少年たちの夜
疲れと痛みが彫られた夕焼けは消え、安息の夜が来た。
遠くから悲鳴が聞こえる。風の音だろうか、それとも参加者が食材のように幾重にも斬られ、灼熱に焼かれている音だろうか。判別なんて誰も付けたがらなかった。
ピアノ線のように張り巡らされた殺意だがファミリーレストランの外でまず中にやってくることはないだろう。
だから、今夜は安息の夜が来たのだ。
「岬の命が掛かっていたからお前はなりふり構わないことを言った。俺たちを冒涜したし、それに対して報いを受けることを誓った。そうだな?」
拳を握りしめて竜太の顔の前にずんと遼は突き立てる。
今、あの時の約束が果たされようとしていた。斧女とのバトルの時に竜太が遼とロイ、それから岬を殺すと発言したことの制裁がこの夜闇の法廷で罰という形で下されようとしていたのだ。
「……あぁ」
竜太は覚悟を決めたように淡く頷く。
吐く息と伏し目がちな目は湖畔の水煙のように穏やかで今にも消え去ってしまいそうだった。
その人形のように物静かな顔から硬い拳は引き抜かれる。遼は岬の方を向いた。
「なぁ! 本人も同意の上だろ岬~。一発は一発なんだ! ここでけじめを付けなきゃ竜太が可哀そうになるぜ?」
「で、でもグーは、グーはダメだよ!?」
堅牢な城のようだった顔は崩れいつもの調子に戻る。突き出されていた右腕を止めるように岬が弱弱しく間に割って入ろうとしたのだ。けれどワンオンワンに入れるだけの勇気はなく、立ち位置は中途半端な二等辺三角形を書くようだった。
あの後気絶していた岬は傷こそついていて、しばらく寝起きは放心していたけれど、小日向の『ヒール』を掛けて何事もなかったかのように治療された。
心の方がどうなったのかは分からない。顔つきは清廉な青少年そのものだが、顔の端に切れ込みを入れてめくってみたらどんな惨状が広がっているのか。彼の本音は沈黙しながら混沌としているように感ぜられた。
「ケジメというのは確かに必要らしいのだよ。私の母も離婚するときに父から貰っていたアクセサリーを燃やしていた。離婚も、卒業も、浄罪も、ケジメは等しく必要ということだ。私はしないがね」
「ふーん。一つ学びになった」
拳骨裁判の様子を隣の席に座ってロイと小日向は諦観していた。
彼らの友情の世界に無粋な疑問や言葉を挟むことをロイはしたくなかった。必要性もそうだが、あっちの世界には自分の配役がないように思えたからというのもある。画面一つを隔てて、舞台と観客に分けられたようだった。
小日向の方は相変わらずどこから出したか分からないティーカップとケーキスタンドで優雅に夜を楽しんでいた。しょうがないからロイもケーキスタンドに並べられた可愛いカップケーキを手に取って、三人の茶番を楽しんだ。
「デコピン! デコピンにしよう? ね?」
岬は遼を必死に止めようと腕に縋りついて折衷案を提案した。
それに遼はつまらなそうに難色を示す。
「デコピンだぁ? 羽虫じゃねーんだからさぁ人間らしく拳に……はいはい分かりましたよ、人差し指でケジメを付けるよ」
折衷案が通り岬は安堵したように溜息を吐いた。遼の腕からするりと離れた。
が、グーで殴ろうとしていた本人のやる気を岬は安堵するべきではなかっただろう。
離れたその一瞬のうちに観音様のポーズのように中指を丸めて輪を作り、そのまま竜太の額にあてがう。
「ほいっ」
軽快な感嘆が発せられる頃には時すでに遅し。岬は呆然とその様子を見るしかなかった。
カタパルトのように引き絞られた中指が竜太の額目掛けて破裂する。
一点集中した一撃は雷のように凄まじく――
ッパァン!!!
「ッタァ!?」
ノックアウト。鉄砲海老の一撃。
竜太はどこぞのレトロ格闘ゲームのように吹っ飛び、宙を舞った。痛みが神経に伝うまえに反転したファミレスの風景が見える。
あ、飛んでる――
竜太の世界はその一言が思い浮かぶのと同時に、急激に速度を速め、床に叩きつけられる衝撃を伝えた。
「デコピン一発に拳一発分の力を込めた。これならセーフだろ?」
いえーいと満足げにブイサインを遼は作った。
ティータイムを楽しんでいた二人は呆気に取られた(小日向は紅茶を飲んでいたが)。
遼がしたのはデコピンのはずなのに、どういう物理法則でああなるのか。斧女との戦闘では二人で五分五分が丁度いいくらいだったのに、まさか戦闘テクニックじゃなく単純なパワーならこんなになるのか。
ロイは遼の評価をスカポンタン暴力お兄さんからスカポンタン馬鹿力お兄さんに改めた。
「竜太くん大丈夫!?」
「……痛いんですけど」
「痛くしたんですけど?」
尻餅を付いて腰を擦る竜太を遼はニヤリと意地悪そうに笑う。竜太も下から見上げるようにそれを一瞥した。昼間にも彼らがあんな感じで仲がいいのか、悪いのか、喧嘩するほど仲がいいを陰険に体現したようなやり取りをしていた。少年は何も言うまいと紅茶を啜った。
パーカーの袖とフードを払いながら竜太は立ち上がり、毛ほども気にしてないようにこう言った。
「いや、お前のデコピンじゃなくて、床にぶつけた腰の方がね」
あ? ん? と一触即発の阿吽の呼吸が繰り広げられる。間に挟まれた岬は竜と虎に板挟みにされたハムスターのように縮こまってオロオロとしていた。彼が毎回この調子で巻き込まれたら、如何ほどの心労を貯めているのか。彼の胃がストレスで蜂の巣みたくなってしまうんじゃないかと心配になる。
そう思われてもなお、岬は友人を心配して頭を抱えていた。
「腰!? えっと、バフリン? エフタック?」
「風邪薬でも頭痛薬でもなくて多分ハロンパス。あ、薬局の薬集めておけばよかった」
「今かよ。てか、そうなると飲食系とかもじゃね? 電気通ってないならスーパーのナマモノとか腐り始めてるんじゃ……」
禊が終わり一旦喧嘩に区切りをつけた二人は現実問題を考え始める。
その兆候を示すように二人はシンクロして、遼は腕を組み、竜太は顎に手を当てた。
番組がひと段落したので小日向がティーカップを置いて二人の疑問に余裕をもって答えた。
「朗報、とまではいかないが私のティーセット『ヘクセンハウス』はかなり強い武器であり、無限に紅茶とケーキが食べられる一品だ。餓死はしないだろう」
自慢げに自分のティーポットやケーキスタンドに触れる。このティーセットのマドラーまで彼の武器でありスキルの一つだとなるとまったく末恐ろしい。少年はティーカップと小日向を見比べた。
ティーセットで戦う死神……
笑っては、いけない。
「人に殺されるのが先か、ケーキに殺されるのが先か……」
「ケーキはナイフを持たないが?」
「甘い毒だわ」
夜色の髪の毛を弄りながらそう切り返した。
「私のケーキがボルジアの毒と呼ばれるとは」
眺めるケーキはどれもかわいらしく、螺旋を描くホイップクリームや真珠のようなシルバーチョコがちりばめられている。死神はそれを傾けて笑うのだ。確かに人間を誘うデコレーションをしていると、自嘲交じりに。
「……眠くなってきた」
そう呟いたロイの眼はその割にはっきりと開いていて、窓の外の星を捉えていた。
深紅の星がさそり座の身体を為している。その尻尾の毒針を地上に向けて天高く見下ろしているのだ。星座なんて分かるはずもないのに、光の潰えた都会では星雲は久方に姿を現した神話の怪物だ。
星を見る。星もロイの中にある星と繋がろうとしている。
割れた窓ガラスがまたパキリと破片を散らした。
「お~子供はもうお眠の時間か」
「でも、なんだか怖くて眠れないや。まだ僕たちを見てる人がいるような気がして」
「あーそうだな。ここじゃロクに安眠もできないんだ。日本に帰りてー、ディストピアから帰りてー。はぁ……とりあえず寝番くらいは決めるか。俺と岬とロイは除くとして」
「お前はダメだ、起きろ」
「僕も起きてられるよ!?」
岬はここぞとばかりに手を上げて役に立とうとアピールする。おんぶに抱っこをされてばかりで居心地が悪いのだろう。とはいえ、岬の精神状態を加味すると余り任せたくはないと、ロイを除いた三人は、心配と友愛と疑念を以てそう思った。
「夜更かしなんて月曜日以外するわけにはいかねえよ、俺は吉田でありたいんだよ!」
「吉田誰だよ、どうありてぇんだよ」
「……あ、兼好?」
岬が頭の上に電球を閃かせて、そう言うと遼は指を弾いて鳴らした。
吉田兼好だけに……皆まで言うな。
引用。
病を受くることも多くは心より受く外より来る病はすくなし。
「当たり~さっすが博学才頴の岬くん! 遼くんポイントを10点贈呈しよう!」
「だから誰だよ、どうありてぇんだよ」
突っ込まずにはいられない竜太であった。
「遼は時々というか殆ど言ってることが分からない」
「これが通常運転だから、気にしたら負けだ……」
「んで、寝ずの番だけどじゃんけんで決めようぜ!」
遼からの提案を拒む者は珍しく誰も居なくて、呆気なく決まった。
掌。掌。掌。掌。――拳。
完全敗北。
「何でこういう時に限って一気に俺に決まんの!?」
遼君は駄洒落やジョークが好きで、授業中に覚えたものを変な語呂合わせで覚えている節があります。
作者的知能指数順
マザー≧イフェイオン(斧女)>テル=子宮=小日向≧岬>遼=ナイ>竜太=毒島>ロイ
枠外《ノラ・六条》
作者的外道指数順
子宮>毒島>ナイ≧小日向≧イフェイオン(斧女)=遼=竜太≧マザー>ロイ=岬




