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夜―オババの家

「――というわけで、オババ。こちらがガマ殿だ」

「全然わからん」

「だから、こちらがガマ殿だ」

「そこの丸いのが、『ガマ』というのはわかった」

「わかっているではないか?」

「あー……もう、ええわい」


 日は完全に沈み、空気が黒くにじむ中、ガマを抱きかかたマルが走ること数刻。

 森の中を深く掻き分けた先、ひっそりとたたずむ一軒家にガマとマルは居た。

 二人を向い入れたのは、煤けたローブを羽織った老婆――マルが『オババ』と呼ぶ――家主であり、マルを支える支援者の一人だ。

 戸がたたかれるたびに家が上げる悲鳴へ恐怖し、あわてて扉を開けたオババの目に飛び込んできたのは、丸い塊を抱きかかえた満面の笑みを浮かべた――思わず、『見せたがりか!』とオババは叫んでしまった――裸体にドロを塗りたくった大女。

 何がどうしたのか自身の混乱を解消するため、戸口で声が大きくなるにまかせ、立て続けに問いただすオババへ、マルは『食事はあるか?』と返事にならない返事をして、ガマを抱きしめたまま家の中へとオババごと押し入ると、やっとそこでガマを降ろした。

 そこでやっと、マルは何があったのかを、一方的に説明を始めた。


「『呪いが解けた』……のう」

「うむ。この通りだ」


 むき出しの大きな胸をブルンッと揺らして、マルは鼻高々にオババへ言い切る。

 マルを下から上まで、上から下まで、間違いを探すように視線を歩かせると、オババはじっとマルの足を見詰めてから「ふむっ」と一つ呟いてからこう続けた。


「確かに人の姿ではあるが……ちょっと、足の裏を見せてみろ」

「こうか?」


 オババの言葉のままに、マルは足を蹴りあげ――なかった。

 マルは身を捻ると、右かかとを跳ね上げて、足の裏をオババに向ける。


「森野中を走って来たんじゃろ?」

「うん? そう言っただろ。ボケたか?」

「ボケとらんは! 一応確認しただけじゃ」

「ヤッ、ヤメッ、やめてくれオババ。くすぐったい」

「我慢せい。直ぐ済む」


 晒されたマルの足裏へオババは手を伸ばすと、自分の指を押し付けたり、マルの足指を曲げ伸ばしたりを繰り返す。


「もうよいぞ」


 少しといってもそれなりの時間を掛けていたが、マルはかかとを上げた片足立ちで居続けたのにも関わらず、微塵も揺らがずいたのは流石というべきか。


「土汚れはあるが、傷らしきものは見当たらない。むしろ赤子のような柔らかさだ。『祝福』は今もあると思う」

「何? では、まだ私は毒の塊なのか? でも、姿は戻ったぞ」

「たぶんな。あの姿について、以前言った事を覚えているか?」

「『呪いではないから、解呪は出来ない』、か?」

「そうだな。お主が受けたのは『祝福』であって、『呪い』でないからな。それもそうだが『なぜ人の姿が崩れたか』だ」

「私の気合が足りないから」

「違う」

「根性が足りないから」

「違う」

「覚悟が足りないから」

「違う。まったく、足りないのは頭じゃったか」

「頭が足りないからだったのか。 何か、ガマ殿。……ガマ殿は、本当にお優しい」


 ポンポンとガマに呼ばれたマルは、かがんでガマの高さに合わせる。

 すると、ガマはポケットから油瓶を取り出して、マルのおでこに油を塗り始めた。


「いかな英雄たる者でも、人の子。与えられた『祝福』は、人の形に収まるものではなかった。と言うことだ。で、それが件の薬油か。ガマ、ガマ殿と言ったか、今更だが私は、」


 マルのおでこをポムポムと叩いていたガマは、名を呼んだオババへ顔を向けるとわかっていると名を呼び返した。


「そう、『ばばあ』。違う! もう『オババ』でよいわ。ところで、その薬油。大変貴重な物とは思うが、ちょっと見せては頂けないか?」

「オババ! ガマ殿?」


 ガマを試すようなオババの要望に、マルは思わず声を荒げた。

 例えるなら、全財産が入っているであろう財布を、渡せと言っているようなものだ。

 動機はともかく、それを口にすることは、まして大恩あると感じているガマへそれを向けられた事は、マルにとって許容できる事ではなかったようだ。

 ただ、『それはマルにとって』は、だ。


「自分で言っておいてなんだが、おぬし、本当によいのか?」


 何を構える事も無くガマはポンと、オババの前へ油瓶を置いていた。


「余程の馬鹿か、大物なのか」

「凄いだろう」


 ガマの視線に合わせ屈みこんでいたマルは、勢い良く胸を振り上げて立ち上がり、オババへ鼻高々に言う。


「なんで、お前が自慢気に?」


 ガマは二人のやり取りを、目をパチクリとして見届けていたが、何か満足するものがあったのか、口角を両方を上げて、プクプクの肉球のような指を二本、ピコっと立てた。


「それよりも、何時まで素っ裸でいる気だお主。さっきから、その無駄に大きい塊が右へ左へ動いて目障りだ」

「何を言う、無駄に大きくは無いぞ。形だって整っている。容姿には少し自信があったのだぞ。大きいと鈍いとか言うが、感度もいいんだぞ。本当だぞ。証明してやろう。ガマ殿、ちょっと触ってみてくれませんか」


 ガマはマルのお願いに、自分の手を見詰めると、躊躇無く短い腕を伸ばしたが、


「図体ばかりが大きくて――これでどうですか」


 つま先立ち気味しても、大して高さの変わなかったガマの腕は、マルの胸に触れるというより、“突き上げる”若しくは“引っ掛かりを探す”ような感じにしか出来なかい事に気がついたマルは、前かがみに――視界にまとわり付く横髪を耳に掛けながら――身を倒した。

 ガマは、コクっとうより、プニっといった感じに一つ頷くと、やはり躊躇無くマルの胸に腕を伸ばす。


「どうで、」


 次の瞬間、数多の雄の理性というブレイカーを強制的に落とす咆哮が、マルの口から放たれた。


「なんちゅう声を出しているんだ。発情期か何かか。人の身で」


 ペタンと完全に腰砕けになって、いわゆる女の子座りになったマルは、乱される息の間を縫いながらオババへ告げた。


「す、すまない。はしたない事をした。少し、時間をくれ」


 マルの人柄なのだろう、そんな状態でもオババの顔を見て話す。


「そうしてくれ。今の顔は見てられん」


 オババは、苦虫を噛み潰したような、不快とも、羞恥とも、困惑とも違う、なんともいい様の無い顔を、マルから背けた。


「ガマ殿。お気持ちは嬉しいが、今は触れないで欲しい」


 ガマの座り込むマル頭へ手を伸ばす初動を感じたマルは、先んじ制す。

 ガマはそれに返事をせず、黙ってしゃがみ、マルの顔を覗き気遣う。


「はあ……もう、大丈夫です。どうだ、私の胸は鈍感ではないだろう」


 先程のシーンを再生したように、マルは胸を振り上げて勢い良く立ち上がる。


「胸を張るのか、恥ずかしがるのか、どっちかにせい」

「さすがに先ほどの醜態は、いかに私でも恥ずかさを覚えるぞ。でも、ガマ殿に触れられたのが特別だったのだろうか……そうだ、」


 マルは『これは妙案』とでも振り仮名を付けたくなる目を見開いた高揚した顔をオババに向け、一言。


「オババも揉んでもらえ」

「馬鹿かお主!」

「はい、ガマ殿。お願いします」


 オババの間髪入れない返答はどこ吹く風、自分を指差すガマに、マルはお願いする。


「これ、や、やめんか」


 ガマはプクプクの指を、ワキワキというより、もきゅもきゅさせながら、オババへ事も無く踏み出した。

 普通なら逃げればいいだけだが、年齢的にありえない状況にオババの思考はオーバーヒートのようだ。

 結果、ガマの伸びる腕を払うことも出来ずに、後ずさる拍子に後ろにあった椅子へ尻餅をつき、ついにその魔手に掛かった。


「やめっ、おほ?」


 オババの肩が。


「これは、気持ちよいの。まったく、驚かせるでないわい。肩もみなら、そう、言わんかい。しかし、確かに、この妙に弾力のある手で揉まれるのは、なんとも言えぬな。木の棒で叩くのと比べようがないの」

「ははは、オババ。老人の胸をまさぐって、大の男が楽しいわけがないだろう?」

「うるさいわい。年のことを言うなら、お主は婆も婆だろうが」

「む、確かに年齢は重ねているが、この肉体のどこに年を感じるところがある」

「今だ素っ裸でも、平気な処じゃ。乙女ではないの」

「な、私はまだ乙女だ。殿方にこの肌を許したことなどないぞ」

「はん。強すぎて男が尻込んだと、祖母から聞いておるぞ」

「違う。私に見合うだけの男がいなかっただけだ。そうだ。そうに違いない」

「なに勢いで言った言葉に、救いを求めておる。と、ガマ殿」


 マルとオババが盛り上がっている間も、黙々と肩を揉みつづけていたガマの手へ、オババは手を重ねる。


「ありがとう、随分楽になった」


 ガマはオババへ、腹の虫の鳴声で答えた。


「そうそう、食事を求めて来たのだったな。たいした物はないが、このお礼はしなくちゃね。お?」


 オババはいつものように、ソロリと腰をいたわりながら椅子から降りたが、自分の身体の違和感に思わず声をあげた。


「腰が痛くない? 左膝もだ。なんだ。なんだこれは。はは、はは」


 始めはゆっくりと、次第にそういう運動のような速さで、膝の屈伸や腰を伸ばしたりねじったりを繰り返す。

 何年振りの身体の快調に、オババの口から自然と笑いが零れる。


「これは、お主のおかげなのか?」


 オババに見られたガマは、なんとなく自分が凄い事をしたような雰囲気を感じ取ると、鼻息を一つ突いて、ピースサインをする横で、「よかったなオババ。ありがとう御座います」と、マルはお礼を述べていた


「しかし、肩を揉まれて足腰とは……ん? これは、油か?」


 自分の肩に当てた指が滑る感触に、その手の指同士を擦り合わせながら、『そういえば、さっきマルの額へ塗っていたが、その手をのままだったか』と、その油の出所を探しだした。

 オババは、不意に瓶へと伸びかけた手を、伸ばさなかった手でやっとのことで引き戻すと、声を絞り出すように口を開いた。


「ガマ殿……この油はどこで。どこで手に入れなされた。この瓶もさることながら、この効能。さぞや貴重な品とお見受けする。簡単に言えることではないだろうが、そこをなんと、へっ『商店街で買った』? 『百ブヒ』で?」


 オババは目を閉じて、ガマの言葉の理解に勤める。


「百ブヒというのもがどれ程の高額なのか、わしにはわからないが、そうか、買ったものなのか。どこに行けば、『行き方がわからない』? そうか。買ったものならば、作り方は存知あげないか……は? 知っている?」


 んーと、オババのお願いに答えようとガマは、間違い探しのように眉間にシワを寄せて悩んでいたが、答えられることがあったことに、ぱっと表情を明るくして、大きく息を吸い込んだ。


「なんじゃ? 『さ~さ~』?」

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