第7話
翌日。瞬く間に介人の被害の話は広まり、それを伝えられたクラスは騒然としていた。
「カイ君…が」
椅子に座っているのに、可菜香の身体はふらりと横へ傾いた。
ショックで真っ青の可菜香は教室の床に倒れる。
「お、おい!」
「加賀っち大丈夫!?」
教室は更にざわめきのボルテージを上げる。
「HR始めるぞ、静かにせんか。なんだこの騒ぎは。ひとまず落ち着け、落ち着け」
担任は無神経にもざわめきに静寂を与えようと奮起していた。
そんな大人をクラスの過半数が睨み据える。
「な、なんだ」
「オッサン無神経過ぎ」
「最っ低、そして最っ悪」
クラスには介人のことだけでなく、担任への非難の騒ぎまで加わっていた。
「加賀…平気か?保健室…」
亮はその喧騒に加わらずに可菜香を心配した。
「だい…じょう、ぶ。大丈夫だから…びっくりしただけ…」
そう言いながらも可菜香の手は小刻みに震えていた。
「『だけ』ってお前…」
「………」
この騒ぎが収まるまでには数十分掛かった――。
放課後、HRの終了とともに、可菜香は荷物をテキパキまとめ始めた。
「加賀、俺も行く…」
俺も、というのは、これから可菜香がやることをきちんと理解しているから言えた。
「石橋君…」
「風戸先輩たちもこの事件は今朝の新聞でとっくに知ってるだろうしな。早く誘ってみんなで行こうぜ」
「…うん」
可菜香と亮以外にも、上級生の三人娘も当然行くことになっていた。三人も可菜香たちを連れ出そうとしてたらしい。
「やっしーのいる病院ってここから近いんっしょ?」
沙紀が事件について学校側から配られたプリントを見る。
下部には『舞津市立総合病院』と書かれていた。
「そうっす。歩いて15分ってとこっすかね」
亮が答える。
「…亮君、やっしーは…大丈夫かな?」
「………」
真理は不安を隠しきれない。亮は今度は答えられなかった。
「…風戸先輩?」
可菜香は隣で歩いていた由奈の顔色を伺った。いつもの由奈の色は無く、知らせを聞いた瞬間の可菜香のように、青く、紫がかかった色になっている。
「…頭部の強打による出血…意識は取り戻したものの…精神や脳の障害の可能性は捨てきれない…犯人はまだ逮捕されてない…」
どうやら由奈は今朝の新聞の内容をブツブツ復唱しているらしい。
「…介人…どうしよう、どうしてこうなっちゃったの…どうして…」
声はそこで途切れた。可菜香が由奈の手を握ったからだ。
「…先輩。カイ君は、きっと大丈夫です。きっと…」
由奈は、先程までの極度の緊張状態を解くことが出来た。
「………強いね、可菜香ちゃん」
「そうですか?」
「最初ショックでぶっ倒れた奴が強いとは、到底思えないがな」
亮が口を挟む。
「もうっ!石橋君!」
可菜香は照れ隠しに怒ってみせた。
「すまん、悪かった」
このやり取りを見た上級生三人娘は誰もが笑いをこぼした。
そして、急に沙紀が可菜香に話を吹っ掛ける。
「そういえばさ、やっしーの奴、最初はぶすくれてたよね?ねえ、可菜香ちゃん?」
「え、ああ…多分。少し近寄りづらかったような…。私も入学初日はカイ君だってわからなかったし」
「でしょでしょ?それをそこの由奈女史が変えたんだよなぁ〜♪」
ね♪と話を振られた由奈は戸惑った。
「へ?あ、まあ…ね」
「風戸先輩が?マジっすか?」
「本当だよ。亮君も、可菜香ちゃんも聞いた方がいいよ」
ね♪と今度は真理が由奈に振る。
「ぅえっ?」
さっきまでの心配はどこへやら。親友にそそのかされ、由奈は介人との出会い、そのごの経緯を話すハメになった。
「いや、あのね…そもそも介人に会ったのは、昼休みの中庭でね…」
その後、対人恐怖症のことも含めて由奈は洗いざらい(?)話した。
今度は少し暗めの空気が辺りを漂う。
「…カイ君、そんなことがあったんだね…」
「私らも対人恐怖症のことまでは知らなかったよ。由奈はそんなこと一度も言ってなかったし」
沙紀は珍しく気分が冷めていた。
「で、でもさあ…介人も結局それは治ったわけだし。最近じゃ心にも余裕が出来てきてるし…。だから卒業ってことで」
「その対人恐怖症の克服もよく頑張ったよねぇ…愛するやっしーのためかな?」
沙紀の何気ない呟きに可菜香と由奈は同時に驚く。
「ふぇっ!?」
「なっ!?沙紀!なんでそうなるかなっ?私は…介人は、大切な友達として…その…」
「二人が付き合ってるとか、一時期噂もあったんすよ。男子の間で」
亮が余計なことを口走ると、真っ赤な顔の由奈はビンタでその口を叩き塞いだ。
「おぶっ!!」
「ないないない!ありえないってば!」
沙紀はそんな慌ただしい由奈をほかっておいて言った。
「あはっ☆やっしーはいい友達持ったなぁ〜。私も入ってるけどね」
実際そうかもしれない。
そんな気の優しい友人たちは全員、介人が元気であることを願いつつ、病院へと向かうのであった。
「…カイ君、入るよ」
可菜香がドアを開けると、上半身を上げて頭に痛々しく包帯を巻いた介人以外に他の誰かがいた。
「あら、介人のお友達?」
おそらく母であろう女性だった。
「…よかった、思ったよりやっしー元気そうじゃん」
「おばさま、はじめまして。私たち、やっし…じゃなくて谷嶋君の友人です」
真理が丁寧な挨拶を済ませると、介人の母は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「あら、そうなの…。最近息子が随分変わったと思ったら、みなさんのおかげだったのね?」
「あ、まあ…そうかもしれませんけど…にへへ」
由奈が照れ隠しに頭をかく。
「わざわざお見舞い、ありがとうね」
「どうなんすか、具合は…」
亮がそれ聞いても、状況が悪くなることはなかった。
「傷は思ったより深くはないらしいの。怪我をしたのが額だったから出血は多かったけど…。今ではすっかり元気よ」
これで全員肩の荷が下りたのは間違いなかった。
「ほら、介人、友達来てるんだから挨拶しなさい」
母が促す。が、介人がそれに従うことはなかった。
「…帰ってくれ」
「え…?」
「か、介人…?冗談きつい…」
由奈がおどけたように言うが、
「帰れって」
介人は無感情に言うだけだ。
「こら介人…!………ごめんなさい、みなさん。息子が失礼を…」
頭を下げて謝り続ける介人の母。
「…カイ君…一体どうしたの?」
「…」
介人は何も言わず、帰れと目で告げるだけである。
「…みんな、一旦帰ろう。今日はなんかダメだったんだよ、きっと」
由奈が寂しそうに言うと、介人がベッドシーツを握り締めるのがみんなにも見えた。
「…介人、頼み事があったらなんでも言ってね。いつでも来るから」
「あの…みなさん、ちょっと廊下で待っててほしいの」
「…?はい…」
介人の母の頼みを聞き入れ、みんなは病室を出た。
「……」
みんなが無言で病室を出た後、介人はベッドにもたれた。
「…介人、なんで友達にあんなこと言ったの?」
「友達じゃない。ただの顔見知り」
「…怪我、一体誰にやられたの?意識が戻ってから全然何も話してくれないじゃない」
「…だから知らないっての」
介人はうざったい母から遠ざかるように窓側を向くように寝返りをうつ。
「…まさか、あんたが知ってる人がやったの?さっきの友達の中にいたりしないわよね?」
「違う!」
疑われた瞬間、声を荒げた。
「…ごめんなさい。でもね介人、あんたはね…前の頃のあんたに戻ってる」
「前…?」
「ほら…早瀬さん。あの時のあれがあった後…あんた他の友達全員とも絶交したじゃない?」
「………」
事実だった。実際問題、介人の携帯電話のアドレス帳には、もう可菜香たち以外は存在しない。
「あの頃とそっくり…友達、またみんないなくなるわよ?」
「……」
少しの沈黙を了解ととったかはわからない。が、時間の都合上で介人の母は席を立たなければならなかった。
「…じゃあ、お母さん行くから」
介人の返事を聞けぬまま病室を後にした。
そして空になった病室の中で、介人は天井を見上げる。
(…もう嫌だ。どうせああなるくらいなら、友達なんかいない方がいいんだし)
この気持ちに嘘はない。
…はず。
しかし、介人の心には虚無の風穴が空いていた――。
その後、病室の外で介人の母がみんなにあることを話していた。
「…あの子ね、前に辛い事件があったの」
「それって…親友にバットで殴られたっていう…」
「ええ…。そう、みんな知ってるのね。でもね、その親友って、女の子なのよ」
「えっ…女の子!?」
亮が一番だったが、もちろんみんなも驚いていた。事件のことについては聞いても人物までは知らなかったし、普通は男の親友は男だという固定観念があった故である。
「早瀬蓮さんっていう名前でね…。あの子の親友と言ってもいいくらいだったし、介人も早瀬さんには好印象を持っていたの」
「でも…あんなことが」
「ええ…。今回も何かそういうもののせいなのか…あの子、どうやら心を閉ざしてしまったみたいで。犯人はまだわからないままなの。介人が話してくれないから」
介人の母が重苦しい表情になる。
「……あの子は、友達に恵まれているのか、いないのか…わからないわね」
「おばさん…」
「…ごめんなさい、愚痴っぽくなって。うちの息子のお見舞い、ありがとうございました。懲りずにまた来てくれると嬉しいんですけど。…あの子のために」
と、頭を下げる。
「き、来ますっ。私、何度でも来ます」
いの一番に可菜香が身を乗り出す。
「…ありがとうございます」
再び頭を下げる介人の母。
「俺だって今度は姉ちゃんや妹、弟たちを連れてくる」
「…由奈ちゃん」
「来るっしょ?」
亮も可菜香に続き、沙紀と真理も由奈に目配せする。由奈は親指を立てて応えた。
「もちっ♪」
「…ありがとう、みなさん。…あの子はちゃんと、友達に恵まれていたのね…」
この日、初対面だった介人の母の目には涙が浮かんでいたのが見えたのだった――。
それから毎日のように、介人の病室には人が訪れていた。
「失礼します」
「おいーす」
一週間後。真理と沙紀の訪問は通算三回目であった。
「また来たんですか…」
介人は欝陶しそうに寝たまま背を向ける。
「ねぇ、やっしー…やっぱり、もう友達とは思ってくれないの?」
「私たちだけじゃなくて全員だかんね」
「…くどいですよ。昨日と四日前も言いました。先輩たちだって、いつ俺を裏切って何をするかわからないって」
介人はシーツを握って言う。
「…同じことばかりでごめん。でも、友達にそんなことしないよ、絶対」
「やっしー、いい加減にしなよ。私らが本気でそんなことするように見えるの?疑ってる?」
さっきより強い口調の二人。
「疑ってます」
それに対して、躊躇なくハッキリと言い切った。
「な…このバ…!」
怒りにまかせて介人に何か言おうとした沙紀を真理が止めた。
「……嫌い?私たちも…由奈ちゃんも、可菜香ちゃんも、亮君も?」
「……」
今度は答えなかった。
「…本気で由奈のこと嫌い?」
それに一つ小さな溜め息をついて、ふと沙紀は話し出した。
「私さ、今はラブラブだけどね…実は誠のこと、最初は大っ嫌いだったんだよ?」
「…?」
意外だった。あんなにも寄り添う二人からは、そんなことは全く感じ取れなかったからだ。
「…そうだったよね。沙紀ちゃんは誠君避けてたもん。それが今ではああだもん。由奈ちゃんのおかげで」
「由奈さんが…?どういうこと…ですか?」
「にゃっはー。内心、私が一番驚いてるよ。…最初ね、誠が私に告ってきたんだけど――」
――あれは去年の秋ぐらいかな?
誰もいなくなった教室で、誠は一言、
『二宮さんが好き…なんだ』
と言ってくれてさー。今思えばなんであそこでOK出さなかったか、ホントに自分が信じられないよ。
『あっそ。私は別に好きじゃないんで。じゃーね』
でもね、誠は諦めが悪くて、それから色んなアプローチをしてきたの。
『僕がやる』
大掃除のゴミ捨てや、
『手伝うよ』
面倒な委員会の仕事。
『いいから、休んでて』
誠は一つも弱音を吐かずに、懲りずに私によくしてくれた。
まだ好きになってなかった私は、ただ面倒事を片付けてくれる奴だからラッキーだと思うしかしなかったんだ…。酷いっしょ?
『沙紀、誠君は本気であんたが好きだよ。何が気に入らないの?』
『そうだよ。あんなに一生懸命な、それも尽くしてくれるような男の子、中々いないと思うよ』
由奈も、真理もそればっかりしか聞かないしね。
『べっつに興味ないの。そんだけよ。それに尽くすって言ったってあいつが勝手にやってるだけでしょ?』
『わー真理、ここにツンデレがいるよ』
『あ、はは…』
まったく、真理も否定しないしさー。
『沙紀。誠君の顔とかが気に入らないならもう何も言わないけどさ、少なくとも違うでしょ?』
『………』
もちろん違ったよ。誠は顔は悪くないもん。
ただ、何故か誠が偽善者に見えたのかもしれないな…。
何の見返りも無しに人に優しくしてくるから、自然と誠のこと疑っちゃったし…。
『沙紀、最初は避けてたじゃん?でも最近はこんな感じで憎まれ口も叩いてるし、もう好きになってたりしない?』
『ないない』
『…素直になりなって。今時いないよ、心の底から優しい男の子って』
…で、こんな風にこのまま時間だけが過ぎてくと思ったんだ…。
ところがね。
ある日の帰り、私が暗い夜道を歩いてたら、知らない男に襲われそうになってさ。
『ちょっ、止めなさい!警察呼ぶからね!!』
本っっっ当に怖かったよー。電車の外でも痴漢っていうかわかんないけど、無茶苦茶に身体触られて…。抵抗しようにも包丁持っていたから…。
『あ……っ………んっ…』
『そ、そろそろ…挿れ…』
“ヤッちゃう”一歩手前でホントにもうダメだ!と思ったら…。
『やっ…誰か助け…!!』
『いてっ!』
『…?』
地面のコンクリにカツカツ何かが当たるから見たんだ。
石ころだったんだよ。
『当たった!!誠君、そこっ!!』
由奈が投げた、ね。
『っ!』
で、次の瞬間、誠が犯人蹴り飛ばしてくれたの。そしたら臆病者だったからか、犯人はすぐに逃げてった。
こうして私は助かったわけ。『……どうして』
『風戸さんが呼んでくれたんだ。襲われてる二宮さんを見つけて』
違う。私が聞きたかったのはそれじゃない。
『私…あんたのことフッたのに、嫌ったのにさ…危ないのにどうして助けに…』
『あ…そっちか。…それは…そのー…』
『好きだからでしょ?ま・こ・と・君?』
由奈が代わりに言ったのは今でも覚えているよ。
『…』
そっか…。本気で好きだから、こんなに勇気が出るんだ、誠って。
なんて考えたら、何だかね…私も好きになっちゃった。
『あ、ありがと…。ごめんね…誠…あの返事、やっぱり取り消す』
『え?』
『…だから、付き合お?』
「というわけ」
「………」
介人はいつのまにか身体を起こして沙紀の話に聞き入っていた。
「由奈がいなかったら誠もそこに来なかったし。本当に感謝してるのよ」
「……」
「いつも友達のこと優先で考えてくれてさ…。いくらなんでも、由奈は友達を裏切るような真似はしないし、できないって」
にかっと笑いかける沙紀。
それに続くように真理も微笑む。
「だから、やっしー。せめて由奈とは友達でいてよ」
「お願い…ね?」
「…………」
――結局、介人は何も返事を返さず、二人に帰るように頼んだ。
「…また来るね」
「死んじゃだめだぞ?」
死ぬ程の怪我じゃない。
だが、普通に考えれば冗談でも言ってはいけないこと。ボケのつもりだった沙紀だったが、真理に笑顔でほっぺたをつねられていた。
「ご、ごめなひゃ!いいふぎまひた…」
謝罪を聞いて真理はよろしい、と手を放した。
「…無理して来ないでくださいよ」
介人は突き放すように言ったつもりだった。
つもり、だったのだが。
「『無理して』だって。逆に気を遣われちゃったね」
「?…おー。なーる、そういうことなの?」
介人との面会の間は少し元気のない笑顔だった真理は、やっとのように素直に微笑む。しかしながら、ほっぺたがヒリヒリする沙紀はイマイチ気付かなかったみたいだ。
「また勝手な解釈…」
「…なんか安心した。みんなが嫌いになったんじゃないんだね」
文句も聞かずにそう言い残し、真理と沙紀は病室を去った。
「…調子狂うな…あの二人は」
人と話したくないはずなのに、いつのまにか時間は談話で埋められていく。
今、無茶苦茶で大きな矛盾を持っている自分が本当に嫌だった――。
(どうせ仲良くなってもまた…)
介人はベッドの上で仰向けに姿勢を直し、天井を見上げる。
(…みんなを嫌いになるつもりなのに…)
目頭が熱くなってきた。
(なんでみんな…俺に優しくするんだ……なんで…)
入院してから三日後の当時。真理と沙紀がまだ病室に一回しか訪れてない頃。
「介人…入んぞ」
ノックの後、一人しかいない病室に亮に続いて数人が入ってきた。
「あ、介人兄ぃだ。頭ぐるぐるー」
「痛そう…」
一度しか会っていないが、顔と声は覚えていた。
石橋家の双子の佳代と佐代、それに…。
「おいっす、介人アニキ」
「こ、こんちは」
同じく双子の浩二と健二だ。
「…石橋…」
「まだいる。今回の説教役な」
亮が、ドアを見ろと言って顎をしゃくると、今度も一度しか会ってない女性が顔を出してきた。
「はーい。お姉ちゃんでーす♪」
亜矢であった。まるで教育テレビのお姉さんみたいに介人に手を振っている。
「…」
その場は二組の双子を含め、静かになる。
「姉ちゃん…すべったぞ」
「あら、残念」
亜矢はそれほど残念そうな顔もせずに入ってきた。
「お見舞いに来たの。ついでにお節介」
「説教の間違いだろ?」
「あら、わかる?」
亮のツッコミに今度は嬉しそうに反応する。
(まったくのんきな…会いたくないのに…)
介人は黙って亮たちがいる方向とは反対側を見つめる。
「さて、時間がないからさくっと話すわね。…ほーら、こっち向いて」
亜矢が介人の両頬を掴んで自分に向けさせようとする。
「っ!!」
介人は無意識に全力で亜矢の手を弾いた。
「はぁ…はっ…はぁ…」
直後、急に心拍数は高まり、息は荒くなる。おまけにめまいや吐き気までしてきた。
介人は知っている。人一倍、この感覚を。
「対人恐怖症、直したはずよね?…戻っちゃったの?」
さっきまでにこやかだった亜矢が真剣な目つきになる。
「ど…こで、それを…ぉえっ」
吐き気が喉まで来そうになるのを必死で抑える。
「介人お兄ちゃん、大丈夫…?」
佐代が小さな手を介人に伸ばそうとする。だが、長女の手がそれを遮った。
「佐代、ちょっと外で待っててね。…浩二と健二と佳代も。少し介人お兄ちゃんとお話があるから。亮、ちょっと佐代たちを見ててね」
「姉貴、早く終わらせてよ」
「行こ、佐代」
「ほら、行くぞお前ら」
双子たちは亮の誘導に素直に従い、廊下に出る。
亜矢はそれを見計らってから口を開いた。
「…対人恐怖症のことは谷嶋君の先輩と亮、それに可菜香から聞いたの。なるほど、初対面の握手の違和感はこれだったのね」
「ごほっ…そ、それは…」
まだ息が調わない。それに構わずに亜矢は話し続ける。
「…どうして話してくれなかったの?私はともかく、可菜香にも黙ってるなんて…。あの子は幼なじみなんでしょ?」
「今のところ…それすらわかってないんですよ」
「…そう。でもそれは今はいいの。今日は少し違うこと話しに来たから」
「…?」
「可菜香のこと、嫌いになったの?帰れ、だなんて…」
介人は答えずに黙り込む。
どうしても答えられなかった。『嫌いになったの?』という問いには。
「可菜香ね、こっちに引っ越してきてからはよく遊ばないし、気持ちが弱い子だったのよ。病気がちでもあったしね。でも、あることがきっかけで変わったわ」
「あること…?」
「夢島って本。この本に聞き覚えはないかしら?」
「あ…」
いつか、記憶のフラッシュバックに映った出来事。
病気がちの女の子に、本を読んであげたこと。
その本が、夢島であったこと。
「お姫様は気が弱くて、自分に自信が持てない。それを、一匹のウサギが救ってくれた。ウサギは、お姫様に色々教えてあげた。世界のこと、難しいこと、元気になる方法、笑い方…」
亜矢は夢島の内容をすらすらと取り上げていく。本もないのに、完璧に内容と合致していた。
介人も、亜矢の話が本物と一字一句違わないことを思い出してきていた。
「…そして、お姫様はウサギが好きになってしまいました。…実は、ウサギもお姫様が好きでした。その想いは、いつか二人を繋げ、二人はずっと…一緒に暮らしました」
「……同じだ」
「…ある日、泣いている可菜香にこの本をあげたの。そしたらなんて言ったと思う?」
「………」
介人は驚いていたので質問に返事が出来なかった。
「『カイ君が読んでくれた本だ』って…」
「…あいつが…」
「カイ君のことを聞いたら、大好きな人だよ、って素直に言ってたわ。だから、私言ったの。泣いてるばかりじゃ、カイ君に笑われるよって。そうしたら可菜香、泣き止んで笑ってくれたわ。…わかる?カイ君、あなたが可菜香を元気にしてくれたのよ」
「…」
どう言ったらいいかわからなかった。
なぜなら、介人の記憶は未だおぼろげで、今の記憶の人物が可菜香とはハッキリと言えないからだ。
「そして、好きだって気持ちは変わらず、お姫様はここまで来たの。そしたら会えたのよ、ウサギに」
亜矢は介人の近くに手を付き、真正面から言った。
「…可菜香のこと、本当に嫌い?」
「…か」
介人は今更自分の意志を曲げたくはなかった。しかし本気で一瞬、気が緩みそうになった。
(…何やってるんだ俺は。誓ったじゃないか、誰とも関わらず生きてくって)
友達なんかいらないって。
全員を突き放して…誰が、いくらそれを許してくれると言っても、自分は自分に対してそれを許せるはずない…。
「帰って…ください」
顔を背けて言った。
「…そう、わかった、帰るわよ。でも、もう少し待っててね。…亮、いる?」
廊下にいた亮を呼ぶと、亮は待ちくたびれたように再び弟たちと入ってきた。
「…ほら、お前ら」
亮が弟たち四人の背中を軽く叩いてあげる。
弟たちは少し恥ずかしそうに後ろに何かを隠しながら介人の近くへ寄った。
「介人アニキ、ほいっ」
「どうぞ…」
双子の弟、浩二と健二が同時に折り紙の鶴を二つ渡してきた。
千羽鶴ではなく、二人で一つずつの鶴。その無骨に折られた鶴は病室の蛍光灯に反射していて金色と銀色に輝いていた。
「こいつらが作ったんだ。大好きな金と銀の折り紙使って」
二人がそれを介人の脇に置くと、恥ずかしそうに亮の後ろへ隠れた。
その次は妹たちが前に出る。
「介人兄ぃ、元気になってね」
「…読んで」
佳代と佐代は二人でひとつの贈り物だった。
介人の膝に置かれたそれは、平仮名で『ゆめじま』と書かれた絵本だった。
「これ…」
「佐代があげたいんだって。谷嶋君に。佳代も好きなのよ、その本」
「……介人お兄ちゃん」
佐代が介人の近くで顔を見上げる。
「…ん?」
「カナお姉ちゃん…昨日、寂しそうだったの。大丈夫って言ってたけど…元気なかった」
介人は、帰れと突き放したことに罪悪感が芽生えていたのは十分承知だった。
だが、それを後悔するくらいなら、それこそ友達はいらないものなのだと思った。
佐代はべそをかきそうに目を滲ませ、介人のベッドのシーツを握り締めた。
「お兄ちゃん…カナお姉ちゃんのこと、嫌いにならないで…」
「………」
介人は、佐代の頭を撫でて安心させることも…ましてや声をかけてあげることも出来なかった――。
翌週の月曜日、その放課後。
可菜香はどうにも心に落ち着きのないまま下校していた。
勉強も、絵本のシナリオを考えることもままならず、ただひとつのことが心配で心配でたまらなかった。
「おい、あの制服、どこのだ?」
「さあ…県外から来てるんじゃねえかな」
「何の用事でだよ?」
そんな聞き慣れない会話を耳にし、話の中で男子学生が指差す方向を見る。
校門の所に一人の女子が立っていて、誰かを待っているようであった。
「あれ…?あの人」
可菜香は制服に見覚えがあった。
(確かカイ君がものすごく怒ってたときの…)
今見ているその学生はあの時とは印象が違った。
あの時はぐったりしてて落ち込んでいたように見えたからであり、今はその様子もなく、普通の表情であったからだ。
「……」
「あ、いた」
学生は何かを見つけると、そこへ向かって小走りに走っていく。
「え?ええっ?」
何故かそれは可菜香のいる方向だった。
可菜香は急いで後ろを振り向くが、学生と可菜香の延長線上には誰もいないので自分以外の誰かに向かっているのではないことがわかった。
「加賀さんだよね?それとも風戸さんかな?ちょっと話、いい?」
「え、あ…あの…」
「俺、早瀬蓮」
…男勝りの口調なんか気にならなかった。
『早瀬蓮』という名前を聞いた可菜香の心にはいくつもの感情が混じり、こんがらがったまま渦巻き出した。
「早瀬…さん?」
「そ。歩きながらでいいから話しよっか」
可菜香は戸惑ったまま蓮の後へついていった。
「…話って何ですか?」
「ん?たいしたことないよ。下手なことしてなければ――」
同時刻の病室で、介人は苦悩していた。
ここまで拒絶してるというのに、みんながいつまでも構ってくれるのが不思議でしょうがなかった。
「…ほっときゃいいのに…俺なんか」
呟きが口を突いて外へこぼれた。
ふと、脇に置いてある石橋家のお見舞いの品に目が向いた。
(…金と銀の鶴か。小さい頃、俺も好きだったな、金銀の色の折り紙)
介人は夢島の絵本を手に取り、開く。
(お姫様とウサギか…。あの可菜香がお姫様だなんて考えもしなかった。で、俺がウサギか。……違うな。俺はこのウサギほど立派じゃない。結局友達を捨てた酷い『人間』なんだ…)
こんこんっ。
「?」
と、病室のドアから昨日とは別な調子のノックが聞こえた。
「入るよ」
そう言って入ってきたのは一番見慣れた人物だった。
「…由奈さんか」
「ほらまた、初めて会った日みたいにそう露骨に嫌な顔しないの。勝手に話して帰るから」
相変わらず、ちょっぴり強引にこちらへ近づいてきた。
「…またアレですか、『みんなのこと嫌いになった?』って」
「そうじゃないよ。待って、心の準備するから…」
由奈はその質問には答えずに、突然深呼吸を始めた。
すー、はー、と静かな深呼吸を一回だけ終えると、由奈は介人の顔を見て言った。
「…私、介人のこと、好きだよ」
またいきなりの展開に、作者自身も驚いてます。(この展開は書きはじめの段階では構築されてなかったので)
介人との友人関係の復活を願い、様々な形で心に触れようとする友人たち――。
可菜香の前に現れた蓮、何の理由で可菜香と話をしたいのか――。
由奈の突然の告白、その真意は――?
さあ、介人の心の物語もいよいよ『次で最終話』です。
長かった…。のんびり書き続けたせいもあるけど、初めて挑んだオリジナルの作品は本当にストーリーの構成から人物のイメージまで、何もかもが難しいのだと痛感した。
この駄文を温かく見守ってくれている方々に捧げる最終話、心待ちにしててください。




