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4.刺客


 今日の気絶はいつもと違った。

 いつもはたいてい、意識が遠のいても数分程度で覚醒するためそこまで不便はなかった。そのうえ、ヒョードルが起こした傷害事件以降、ニコラは黄昏時の軍務をできるかぎり外されていた。

 しかし、今日は緊急だった。


 ティグリス家による国家転覆の計画書が見つかったのだ。計画の首謀は長女のフェイランだという。

 彼女の父母、その他係累は午前中に拘束済み。しかし、フェイランと、その執事ユンは獣因の行使により制圧を突破し、逃走中。



「ニコラ・カニス。百獣の長として、(ちん)はそなたに命令する。フェイラン・ティグリス嬢を即刻捕らえよ。()()()()()()

「……陛下?」



 あの温和なレフ皇帝が、そう命令したほどだ。かなりの非常事態である。



「……承知しました」


 ニコラは宮殿の近辺を捜索していた。遠くに逃げたと見せて、まだ近くに潜んでいるケースは多い。

 そして、路地を必死に駆ける着飾った女の人影が見えた。

 しかし、その女はフェイランではなかった。確かにフェイランの匂いを追ってきたはずなのだが。

 女の首筋を嗅いだところ、甘い芳香とともに強烈な眠気を彼は感じ取った。



――まずい、また……



 いつもの、数分の悪夢が始まる。そう思っていた。しかし、夢を見ないほど眠りは深く、今までにないほど心地よかった。

 穢れを落とすような優しい香り。そうだ、去年大戦から帰還した日。数多(あまた)の賞賛と憐れみの渦を潜り抜け、やっと寮の寝床に就いたときのシーツの匂いだ。戦闘で浴びた血生臭さを浄化するような。


――

 首都発のドリーン鉄道は、一日に早朝と日没前の二本ほどしか発車しない。一度に、何両もの連なりを引き連れて大量の荷と客人を乗せる。客人に紛れ、二人の女が席に座って車窓を眺めている。

 一人は豪奢な帽子を目深に被った長身の女。もう一人は糸目の肥えた老婆である。



「……やれやれ、一時はひやひやしましたよ」

「あなたの顕現がなかったらわたくしは危うかったでしょう。ありがとう」

「身に余るお言葉でございます。ただ、私の獣因(ジーン)で移動させられるのだから、お嬢が軍人たちを回し投げする必要はなかったと思いましたが」

「あら? 楽しかったわよ。子犬との戯れ……」



 フェイランは広げた扇子(せんす)を口元に当て、くつくつ笑う。



「ユン、元に戻ったら」



 ユンは、変化(へんげ)を解いた。三段にたるんだ顎がみるみる引っ込み、シワだらけの顔が涼しげな青年の顔立ちに戻っていく。


 ユンの獣因は、瞬間移動と容姿変化ができるまでに進化している。祖国で積んだ修行で身につけたものだ。



「お父様たちが事前に捕まるとわかっていたら、お助けできたものを」

「奇襲だったのよ。仕方ないわ」

「ご家族にはいずれ解放の手筈を整えましょう」



 ユンは、昨日の洗濯婦のことを思い出していた。

 彼女が修繕したドレスは、縫合に一針の狂いもなかった上に、上質な香りで加工されていた。

 優秀な洗濯婦が捨て(ごま)になったことは少々惜しいことであるが、ユンは主人の用意周到さに感心していた。



――本当に、食えないお方だ。



「お嬢はどこまで計算済みでおられましたか」

「近いうち目を付けられるだろうという、野生の勘だけよ」

「その勘が、サラ・シベッタを使えとお嬢に語りかけたのですね。それにしても、お嬢は冷たいことをなさる。身分の低い者をドレスで釣るとは。おまけに薬湯に入らせ、彼女の強い香りを上書きなさったようで。子犬たちへの時間稼ぎ、名案でございます」



 扇子の下でフェイランはいつもの肉食獣めいた笑顔をしている――ユンは、そう思っていた。

 ところがフェイランはぴしゃっと扇子を閉じると、孔雀の羽でできたその高級品を、なんと片手でへし折ったのだ。



「お、お嬢……?」



 フェイランの髪は、怒髪天を()く勢いでごうごうと逆立ち、帽子が地面に落ちた。長い耳飾りが怒気で煽られる。

 彼女の金色の瞳は燃え、形のよい唇から鋭い牙がのぞいていていた。



「なんてこと! サラ……!」



 ものすごい気迫で立ち上がったフェイランは、ユンの肩を掴むと激しく揺さぶった。



「おやめくださいお嬢! 目が回ります!」

「わたくしは、もうあの子と会えなくなるから餞別(せんべつ)にドレスを譲ったのよ! (おとり)になんてするわけないでしょう! ああ、どうしましょう……彼女無事かしら⁉」



 ユンを離し、座席に腰を落ち着けたフェイランは壁に何度も爪をこすりつけた。



――わたくしは恩人を(あだ)で殴りつけるような真似をしてしまった……!



「あのう……落とし物です」



 フェイランの座席に近づいた乗客の女性が、帽子を拾いあげたようだ。その震えがちで気弱そうな声に、フェイランは我に返る。



「あら、ありがとう……」

「いえいえ! お礼なんていいです。()()()()()()()()()()……」



 女は背嚢リュックから猟銃を取り出すと、フェイランめがけて発砲した。

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