マザーグースの夜
この世はどうやったって多数派が勝つようにできている。
孤独な天才より、幸運な寵児より、烏合の衆。
どんな発明も奇跡も多くの人間の意見には劣る。
芸能人のゴシップが流れれば、緊急警報の如く降り注ぐ罵詈雑言。その一つ一つの冷めた悪口や幻滅がその人の心を刺していき死に追いつめる。多数派は存在しているだけで個人を殺す獰猛な生き物だ。
必要なのは風見鶏のような空気を読む力と、意見を自然と浸透させる話術と詐術。
チーム戦こそ俺の本領領域。
だから、このデスゲームでも本来起こりえないはずのチームを俺は組み上げた。
「ぼ、ボスパイダーさん、足音が聞こえます。ふ、2つかな……距離はえぇーっと北西に50m! こちらにむ、むかってきてます。あの曲がり角の先です」
太眉のマスク男――毒島さんは土下座するような態勢で地べたに耳を付けながら報告してきた。地に伝導している僅かな振動をスキルで増幅した聴力で足音を聞いているのだ。
夜闇の中大胆に行動できるのは彼のおかげでもある。閉じた闇の世界では一寸先さえも疑わしい。あらゆるところに敵がいると思いながら進むのはとてつもない精神力を消費する。しかし、毒島は鉱山のカナリヤならぬ夜闇のカナリヤになるのだ。彼の耳をもってすれば、会敵前に『逃げる』か『戦う』かの選択ができるようになる。
現状の人数で圧倒できる個の力であればねじ伏せる。でなければ避け別の獲物へ、そして追われることも気づかれることもない。
正に最強にして無敗の作戦。
「毒島さんの【蠍の勇者の地底攻略】は探知と罠にはもってこいのスキル、流石です。後は俺とエリマキカマキリさんとで正面と上からの挟撃でチェックメイト」
「ボスパさんの作戦でこれを含めたらもう9人やったことになるっすね。なんだか最初は人殺すのに抵抗あった気がしたのに今じゃ全然っすよね~なんか化け物になってるみたいっす」
俺よりも二回りくらい大きな褐色の大男が頬を搔きながらそんなことを言った。
エリマキカマキリさんは殺すことを躊躇っているが、それは自分の価値観に照らし合わせて言った確固たる意志のある言葉じゃない。この人はただ自分の行動すべてに自信がないんだ。それはもう今日一日で嫌というほど分かった。
手間ではあるが、ここは簡易的でも説得しておく。
「小説家の全員がそうとは言わないですけど、やっぱり大半の人は皆頭がおかしいんですよ。いい意味でも悪い意味でも、俺たちだってその例外じゃない。寧ろ化け物上等、人を殺す経験をした僕らの方がよっぽど」
「他の小説家よりうまい表現ができるようになった」
小説家。そう、俺達は小説家として表現を学ぶためにこの無法地帯に連れてこられたのかもしれない。ここでの出来事はどれもこれも嫌というほど小説に役に立つ。人を殺す感触から、自身の思い描いていたキャラクターの能力が使える点など、描写のリアリティを追求する場所としてここ以上の場所はないだろう。
「……っすね。殴って殺したし、刺しても殺した。次は絞め殺す、とか?」
「結果と目的がごっちゃになるのは良くないな。殺す手段なんて考えなくていい、あるがままに殺した結果、自分はどうやって殺したのかを思い出す。そのくらいの考えでいいんです」
変な考えで動かれても困るしな。
「もうそろそろ、みたい、です」
毒島さんの言葉を聞いて、俺もエリマキカマキリさんも戦闘態勢に入る。
目を瞑って深呼吸。右手にはまだ開いていないバタフライナイフを握りしめる。このルーティンさえ繰り返しておけば、人を殺す前の緊張は夏場に溶けるアイスのように消えていく。
エリマキカマキリさんも運動する前の準備体操のように腕を振って、足首を回している。アスリート選手のようなその慣れた動きだけは自然でいい。本番でも今回はミスをしなさそうで、余計な心配をせずに済んだ。
「いつも通り私は正面から、エリマキカマキリさんは上から。始めますよ」
「発動するっす。【異類婚姻譚――赤の狩人と狼――】」
大男の体が脈打つと、手の先から筋肉が隆起し獣のような毛皮が生えていく。常からの巨躯は3メートルを超えただろう。顎は鋭く伸び、目は犬科特有の虹彩へと変わり、耳は狼のように尖る。
赤い頭巾がその耳を覆って、目元も隠した。
赤き狼男。月の出る夜に怪物と外道を殺すシリアルキラー。やがて結ばれる少女さえいなければ、彼の素性はその通り。
「そろそろ見慣れましたが、やはり怖いですね」
「こ、怖いっすか。俺もあんまりこの高さの視点慣れてないんで、間違って爪とか引っ掛けたらごめんなさいっす」
「じゃあ手は私の頭より上にやっといてください。首輪でもつけたら怖くなくなりますかね」
首輪はちょっと……と、零す狼男の足下でまだ耳を地面につけていた毒島さんの体が震えていた。
彼の様子はいつもどこか怯えて下手に出ている。だからこそ、それ自体に違和感を覚えることはないはずだった。
俺はその震え方に注目した。些細なことだ。人間の震え方の違いを見抜けるほどの技量を自分が持っているだなんて、思いもしないが、彼の慄き方はいつにも増しているように見えた。
「え、え?」
「どうしました?」
「な、なんか、おかしいですぅ……! こ、これ、ににに、人間の足音じゃ、ない」
顔を上げて、思わず蠍の尻尾を黒スーツの下から飛び出させる。
キコココ、と虫の柔らかさと硬さを併せ持った音を立てて尾を揺らめかせる。先端に少しでも当たったら、毒殺されかねないので俺とカマキリエリマキさんは動揺する彼から一歩引いた。
「人間じゃない、ねぇ……逃げますか?」
「いや、俺なら熊相手でも勝てるっす」
「熊より強い相手だったら、っていう想定は?」
「俺のこと信用してないんすか? スキル持ちを俺が何人殺してきたと……はぁ。ま、使い魔系の相手なら本体にはさほどパワーはないはずっす。待っててくださいっす!」
「ちょっと」
「秒で片付けてくるっす~!」
そう言ってエリマキカマキリさんは自信満々に狼男の大きな腕を使って、壁を思い切り駆け上っていった。俺が制止することもできないくらいには、3メートルの巨躯が跳躍して建物の裏手に消えるのは一瞬であった。
「はぁ、俺の忠告を無視するとは――逃げますよ、毒島さん」
「え、え? で、でも、待っててってカマキリくんは」
「少し調子づかせ過ぎました。もし彼が圧される相手だったら俺達二人じゃ到底相手に出来ないです。毒島さんのスキルは毒を使えますけど、あなた自身の資質を考えると戦えないでしょう? さっさと行きましょう。映画の一幕のようにまとめられてはたまらない」
「そ、そそ、それじゃあ、カマキリくんは、ど、どう、するんです。す?」
「……死ななければ彼だって俺たちを匂いで追ってくるでしょう。そうじゃなかったら、わざわざ死地に行く必要もない。どうしても助けたければ、あなた一人で行ってください」
「あ、あのぉ、死んだら……食べてもいい、ですか?」
「死体回収はオススメしませんが、朝になっても死体が残っていたらご自由に。結局あなたも彼には死んでいてくれた方が都合がいいんですね」
とりあえず、逃げよう。
エリマキカマキリはこの際失ってもいい戦力だ。毒島さんの面識のある人だからと誘ったが、彼の役割は盾と剣だ。それは相手が彼の見た目の恐怖するのと肉弾戦単体での実力が俺たちの中で一番高かったから。やろうと思えば、毒島さんに全て兼任させればいい。
毒島さんの勘に俺の勘も感化されたから分かる。
俺達なんか蟻を踏むように簡単に殺せるヤツがこの裏にいるのだ。チカラ、という意味でも、冷酷、という意味でも、相手は宇宙の闇のように強大な相手だ。
自分の勘を信じろ。大体もし格下だったらエリマキカマキリは平然と殺してくるはずだ。
バシャァ!
ドチャ!!
「は?」
「ほぇ?」
生臭い匂いとぬめった音が響く。
狼の首が吹っ飛んできた。
首は虚ろとなった瞳で犯人の正体を示す。
「ひょ、ひぃっ、ぃええええ!? えり、ままま、まきま、きましゃん!?」
首の正体が変身したエリマキカマキリのものと分かるや否や、毒島さんは全身から汗を滴らせて壁を登ろうと非力な腕で硬いレンガを爪で引っかきだした。彼の膂力で登れるわけもなく、ウツボカズラの内壁を転げ落ちるハエのように滑るだけだ。爪が剥がれて血が出ても、恐怖に突き動かされた身体はただひたすらに同じ動作を無意味に繰り返すだけだった。
エリマキカマキリィ……ッ!
「クチチチチ。マァ、マ。ミッケタ」
のそりのそりと路地から人のような声がした。明らかに言葉足らずな声。
素足のペタリペタリという音が俺に聞こえるほど近づいたと思ったら、全裸の男が現れた。
いや、男じゃない。というより人じゃない。
パーツパーツが極限まで人間に似ているが、それは神話に出てくるケンタウロスのような四足歩行で頭がない。脚は筋骨隆々な人間のものだ。しかし四本ある。下半身の脚を繋ぐ胴には腕がなく人間を二つ融合させたような姿。縫い目の見当たらない滑らかな肌の質感が吐き気を催すほどにリアルだ。
頭がない代わりに口が胸の部分についていた。耳や目はどこにも見当たらない。
ニンゲンモドキのケンタウロスの背に一人の髪の長い女がふわりと乗っていた。甘そうな雰囲気と優しそうな笑顔を浮かべている女だった。
「イイ子、イイ子、パウロはいい子でちゅねぇ。わんわんと遊べてたのちかったでちゅか~?」
いきなり女が赤ちゃん言葉で化け物をあやしはじめた。
死んだ狼男の首。グロテスク極まりない人間風味な化け物。錯乱して壁を引搔く蠍男。流れる血。
夜の闇に溶けて飽和した狂気の中で、ボスパイダーは体が重くなるのを感じた。
パウロ→ペテロに変更。
ペテロの姿は地獄の悪魔 (byチェンソーマン)が造形として一番近い気がします。アレの材質をナマの人に変えたのがペテロ。作者的なイメージなので、読者様の脳内保管は別に四足歩行で両腕があって口があればどんな風に想像してもらっても構いません。




