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森の中

 夕方と言うにはまだ早く、十分に陽の明るさが残る時間。

 ここだけは、一足早く日が沈んでいた。


「くっ、この化物にも、通じる、毒を作り、出すとは」


 森の中、木々が深く、光を妨げているその場所に、強烈な悪臭が吹き溜まり、


「長年仕えた結果が、これか」


 そこに何かが、横たわっていた。

 それは、美しい白銀の鎧をまとった、それに見合う以上の美貌の女騎士。

 本来なら桜色の唇は、青味に染まり。透き通るような肌は、白蝋のように白い。

 ただそれなら、『何か』ではなく、『女騎士』と言えば良い。

 それだけなら、だ。

 人として認められるのは、左半身のみ。

 他は、その手の耐性の無い者には、絶対に見せられない光景があった。

 不快な印象を与える濁った緑色の肌は、何に隠される事もなく頭、胸、腹、腰、足の全てを晒さらしている。

 人では無い『何か』な、右半身。

 しかも、左半身に着けられた鎧の縁を右半身に直接鋲で打ち付けて固定されている。


「この程度、死なない、としても、今、襲われるのは、」


 緑の肌は溶けだした蝋のようにただれ、四肢の原型を留めているだけに過ぎない。

 さらにその肌はどこと言わず、あかぎれのようにひび割れ、赤く血をにじませている。


「……ふふ、笑えるな。一人が、永過ぎたか。こんな時でも、独り言とは、くっ」


 荒い呼吸に合わせてひび割れた肌が更に深く裂け血を強くにじむ。

 と、次に泡がゴポゴポと二つ三つと傷から現れ、弾ける。

 弾けた後には、不思議な事に傷がない。

 しかし、ふさがった肌が引きつらせ、新たにその直ぐ傍へ裂傷が生まれていた。

 それが、絶え間なく緑の肌のあちこちで繰り返されている。

 大抵の者が拒絶を示すだろう醜悪さは、見目麗しい人の半身をもってしても、いやだからこそ『人』とは認識できないだろう。


「誰か、いるのか?」


 その『何か』は、急に誰かの存在をふと横に感じた。


「人? でよいのか? すまぬ、目がかすんで」


 良く見えぬ目で、人と理解できたのか不思議だ。

 なぜなら、その人物は一言で言えば『球体』だった。

 では、なぜ人物と言えるのか。

 それは、学生服と呼ばれる服を身に着けているからというのは、少し乱暴だろうか。


「ともかく、直ぐ、、離れよ。死ぬ、ぞ」


 球体は、左手を前に伸ばした格好のまま、逃げるでもなく、騒ぐでもなく、じっと『何か』を見詰めていた。


「もの珍しいのなら、後でいくらでも……。いいか。この臭いは、私の毒が乾いた、ものだ。嗅ぎ続ければ、命に関わ、る」


 球体は、言葉の意味を理解していないのか、じっと治りは裂ける肌を見詰めていたが、その視線を少しずらした。


「何をするっ。触れるな! 手が、おち、るぞ! なんだ?」


 突き出した左手の平に載っていた小瓶の蓋を外すと、鼻がないのか近づくだけで目にきそうな悪臭を気にする素振りも見せず、『何か』の横にしゃがんだ。いや、屈んだ? 縮んだ? 潰れたがもっとも近いか?

 ジクジクとした奇怪な肌に、小瓶から指ですくい上げた油をゆっくりと塗り始めた。

 なんだろう、ちょっと子供が砂遊びをしているような雰囲気で、だ。


「痛みがないぞ!」


 どうやったのか、『何か』は叫び声に合わせて文字通りに飛び起きた。


「これは、どういう事だ。その瓶――私にも効果があるほどの癒しを……なるほど、本当なら私に触れればその手が落ちるところが、私に塗りながら、自身の手も癒していたのか。ふむ」


 『何か』は、一人うんうんと頷き納得している。


「しかし、このあたりに漂っていた毒霧も晴れているな。なぜだ?」


 一方的に話続けている事に『何か』は気がつきいたのか、一呼吸を置いた。


「ああ済まぬ。命の恩人を前にして失礼した。私は――私の名前は、マエロル。家名は廃れた。過去『純白の騎士』と呼ばれ事もあるが、今はただの化物だ」


 威厳を放ち、慈しみと高潔さが形となった声音とともに、化物はそこにあった。


「私にも効く薬か。さぞ高価なものなのだろう。それを何の躊躇もなく使うとは、」


 塗っている間も、『球体』の左手に載り続けていた小瓶を一瞥してから、『球体』へ女騎士は言葉を続ける。


「差し支えなければ、教えていただけないだろうか?」


 女騎士は、『球体』に正対し、足を揃える。

 大きい。

 正しい相対の姿勢であるが、女騎士の身長は百九十に届くだろう。『球体』の方は、よく見積もっても百五十無い。

 両者の今の立ち位置では、悲しいかな、良すぎる姿勢は見下しているようにしか見せない。


「ガ・マ? 油? ガマ殿と言われるのか。そうか、それは薬油――軟膏の類だっか」


 聞きたい事が聞けたことに、女騎士は目を閉じて反すうする。

 ガマと呼ばれた『球体』は、特に否定も肯定もしない。わずかに頭が傾いた気がするが、気のせいと言われればそうかもしれない程度だ。


「ガマ殿。このたびの礼を何か――としたいのだが、さてどうしたもの、か、痒い?」


 自分を指差す『球体』――ガマの前で、女騎士は身をよじる。

 治癒の直後だからと気に留めていなかった右半身の熱が、ジリジリからピリピリと尖った刺激へ激変していたのだ。


「なんだ、痒い! 痒い! 痒い! 痒い!」


 不快な緑色の肌が傷つくこともいとわず、むしろ、削り取るように女騎士は爪を立てていく。


「貴様! 追っての者だったか。クソっ。殺す! が、この痒さは我慢ならんっ」


 色の抜けた元緑色の肌が、ごそっと剥ぎ落ちた。


「私が崩れる?」


 痛みを求めるように、肉を抉り掻くそれは、化物の肌ではなく、肉を毟り取っていく。


「油断した。その誠実な眼差し。凛々しい口元。その見た目に! あ……」


 毒づきながらも、掻き毟ることを止めることが出来ず、ますます深く鋭くたてていた爪が、決定的な何かを引き剥がしたのを、女騎士は自覚した。

 歴戦の騎士も身体が崩れるという未知の体験に、恐怖が思考を凍てつかせる。

 黒く塗りつぶされた心に抗えず目をきつく結ぶと、視覚を閉じたがために、よりはっきりと自身の半身が軽くなっていくことが理解できてしまう。

 嗚咽をこぼし掛けたその時、不意に左半身も軽くなった。

 何がと考えたが、重たい金属――半身の鎧が地面に落ちた音に、思わず硬く閉じた瞼が見開かれる。

 骨がむき出しになった身体が、想像とともに視界に重なると恐怖したが、


「え?」


 そこには、陽に晒されたことのない、女騎士の無垢な双房があった。


「私のなのか」


 足元には、破壊された石膏像の破片に似たものがごろごろを転がっている。


「んっ。……この感じは、間違いなく私だ。そして私の手だ」


 女騎士は目に映る乳房を掴むと、掴んだ自分の右手を疑いの目で確認した。


「治った……治ったのか? 近くに水辺があっただろうか。なんとか今の姿が映る場所を、うん?」


 お尻に、やわらかい塊がぽんぽんとあたる感覚に視線を送ると、ガマが女騎士をたたいていた。


「なんだ? 座れというのか? これは鏡?」


 ガマは、屈んだ女騎士へ制服上着ポケットから、鏡つきのエチケットブラシを開いて与えた。

 女騎士は、右に捻り、左に揺らし、自身の身体を小さな鏡で確認すると、


「治った。治ったのだ。これは、これは! なんと、なんと。ガマ殿!」


 声を張り上げ、ガマへ片膝をついた。


「なんと、なんと礼を述べればよいのか。本当に、本当に。なんと……」


 興奮が抑えきれず、涙混じりになって女騎士は言葉を続けられないでいると、ガマはぽんぽんと頭を撫でた。


「お優しい。有難うございます。お恥ずかしい姿を、お見せしてしまいました」


 撫でたガマの手をとると、女騎士は手に包み込んだ自身の額に押し当てた。人の温もりを確かめるみたに。

 それも直ぐに終わった。

 ガマから鳴くのが面倒になった梟の声。


「これは、失礼致しました」


 ガマが自分のお腹をさする姿に、微笑を浮かべると、女騎士は立ち上がらずに続けた。


「まずはお食事を。少し離れておりますが、粗食なれど腹を満たすことは出来ましょう。そもそも、ここに居続けることは、得策ではありませんし」


 ガマが頷くを見届けてから、女騎士は立ち上がる。


「では、直ぐに参りましょう。 なんですか?」


 何か言いかけたが、ガマは何か困っている。


「ああ、私のことはどうぞ、『マル』とおよび下さい。ガマ殿」


 ガマは頷くと、ぽんぽんとマルの太ももを叩く。


「あ、確かに。裸ではよろしくありませんね。んー、では」


 マルは、おもむろに地面から草を抜いた。

 それを服代わりにしようというのだろうか? その大きさはどう頑張っても、手で隠すのとそうは変わらないが。

 マルは、土がつく抜いた草の根を、自分の身体に擦りつけ始めた。


「よし。これでいいだろう」


 土が付かなくなると、また草を抜いてと繰り返していたマルが、そう言って立ち上がると、胸とお尻周りにドロ塗っただけの姿を作り上げていた。


「どうですガマ殿。これなら遠目からなら、裸に見えないでしょう?」


 マルはドヤ顔で語るが、ガマは黙って首を振った。


「なぜですガマ殿。妙案だと思ったのですが」


 ガマはマルのお尻をぽんぽんとたたいてから、自分の首後ろに腕を伸ばす。


「ああ、なるほど。では、申訳ありませんが背中も塗っていただけますか。すみません。あ、お尻まで。誠にかたじけない」


 ガマは背伸びをしてマルの背中にドロの帯を書くと、顔前にあるお尻の塗りむらを直してやる。

 よくわからないが、ガマはいい仕事をしたとばかりに、ご満悦だ。


「では、ガマ殿。私に負ぶさって――いえ、失礼します」


 マルはガマを正面から抱き上げると、


「行きます」


 素足なのを気にせず、暗い森の中で疾走を開始した。


「ガマ殿、不都合がありましたら直ぐお声掛けください」


 豊かな胸に作られた深い谷から、ぷはっとガマは顔を出すとうんうんと頷いて、マルの胸を揺らした。


「では、スピードをあげますよ」


 ピンクの風が草木を揺らした。

 速い。正に風の如く。人一人を抱きかかえているとわ思えない速さだ。夜目が利き、動体視力も相当な者でなければ過ぎたのもが人とわかるか疑わしい。

 ただこの速さもだが、ガマを抱き上げるのなら、身体にドロを塗る必要は無かったのではと、疑問を覚えるのは野暮だろうか?

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