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ヘル・ザ・メアリー・スー


 夜の帳は降りた。静寂の中に、魔物のような嬌声が響く。


 そこは江戸、というのが一番手っ取り早いか。


 太陽は完全に姿を眩まし、欠けていない盃のような蒼炎の大月が夜空の真ん中に縫い付けられている。

 江戸時代の城下町のように古き日本の軒並みが現れ、遠くには薄霧掛かった城が見える。


 その舞台の真ん中にて蜃気楼のように揺らめく刀を携えたメイドと黒衣の王が対峙している。


 ここはナイのスキル、【大江戸幻夢境と千の貌のメイド】によって展開された小説の舞台、城下町・大江戸幻夢境。


 アンダーグラウンドな人々から人気を集めているハワード・フィリップ・ラブクラフトの書いた小説に出てくる幻夢境(ドリームランド)を基盤に和風要素を盛り込んだその作品。十八世紀頃の江戸を世界観の基本にしつつも「泰平の世」が存在しなく、クトゥルフ神話に出てくるような怪異と大きな満月だけが照らし続ける永続の夜、そのせいで町は常に飢饉状態。

 そんな絢爛なのは戦乱だけという殺伐とした夢世界にメイドが斬った貼ったをするという中々異色な小説である。


 しかし侮ることなかれ、その人気は書籍化には少し遠くともサイト内では結構好まれている方。


 そして、舞台はリスペクト元と同じく夢によって導かれる世界となっている。


 夢の世界であるならば――第六天魔王にも、冥王にも勝てる見込みはある。


「死神さんには似つかわしくない場所でごめんなさいね。でもここが私の独壇場。神田明神とニャルラトホテプのお膝元。縁結びも、厄除けも、厄結びもお任せ。大江戸幻夢境へ、ようこそおいでませ」


「神田明神に、ニャルラトホテプか……ネームバリューだけは凄まじいな」


「まぁまぁ、わかる口? 神田明神は本来はただの通称でしかないけど、この世ではれっきとした神様なのよ」


「中々凝った設定をしていそうだ。ジオラマとしてもう少し見ていたいが……」


「イヤイヤ、冷めたこと言わないでよ」


 『八剣の陣(やつるぎのじん)』から低く飛び出して、右手の刀から小日向に斬り入ろうとする。

 一歩一歩が乱雑で、でも力強くて、そんな粗雑でありながら艶やかな殺陣姿が西洋衣装に身を包んでいようともこの江戸風の街並みにピッタリ合った。


「続きといきましょうや」


「仕方ない。だが、鎌が斬られたら、もう私には戦う術がないとでも思ったかい?」


「いんや、まったくね。イイ感じの第二形態じゃないのよ!」


 黒衣の金の装飾部分が怪しげに輝く。それはまるで何らかのエネルギーが回路を巡るように。しかし、それを見てもナイは間合い詰めを止めない。

 

 「死を晒せ――『原初の邪眼(ザラキエル)』」


 ローブの金の装飾に走った光が血管を遡る血液のように足元から頭の方に向かって流れていく。首周りを円環に囲う装飾にまで流れると、一瞬小日向の髪の毛が逆立ち、その眼球が漆黒に染まり、その中に銀雪の如きフラクタルを見せた。


 小日向の漆黒の瞳孔が一層輝いたかと思えば、空間を歪ませるような波動が飛び出した。


 乙女心の勘の良さか、経験則による直感か。彼らが言うのだ、それは危ういものだと、近づいては心の臓が呼吸を止めると。


「――とりぃやぁぁぁぁああ!!」


 だから何だと乙女は腰を落して、乙女らしからぬ蟹股で目一杯刀に力を入れて振るう。空間を泳ぐその撓みを寸分違わず斬る。


 するり、と。儚く空を斬る。しかして、それは空振らず。


 刃が丁度空間を凪ぐように滑り込むと同時に悪霊が霧散するように有耶無耶に消滅した。


「波動だろうと魔法だろうと私の太刀筋は掬い上げるッ!」


 乙女、渾身の一撃を放った後にすぐさま逆手で柄を持って両手掴みで刀を翻す。


(無形攻撃でさえあの刀は斬れるというのか、中々厄介だ)


 人が予測するはずのない絶技にて屠ったつもりでいたのに、まさかそれすら斬られてしまうとは。小日向は渋く目を細めて相手の厄介さを再認識した。


 平行して波動を防がれた小日向がもう一度その邪眼でナイを射抜こうとするが、すかさず二の太刀で小日向の首を刎ねようと跳ぶ。


 ナイの動きの方が若干速い。


「跳べッ!」


 即座に視線は彼女の二の太刀を弾くために向けた。


「跳べッ!!」

 

 再度邪眼による波動がナイの左手の得物に向いて吹き飛ばそうとする。


 不可視の弾丸。

 空間の淀みに色はなく。見通す視線に形はなく。されど一点に至る。


 一刀を交えるような波動に、刀は容易に形容しがたい重圧に刃を包み込まれて折られかけた。このまま重圧を無理に切ろうとすれば動きに隙が出るだろう。


「跳べェェッ!!!」


 今度はナイはその波動を斬らない。両手で硬く握っていたはずの剣を波の力に任せるように手放したのだ。


 戸惑いなどない。

 武士や侍の矜持があったところで勝利を阻むなら、意味は無し。


 捨てた刀の代わりに空中を握りしめると、そこから妄刀夢国が出現し、がっちりとナイの右手に納まる。そして、流麗に右手の刀を両手に握りしめて、食い入るように力強く叩ききった。


「食いなァ! エルムルスゥッ!」


 鬼だ。

 苛烈に燃え上がる鬼が対峙していた。


「ふははははははッ! これはまずいなァ!」


 鬼神がナイに宿った。

 燃え上がる心の炎を幻視させるほどの迫力でナイは己が為すべきことを為さんとした。


 エルムルスの頭上からいっきに股下まで、鬼神すら震わせる轟轟の剛力を両の腕に宿らせて、唯一の刀に全身全霊、血の一滴漏らさず、魂の全てを集中させ叩き込む。


 神速にて刀身の残影が稲妻のように滲む。


 曰く、それは剣の道を冒涜する技である。


 曰く、それは剣の戦いを否定する技である。


 曰く、それは剣の頂にて存在する技である。


 非道な『刀飛ばし』、卑劣な『番外二刀』、戦術的な前者二つに比べて、この技はナイの受け継ぐ流派でも技と言えるモノ。


 冠する名は『全砕き』。


 人体、刀、山、海――星さえも砕く破砕の最終奥義。剣による防御を超過。受け流すことさえ許さない圧倒的暴虐を体現し、破壊する。

 馬鹿力は薩摩の示現流に由来するか、否そんな高名な流派がナイのソレ――『番外氷坂流』に関わっているわけがなかった。


 だが、ナイはやり遂げた。


 狂人の夢を、空論を、幻想を、ここに降ろしたのだ。


 今。

 切先が、全てを。




「切り落とせェェッ!」





「死を超えろ――『愛しき人を殺す剣(デストルドー)』ッ!」




 一刀捨ててまで放った重々しい一撃は、鎌と同じシリーズを表すように黒い鋼鉄の西洋剣にて受け止められた。轟音が鳴り響く。その音一つで空が落ちそうな程、炎の柱が天に伸びそうな程苛烈な一撃は当たってもなおその障害を穿たんと、果てへと進もうとする。



 だが――斬れないッ!



 小日向はその剣の柄を片手で握りしめ、もう片手で面の部分を抑えて上からの衝撃を防いだのだった。


「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」


「うぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!」


 だがその重圧は剣をすり抜けて小日向の肉体の関節部全てを踏みつけるように軋ませた。死神に変生した体でなければ、背の柱が粉々になっていただろう。

 

 小日向は受けきった。あの轟雷の一撃を止めた。

 その過程で彼が失うべきだったものは人間だった時の命によって清算されていたのだろう。

 彼はその手の焼けるような感覚と、全身の骨が砕けるような鈍痛のみを支払い、どうにかこの刹那を生き抜いた。


 だが、小日向は感じる。自分は負けた。

 彼女の情熱はスキルでは差を埋められない。彼女の一撃一撃に込める思いに人間としての質で負けた、と。

 誰が明言したわけでもないのに、小日向は内なる自分が語り掛けてくる自己嫌悪的な言葉に胸中嫉妬の炎を爆発させていた。


「……私の視線を文字通り斬り、人であることを放棄したような剛腕を使う、まるで森の賢者のようだな」


 傲慢に小日向は語る。数刻前とは違う異質な存在に変貌しながら。姿には兆候は表れずとも、その精神性は歪んだ神に近づいていく。


「褒めよう、讃えよう、栄誉を送ろう。たゆまぬ研鑽が君のその異色にして異質な――道と呼ぶことすら憚れる流れを紡いだというのなら、それを奇跡と呼ばずして何というのか。あぁ君の努力は報われている」


 競り合いの最中でも、そんなことを言う黒男のことをナイはいけ好かないと、睨んだ。


「世辞はいらないわ。ここに存在していいのは勝つか、負けるか、死ぬか、生きるか。それ以外に必要な言葉も想いもありはしないのだし」


「そうか。正直なところ私と君には歩み寄れる、私はあの少年たちを殺されさえしなければ、君の行いを邪魔する気はこれっぽっちもない。今はこんな高揚する戦いを止めたくはないが、どうだ? 仲良くしよう? 頭を垂れれば、私はいつでも君を庇護すると誓うぞ」


 小日向はそう余裕そうな笑みを見せる。しかし、実のところ劇的な衝突と継続的な重圧により両腕ともに感覚が死ぬほどには痺れている。足腰も立っているのがやっとという、襤褸切れのような様だ。


「ったく、馬鹿じゃないの? 裸の王様並みの馬鹿ね。まったく理解していない! あなたとの勝負は楽しい、けど、それとこれとは別の話! 引き合いに出すまでもないわ! 興覚めさせないでちょうだいッ!」


「あぁ、そうだな。申し訳ないッ!」


 悲鳴を上げ始める肉骨を叱咤して、今度は小日向から剣を操る。

 死の欲動を意味する(デストルドー)を冠する剣。両刃にて長大のソレが縦横無尽に舞い踊る。


 圧し潰そうとしていた刀を今度は自分が滑らすように流して、大きく回すようにして上から斬る。

 ナイは両手に握りしめていた剣を捨てて、右手で拳を創るとそのまま剣を殴りつけた。


「フンッ!」


 鉄砲水のような掌底打ち。

 反動で押し返された剣と共に小日向の体勢が若干揺れる。

 代わりにナイは鋼鉄を殴りつけた拳が赤くジンジンと痛む。


 それでも止まらず。

 ナイは妄刀夢国をまたどこからともなく出現させて、右の手で逆手状に握り込み切先を小日向の肋骨の下あたり、内臓の溜まる腹に向けて打ちかまそうとした。


「大人しくッ!」


 もう一度原初の邪眼(ザラキエル)を使って吹き飛ばす。ギリギリ刀を逸らすことができたが、ナイは左手にも刀を出現させて腹をめがけて駆け抜ける。


「死ねッ!」


「二度は死ねないものだよ!」


 剣でのガード。すかさず、右の刀が迫る。


 幾ら刀を弾いても、相手は無限にして夢幻。何度もあの日本刀を創造しては斬りかかってくる。素早い上に狙いが尋常じゃないほど正確。


「裂け! 斬れ断て穿て貫け砕け猛れ高鳴れ狂えッッ!!」


 捨てられた刀の墓標が次々に乱立していく。


 二刀なりし無限刀を相手するのはなんと難しい。攻撃の手が弱まる気がしない。


 武道家としての強さ。小日向にはない真っ当な努力による強さ。それに小日向は羨望すら覚えた。尊敬の念を送るのに値する。ここまで、素晴らしいとは。

 


 この女――ナイ、とか言ったか。強いな。あぁ、こんなにも熱い戦いを盤上以外でできるなんて。



 私は――幸せ者だな。



「クソッ! 技を以てなお倒せないなら、数で押し切るのみッ! 歴史の影法師、過ぎ去りし戦の痕、夏草に消えた(つわもの)よ、二百年の過去より今日に帰り咲け!」


 詠唱が執行され、ナイは再び二刀で斬りかかる。

 上から、右から、突くように、伏すように。縦横無尽に駆け抜ける点と線の連撃を走らせる。


 速く、速く、追い上げる。


 小日向も次の武器を取り出そうとした。その時に気づいた。背後に魔物の気配。


「ア、アアアア……!」


「徳川、地獄二………!!」


「綱吉様ァ、綱吉様ァァア!!」


それは的中していただろう。いつの間にか、甲冑や和服を着たしゃれこうべの怪異が長屋から現れ、囲んでいたのだ。まるで笑っているかのように下顎骨を震わせて、カタカタと骨の音を鳴らしているのが不気味だ。


「はははッ、このしゃれこうべたちは犬でも蹴って処刑されたのかッ?」


 余裕そうに軽口をたたきながら、侮らずにしゃれこうべどもの頭蓋をその大剣を振り回して粉砕していく。声も出ずにしゃれこうべの骨があちらこちらに飛び散りだす。



 この場面。何と言ったか。適した言葉があるだろう。

 項王の軍、垓下に壁す。その一節。思い出したぞ。これが四面楚歌というやつか。



 いや、しかし。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 江戸などという過去の世界。過ぎ去り、風化し、歴史にその名を刻んだ時点で、それは()()。だから、落そう。冥府の暗がりへ。


 ボゴリボゴリ、と世界の外側から泡の音がした。





やっぱりニャルラトホテプじゃないか!

神田明神は神じゃないんや。そして、徳川綱吉の世らしいですね、ニャルちゃん――ナイちゃんの小説。ドリームランドだからどうせ徳川・ムーンビースト・綱吉とかになってそう。

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