ワルプルギスの夜
氷坂市最大級のホテル――ゴールデングレイルホテル。
電気も通っているかのようにシャンデリアは美しく輝き人々に安寧と癒しを齎した。
赤いカーペットの上に幾人もの人。片手には綺麗なワイングラスを持っている。今にもダンスパーティーが始まりそうな雰囲気だが、赤いジャケットの男が赤ワインのような色の瞳で取り仕切っていた。
子宮遊楽、彼がこの黄金の杯の支配者だった。
「マザー、毒島、テル、ノラ、イフェイオン、ナイ、田縣、六条。これだけの仲間が集まってくれたことに吾輩としては涙が出る思いです」
言葉通り感涙の薄膜を瞳に作って子宮遊楽は言う。
彼は既に何かに酔っぱらっている様だった。もしくはそう見えるような演技をしているのか。彼の中にある狂気と狡猾さを包み隠すように威厳のある態度と慈愛を見せているが、彼の腹の中は「涙が出る」と言った今でさえ、煙と宵闇と無数の蠅がたかっている様だった。
唯一的な存在に見えた彼だが、近くに似たようなシリーズの服を着た男女が2組。
顔つきが似ている。それはその2人のことでもあるが、特にS型とバーテンダーは表情や髪型は違えど同じ顔だ。兄弟や血が繋がっているだなんていう存在ではなかった。
つまり彼らはどちらも子宮遊楽で――誰もが子宮遊楽だった。
L型と識別される彼女は真っ赤な制服を着て、Z型と識別される彼は虚ろな目をして鮮血色のバーテンダー服を着ている。
この場にS型、L型、Z型と三人も子宮遊楽がいるものだから呼び分けるにはそのコードネームを呼ぶほかにないわけだ。
「今宵は吾輩たちが家族になるに相応しい夜。我らは表裏一体、一蓮托生の同士なれば家族に等しいモノ。吾輩はそう思い、皆さんにもそう思われたい。杯もここにありますし、桃園の誓いにならって一つ契りを結ぶというのはどうでしょう――家族の契りを」
赤ワインの注がれたグラスを傾けながら、子宮S型は甘美を味わうようにそう言った。
そのグラス越しに彼方側を細めた眼光で見やる。
人間の皮を被ったその一層下からはあの怪物の得体のしれない眼光がひっそりと獲物に狙いをつけていた。
「断る、俺はそんな馴れ合いをするつもりはない。あくまで対等な契約関係だろ」
ボルサリーノの鍔を指でつまみ、その陰影の中から確かに睨みを利かせるテル。嫌悪と侮蔑と冷笑を煮つめた一瞥は一筋の鋼として具現化したかのようであったが、それを心臓に、双眸に、脳天に刺されても微笑みながらS型は手繰り寄せてしまう。
「家族も対等な関係でしょう。君との関係に適当な名称としてはもっとも相応しいと思ったんですが」
「家族は対等じゃない。親は支配者で、子供は弱者だ。暴力と愛情の注ぎ方は常に親にある。お前は俺たちの親を気取っている」
テルの言葉を受けてS型は黙ってワインを飲み干した。それから一呼吸置くと、その空になったグラスを察知して黒子のようにひっそりとZ型がボトルを傾けに来た。
「君は――暴力も愛情も恐れてはいない。だが、家族を拒むのは君にとっての家族が本当に大切だから。あぁ、君のというよりかは『氷守ハク』の、というべきか」
「俺は『氷守ハク』だ」
そうやって自分の存在を偽って豪語するテルの背後でノラはその豪語を黙して否定した。
また子宮も見透かしているのだろう。精巧に作られた人の合皮を着ている彼の本当の姿を。
偏執ゆえに編集した本心と創作のモザイクアートをパズルのように組み替えて、本心を見ているのだ。
だからこそ臆面もなく愛の言葉を吐けるのか。はたまたワインが彼の意識を蕩かしたか。
「だとしても、吾輩は君が欲しいな。余すことなく。その指先から脾臓の一端まで、吾輩にとっては宝箱の鍵のように愛おしい」
そう言う彼の長く白い指がテルの胸中に向かって優しくゆっくりと突き刺さんとする。その指の腹がテルの服に触れて、間接的に心臓を射抜く。服の下、肌の下、肉の下、骨の下、全てをすり抜けて恐ろしく熱く冷え切った愛の一指は届いた。
テルは思わずコートを正すように彼の指を振りほどいた。そして心臓の当たりに手を置く。幸いなことに目立った異常はない。だが、指一本分の違和感がそこに残り続けた。
「俺を、家族ごっこに巻き込まないでくれ」
「……今はね」
S型は腕を下げて一歩引いた。
「い~じゃん家族ゥ~、テルくんのて・れ・や・さ・ん!」
テルのあからさまに嫌そうな態度をメイド服の少女――ナイが横から突っ込んで茶化す。
死んで死体になったはずの彼女、けれど何の異常もなさそうに、異常だらけの不思議な性格を一直線に突き通している。
五月蠅い、邪魔だ! という振り払いも無視してナイは良いではないかよいではないか~、と懐に潜り込んで脇腹をくすぐる。それを間近でノラが冷ややかに見ているのだから若干修羅場であった。
「ワタクシもそこの殿方と同じ。家族関係を持つ気なんて更々ありません。対等、あるいはワタクシが上でなくてはコノミヤさんと関係を築くなんて願い下げです」
おかめの仮面を被って赤い番傘を差した和服の女がそう言った。
仮面で蓋をされて表情を伺うことはできなかったが、代わりにその口調がいかにも冷たいというのは分かる。
「私も家族までは抵抗あるかなぁ。そのくらい大事な仲間になるってのは分かるけどね? それはそうと六条さん部屋の中で番傘さしても意味ないでしょ」
制服姿の茶髪の女子高生は彼女の番傘を柔らかな人差し指のその先でなぞってそう言った。桜が舞い散るようにふんわりと番傘を翻し、その指を離す。六条は返す刀で切り返した。
「ワタクシのアイデンティティでしてよ」
「……私は子宮さんの望み通りに動くだけ。でも、私をぶん殴ったあの坊ちゃん4人組を殺すのを優先したいわ」
斧女。いや、子宮が告げたとおりならイフェイオンという女性は表情を崩さず、決心と子宮への忠誠を示した。何型とかを問わず、ただ『子宮遊楽』という存在を信頼しているのだ。それこそ家族のように、或いは常に天に在る太陽のように、崇めているのだ。
「ここ、殺す!? 怖いですぅ……! あっ僕は、死ななければなんでもします……」
毒島は相変わらず怯えて、ペテロにしがみついて震えている。
異形のペテロ。まるで馬と犬ほどの体格さがあるようにすら思える二人、接点なんて殺し殺されの関係だったはずなのに今やパーソナルスペースを共有しているかのようだった。
「あちゃしはペテロとアンデレとその子が傷ちゅかないことが最優ちぇんでちゅ」
「ママさん……!」
「ペテロちゃんがあなたのことを気に入ってしまったみたいだからしかたなくでちゅよ、削くん」
「マザーの子には細心の注意を払います。母子の聖域までは入り込めませんが」
女性形をしたL型の子宮遊楽が弁えるべきことを弁えたように言った。礼儀正しい態度をL型が見せるとさほど心配する様子もなくマザーは赤ちゃん口調を発しながら小さく頷いた。
「それはよかったでちゅ。で、子宮遊楽ちゃん。あなたはあちゃし達を集めて何をするつもりなんでちゅか?」
本題へと切り込む。十把一絡げに口を衝いていた人々の口が途端に止まり、静まり返った。
子宮遊楽の現在の統括にして意思決定者たるS型の解答を誰しもが耳を澄まして聞こうとした。
彼というブラックボックスに一矢の光が差し込まれ、皆が包まれていた。彼はいつものように禍々しく淫靡という言葉が似つかわしい微笑みを送る。
一歩引き。観衆の視線を己の肉体に集め、全ての準備が整うと同時に、弓を引くように言葉を放った。
「えぇ、貴方たちを集めてまで吾輩がしたいこと。それは――クイーンの討伐です」
その震える瑞々しい唇から裂け落ちた言葉は太陽を撃ち落とすように禍々しく輝いた。至極真っ当かのように。彼最大の狂気を以て答えたのだった。
華美なる空間が真空に還る。夜明け前のような静寂が訪れた。
刹那の後に誰も彼もまさか、と思った。
女王を殺す?
彼はその沈黙の疑念を認知するように悪女のような笑みを貼り続けた。
「このデスゲームの主催者を……討伐するだと……?」
「ふっ……身の程を知るべきだわ」
「んー、面白そうね!」
「討伐……モンスターハンター、ってことですかね、ね?」
口々に驚嘆や呆れ、或いは的を射ない発言が飛び交う。発言した張本人は玉座の前に立った皇帝のように動じない。自分の発言の反響を予想していたのか、或いは有象無象の反響なんて耳には入らないようだった。銃で撃たれたかのようにどよめく観衆を更に血河に指を絡めて引き込むように次々と子宮S型は言葉を繰った。
「尊い小説家たちの命が失われるのは痛ましい……だが吾輩に命を奪った者達を責める気持ちは一切ない。ここでの殺人は屠殺に等しく、言うなれば食事。我々は人を家畜に見立ててしまった。だから、殺すことにあまり抵抗を覚えることなく、殺した。オードブル、スープ、ポワソン、ソルベ、ヴィアント。出された料理を食べるようにね。そして彼女がこのコースを締めくくるデセール。彼女を屠殺することで彼女のせいで失われた殺人の罪を取り戻せる。それこそ我々の使命だろう」
「我々は彼女を、食い止めねばならない」
フルコースを見据えるようにS型は淡々と言う。彼の妄想の中では晩餐が並べられた食卓にクイーンの死体が乗っている図が思い描かれている。それも腹を掻っ捌かれ、臓物を一つずつ白い皿に盛りつけられたすがたで。
手をシャンデリアの方へ高く高く広げ、子宮S型は輝きを瞳の深淵の中へと落とし込んで行く。ぐるぐる回転するような酩酊に彼は酔いしれているのだった。その手で神も、悪魔も手にかけるその日を夢見て。
S――背徳たる彼は神に背く。全ては神にも迫らんとする灼熱の愛ゆえに。
「どこで誂えたんだよ、そんな似非宗教家みたいな口説き文句……まぁいいさ、お前が例えこのゲーム上で一番強かったとしてもクイーンにはどうやっても届かないだろう。それを分かった上で、画策してんだな? 女王を打ち倒す必勝法を」
もちろん。Sは目で訴えた。
兎のよう、というにはほど遠い宝石に血の混じったようなその赤い目が誘惑するようにテルを見た。
「必殺、と言った方がいいでしょうな。ですが今は内緒です。代わりに吾輩の眼を見てください」
「あ?」
テルは思わず眼を見た。見てしまった。
角膜の奥。虹彩の隙間を覗いた。無限の深淵。光も闇も届かない無量の赤を感じ取った。
テルは妙な感覚に陥った。マンデルブロ集合をジッと見続けるような奇妙。
赤だ。血のように鮮明な赤が、眼と眼を、視線と視線を繋いだ。
そして今――はじけ飛ぶ。
「……あ」
先に視線を切ったのはテルだった。だが、Sは気に留める様子もなく言う。
「今は言えませんが、いずれ貴方にはお伝えすることになるでしょう。あらゆる知恵を集めようとする愛書家の君、貴方は大事なピースですから」
唇の隙間から白い犬歯を覗かせて噛み砕かんとSは顔を近づける。
あの目から逸らしたのと、今の重圧は違う。テルは引かない。頑固で、寡黙に負けず嫌いなテルは物語のハクのように臆さない。
ならば、なぜ目を逸らしたのか。
あの目は、あの目の奥には覗いちゃいけない何かがある。第六感か、知恵の悪魔か、テルにそう耳打ちしたのだった。
「……どんな外道な方法を考えて嫌がるんだかな。俺の邪魔にさえならなければいいさ」
「えぇ、契約は果たします。晴羽照が子宮遊楽に協力する代わりに、子宮遊楽は晴羽照の異本集めを手伝うということを」
「分かってるさ。いくぞ、ノラ」
呼ばれた白銀の髪の少女はピクンと体を跳ねさせて、すぐさま部屋を後にしようとするテルの背後を静かに追って行った。去り際に一言残して。
「мошенник。またね」
振り返ってSへの一言だった。
「ロシア語?」
「……可愛い小悪魔だ」
彼女の後ろ姿を見送って、面白くなさそうにSは目を伏せた。
S、L、Zの服装
子宮遊楽S型……赤と黒が主なスーツ。
子宮遊楽L型……赤いスカートの女子高生らしい制服。
子宮遊楽Z形……赤と黒のバーテンダー服。
ホストと女子高生モデルとバーテンダーです




