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グリーンスパイダーα

 初日同様、2日目、3日目も探索は驚くほど順調に進んでいった。


 だが、この圧倒的な安定感は、テリエスの高い戦闘力と偶然噛み合ったパーティシナジーによる異例の成果に過ぎない。本来、新成人の駆け出しパーティであれば、初日の転移先が群生地だった時点でゲームオーバーだ。


 仮に運良く難を逃れたとしても、通常は群生地を徹底して回避するのが鉄則であり、うっかり足を踏み入れれば壊滅的な大怪我を負うのが関の山だった。


 しかし、テリエスたちのパーティは違った。感覚の鋭いシェリルのおかげで群生地を事前に察知でき、避ける選択肢を持った上で、あえてそこを「最高効率の狩場」として活用できたのだ。


 さらに、ルーエンの手掛ける料理も大きな力となった。味の良さはもちろんのこと、栄養バランスが綿密に計算された食事は、探索の疲労を急速に和らげるという嬉しい誤算をもたらした。


 現状、レアドロップこそないものの、「質より量」の戦術で想定を遥かに超える量の魔石を確保した一行は、十分な余力を残したまま3階層奥のボス部屋前に到着していた。


「……よし、ここで一度ボスの情報を確認するぞ」


 テリエスが声を潜め、図鑑で事前学習した知識を二人に共有する。


 今回のボスは、「グリーンスパイダー」のアルファ個体だ。


 アルファ個体とは、通常種よりも一回り巨大で、本来は習得し得ないスキルを保持し、脅威度が1〜2等級跳ね上がった特殊な変異種を指す。


 つまり、このボスはテリエスたちが初めて相対する「9等級以上」の脅威となる。テリエス自身、王都へ向かう道中で9等級の人間3人を返り討ちにした経験はあるが、モンスター相手の9等級戦はこれが初であった。


(……だが、ここまでの戦術がハマれば苦戦する相手じゃない。基本はいつものスパイダー狩りと同じだ)


 頭の中で何度もシミュレーションを回す。懸念点も網羅していた。


 アルファ個体は状態異常抵抗力が高く、シェリルの『閃光《フラッシュ》』によるスタンが効かない可能性がある。


 酸性の神経毒を持ち、掠り傷でも強烈な激痛と麻痺を引き起こす。


 斬撃耐性はないが、極めて硬い甲殻による高い防護性能を持つ。


 10等級のダンジョンスパイダーを即座に孵化させる卵を産み落とし、物量で押し潰してくる恐れがある。


「作戦は変わらない。まずシェリルが『閃光《フラッシュ》』で威嚇・スタンの試行。俺が即座にターゲットを取り、二人が後方から支援する。いいな?」


「はい! テリエス、『炎付与《ファイアエンチャント》』!」


 シェリルが自発的に呪文を唱え、テリエスの剣にメラメラと赤い炎を宿らせた。3日間の探索を経て、指示を待たずに状況に応じた判断ができるようになったシェリルの成長に、テリエスは満足げに頷いた。


「うむ、素晴らしい心がけだシェリル! 勇敢だな!」


「ふふんっ!」と嬉しそうに尻尾を振るシェリルを見て、テリエスは思考を巡らせる。


(事前に付与しておけば、万が一『閃光《フラッシュ》』が抵抗された場合でも、ラグなしで即座に斬り込める。完璧な段取りだ)


 呼吸を整え、テリエスは重厚なボス部屋の扉を押し開けた。


◇


 ギギギ……と重音を立てて扉が開き、3人が足を踏み入れた瞬間——バタンッ! と背後の扉が猛烈な勢いで閉まった。


 直後、テリエスの剣を包んでいた鮮やかな炎が、まるでかき消されるように一瞬で霧散した。


「……なっ!?」


 テリエスの思考が凍りつく。


 ボス部屋への進入と同時に、部屋の領域ルールによって『すべての付与効果(バフ)が強制リセット』されたのだ。


 実戦経験の乏しさが、ここで最悪の形で仇となった。文献の知識を貪り尽くしていたテリエスでさえ、このような現地特有の現象までは把握していなかった。


 光源となっていた炎が一瞬で消え滅び、完璧な暗闇に放り出されたことで、テリエス以上にパニックを起こしたのは後衛の二人だった。


「きゃあああっ! 暗い……っ! 『閃光《フラッシュ》』!!」


「しまっ——シェリル、待て!!」


 テリエスの制止は届かない。恐怖に呑まれたシェリルは、目を閉じる間もなく瞬時に光魔法を放ってしまった。


 視界を奪う強烈な白光が、至近距離で暗闇の部屋を照らし出す。


 咄嗟に目を閉じたテリエスだったが、完全に防ぎ切ることはできず、激痛とともに視界が真っ白に染まった。ルーエンも同様に悲鳴を上げて目を押さえている。


(不覚……っ! 視力が……、それに光源の喪失——!)


 完璧だったはずの計画が、一瞬にして崩壊した。


 その無音の暗闇の中、テリエスの研ぎ澄まされた野性が、上空から迫る恐ろしい殺気を察知した。


 その時ルーエンが叫ぶ。


「テリエス! 上だ……っ!!」


 目が見えない中、半ば本能だけで盾を頭上に掲げた瞬間——


——ドォォォォンッ!!


「がっ……ハッ……!!」


 超重量の一撃が盾を叩き割りかねない勢いで激突した。


 腕骨が悲鳴を上げ、全身の衝撃が脳を揺らす。テリエスは弾丸のように吹き飛ばされ、石壁へと激しく激突した。


 衝撃で息が詰まり、全身に激痛が走る。だが、吹き飛ばされながらも、テリエスが反射的に口から吐き出したのは、雄叫びだった。


「|うおおおおおアああっ!!《ウォークライ!!》」


 『咆哮《ウォークライ》』によるヘイト管理。混乱と激痛の渦中にありながら、彼は無意識にモンスターのターゲットが仲間へ向かうのを阻止していた。


(ハッ……ハッ……クソッ、良かった……! 攻撃を受けたのが俺で……! 咄嗟に盾を出せて……なんとか耐えられた……! くそ……閃光は……、抵抗されたのか……!)


 これまで、予習と緻密な計算によって、常に完全な優位から安全かつ効率的に敵を狩り続けてきた。ダメージを受けることすら稀だったテリエスは忘れていた。


 『加速《ヘイスト》』や『強化《フォース》』のバフを発動していない状態のテリエスは、純粋な物理スペックだけ見ればバーバリアンの中でも「少し弱い個体」に過ぎないのだ。


 テリエスの戦闘スタイルは、回避と盾による受け流し(パリィ)で「そもそも被弾しない」ことを前提としている。


 盾で受けたとは言え、これほど完璧な一撃を正面から喰らったのは、成人の儀の決勝でダラスに殴り飛ばされて以来だった。


 視界が血で赤く染まる中、ダラスに吹っ飛ばされたあの日の記憶と、片手剣と盾を選んだ時のダラスの豪快な高笑いが脳裏をよぎる。


『それに、盾があれば昨日のように俺に吹っ飛ばされても安心だ! グハハハ!』


(……ククッ。ダラスに一度吹っ飛ばされておいて良かった……、あの時の衝撃に比べたら……。それにようやく盾が役に立ちやがったなあ……)


 頭を振る。腕……動く。足……問題ない。大丈夫だ、この程度ならバーバリアンの驚異的な自然回復力で持ち直せる。


 脳内で高速の術式を組み上げ、叫ぶ。


(……『加速《ヘイスト》』『強化《フォース》』!)


「うがああああああッ!! 『肉体強化《エンハンス》』おぉぉッ!!」


 不格好な偽りの技名を叫び、自身のスペックを強引に跳ね上げる。


「シェリル! 『炎付与《ファイアエンチャント》』だ!!」


「『炎付与《ファイアエンチャント》』!! ひっ……うう、テリエス……! ごめんなさい……っ! ごめんなさい……っ!」


 自分の失敗でパーティを危険に晒したシェリルが、涙をボロボロとこぼしながら必死に呪文を唱えた。


 テリエスの剣に再び燃え盛る炎が宿る。その炎が松明となり、暗闇の奥に潜む怪物の姿を鮮明に照らし出した。


 通常のグリーンスパイダーは体高1メートル程度。アルファ個体でも通常は3メートルほどだ。


 だが、目の前に鎮座しているのは——体高8メートルを超える、緑色の巨大な異形だった。


 文献のアルファ個体は通常種よりも「1〜2等級上」というデータは雑すぎる。9等級と8等級ではえらい違いだ……。おそらくこの個体は8等級でも上位のグリーンスパイダーだろう。


(当たりを引いちまったみたいだなあ)


 意識が朦朧とする中、不敵な笑みを浮かべるテリエス。


「あ……あぁ……テリエスが……血だらけ……っ」


 これまでどんな敵も余裕で無双してきた頼れる前衛が、血塗れで荒い息を吐いている。その光景に、シェリルの精神は完全に限界を迎えてしまった。


「『回復《ヒール》』! 『回復《ヒール》』!! 『回復《ヒール》』!!!」


「おいシェリル、やめろ! マナが……!」


 ルーエンの叫びも届かない。


 『回復《ヒール》』は対象の自然回復速度を劇的に高める魔法であり、短時間にいくら重ねがけしても効果は重複しない。パニックに陥ったシェリルは、残されたなけなしのマナを、その場の無駄撃ちで全て使い果たしてしまったのだった。


「ルーエン! シェリルを頼む! 守りを固めろ!」


「テリエス……っ!」


 ルーエンに混乱したシェリルを託し、テリエスは再び蜘蛛の巨躯へと向き直る。


 ドクン、と心臓が脈打つ。


 身体中を駆け巡る鈍い激痛。傷口から溢れ出る温かい血の匂い。そして、自分の計算を完全に踏みにじる目の前の圧倒的な強敵。


 冷徹で合理的なはずの脳の隅々まで、どろりと熱い血が充満していく。


(……あれ? なんだ……? 痛いはずなのに……死に直面しているのに……)


 ゾクゾクとした悪寒とともに、口の端が自然と吊り上がった。


(……なんでだ……楽しくなってきた……ッ!!)


「ガハハハハハハッ!! やるじゃねえか、蜘蛛野郎!!」


 演じていた「大袈裟なバーバリアン」などではない。


 理屈や計算で塗り固めた仮面が剥ぎ取られ、血脈に刻まれた純粋な狂気と殺意が溢れ出していた。


「こんな一撃を喰らったのは、ダラス以来だぞオオおッ!!」


 痛い。痛い。激痛が全身を苛む。


 だが——心地いい。脳が痺れるほど気持ちいい!!


「ぬアぁぁぁぁぁッ!!」


 爆ぜるような踏み込みで間合いを詰め、炎の剣を振り下ろす!


 ガキィィィンッ!!


「む……硬い……硬いなァッ!!」


 アルファ個体の極厚な甲殻に弾かれ、手に強烈な痺れが走る。だがテリエスは狂ったように笑っていた。


(弱点……んなもんどうでもいい……もっと燃やせ、全部焼き尽くせ……ッ!!)


 理論的な出力調整など捨て去り、テリエスは剣に纏わせる炎の出力を、自らのマナの限界を超えて強引に引き上げた。


「ガハハハハハッ!! 燃えろ!! 燃え盛りやがれぇぇぇッ!!」


 ゴオオオオオオオッ!!


 剣から噴き出したのは、単なるエンチャントの領域を超えた、白熱の炎の渦。


 自分が「隠れ魔法使い」であることの偽装すら頭から吹き飛び、ただ敵を粉砕することだけに全マナを注ぎ込んでいた。


 あまりの熱気に、遠く離れた場所にいるルーエンとシェリルすら顔を覆って後退するほどだった。


「ウラアアアアッ!!」


 二度目の斬撃。


 焼けて脆くなった甲殻ごと、テリエスの炎剣がグリーンスパイダーの巨大な前足を豪快に切り飛ばす!


 ギチチチチシャアアアアッ!!


 悲鳴を上げた蜘蛛が、大量の粘着糸を吐き散らして抵抗する。だが、テリエスが纏う凄まじい狂気の熱量の前には、糸など届く前に一瞬で灰と化すだけだった。


 完全に攻守が逆転する。一向に勢いの衰えない「鬼神の如き連撃」に追い詰められたグリーンスパイダーは、最後の悪あがきと言わんばかりに、8メートルの巨体全てを投げ打ってテリエスへ体当たりを敢行した。


「ヒハハハハッ!! 上等だぁッ!!」


 いつの間にか盾にまで炎を伝導させていたテリエスは、正面からその超質量を受け止めた。


 足元の石畳が砕け散り、両足から煙が上がる。


「これで……終わりだアぁぁぁぁッ!!」


 受け止めた勢いを利用し、下から斜め上へと一閃。


 白熱の刃が、ボロボロに焼けて崩れかけた胸の甲殻を縦一文字に切り裂いた。


 ドォォォォン……!!


 巨躯が内側から爆発するように炎を吹き出し、沈黙する。


 緑の怪物が完全に動きを止めたのを見届け、テリエスは「はぁ……はぁ……」と荒い息を吐きながら、その場にどさりと倒れ込んだ。


(勝った……。……クソッ、興奮しすぎてマナも体力もスカスカだ……)


 全身の力が抜け、指一本動かせない。


 安堵したテリエスの視界の隅で——グリーンスパイダーの巨体の下から、小さな影が這い出してきた。


 ボスが絶命の瞬間に産み落とした卵から孵化した、ダンジョンスパイダーの幼体だ。


 それが、動けないテリエスに向かって一直線に飛びかかってくる。


(しまっ……体が、動かない……!)


 テリエスが歯を食いしばった、その時。


 ヒュッ——パシュッ!!


 小さな風切り音とともに、飛来した一本の矢が完璧に幼体の複眼を撃ち抜いた。


「ハッ……ハッ……当たった……!」


 遠くで、震える手で弓を構えたルーエンが立っていた。


「テリエスっ!!」


「テリエス! 無事か!?」


 二人がなりふり構わず駆け寄ってくる。


 自然とテリエスの装備から炎は消え去っていたが、部屋の各地に燃え移った炎が、安全を取り戻したボス部屋を温かく照らしていた。


 倒れ込んだまま、テリエスは自分の身体に起きていた「異変」に気づく。


 あんなに全身を苛んでいた激痛がみるみるうちに引き、深かった傷口が恐ろしい速度で塞がっていたのだ。


(そうか……『回復《ヒール》』か……!)


 シェリルの乱射は、一見すれば完全なパニックによる愚行だった。


 しかし、元々強靭な肉体と高い自然回復力を持つバーバリアンであるテリエスにとって、『自然回復速度を極限まで高める』回復魔法は、最高の相乗効果を生み出していたのだ。


 パニックでマナを使い切ったとはいえ、最初にかけられた『回復《ヒール》』が間違いなくこの死闘の戦況を決定づけていた。


 もしあの回復がなければ、テリエス自身が放ったあの異常な熱気に耐え切れず、自らの炎で焼け死んでいた可能性すらあったのだ。


「テリエスぇぇぇ……っ! ごめんなさい、ごめんなさいぃ……っ! 無事で……無事でよかったぁ……っ!」


 テリエスの体にすがりつき、ボロボロと大粒の涙を流してひたすら謝り続けるシェリル。


 テリエスは疲弊した腕をどうにか動かし、泣きじゃくるシェリルの頭にそっと手を置いた。


(まったく……冷や汗をかかせてくれる。だが良かった。二人を守り切れた。上出来すぎる初陣だ)


 ボロボロになりながらも、テリエスの唇には自然と笑みが浮かんでいた。


「ガハハ……よくやった二人とも……勇敢だったぞ……!」


 ダンジョンの静寂の中、テリエスは安堵の溜息とともに、ゆっくりと目を閉じたのだった。





【パーティデータ(UP!!)】

名前:テリエス

等級:10等級(魔剣士)

種族:バーバリアン

所属:アイル族

スキル:加速(3→4)/強化(3→4)/炎魔法(1)/水魔法(1)/電魔法(1)/格闘(2)/剣術(2→3)/棒術(2)/自然回復(3)/咆哮(1)/肉体強化(偽装)

称号:突然変異(種族の最も低いステータスが500%↑/最も高いステータスが20%↓)

装備:ヴォル=ウーラの剣(エピック)/ヴォル=ウーラの盾(エピック)

持物:亜空間カバン(中)


名前:ルーエン

等級:10等級(狩人)

種族:人間

所属:鉄盾の休息亭

スキル:強化矢(1)/毒矢(1)/鍵開(3)/料理(5)

称号:???

装備:弓(コモン)


名前:シェリル

等級:10等級(魔法使い)

種族:獣人(イヌ科)

所属:タヌキ属

スキル:炎魔法(2)/光魔法(2→3)/マッピング(1)

称号:???

装備:獣人の杖(アンコモン)




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