ライフ・オブ・メアリー・スー
殺される。殺された。
何度も。謎の方法で。星が輝いた。電波が走った。風が輝いた。テレビが落っこちた。
頭が砕けた。体が燃えた。血が凍った。四肢がもげた。温く、熱く、冷たく、寒く。
死だ。そして、再生だ。
ここはリアルじゃない。リアルはリアルじゃない。詰まるところに意味はない。
意味がないのなら、あの星空を見上げて死する僕とは一体何なのか。
崩壊の波。思考で包んだ自我の奥底。その旅。黒く染め上げられたエゴ。
死は輪転。生は臨界。飽和が枝分かれした思考をより分岐させていく。
無限の思考。死ぬ前に少年が考えた千万のことが再生成されたそれにも引き継がれた。
思考は汎全としたまま、統合の機会を与えられず、渦を巻く災害のように少年を溶かした。
何百の死。連続し、断絶する命の輪廻。
僕は僅かな思考の繋がりの中に行為の意味を見出そうとシステムを開いたり、閉じたり。
思考が消える。目的が途絶える。死。挟まる。死。だから、まともに。死。思考が。死。でき。死。死。死。なくな。死。死。る。死死死死死死死死死死死死志獅子獅子シ。
死。
死。
死死死死死。
死死死死死死死死死死死。
死死死死死死死嫉視志獅子志獅子死志獅子獅子死。
死死死死死死死死謗獅死。
死死死死死。
そうか――意味は死んだのか。
無限かと思われた思考は全て同じ結論に落ちた。
意味は死んだ。全ての行動は無意味であり、死ぬか殺すか、それすらも差異あれど意味はないのだ。
意図せず纏まった思考をキープしながら、少年は死という塵の中にまた埋もれていく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
世界は灰色だ。
あぁ、色があろうと、なかろうと最早意味などないが。
幻覚を映した僕の精神世界。空と地の違いすらもあいまいに感ぜられる。
砂漠の砂に顔を擦り付けるようにして、僕は振り子のように死と生の波にもまれつつ覚醒した。
「あぁ、そろそろ頃合いか。想定通りの壊れやすさだ」
閉じ切った視界の代わりに聴覚が冷徹な声を拾う。
片腕が引っ張り上げられ、久しぶりに体が地面と垂直になる。
脳がぐわんぐわんと歪む音がする。
「精神空間における疑似体験と言えど352回も死ねば、人ならざる境地に辿り着けるだろうか? なんとか言ってみたらどうだ」
レアが僕の頭蓋を鷲掴みにして持ち上げることで、全体重が首に掛かって頸椎がピシピシと音を立てる。
「…………た、す……」
声は今にも引きちぎれそうな喉に引っかかって出てこない。
はっきりしない物切れの声にレアはイラついて、衣から露になった耳を傾けて低い声で唸った。
「あァ?」
全てに意味はない。
ここで怯える意味も、殺す意味も、死ぬ意味も、意味は無意味だ。
圧し並べて平等に、無意味。
ならば、もう。これは笑えるほどに簡単だ。
僕は初めて意味を求める幾つもの怨霊の声を掻き消して、意味のないことを叫んだ。
けれど、叫ぶというには余りにもか弱く。風前の灯だった。
「僕は……皆を守りたい」
首を括って揺れる自殺死体のような有様で僕はそう思った。
脈絡はそれなりにしかない。今の状況を加味するというなら、中立を保つなり仕方なく行動を共にするならまだしも、『守る』というのはおかしいのかもしれない。でも、僕は『殺す』も『死ぬ』も否定した。選択しなかった。
ならきっとここで守りたいと思うのは僕の中では正しいのだ。
「イヒヒヒヒ! やっぱり、人のことを見下してる神如きじゃあ人は変えられねぇんだワ。なぁ、ロイ?」
同意を求めるようにエテメンアンキは頭蓋を絞めつけられている僕に向けてマイクを差し出した。
その顔は目も口も赤い三日月に歪んでいて、悪魔に相応しい。
向けられたマイクに応えるように僕は話す。
「僕は、変わった、よ」
「どこガ? オマエは可哀そうなままサ! 昔モ、今モ、これからモ」
「僕は……意味を求めるのは無意味、だと気づかされた……意味の呪縛から、抜け出せたんだ」
「はァ? 呪いが解けたァ? 契約に沿って奪われたオマエが――あァ、死んだからカ」
「意味に、躊躇しない――翡翠のように美しい神、レア。再三言ったように、僕は、あなたの神託を拒否する」
神託をまっすぐと否定する。
「神託を選ばない……我を崇めない、我を畏怖しない、我を讃えない、我に捧げない、我に服従しない」
空に浮くチェス盤がはじけ飛び、駒は片っ端から砕け散る。
神は怒りを隠さない。
神は苛立ちを以て見下す。
人はその様子を仰ぎ見ることはしなかった。
「そうだね。あなたは僕の神じゃないよ」
神のヴェールが剥がれてそこに怪物の姿が揺らめいて見えた。
電子信号の揺らぎから垣間見える複雑なドットの砂嵐のように姿を歪めて、本来の異形、名状し難き恐怖の形がこの想像宇宙にむき出されそうであった。
「お前のような、お前のような人間、ニンゲンンッ!」
美麗なその顔を鬼のように歪めてレアは轟雷のように僕を怒鳴りつけた。
「調子に乗るなよッ――ニンゲンがァァッッ!!」
怒りに任せて僕を空に向かってレアは投げ捨てる。
空気抵抗に全身を押されても勢いは衰えず、僕は反射的に体を丸めていた。
人ならざる力によって花火のように打ちあがった僕を全方位から空間が歪むほどの風が刃となって切り刻もうと飛んでくる。
ビュンッ――!!!
「あッ……」
――死だ。
――――?
死なない。目をきつく瞑ってしまってはいたが、未だに死を実感できずにいた。
死んだときのあの一瞬全ての思考が無に帰す感覚がしない。
ゆっくりと目を開けると、まず空が見えた。それからお椀型の何かが空中にたくさん。
アレって、パラポラアンテナ?
そう、巨大なパラポラアンテナ。
「マイクオーケー。ラウドスピーカーオーケー」
エテメンアンキは背から蝙蝠のような羽を生やし、頭――テレビの上面から同じく蝙蝠のような耳が生えていた。姿は人間と蝙蝠とテレビの混合体のような姿だ。
それが僕の身体を空中で持ち上げていた。
エテメンアンキの手前にはギンギラのモーニングスターのようなマイクが浮いていて、背後には後光の輪のようにスピーカーが回っている。その中央にパラポラアンテナがあるのだ。
一種の現代アートのようにすら見えるが、回転しているのは紛れもなく不可思議な力の籠った凶器である。
「神が否定されちまったんだかラ、俺が交渉するのしかねェゼ」
「我の邪魔をするというのか?」
「そもそモ、ここで殺したところで物理的な変化は全て元に戻っちまうだロ」
「御託を述べろなどと誰がいつ言ったッ! 悪魔風情は聞かれたことにすら答えられないのか」
「……邪魔になったらすまねーナ」
「胡乱な言い回しだ! 死に晒せ! いや、諸共消してくれるわッ」
怒髪天を突いたレアが空に飛び上がると両手を大きく鷲のように広げた。
そしてそれを顔の前で音を鳴らして閉じると背後から無数の光が星のように降り注いだ。
一々何とも鮮やかで見惚れてしまう攻撃ばかりであるが、その美しさに比例するように威力も即死級であった。
「ヒェ、さすがは元・星の神サマ。エネルギーほぼねーはずなのにエグイ技だすナ。それとも、この世界限定の大技か?」
尾をたなびかせる星々。
悉く全て僕とエテメンアンキを狙って直線状に飛んでくるが、突然軌道がずれて僕たちをかすりもせずに背後に消えていく。
流星群のようなそれらはまるでブラックホールにでも吸い込まれるようにパラポラアンテナに集約されていった。
「暫く神様とは決別するゼ。さぁ、ロイ、オレと契約しよウ」
レアが発する光や風、波の鮮やかな攻撃をパラポラアンテナで吸収したり、スピーカーから発せられる七色の光線で相殺しながら悠々とエテメンアンキは腕の中の僕に取引を持ち掛けてきた。
その表情、目は特にぐるぐると何重の円を描いたようで、口もⅤの字になってにこやかにしている。
「ぐぇッ……神様の次は悪魔。けど僕の答えはもう出てる、何度持ち掛けられても同じだよ」
どちらにも似通った思惑があるのだろうけど、それを僕が知ったことではない。
僕はもう思い出したんだ。あの可哀そうな岬を助けること、それが僕のしたいこと。
だからこんなところにはもういられない。神も、悪魔も、無意味で無価値な指針しか指示さないのなら、逃げ出す方法を考えなくては。
「オレはアイツとは違うゼ。オマエがオレの力を欲した時にチカラを使ってやル。レアの神託より1万倍いいだロ、どうだ?」
「どうだと言われても……まずはここから元の場所に帰りたい」
「元の場所? それはお前の本当の場所カ? それともあのゲームの渦中カ?」
「今はまだ、あの渦中に僕はいるしかない。何もないから」
七色の耀きが鋭い螺旋を描いて七度の聖槍として降り注ぐ。
それらが間一髪で躱され、地に刺さるとその色の爆炎を上げ、地表を焦土へと変えていった。
「釣れねェなァ、ぞんざいに扱われるのは慣れてるからいいけド。ここは宇宙とお前のエゴの積層空間だ――簡単に言えバ、オマエの想像を三次元的に広げた場所ダ。端から出れば見知らぬ宇宙二、ドアから出ればお前の肉体に戻れるゼ。外に出ても時間は1秒たりとも経ってないだろうヨ」
宇宙と自我の積層空間?
なるほど? 僕はどうやら思いのほか複雑怪奇、不明瞭な場所にいるらしい。
何度死んでも一条戻り橋の如く蘇られる場が混沌たる場でない訳がなかったな。
抱え込まれた腕の中から頭を逆さまに垂らして、地を見下ろすもエテメンアンキの言っていた肝心のドアとやらは見当たりもしなかった。黒目をせわしなく渦潮のように動かしすぎて、少し酔った。
「ドアなんてどこに――
言葉を遮って破壊音が神の怒りのように鳴り響く。
鮮烈な隕石のように空高く舞った何かが背後にあったバラポラアンテナをぶち壊した。
爆炎と爆音。瓦解するアンテナとマイクの輪を四方八方に飛ばし散らして、鮮やかな神が煙の中から獰猛に顔を覗かせた。
「余所見をするなよ。いくら我の力を抑止しているからと言って、我を侮り愚弄できるとでも思うたか?」
エテメンアンキは咄嗟に僕を抱えたままその場から飛び去ろうとしたが、かまいたちのような風が左翼の先端を切り落としてしまった。
バランスが保てずフラフラと滑空し出したエテメンアンキを追撃するように閃光が背後を穿とうとした。
小型ブラウン管テレビが即座にシールド代わりに現れては閃光を受け止めようとしたが、減衰するだけで貫通され、エテメンアンキの背に傷を刻印した。
「念じロ、鍵が手に入るイメージが大事ダ! それからそのままここから離れることを想像しロ、そしたら晴れてオマエは元の場所サ。鍵がある限りは自分から念じない限りはもうこの空間には引き込まれなくなるゼ、良かったナ! だが、決断と断罪の刻限から逃れられるわけじゃなイ。いずれオマエはまたオレ達と相対しなければならないことを忘れるなヨ」
羽を引っ込めて僕を地に降ろす。
それとともにまた波と光の美しい攻撃が飛び交う。屈折し、疾走するオーロラのような攻撃に目を奪われそうになる。
けれど、そんな見惚れている暇もないようにエテメンアンキは次々にマイクやテレビを出現させてバリアを張り直したり、合間を潜ってエレキネシスのように電流を走らせてレアを撃ち落とそうとしているが、レアが一度手を振れば追い払われたように逸れてしまう。
(鍵、鍵っ……僕にとっての鍵は――
一方的防戦渦中にいるが、僕は瞼を閉じて夢想する。
鍵とは何か。僕にとって世界を繋げる鍵とは。
それは形を持たない、だから明確に瞼の裏に転写はできなかったが、それでも自分にとっての鍵が何であるかは分かった。
煩雑な思念がごっそりと死んでくれたおかげで個人的に独善的に大切なものが見えている。
「最後のチャンスだから、言っておくゼ? チカラをくれてやル! チカラがあればオマエの望みは叶うゾ! オレと契約すれバ、あのゲームに勝ち残れるだけの可能性はあル。だが、それでもイラナイならもうオレは二度と迫らねーサ。どうすル? 最後のポイントだ、運命を分ける選択はやはり今だゼ!}
台風のような乱気流にいつの間にか僕たちは飲まれてしまっていた。
凄まじいこの渦もレアの行使する権能の一部なのだろう。
両手を一直線に広げ、全方位にスピーカーを敷くエテメンアンキだが、彼はもう壊れてしまいそうなノイズ交じりの声を上げている。
実際その顔はひび割れ、スーツには幾つもの焼いた槍で貫かれたような丸い穴が空いていた。
「契約……」
悪魔との契約。響きはとても淫靡。
健全たるはずの少年の脳裏に映るのはそんなイケナイ言葉であった。
台風は威力を上げて、視界を完全に遮るとともにスピーカーの結界を崩しかけていた。
限界が近いのかスピーカーのいくつかが風に巻き込まれ、全身をアイスピックで刺されたように粉々になりながら風壁の外に消えていく。
余裕のなさそうな隻眼とかしたディスプレイに悪魔の笑みを浮かべてエテメンアンキは神からの裁きを防ぎながら、僕の言葉に応答してくれた。
「あぁ、オマエが契約してオレを呼べば、いつでも力を振るってやル。こんな風に、ナッ!」
エテメンアンキの伸ばした腕の先。真鍮の爪が鈍く輝く指を曲げて指パッチンをした。
「神を打ち倒した発展の鎖をくれてやるゼ、【送電結界】!!」
瓦解するスピーカー。台風は壊れたダムのように勢いよくなだれ込み、僕たちを暴力的に絞り尽くさんとした。
しかし、縦横無尽に青い稲妻の走る送電線が蠢き実体のないはずの台風を絡めとっていった。風は痺れたかのようにゆっくりとなり、乱れ狂った雲のような流れの中に稲妻が走っている。
風雲の中に鉄塔、それを結ぶように送電線。
「オレはエテメンアンキ。かつてはメソポタミアの聖塔の神と呼ばレ、今は夢と希望を愛する悪魔だゼ」
シルバーマイクを乱暴に握り込み、壊れかけの声でエテメンアンキは言う。
夢と希望を愛する悪魔という名乗りに相応しく傷だらけの背中は雄姿を物語る。青い閃光が幾筋も停止した風の中に淡く存在していて、渦に合わせて巻き上げられてバリケードテープのようだ。
その『進入禁止』の結界に傲慢にも手を掛けて、引きちぎらんとする影が夜海のように浮かび上がる。
「波であろうと粒であろうと縛る結界か。我が鮮やかさをこのような縄で損なわせるなどと、不敬。不快。不愉快極まりない」
送電線を何本かまとめて引きちぎるレア。
いとも簡単そうに――とまではいかないようで、引きちぎる動作は重い。しかもその手の平は送電線に触れるたびクラゲに刺されたような火傷痕が上書きされていく。憤怒を帯びたかの神に侵入されるだろうが、それは今ではないらしい。首の皮一枚つながった気分だが、生きた心地がしない。
「あんなに強かったレアが抑えられてる……」
「決断の時は今、この瞬間しかなイ。オレの送電結界はアイツには焼き石に水、潮騒に砂城。時間は決してオマエを待ってはくれなイ。タイムオーバーは断りの合図だからナ」
「決断は……」
「オマエに今必要なことはオマエが一番分かってル。例え記憶を失おうともオマエの選択は間違っちゃいなイ。だから、言ってみロ。オマエの欲するモノ、オマエの振り払いたいモノ」
捲し立てるようにエテメンアンキは俺の手を握り込んで言う。
真鍮の爪が手の甲に食い込んで、鋭い痛みを与えてくる。それがこの甘い誘惑の中、唯一灯台のように理性を照らす戒めのようだった。
けれど、その戒めを眼中から外してでも、エテメンアンキの、悪魔のチカラが必要に思えたのだ。
外に出れば無力な僕。文章を綴るか、読むか。その程度のちっぽけな小説家に戻ってしまう。竜のように狂った鼓舞は真似できない。
遼のように命を賭けてでも守りたいものもない。
せめて僕にはチカラがあれば、その手伝いができるはずなんだ。僕は、僕にしかできないことをしたい。
「僕は――僕は契約するよ。誰にも負けない悪魔の力をちょうだい」
「OK! 契約は成立しタ! 鍵は既にオマエの手にあル!」
血の滴る手を放されて自分が握りしめていたものの存在を知る。さきほどまであるはずがなかったフワフワした今にも消えてしまいそうなソレ。
「なにこれ? 羽ペン?」
血に濡れた羽ペン。僕は青い光にかざして、羽を見た。
レアが送電線ではなく、鉄塔を引きちぎる姿がその半分からはみ出している。
「目を瞑ってそのカギの赴く方へ行くんダ。そうすれば、元の場所に戻れル。オレのチカラが必要になった時は『エテメンアンキ』とオレの名前を呼ベ! 契約は果たされル!」
エテメンアンキもそれを察して、殺気みたくスピーカーを背後に出現させて、マイクを握り込んでいた。
あと一歩で結界を越えようとするレアの全身に送電線が発情した蛇のようにぐるぐると絡んでいく。
エテメンアンキの最後の『焼け石に水』だろう。
案の定、送電線の蛇たちは一瞬にてレアに腹を引きちぎられて死に絶えた。
「ありがとう。けど、出来ることなら二度と会いたくないかな」
僕は感謝と皮肉を零してそのまま目を瞑った。
直後に熱波と轟音が僕の両脇をすり抜けていった。それがレアの一指だったのか、あの世界から僕が消え去る音だったのかは分からない。




