群生地
「シャシシシシ……ッ! ガチガチガチッ!」
不気味な顎関節の音が、薄暗い洞窟内に鋭く反響する。
周囲を隙間なく埋め尽くしているのは、体高1メートルはあろうかという巨大な『ダンジョンスパイダー』の群れだ。
本来、ダンジョンスパイダーは糸を張った巣にかかった獲物を狩る、単独行動を好む魔物だ。だが、転移門による出現位置は完全なランダム。運悪く、ここは無数の個体が密集するダンジョンスパイダーの群生地だったらしい。
しかし——包囲網を敷いているように見える蜘蛛たちだが、その動きにはどこか躊躇いがあった。
(……落ち着け。奴らの挙動、体の緊張度合い、単眼の焦点。意図的な挟み撃ちじゃない。自分の巣に『突然現れた謎の異形(俺たち)』に驚き、警戒して観察しているだけだ)
テリエスの思考は冷静そのものだった。この硬直状態……敵が様子を見ているからこそ生まれた千載一遇のチャンスを無駄にはしない。
(……だが、この数だ。少し計画を変更する必要があるな)
視界の端で全方位の敵影を一瞬でグリッド化し、数を弾き出す。
(1、2、3……大体30体か。一斉に糸を吐かれれば退路が塞がる。速攻で片付けるぞ)
テリエスは警戒を解かない姿勢のまま、背後の二人へ素早く目配せを送った。
(ルーエンの奴……固まってやがるな。魔物が苦手だとは言っていたが、ここまでとは)
恐怖に身を竦ませ、今にも崩れ落ちそうなルーエン。一方で、怯えてはいるものの必死に杖を構え、まだまともに戦闘体制を維持できているシェリルへ、テリエスは静かに囁きかけた。
「……シェリル、作戦を少し変えるぞ。俺の剣に『炎付与』はできるか?」
「……っ!」
シェリルは声を出さず、一刻も早くこの状況を脱したい一心で激しく首を縦に振った。
「よし。俺が1、2、3と合図を出したら目を閉じろ。その瞬間に光魔法の『閃光』を全力で放て。直後に俺の剣へ炎付与をかけたら、ルーエンと一緒に防御を固めて自分を守っていろ」
テリエスは短く息を吐き出すと、洞窟内に響き渡る野太い声を張り上げた。
「それじゃあ行くぞ……1、2……3っ!!!」
「『閃光』ッ!!」
シェリルが全身のマナを杖に注ぎ込み、一気に解放する。
眩いばかりの純白の光が、目を固く閉じているテリエスの瞼の裏すら貫くほどの勢いで、不気味な洞窟を一瞬で白銀の世界に変えた。
「「「シャーッ!?!?!?」」」
空間を覆うのは、ダンジョンスパイダーたちの狂乱の悲鳴だ。
天井からぶら下がっていた個体はボトボトと地面へ落ち、地にいた蜘蛛たちは狂ったように身悶えしている。
暗闇を好むダンジョンスパイダーは、僅かな光を増殖させて暗視を可能にする特殊な組織《輝板》を8つの単眼の裏に備えている。反面、強光を遮る瞼のような器官を持たないため、突然の閃光で網膜が焼き切れ、一瞬で視力を失いショック状態に陥ったのだ。
(狙い通り……!)
「——『炎付与』!」
混乱の渦中、シェリルの必死の詠唱とともに、テリエスの持つ剣に煌々と燃えさかる炎が宿る。
ヴォル=ウーラの祝福を受けたこの剣は魔力を極めて通しやすく、一度与えられた炎は水に浸けるか、テリエスが消すことを望まない限り消えることはない——と、昨日の作戦会議で二人に伝えてあった。
(……まあ、実際は俺が内に隠した魔力を流し込み、己の炎魔法でエンチャントの維持を偽装しているだけだがな)
刀身を包む炎を確認したテリエスは、脳内で高度な物理計算と無詠唱の魔法式を組み上げる。
(……『加速』)
「『肉体強化』ぅぅぅうぅがああああああ!!」
口から出たのは、バーバリアンたちが大好きな伝統の技名だった。
真の物理威力を求める計算式は実にシンプルだ。
【威力 = (肉体数値 × 運動効率) × 伝達力】
バーバリアンが愛用する『肉体強化』は、筋肉を超高速で破壊と超回復させ、一時的に膨張させることにより【肉体数値】そのものを強引に引き上げる技だ。使用後に重い筋肉痛を伴ううえ、マナ消費量も多くコスパが悪い。
だが、後に十分な栄養と休息をとれば筋肉の基礎値が向上するため、脳筋の同胞たちにとっては理に叶った「筋トレの延長」でもあった。
対して、テリエスが脳内で密かに重ねがけした術式はまるで異なる。
認識能力と動作の伝達ロスをゼロに近づける『加速』で【運動効率】を極限まで高め、空気抵抗や敵の防護膜によるエネルギー減衰を最小限に抑える『強化』で【伝達力】を底上げする。
起こる結果(爆発的な跳躍と一撃の威力)は同じに見えても、エンジンの排気量を無理やり増やす『肉体強化』に対し、テリエスの魔法は車体を軽量化して空気抵抗を無くす精密制御。
結果として、同胞たちが「ぐおおおっ!」と汗を流して筋肉痛に耐える威力を、テリエスはわずかなマナ消費とノーリスクで軽々と叩き出すのだ。
ドォンッ!!
爆発的な踏み込みとともに、テリエスの身体が視界から消えた。目指すは部屋の奥に固まっている、最も密度の高い群れだ。
「シャっ——!?」
目が見えぬ敵の中央へ滑り込んだテリエス。燃えさかる剣が一閃するたび、弱点である爆炎が蜘蛛の肉と糸を焼き焦がしていく。あっという間に奥の5体を叩き斬ると、そのままの勢いで縦横無尽に走り回り、散らばった個体を瞬く間に肉塊に変えていった。
だが、出口付近を封鎖するように残っていた10体ほどの個体は、徐々に視力が回復。圧倒的な殺戮を繰り広げるテリエスを脅威と認識し、一斉に襲いかからんと身体を持ち上げた。
「遅い……っ! ウガアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「「っ!?」」
テリエスが放ったのは『咆哮』。
バーバリアンの神童ダラスに比べればテリエスの咆哮の習熟度は低く、本来はヘイトを自分に集めるだけのスキルだ。しかし、音が異常に反響する密閉された洞窟内。その威力が跳ね上がった衝撃波は、蜘蛛たちを再び激しい気絶状態へ叩き落とした。
……それどころか、テリエスの圧倒的な無双ぶりに気を取られていたルーエンとシェリルまでもが、強烈な音波に脳を揺らされて膝をついたのだった。
(!? 巻き込んでしまった……! 奴ら、集中を切らしていたな……!)
スタンしたスパイダーの群れへ踏み込み、テリエスは大声を上げながらマナを込めた剣を豪快に振り抜く。
「吹き飛べぇッ!!」
ズゴオオオンッ!!
「ガァーーーっはっはっはっは!!!!」
豪快に笑うテリエスの振り回す剣から放たれたのは、巨大な炎の波——のように二人には見えただろう。だが実体は、テリエスが脳内で詠唱を完璧に済ませて放った極大の『火玉』だ。
圧縮された熱線は、逃げ場を失った残り10体のダンジョンスパイダーを飲み込み、跡形もなく焼き尽くしたのだった。
◇
「ふぅ……間一髪だったな!!」
静寂が戻った洞窟内。焦げた匂いが漂う中、テリエスは豪快に笑いながら剣を収めた。
「どこがだよ……! つ、強い……強すぎるだろ、テリエス……」
「あうぅ……ホントです……凄すぎます……」
頭を振って立ち上がったルーエンとシェリルは、開いた口が塞がらない。
「強い」「成人の儀式の主席だ」という言葉に嘘はないと思っていたが、想像の数段上をいく次元だった。この数のダンジョンスパイダーを一人で瞬殺するなど、9等級の前衛でも至難の業だ。
二人からの惜しみない称賛に、テリエスはガハハと頭をかきながら笑う。
「ガハハハ! なにを言ってるんだ! 蜘蛛が光に弱いなんて昨日の作戦会議でわかってたことだろうが! 目が見えずに苦しんでる相手を斬るなんて、誰にだってできるさ!」
テリエスは誇らしげに二人を指差した。
「それよりシェリルの魔法だ! 本物を見たのは初めてだが、実に凄まじかったぞ! 本当に剣に炎が宿るなんて、うーむっ……偉大だっ!」
「ふぇ!? あ、ありがとうございます……っ!」
「ルーエンもだ! モンスターが苦手だって言ってたのに、恐怖に耐えて立派に防御体制をとっていたじゃないか。勇敢だったぞ!」
褒められて照れる二人。だが、テリエスは表情を少し引き締めて注意も忘れない。
「ただ、二人とも俺の活躍に見惚れていても戦闘中に気を抜いてはダメだ! 集中さえしていれば、さっきの俺の咆哮で仲間がスタンすることはないんだからな。次は気を引き締めていこう!」
「う……すまん、完全に魅入られてたわ……」
「はいっ、気をつけます……!」
蜘蛛たちの死体はサラサラと光の粒子となって消えていき、後には魔石とドロップ素材が残された。テリエスたちはそれを拾い上げ、腰の『亜空間カバン』へと収納していく。
「むむ、ルーエン! お前が俺から騙し取ろうとしたこのカバン、さっそく大活躍だな!」
冗談めかして笑うテリエスに、ルーエンもニヤリと笑い返した。
「いやー、やっぱり便利だなあ! 今からでも俺によこしてもいいんだぞ? そうしたら宿の滞在期間、もっと延長してやってもいいぜ?」
「ガハハ! 考えておこう!」
観察眼の鋭いルーエンは、テリエスがこの程度の冗談で怒るような器の狭い男ではないことをすでに完全に見抜いていた。
「えっ、えっと……? 何のお話ですか……?」
二人の会話の意味が分からず首をかしげながらも、シェリルは一生懸命に落ちている魔石を集めてテリエスに手渡す。
(……いい仲間だな)
テリエスは胸の奥で、静かな温かさを感じていた。
知性が高すぎるゆえに村でも少し浮いていた自分にとって、こうして冗談を言い合える対等な仲間ができたことが、素直に嬉しかったのだ。
一回の群生地狩りで得られたドロップ品は、ざっと見積もっても金貨1枚分はある。
「この調子なら、目標の金額なんてあっという間に届きそうですね!」
尻尾を振って喜ぶシェリルに続き、ルーエンが改めて呆れたように息を吐く。
「しかし、テリエスは本当に強いな。バーバリアンの成人式じゃ、お前の相手になる奴なんていなかったろ?」
「ん? いやいや、そんなことないぞ! バーバリアンには偉大な戦士がいくらでもいる!」
テリエスは誇らしげに、しかし真顔で語った。
「特に決勝で戦ったダラスとは紙一重の勝負だった。もしあの時、お互い素手じゃなくて武器を持った本気の殺し合いだったら……俺が負けていたかもしれん」
(……まあ、本当にお互いフルスペックで殺し合えば、俺の隠し球である炎や雷の属性魔法、そしてこのエピック武具をフル活用して、最後は紙一重で俺が競り勝つ計算にはなるんだがな。だが、ダラスのあの土壇場での野性的な粘りと純粋な腕力は本物だ。紙一重の勝負だったことに嘘はない)
脳内で冷静な計算を巡らせつつも、テリエスの表情にはダラスへのリスペクトが溢れていた。
(……紙一重、ねえ)
ルーエンは「さすがに話を盛ってるだろ」と呆れつつも、テリエスが見せた底知れぬ圧倒的強さを思い返し、静かに心の中で誓った。
(……うん、バーバリアンから金を騙し取るのは、もうやめておこう)
◇
ドロップ品の回収がひと段落し、一行はダンジョンの奥へと目線を向けた。
テリエスの手元では、いまだに剣がめらめらと鮮やかな炎をまとっている。
「テリエス、その魔法はもう解除した方がいいんじゃないか? 抜き身で持ち歩くのも危ないだろ」
ルーエンの指摘に、テリエスはニヤリと力強く笑ってみせた。
「何を言ってるんだルーエン! 洞窟の中は暗いんだから、こうしておけば松明代わりになって便利だろうが! 偉大なバーバリアン戦士はな、細かいことなんか気にしないんだよ!」
「はいはい、まったく……大雑把だなあ……」
あきれ顔で苦笑するルーエンと、それを見て楽しそうに笑うシェリル。
しかし——二人はまだ、大切なことを忘れていた。
自分たちは今、大惨事を切り抜けたばかりで……ダンジョンに転移したその『最初の部屋』から、一歩も動いていないのだということを。
「よし、勇敢なる戦士たちよ! 準備はいいか!?」
テリエスは炎の剣をかかげ、ダンジョンの暗闇の奥——未だ見ぬ深淵を見据える。
◆ご挨拶
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