他種族の知力
最初の狂乱が嘘のように、ダンジョン内の探索は極めて順調だった。
思えば、出現位置がたまたまダンジョンスパイダーの群生地の中心だったことが最大の難所だったのだ。1階層、2階層と降りていくにつれて遭遇したのは、フォレストウルフやフォレストバットといった10等級の標準的な魔物たち。テリエスが主力を務めるパーティを破るような敵は現れなかった。
何より大きかったのは、嗅覚の鋭い獣人族の中でもとりわけ感覚に秀でたシェリルの存在だ。彼女が魔物の群れの気配を事前に察知して警告を発してくれるため、予期せぬ奇襲を受けることが一度もなかった。
ダンジョンはボスを討伐して一定周期が経過すれば、何度でも魔物や宝箱がリセットされる仕組みだ。10等級程度の浅いダンジョンであれば、王都オルドリアのギルドや露店で金貨1枚程度を払えば詳細な構造マップを購入できる。戦力が過剰なパーティならば、ボス部屋まで最速半日、長くて1日もあればクリアできてしまう。
しかし、ただボスを最速で倒して王都へ引き返すだけの探索では、ボスが特別なドロップアイテムでも落とさない限り、収支はほぼ確実に赤字となる。
さらに、一度攻略したダンジョンは7日間封鎖されるルールがある。制限期間の中で有限の資源を無駄にする探索者はいない。
だからこそ、テリエスたちはあえてリスクを取り、本来なら避けるべき魔物の群生地へ自ら乗り込んで獲物を狩り集めた。不意を突かれた初回と違い、事前に群生地の場所さえ把握していれば対処は容易だ。
シェリルの『閃光』でショック状態に陥った群れをテリエスが一気になぎ払う戦術はもちろん、忍び寄って小集団ごとに削り取る慎重な立ち回りも功を奏した。
道中、ルーエンが鍵開けで解錠した宝箱からは大したお宝は出なかったものの、狩りの効率自体が跳ね上がっていたため、初日の目標額を遥かに上回るドロップ素材が手に入っていた。
そうして1日の終わりが近づく頃。
3階層へと続くゲートの目の前にたどり着いた一行は、ここで野営の支度を始めることにした。
◇
「よしっ! ここからは俺の仕事だな!」
ここまでの戦闘で良いところが見せられず肩身の狭い思いをしていたルーエンが、待ってましたとばかりに腕まくりをした。
まずは匂いで魔物が寄り付かないよう、王都で調達した魔物避けの香草を陣地の周囲へ丁寧に撒いていく。弓による後方支援や鍵開けは彼が善意で行っている副業に過ぎず、ルーエンの本業は「料理人」なのだ。
ルーエンはテリエスの亜空間カバンから包丁、まな板、フライパンを取り出し、事前に丁寧な下処理を済ませておいた角ウサギの肉を取り出す。
時間の流れが止まり、生物の腐敗を完全に防ぐ亜空間カバンは、料理人にとって最高の保管庫だ。朝カバンに放り込んだ時と全く変わらない新鮮な肉を前にして、ルーエンは本気で羨ましそうな溜息をついた。
(うーん……やっぱりこのカバン、喉から手が出るほど欲しいな。探索者を辞めて宿屋で質素に生きていたが……本気でお金を貯めて亜空間カバンの購入を目指してみるか?)
そんな葛藤を抱えながらも、ルーエンの手は淀みなく動く。
やがて焚き火の爆ぜる音とともに、食欲を激しくそそる香ばしい匂いが周囲に漂い始めた。
「お待たせ! 本日のメニューだ!」
手際よく差し出されたのは、表面をカリッと焼き上げつつ中に旨味を閉じ込めた『角ウサギのハーブグリル』。さらに、魔物の骨から丁寧に引き出した出汁に根菜を煮込んだ『濃厚なコンソメスープ』と、直火で温め直した『焼き立て風の麦パン』だ。
「うおおっ、美味そうだ……!」
「いただきます……っ!」
一口食べた瞬間、テリエスとシェリルの目が丸くなった。
殺伐とした薄暗いダンジョンの中で、これほどまでに奥深く温かい料理が食べられるとは。テリエスはルーエンをパーティに引き入れた自分の眼力を心の中で誇り、シェリルのような獣人族にとっては、人間の手がけた本格的な料理の美味さは感動すら覚える体験だった。
「美味い! 美味すぎるぞルーエン! お前を誘って本当に正解だった!」
「ふふ、こんなに美味しいご飯……ダンジョンの中だなんて信じられません……!」
二人から大絶賛を受け、ルーエンは「へへっ、だろ?」と鼻の下を照れくさそうに掻いた。
食事を味わいながら、テリエスはふと胸に抱いていた素朴な疑問をシェリルに向けた。
ルーエンは戦闘能力こそ低いものの、テリエスが強引に勧誘して連れてきた経緯がある。だが、シェリルほど優秀な魔法使いが、なぜ今までどこにもパーティを組めずに余っていたのだろうか。
魔法使いというだけで希少価値は跳ね上がり、ダンジョン探索の難易度を大幅に下げてくれるのがこの世界の常識だ。
実際のところ、シェリルのマナ容量自体は決して多くはない。しかし、威力の高い『火玉』、使い勝手の良い『炎付与』、さらには光魔法の『回復』まで網羅している。新成人の魔法使いとしては、間違いなく上位層に位置するスペックのはずだった。
「シェリル、お前ほどの腕があれば、もっと早く他のパーティから引っ張りだこになっていたんじゃないか? 内気で自分からアピールするのが苦手なのかなとは思っていたが……」
テリエスの問いに、シェリルはスープの皿を抱えたまま、少し困ったように耳を下げた。
「あの……私、昔から体が小さくて目立たなかったので……嫌われていたとかではなく、単純に『そこにいること』に気づかれにくかったんです。だからテリエスさんに声をかけられた時は、本当に驚きました」
シェリルは苦笑いを浮かべながら続ける。
「それに……やっと話しかけてもらえても、『魔法使い』だと知って喜ばれた後、マナの少なさを伝えると途端にガッカリされてパーティに入れてもらえなくて。私の少ないマナじゃ、すぐに底をついてしまうと思われていたみたいで……」
現に、シェリル自身も自分の『炎付与』がテリエスの剣でこれほど長く燃え続けるとは思っていなかった。
「なるほどな……」
シェリルの言葉に、テリエスは深く頷きながら顎に手を当てた。
(なるほど……世間一般の連中が求める『魔法使い』の像が見えてきたぞ)
確かに、一般的なイメージとしての魔法使いといえば、潤沢なマナに物を言わせて派手な大波や広範囲の爆炎を放ち、魔物の群れを一網打尽にする砲台のような存在だ。となれば、マナの絶対量という『数値』がパーティ選定において俺の想定以上に重要視されるのも無理はない。
だが——とテリエスは心の中で嘲笑する。
(マナの少なさなど、運用の工夫次第でいくらでも補えるものだろうに……)
シェリルのように『ヒール』や『フラッシュ』、『エンチャント』といった小回りの利く補助術式を適切なタイミングで使わせれば、パーティ全体の生存率は跳ね上がる。
(まあ、実際は俺の持つエピック武具の魔力伝導率の高さと、俺が裏でこっそり自分のマナを流し込んで維持している偽装があってこそなんだが……それにしても、だ)
マナ量という単一の指標だけで「使えない」と決めつけ、運用の組み合わせや戦術的シナジーを考えようともしない。
(……思いの外、他種族の連中もバーバリアンに劣らず大雑把で浅はかみたいだな)
テリエスはバーバリアンという脳筋集団の中で生きてきたため、自分は蛮族の中で「多少知恵が回る方」程度だと思っていた。だが、こうして一般的な他種族の思考水準を目の当たりにすると、自分の観察眼や戦術構築能力は、他種族と比較しても賢い方に位置しているのかもしれないと認識させられたのだった。
思いがけない自分の知性の高さを再認識しつつも、食事を終えた一行は穏やかな空気の中で会話を切り上げた。
◇
10等級ダンジョンの多くは、基本的に1組のパーティが独占して順番に挑戦するルール(インスタンス)になっている。そのため、他の探索者から略奪や背後から襲撃を受ける心配はない。注意すべきは魔物の警戒だけだ。
だが、魔物避けの香草があるとはいえ、絶対の安全など存在しない。
テリエスのような頑丈な前衛ならまだしも、シェリルやルーエンのような後衛にとっては、ダンジョンスパイダーの一撃であっても寝込みを襲われれば即死に繋がりかねないのだ。
「見張りをローテーションしよう。俺が最初の番に立つ。二人は先に休んでくれ」
「助かるよ、テリエス。後半は俺が代わるからな」
「おやすみなさい、テリエスさん……」
焚き火の微かな爆ぜる音と、二人の静かな寝息がダンジョンの暗闇に溶けていく。
転移直後はどうなることかと思ったが、初日としては期待を遥かに上回る成果と、心地よい信頼関係が得られた。
(悪くない……実に悪くない滑り出しだ)
膝の上に剣を置き、鋭い眼光で洞窟の暗闇を凝視しながら、テリエスは静かに夜の警戒を続けるのだった。
◆ご挨拶
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