醜悪な夜
夜の帷は降りた。
人間世界を照らす人工灯の数々は消えて、出歩くことさえ難しい。光がないだけで体感温度は下がり、不安と恐怖で精神を削る。
大多数の参加者が現実逃避をするように眠りについた頃、デパートの屋上で2人の人がキャンドルライトを灯して小話をしていた。
「……つまらない夜ね、こんなに星が綺麗なのにどうして満たされないのかしら」
銀髪の少女は退屈そうに足を揺らして呟いた。
対面した男は腕を組みながらしばらく遠くの一点を見つめた後、少女の呟きを拾い上げた。
「世界は元々つまらなかった、今の喜びは後からの乗算品だ――俺の回収した異本のどれかにそんな言葉が書いてあったな」
「何それ。偉人の名言っぽいだけで、言ってることは普通のことだわ。やっぱりここにあるものは紛い物よ、あなたが求める異本ではないわ」
両手をテーブルについて背もたれ椅子をグラグラと少女は揺らす。目の前の彼は今、自分のスキルに溺れている。少なくともそのことに気づかせたいがためにこうやって言っては見ているものの、洗脳に近しい精神異常が解ける見込みはまだない。
スキルというのは小説を基礎に組まれる超能力、基礎となる小説に作者の想いがいかに絡むかでその優劣強弱は変わってくる。しかしながら裏を返せばそれはスキル自体も作者の精神に働きかける毒のようなもの、思い入れが強ければ強いほどその影響を受けてしまう。
小日向一の思想の主人公化。
――私は何時だって弱者の味方だ。
花一華岬のトラウマ。
――『理不尽』っていうのは一度経験しないと誰も本気で注意しないんだ。
スキルは宿ったその人を狂わせる。クイーンが言わなかった効果の一つ。
少女が慕う青年は、主人公のトレードマークのボルサリーノにコートまで羽織っていて、取り返しのつかないくらいに曖昧になっている。いまでさえ物語に出てくる異本というキーアイテムを集めることが目標になってるくらい、精神は非常に架空に引っ張られていた。
「異本を内容の良し悪しで決めることができると思っていたのか? 漱石の『こゝろ』だろうが、淳の『山月記』だろうが、関係ない。名作でなくとも、超常的な能力を持っている物語であればそれが異本だ。お前なら知ってるだろ」
「そうね。『お前』がノラ・ヴィートエントゥーセンを指しているのなら確かに知っているわ。私は覚えてなかったけど。人の異本、島の異本、星の異本、色々あるのでしょう。彼女の記憶を辿れば」
「奇跡のような超常を宿した本がここには星の数ほどある。それらを全て回収するのが俺の使命だ。使命は、先生との約束は果たされなくてはならない!」
彼はどこまでを本気に思っているのか?
その取り乱しようは作者でも頭のキレる主人公でもない。どちらとも言えない壊れたオートマタのようだ。
「今の俺の【箱庭物語】ならそれを回収することは簡単なんだ。なぁ、ノラ、ノラ! お前なら、俺を分かってくれるよな?」
テーブルの上に手のひらに収まるほどの小さな本を3冊置いて身を乗り出す。青年は少女の雪原のような目を覗き込む。それから腰を上げて椅子から離れ、膝を机の角にかけた。
少女はその様子をじっと見て、残念そうに俯いた。雪原の蜃気楼に希望を見出すような彼がいたたまれなくて仕方がなかったのだ。
「違うわ……私はノラではないし、先生との約束はハクが結んだものよ。テル、貴方ではないの。奪ってはいけないラインというのを弁えなさい」
「な、なんで、なんでそんなこと言うんだよ……俺だよ、俺がお前を見つけたし、お前と一緒に旅をした! シャンバラでは別れたが、それでもお前と再会した! 俺は氷守ハク、なんだっ!」
「ハクの名は騙らないで……はぁ、貴方の心行くまで付き合ってあげる。そう言う契約ですもの。でも私は偽物ということを忘れないで欲しいわ。私はノラの代替品。異本集めの旅に同行した可愛い少女、ここではそのシンボルだけで十分だわ」
少女はキャンドルを両手に持って胸の前に光の蕾のように閉じる。
暗闇を照らす光が醜悪な幻像を生み出すようならばそんな光閉じ込めてしまいたかった。
青年はぎこちなくテーブルに掛けた膝を降ろし、背もたれに勢いよく体重をかけた。
首を力なく折って空を見上げる。幾億の星の輝きも彼の心を満たしはしなかった。
「――月が綺麗ですね。今日ほどこの都会のような街並みが静まり返る日はなく、また月が美しく見えるときもない。つまり告白するには絶好のチャンスということではありませんか。ゆえに私は貴方への一目ぼれの愛を捧げましょう」
「性的な意味で、R-18的な意味で」
デパートの屋上に設けられた投身防止の鉄柵に何者かが腰を掛けていた。
ぞわぞわする多足類が這うような声にテルもノラも危険信号を感じ取り、視線で正体を貫いた。
闇の中に血のような赤が生えるスーツ。
無造作な黒髪はそれこそ夜空と一体化してしまっている。
灯りのないこの地では表情なんてものは確認できるはずもなかったが、そこにいる彼は紛れもなく強者の余裕を示すように、母親のように微笑んでいるだろう。
「私のパートナーのことを口説くのは止めてくださるかしら。時間の無駄だから」
「新手の敵だな。シミの一派か? それともEBNAか?」
「敵だなんて、そんな。吾輩は誰の敵にもなる気はないのです。争うくらいなら愛し合い、傷つけあうくらいなら讃え合う。それが吾輩のポリシーですので」
何者か。
警戒は解かず、椅子に座ったまま観察する。
男の動向をこう探っている間にももう何か仕掛けられているのではないかと青年は疑り深く考えた。
何か仕掛けられていたとしても、【箱庭物語】の能力を使用すれば即死攻撃でさえ防ぐことはできるだろう。
相手に確実に自分を詰ませる作戦を立てさせてしまえば、それ以上の作戦を相手は立てられなくなる。そこから隙をついていほんを奪えばいいのだ。
青年が観察するに男の余裕はそういう慢心の余裕だった。
「失礼、吾輩は子宮遊楽S型。偶然通りかかったものです。もしよろしければ、うちに来ませんか? 袖すり合うのも多少の縁というでしょう」
「……いきなり現れてお誘いか? 怪しすぎるだろ。何を考えてんのか白状するんだな」
うち?
家が近くにあるとでもいうのか、いや肝心なのはそこじゃない。
どうして出会って1分と立たない相手を家に誘う。観察はできても、考察ができない。青年にとってこの子宮という男は気味の悪い蠅とか蛇のようだった。
「あわよくば寝込みを襲おうだなんて、考えてませんよ」
「俺にソッチの趣味はねぇ」
「そうよ、テルはうら若き少女を侍らせる少女趣味よ」
「ロリコンでもねぇ。冗談はいいさ、場を和ますジョークなんて言えもしないだろ。普通に考えてここは戦う展開だろうしな」
青年がそう言って立ち上がると、少女も無言で立ち上がった。
青年の手には先ほどの三冊より二回りほど大きく分厚い一冊が取り出されている。
装丁は一文字たりとも書かれてない赤一色。皮でできているのに、皺ひとつできていないのが奇妙なものであった。
「赤……危険の色。キンキ―ブーツの色……」
青年が本を取り出したらば、子宮も鉄柵の上からするりと降りて地に足を付ける。
音もなく降りるものだから重みがなさそうで本当に人かどうかを疑ってしまう。もしかしたら、ノラのような――或いは遼と竜太のような――人ならざる存在なのではないか?
パラパラパラ。
青年の掌をブックスタンドにしてページが駆ける。
夜風の冷たさに震えるように音を刻んだ。
「素敵な本だ。思わず枕元に置いておきたくなりますな。汚れてしまうでしょうけど」
子宮は舌なめずりをして、両腕を蛇のように自分の胸から肩へと昇らせる。
その虫唾が走る変態性に青年のこめかみにさすまた状の血管が浮き出た。
「くれてやらねーよ。――【箱庭物語】、書架より箱庭シリーズ検索、取り寄せ『箱庭百貨店』」
先ほどまで持っていた本が一瞬にして別の赤い本に変わる。
赤から赤だから分かりにくいが、年季の違う本が取り寄せられたのだ。
「面白いスキル。これまでの戦いも聞いていたのですが、やっぱり実物も見てみたか――
子宮が話しきるよりも先に、青年は左手に本を持ったまま、右ポケットに手を突っ込んで何かを素早く取り出した。
取り出されたのは――金だ。日本円だ。野口英雄の肖像画書かれた紙幣を乱雑に開いた本の真ん中に挟む。それから青年は百貨店に注文を付ける。
「邪魔だ、『開闢の夢』。一分」
がら空きの右手で子宮を指さす。要らない動作ではあるが、狙いを定めるためだ。子宮はその動作を受けても、避けるどころか不思議そうに見ることもない。まるでこれから何が起こってもいいと思っている様だった。
狙いは定まった。効果を、発動する。
バシャア、と子宮の腰と腹の間から放射状に血が飛び散った。下半身は脳からのつながりを物理的に断たれて役目を終えたように跪いた。上半身は『開闢の夢』が作った固形化した空間の上に盛り付けられたままだ。
その時は流石に子宮の顔に驚きが張り付き、それから――称賛するように笑った。
「へぇ、いともたやすく吾輩を真っ二つに……素晴らしいスキルですね」
一見すると脚を地に置き去りにして、宙に浮かぶ人間像というメッセージ性の強いアートにも見えるが、アートではない。
幸いか不幸か。子宮は即死ではないために、血を口端から零しながら話し、笑う猶予を得ていた。
なんと不気味な死体のなりそこないだろう。
「『ミジャリン医師の手記』。一分。終わったら脚は治してやるよ。それまでは激痛に悶えながら星空でも見てるんだな」
青年はそのスキルを発動させる前にまた一枚の紙幣を入れた。それが青年の使うスキルの一端『箱庭百貨店』の発動条件だからだ。
「意外に夜の外でやるのって興奮よりも寒さで萎えやすいので、吾輩経験数が少ないのですよ。こんな肉体になってしまいましたし、今度やってみましょうかな」
悠長に話しながら固まった空間に手をついてバランスをとる子宮。
セクハラ的な下のトークを無視して、青年はズンズンと真っ二つにした子宮の前まで歩み、その胸部に手を突っ込んだ。
体を貫くのではなく、透過するように腕は入った。
青年はいつもの仏頂面を更にお堅く歪め、子宮の中にあるはずの異本を文字通り手探りに探った。
「あはっ! 吾輩の胸の中に手が、なるほどアレはそういう意味だったのですね。これはすごい」
「……ッチ。よく喋りやがるなクソが」
死というありきたりな概念をどこかに落として来たような死体の口調に青年は舌打ちをしながらその奥にあるはずの異本を探り続けた。
【箱庭物語】は主人公が異本と呼ばれる特別な力を宿した本を収集し、世界を旅する小説。奇しくもそんな小説が設定と同じく異本になったのだから運命とは数奇なものだ。
この小説に含まれる能力は複数あるが、一つは異本と認定した本を収集する能力だ。こうやって子宮の腑をかき混ぜてるのも、内臓を抉っているのではなく、スキルを使うための根源である小説を奪おうとしているのだ。
「――ない。ないだと?」
唖然とする。
これまで青年は三冊の異本を奪ってきた。だからどのあたりにその人物の核となる異本が存在しているのかはもう感覚で理解していた。こんなに腕を奥へ沈ませてもへその緒ののような因果でスキルへと繋がっているはず小説が見当たらないのだ。
真っ二つになって1分が経とうとしているのに、一向に死ぬ気配のない子宮のトルソーが爛々とした目を青年に向けていた。
『ミジャリン医師の手記』はその効果こそ発動中に対象を死なせないという倫理違反的な能力を持ってはいるが、先ほど宣言した通りの時間はとっくに超えている。
つまり、ここで死んでないのはヤツ由来の生となる。
「コイツッ! ブラフか!?」
腕を抜き去り素早くノラの隣にバックステップで戻る。
【箱庭物語】を構えてノラにチカラを借り、片っ端から自分の使える能力を使おうとした。
(コイツ傀儡か……何をされるか分からない、『パージャンの福音書』を使って急場を凌ぐか)
「警戒しないで――席に着きましょう。話し合いはお茶会でするべきことだと吾輩は思います。心を砕いて、足も砕かれて、まだ足りないようでしたら、心臓も捧げましょうか?」
致死の傷を受けたはずの怪物は右手を胸の中心に持って行って、左手は合掌するように供えた。その合掌が本当に神への誓いを立てたものなのか、反転的に神への冒涜を暗喩したものか。青年には両者を兼ねて黒く見えた。
「心臓なんて要らないのよ。私とテルの邪魔しないで」
「邪魔だなんて、酷い」
子宮はスキルを発動させている。
【水銀の人外】どんな傷を受けても不老不死の化け物のようにその傷を恐ろしく治してしまうスキル。
子宮の垂れ流した臓物が蛇のように伸びていき、脚を形成する。それの中に骨ができ、臓物の柔らかさが消え、筋肉が骨の周りに形成され始める。男のモノとは思えない白磁器のような肌が最低限の筋肉を幕のように覆っていく。足の指や爪まで綺麗に生えそろい、五指を開いたり閉じたりして動作確認する。
「吾輩は邪魔する気は一切ないのです」
「既に邪魔なのよ」
「故意に、邪魔する気はないのです。まぁ、この様子ですと少し発散しないと話は聞いてもらえなさそう」
ズボンすらはいてない素足を冷たいコンクリートに立てて、二足で直立する。
彼の背後にあった網状のフェンスの間から幾つもの肉色の触手が待ちわびていたように顔をのぞかせた。
「俺の仲間はノラだけでいい。けれど、敵がお前みたいな不死の厄介者で助かったよ。殺す気でも死なないからな」
青年は手にある本を構える。少女は可愛らしく拳を握って構えた。
子宮は自分のスーツのボタンを外して、脱ぎ捨てる。
「純粋に戦うのも、熱くなりそう」
『箱庭物語』
著・晴羽照尊様
https://ncode.syosetu.com/n0585gi/
タイトル名から異本の名称等々、貸していただきありがとうございます!
追記・章のタイトルはスペルミスではありません。




