5.傭兵
「南無三! って、逃げられちゃったか……」
硝煙とは違う、不自然な白い煙が社内に広がった。
二匹の獲物の姿が忽然と消えている。
――この煙……通達通り、執事は狐の獣因のようだ。それも、基本の生態から幻術段階まで練り上げた……
「じっつぁの猟銃、撃ち慣れてるんだけれども。まあ、この鉄道の中にいるよね。うちにはわかる……瞬間移動には負荷がかかるの」
――
「ここなら追いつかれないでしょう」
「なんだったの、あの女……」
「帝国軍に属さない追跡者、おそらく傭兵のたぐいでしょう」
車両の屋根の上で、二人は息を切らせた。
ユンの瞬間移動で難を逃れたとはいえ、あの女はきっと諦めていないだろう。鉄道がトンネルに入ったところで、二人は身を屈めた。
猟銃を構えたあの女の眼……フェイランは思い出しながら冷や汗をかいた。本気で狩りに来ている。おそらく、熊狩りがさかんな地域出身の手練れだ。獲物を仕留める執念を持った恐ろしい眼。
ユンがピンと人差し指を立てる。
「彼女の容姿は記憶しました。水玉のワンピースを身に着けたフラッパー」
「……その記憶、役に立つかしら」
「と、言いますと」
「あの女があんたと同じ場合よ」
すると、「そこで何をしているのかね!」と髭をたくわえた車掌が窓から身を乗りだしてこちらを見上げてきた。
フェイランは肩をすくめる。
「あらあら。車掌さんなら操縦室でこの列車を管理していたはずよ」
「……ちぇっ」
車掌に化けた女は桃色の煙とともに姿を消し、猟銃を携えた青年の姿でフェイランたちの前に現れた。ユンがうなずく。
「……なるほど、狸の獣因持ちですね。でも、発現したのはつい最近かな。尻尾見えてますよ」
下着見えてますよ、という調子でユンが悠然と軽口をたたく。
青年は、キャッと乙女らしい声を上げ尻尾を隠そうとした。その隙に、フェイランが猛スピードで駆けて接近し、青年にタックルした。何両か先まで、その体が弾みながら飛んでいく。青年が体勢をなおすより先に、フェイランは猟銃を拾い上げる。頭を強打した傭兵は仰向いて白目を剥いている。ショックで顕現が解け、青年は頭巾を被った農民姿の女に戻った。
「服装から見るに、アズマ国のお嬢さんかしら。戦い慣れていないわね。たぶんこの仕事向いていないわよ。故郷にお帰り」
気を失った女にフェイランが話しかける。耳を澄ませてみるが、さっきから全く女の呼吸音が聞こえない。
――やりすぎてしまった! まさか、死んでないわよね……?
フェイランは、殺生を忌む令嬢であった。心配になり、女の胸元に耳を近づける。鼓動がひと打ちも伝わってこない。
「ああ、大変よ。ユン……」
「お嬢、危ない!」
「え……」
女は倒れたまま隠し持った鎌を握りしめ、フェイランに振りかぶってきた。
咄嗟に、フェイランは女の利き手を叩き折る。
「うっ……!」
女は、腕を抑えてうずくまった。
「お嬢の反応が速くてなによりです……狸は死んだふりができるんですよ」
「そうなのね。とりあえず、生きててよかったわ」
「さて……この方からいろいろお聞きしなくては」
二人は、腕を折られた激痛に耐えるアズマ国の女――トマベチ・シノを見下ろした。
――
「あった! 見つけた……」
サラは引き返した道で、落とした紙袋を発見した。
しかし、中身を漁られた痕跡があった。
「なにこれ、砂糖漬けが開けられて……チューリップまで……全部一口ずつかじられてる!?」
サラは、一品ずつ確かめるとがっくり肩を落とした。
と、右手のほうからウォーと野太い男の怒声が聞こえてきた。驚いてサラの肩が飛び上がる。
続いて、少年がこちらに向かって走ってくる。
「おねえさんっ! 助けて!」
「わっ⁉」
涙目の少年がサラに飛びついてきた。
――こんなところに、どうして子どもが⁉
「きみ、どうしたの?」
「さっき怖いおじさんが来て……こっち!」
少年はサラの手をぐいぐい引っ張った。
路地のどん詰まり、闇の最奥へ向かって連れていかれる。
サラは嫌な予感がし、あわててその手を振り払った。
「ま、待って! あっちに行けば軍人さんがいるよ! その人を呼ぼう! ね?」
「……ったく、ニコのヤツ何やり損ねてんだよ」
少年は低い声でそう言った。
サラの全身に、ふたたび鳥肌が立つ。
月光に照らされた少年の口の両端に、ぬっと長い牙が発生したのだ。
サラは紙袋を抱えて駆けだした。しかし、少年はひどく俊敏だった。すぐに追いつかれ、両腕をまとめて掴まれる。彼は爛々とした眼で怯えるサラを覗き込んだ。
「離して……!」
「っしゃあ、二億リュールゲット!」
――この子、人のこと金額で呼んでる⁉
「やめろ、ユハ! それはフェイランじゃない」
「……まじかよ⁉」
と、ニコラが現れ、少年とサラの間に手をかざして制止させた。さきほどの野太い怒声で目を覚ましたのだろう。
ニコラの証言に、ユハの表情がみるみるしぼんでいく。それにつれて彼の牙もゆっくりと引っ込んでいき……サラの腕を解放した。
「なんだ……見張り損じゃん」
「こいつはソ・ユハ。傭兵だ。傭兵は第一連隊と連携を取っているんだ。念のため言うが、子どもを戦わせているわけじゃない。こう見えて成人している」
ユハは愛らしい顔でニッカリ笑った。その表情からは純朴な牧人の少年といった雰囲気しか感じ取れず、血なまぐさい職に従事しているとはとても見えなかった。
「俺は帝国軍第一連隊大将のニコラ・カニス。……そういえば、名前を聞いていなかったな。名前と職業、それから今日は何をしていたのかを言いなさい」
サラは、あわてて二人に頭を下げた。
「わ、私はサラ・シベッタと申します……。宮殿で洗濯婦として働いています。仕事が休みの今日、昨日フェイランさまにいただいたドレスを着て、この市街を周っておりました。そして、寮の門限が迫っておりましたゆえ、近道であるこの路地を急いでいたのです」
「なるほど、サラ・シベッタ。お前、フェイランの囮にされたんじゃないか」
「すみません、フェイランさまに何があったのですか?」
「今朝、ティグリス家による国家転覆の計画書が発見された。フェイランは逃走中だ。陛下は彼女の首に高額の懸賞金をかけたため、傭兵が嬉々として追っている」
サラは痛みを感じたかのように、眉をよせた。
「お言葉ですが、私はフェイランさまがそんなことをするようには思えません」
「おねえさん、利用されちゃってるのによく言えるねえ? まあ、さっきのおれの声を疑わないくらいピュアだし仕方ないか」
ユハが気の毒そうに口元に手をあてる。
サラは、さきほどの声について回想した。
「じゃあ、あの奥で聞こえた怖い声って……」
「ああ。おれだよ。獣因の力で、ああいう声が出るんだ。ほら」
ユハは叫んでみせた。地を揺らすような、ぞっとする声だ。
サラは開いた口が塞がらなかった。
「こんな獣因初めて見た……」
「珍しいよね、キバノロは彼の出身地特有の動物だからな。シカ科ノロ亜科キバノロ属。故郷ではコラニって呼ばれるんだっけ。害獣だよ。あんな冗談みたいなキバがついているけど草食動物なのがおもしろいよね。ところできみは麝香猫だね? この香りは」
「……ひぃ!」
突然、背後から早口の解説が聞こえてきたかと思うと、サラのスカーフがめくられた。
サラは耳を隠せないので通常はスカーフを巻き顎の下で結ぶようにしていたのだが、一瞬獣の耳が露わになる。
飛び上がってスカーフで耳を覆ったサラは、新しい声の主を警戒心たっぷりに見上げた。
「おっと。失礼しました、迷い猫さん。俺は獣医師のアレクセイだ」
アレクセイはマスクを引き下げ、笑顔を見せた。
――動物は、笑顔で友好を読み取る。その考えのもとサラに微笑みかけるが、余計に怯えさせてしまったようだ。彼はよく見れば甘く整った面立ちの美青年なのだが、顔中に走る傷が物騒さを演出している。
「……アレクセイ、なぜここにいるんだ」
ニコラは、突然現れた親友に目配せした。
シノが最初に化けていた「フラッパー」は、モダン・ガールのスタイルを指します。
おそらくアズマ国発行の少女雑誌で目にし、憧れだったのでしょう。
ユンの狐の獣因しかり、シノの狸の獣因しかり、化ける姿を身長、服装から髪の一本一本まで思い描かなくてはうまく化けられません。そのためには人相学を身に着けたうえで、地道な修行が必要です。
瞬間移動は、なおさら困難です。修行を積んだユハでさえ、移動させられる定員は二人までです。慣れないシノの場合、自分ひとりしか移動できない上に、移動距離が短いです。
ユハは食べ物を一口ずつかじる癖があります。なので彼と食事する場合、テーブルいっぱいに小皿の品を並べる定食を選んであげましょう。故郷で、彼はこれを食べるのが夢でした。




