、テリエスは静かに耳を傾けた。
普段、街の工房で高額で取引されている人工の魔導書は、高等級の魔法使いが自らのマナを注入して量産するものだ。しかし、一冊に込められるマナには限界がある。そのため、読むだけで魔法を完全修得できるわけではなく、あくまで「学習の手引き」に過ぎない。
購入後も長い修練が必要であり、覚えられるのも『火球』のような各属性の基本的な入門魔法に限られる。そこから何年も実践を重ねて、初めて『炎槍』や『炎壁』といった高度な魔法へ至るのが一般的だ。
だが——ダンジョンから稀にドロップする「天然の魔導書」は根幹から異なる。
一度解読して力を吸収すれば、その魔導書は魔力を失って『ただの本』と化してしまう一回きりの使い捨てだ。しかし、その一回で得られる恩恵は絶大。入門魔法はもちろんのこと、極端な例では属性魔法の極致である『終炎』や『寒獄』といった伝説級の魔法すら一瞬で脳内に刻み込まれることすらある。
さらに、解読者の潜在マナそのものを魔導書の等級に応じて強制的に引き上げるという、人理を超えた恩恵まで付与されるのだ。もちろん、魔法の素養が全くない者が開いても何も起きないが、魔法使いにとっては財産を全て投げ打ってでも欲しい至高の宝であった。
(……待てよ?)
シェリルの説明を聞きながら、テリエスの脳裏に強い違和感が走る。
(……らしい、らしい、って……俺はバーバリアンの村の図書館にあった本を読んで魔法を覚えたから、全部独学だと思ってたが……あの本のオーラ、この魔導書と同質じゃないか……!?)
背中に冷や汗が吹き出す。
(かつて誰かが保管した財産……だがバーバリアンの大半は魔法の素養がなく、そもそも文字すら読めない。そうして忘れ去られ、放置されていた『天然の魔導書』を……俺は勝手に手にして読んじまったのか……!?)
急速に思考が繋がっていく。
テリエスは炎や雷の魔法こそ初級止まりだが、『加速』や『強化』といった自己強化魔法に関しては、最初から異常なほど効果を発揮していた。
(元々のバーバリアンの肉体が強固だから相乗効果が乗っているのだと思っていた……だが、俺は本人も知らないうちに、あの本からハイレベルな強化魔法を直接習得していたのか……?)
魔法は実戦で使い続ければ成長する。だが、バーバリアン固有の技能である『肉体強化』と比較しても、テリエスの強化魔法は最初から明らかに効率が良すぎた。だからこそ重宝し、隠れ魔法使いとして鍛え続けてきたのだ。
(……まあ、過ぎたことを気にしても仕方ない。俺の記憶の答え合わせが一つできただけだ。これ以上考えるのはよそう)
深く息を吐き、思考を切り替える。
(グリーンスパイダーからのドロップならば毒や大地魔法あたりの魔導書が無難か……)
テリエスは慎重に、目の前の「お宝」である魔導書の裏表紙へ目を向けた。そこには習得できる属性と段階が刻まれている。
(……中級の炎魔法、か。モンスターの特徴とドロップに相関性はないのだろうか?)
現在、テリエスは初級、シェリルは初中級レベルだ。
もしこの魔導書を使えば、テリエスなら2段階、シェリルなら1段階、魔法の境地を引き上げられる。シェリルが抱える深刻なマナ不足問題も、この魔導書によるマナ増幅効果で一発で解決するはずだった。
(……とはいえ、俺は魔法を使えることを二人に明かしていない。それにこれはパーティ全員で手に入れた財産だ。とにかく一度持ち帰ってからどうするか決めよう)
思考を巡らせる中、テリエスは神殿で確認した「グリーンスパイダーダンジョン」のドロップリストを思い出していた。リストのどこにも「魔導書」の記載などなかったのだ。
(初攻略でこんな幸運があっていいのかと思うが……あの8等級トップクラスであろう怪物に殺されかけたんだ。不運を乗り越えた報酬だと思えば納得もいくか)
そんな思案を巡らせていると、空間が歪み、青白い光を放つ転移門が生成された。帰還用のゲートだ。
「よし……オルドリアへ帰ろう」
大冒険を終えた3人は、吸い込まれるように門へと足を踏み入れ——
ドサッ!! ガンッ!!
「痛ぁぁぁいっ! 転移なんか大嫌いですーっ!」
神殿の帰還部屋に放り出された瞬間、テリエスとシェリルは勢い余って派手に転倒し、床に突っ伏した。
行きの転移では見事に着地を決めたテリエスだったが、帰りも同じ衝撃があることをすっかり失念し、油断していたのだ。
大勢の冒険者が見守る中央で大きな音を立ててすっ転んだバーバリアンと狸耳の少女に、周囲の冒険者やルーエンは「誰もが通る道だ」と言わんばかりの温かい苦笑いを向けている。
体勢を立て直し、ふと周りを見渡す。
無事にダンジョンを攻略して満足げに笑い合うパーティもいれば、ボロボロになり、仲間を失って虚無の目で佇むパーティもあった。
その光景を目にした瞬間、テリエスの胸に冷たい氷が突き刺さる。
(……俺たちが全員揃って帰ってこれたのは、運が良かっただけだ)
ルーエンの声がなければ、グリーンスパイダーの最初の一撃を盾で防ぐことすらできなかった。
たまたま、シェリルのパニックによる回復魔法が、テリエスの自然回復力と奇跡的な相乗効果を生んだ。
数々の不運に見舞われながらも、それ以上の「幸運」が重なったからこそ、こうして生きて帰って来られたのだ。
また、ボス部屋でエンチャントが一度リセットされることを誰も知らなかったように、自分たちの知識は絶対ではないことを肝に銘じなければならない。
(もう……絶対に油断しない)
神童ダラスに勝利し、フォレストウルフを退け、9等級の略奪者3人を返り討ちにしたことで、テリエスはどこかで10等級ダンジョンを舐めていた。最初に群生地へワープした危機を乗り越え、狩りが順調に進んだのも事実だ。
しかし、あまりにも順調に進み続けてきた成功体験が、「ボスも楽勝だろう」という慢心を生み、その油断という毒がパーティ全体に伝染し、シェリルをパニックに追い込んでしまったのではないか。
準備段階から想像もしていなかった最高の仲間が集まったが、「最悪、戦闘は俺一人でも問題ない」と高を括っていたのではないか。
(……心のどこかに油断がなかったと言えば、絶対に嘘になる)
膝の汚れを払い、テリエスは静かに、しかし固く拳を握りしめた。
せっかく出会えた、かけがえのない仲間たち。
この二人を二度と危険に晒さず、絶対に失わないために——テリエスは心の中で、さらなる強さと慎重さを追い求めることを強く誓うのだった。
◆ご挨拶
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