第6話
翌朝。
介人は酷く寝不足の状態で登校してきた。
「谷嶋、はよー」
「おはよ」
クラスメートに挨拶を返していき、ようやく自分の席にたどり着いた。
「ふぅ…」
まぶたを擦り、机に突っ伏す。
昨夜、介人は蓮のことばかりを考えていた。
絶対に許さないと誓った人物。
唯一憎しみをたぎらせている人物。
その心の片隅で、介人は何故か昔の蓮の笑顔ばかりを思い出していた。
(友達を殴る奴は…友達じゃない)
それでも、彼女に対する介人の大部分の認識は『悪魔的な憎悪を抱くべき人物』でしかなかった。
「あの制服…この辺りじゃ見ないな。一体どこの…」
「よっす、介人」
亮がたった今着く。そして荷物を置いたらまず真っ先に介人の席に来た。
「石橋…」
「眠そうだな?今朝のニュース見たか?」
「いや…」
その今朝はちょうど見る気も失せていた。
この日の介人は、朝食は食べたが、それきりは学校のこと以外で何もする気すら起きなかった。
携帯電話も今は電源を切りっぱなしである。
「通り魔、また出たらしいぞ」
「通り魔…?先月の初めくらいに出たあれか?」
その事件は介人の入学式の翌日辺りから報道されていたが、犯人は未だ捕まっていない。
「犯人な、どうやら女らしい。あと、全部の事件が被害者の頭に打撲だってよ」
「そう言ってたのか?」
その問いに亮は頷く。
「ふーん」
「何にせよ、そいつは馬鹿だよな。どうせ殴りたくなったとか、くだらない理由だろうし」
「だろうな」
二人が話を終えて少し経つと、可菜香が入ってきた。
「石橋君、カイ君、おはよっ」
「はよ」
「ぁ…」
介人はすっかり忘れていた。可菜香を怒らせたような気がして、今日謝っておこうと思っていたのを。
「ぁ……かな…」
「カイ君、昨日はありがとう。手伝ってくれて」
「え…」
可菜香は怒るどころか、昨日の仕事の手伝いに感謝していた。
「何やってたんだよ」
「図書室の本の整理。ちょっと悪戯があったから手間取りそうだったんだけど、カイ君が」
「ほー」
亮が少しにやついた目で介人を見た。
「何だよ」
「いやぁ別に」
別に、の目では決してない。
「それより、お前も答え出せたのか。塚原先輩のこと」
「ぐ…」
亮の表情が一瞬にして苦悩へと変貌する。
「ああぁそうだったよなぁ…一体俺はどうすれば」
亮は頭を抱えながら席に戻っていった。
「悩んでるね、石橋君」
「…何を悩んでるんだろうな」
二人も不思議に思っていた。
少なくとも、見た目に問題は見つからない。ルックスも釣り合いがとれている。
真理は亮を気に入ったとすれば、亮が拒まない限り上手くいくはず。
しかし、肝心の亮が何かに悩まされている以上、明確な答えは聞けそうにない。
「……何かあったのかな」
「…かも、な。……?」
と、校内放送を告げるチャイムが鳴った。
『1‐Cの谷嶋、1‐Cの谷嶋。今すぐ職員室に来なさい』
それだけ言うと、放送は終わった。
「俺…?」
介人は急いで自分の記憶を探る。
…何も悪いことはしてない。
となると、何故…?
「谷嶋、何かやらかしたのかよ」
近くにいた萩野が茶化した。
「何もしないって。行ってくる」
介人は小走りで職員室へと足を運んだ。
すぐに着いた職員室では、何やら妙なざわめきがあった。
それが気になりつつも、介人は戸をノックして開ける。
「失礼します」
「おお、谷嶋。お前に面会だ」
呼んだのは担任だった。
「大事な話らしい。遅刻扱いにはしないから、ゆっくり話してこい」
「誰ですか?その人は…。…!」
介人は朝から嫌悪感最大の相手と出くわした。
「………」
早瀬蓮…だった。
彼女の様子は悪化して見えた。今は俯きの角度といい、足取りの遅さといい、昨日より暗くぎこちなかった。
「谷嶋。第ニ会議室が開いてるから、そこでな」
担任はそう言って職員室を出た。これからクラスのHRだろう。
「……第ニ会議室だろ、来いよ」
「………」
蓮は何も言わずに俯いたまま、介人の後ろについていった。
二人が歩く会議室までの道のりは短いのに、本当に気まずく、嫌だった。
廊下で何度か、蓮がちゃんとついて来てるか介人が振り返る度に、蓮はビクッと肩をすぼめて後ずさっていた。
そして着いた会議室は、誰もいなくて、話し合いには絶好の場所であった。
「………」
「………」
向かい合って座ったものの、蓮は口を開かない。
やむなく、介人から聞くことにした。
「で、また謝りに来たってか」
「…そうだよ」
「そっちがわざわざ学校休んでか。ふざけるな、許さないって言ったろ」
一言毎に怒りが比例して募っていく。
「じゃあ…どうしたら」
ボソッと呟いた蓮に対し、介人は机をとんでもない強さで叩いた。
「ひっ…」
「どうしたらじゃない!許さないって言ってんだから、お前も諦めて帰れよ!!」
「ご、ごめん…ごめんな…俺…ごめん…ごめんってば」
蓮の目から一瞬にして涙が溢れた。俺に殴られると思ったのか、両手で頭を庇っている。
こんな様子は、『あの一件』が起きる前の蓮では想像もつかなかった。少なくとも、運動が好きな熱血、且つ活発な元気娘という性格だった。
こんなにも変化しているのも、言うまでもなくあの頃が原因だ。
「泣くな。何度も言わせんな、泣いても許さないって」
介人は容赦なく言葉を叩き込む。そして最後に、
「もうあの時のことは忘れてろ。あと、二度とここに来るな」
と言って席を立った。
「…谷嶋」
「………」
呼ぶ声も聞かず、介人は会議室から去った。
後から微かに聞こえる啜り泣きにも動じずに…。
教室ではHRがちょうど終わったばかりだった。介人が入ると、亮と可菜香がいの一番に尋ねに来る。
「よ。何だった?」
「くだらないこと」
本当にくだらない。
それは介人だけが…当事者だけが思ったこと。
「ふーん」
亮は特別深くは聞いてこなかったので、介人は少し安堵した。
「可菜香、何か大事な連絡あった?」
「ううん、特には。一時限、音楽だから移動だよ」
「わかってる。ちょい待ってて」
やがて昼休みに入り、可菜香と亮がお昼を誘いに来た。
「よぅ」
「一緒に食べよ」
「おう、もちろん」
この挨拶も、もはやいつも通りになっていた。
近くの机を寄せて、各々が昼食を広げる。亮と可菜香は家族の弁当、介人はコンビニのパンだった。
「お前またパン?」
亮が不思議そうに言う。
「またってなんだよ。昨日はおにぎりだったけど」
「いや、そうじゃなくて…お前ん家のおばさん、弁当作らないのか?」
「作らねえよ。家は親父もいないし、昼とかはパートで忙しいからな、作ってもらうと手間かけさせちまうし。大丈夫、別に困ってはいない」
介人の言葉に、可菜香はうーん、と渋る。
「でも、買い弁ばかりだと体に悪くないかな?」
「平気だろ、一食くらいは」
「そうかな…」
会話の最中、廊下から走る足音が。
「わっ!?」
ガラッ!!といつになく強めに開けられた教室の戸から、由奈が出てきた。
「………」
由奈は『よーす☆』の明るい声も無しに、不機嫌そうに介人を睨みつけた。
「あ…こんちは、由奈さん」
「…ちはっす、風戸先輩」
「こ、こんにちは」
可菜香と亮はそんな様子にビクビクしながらも挨拶をかけた。
「介人…ちょっと来なさい」
普段聞いたことのない、低い声。介人は由奈の不機嫌の原因がわからなかった。
とりあえずは席を立って、由奈と一緒に廊下に出る。
「何ですか、由な」
最後まで言い終わらない内にゴツン、と脳天に握られた拳が下ろされる。
「いだっ…!」
「電話もメールも無視して、おまけに約束も忘れて平然とお昼ご飯とは…介人くんも随分生意気になったみたいで、非っ常〜にお姉さんムカついてます」
「電話とメール…?…約束………あっ!!」
色々不愉快なことがあったせいか、介人は記憶から二つのことが抜けていたのをすっからかんに忘れていた。
一つ。昨夜から携帯電話の電源を切りっぱなし。
二つ。対人恐怖症の卒業祝いに、由奈に購買のコロッケを二つ奢るという約束。
「あ、あの…これには深い訳が」
「そう言う人って、ほとんどがたいしたことない理由だって…知ってた?」
本当に深い訳があるのに、理不尽なことだ。
「ご、ごめんなさいっ!」
介人は覚悟して頭を下げた。
「……まあ、介人は嘘つくような男の子じゃないし、今回は許したげる」
が、由奈はまたもや以前のように、すんなりと許してくれた。
「電話もメールもしない状況なんて、何か…あったの?」
「…いえ、何も」
介人は話す気にはなれなかった。
(由奈さんのことだ。蓮のことを話したら、俺と仲直りをさせようとするかもしれない)
この時…介人は初めて、由奈に隠し事をした。
(何があろうと許す気はない)
「ふーん…わかった。で、お昼一緒にいいかな?」
「それはもちろん」
「にへ〜、いい返事♪あ、コロッケはまた明日でいいから」
由奈を引き連れて教室に戻ると、まだ戸惑っている可菜香と亮がいた。
「あれ、普段通りに戻ってる…?」
「先輩、もう終わったんすか?」
「まーね。お昼、私も一緒に食べるよ♪」
その後は妙なぎこちなさも無く、いつもと同じ時間が過ぎていった。
放課後。可菜香は介人と共に下校していた。
五月だというのに、春にしては少し暑いくらいだった日和。
放課後になっても、まだアスファルトの熱は冷めていなかった。
「数学の時、何読んでたの?」
「ライトノベルだよ。浜田が気に入ってる作品だから借りたんだ」
「だめだよ?そういうことしちゃ」
「いいんだよ、ノートはちゃんと写してるからさ」
そう言うと、可菜香は機嫌をそこねたと思ったのか、すぐに取り繕った。
「大丈夫。それくらいじゃ告げ口したりしないから。私もちょっとやってるし…」
「何を?」
「ちょっとね。趣味かな」
可菜香が照れ臭そうに頬を掻く。
「何?教えてくんない?」
「うーん…………じゃあさ…笑わない、かな?」
可菜香がはにかんだ顔で聞いてきた。笑うにしろ笑わないにしろ、介人でなくても聞きたい人は必ず、
「笑わない」
と、言うだろう。それでも可菜香は信じたらしく、照れながら少しずつ話し出した。
「…絵本とかの物語を考えてるんだ。私ね…ハッピーエンドで終わる本が…その、大好きだから。石橋君の弟や妹たちみたいな小さい子が読む本とかも」
「童話とか?」
「う、うん。楽しい部分ばかりあるけど、それがあるからこそだと思うの。読んでてハラハラするのもいいけど…私はずっと楽しい気持ちでいたいから」
可菜香が寂しげな表情へと変わり、歩きながら介人より少し前に出る。
「もう、悲しいのや寂しいのは一回…ううん、一瞬でたくさんだから」
介人が横目で可菜香を見ると、何故かずっと遠い目をしていたように見えた。
「……何か実感込もってない?」
「うん。…実際、あったから。カイ君が覚えて…ううん、知らないだけで」
「中々な…思い出せないんだよ。何しろ小さかったし、俺も色々あって」
そう言った介人に、可菜香は不思議がって尋ねてきた。
「うん、前も聞いたけど、色々って何があったの?………あ、それとも、言いにくいこと…だった?」
「……今は話す気になれないかな」
「……そっかぁ」
いまいち納得のいかない気分だった。
スッキリ全部話せない介人も、全部聞けない可菜香も。
ただ、このすぐ後にそんなことは気にならなくなった。
「…谷嶋」
「!?」
呼ばれた声に介人が振り返る。可菜香もそれにつられた。
「早瀬…」
呼び止めたのは蓮だった。
彼女の目的は言わずもがな、『谷嶋介人への謝罪』だ。
「……くっ!」
気付けば、介人はいきなり可菜香の腕を掴み、進んでた方向に走り出す。
「ちょっ…!?カイ君?どうしたの?」
「悪い…今は聞かないでくんないか?」
可菜香は痛そうに顔を歪める。介人は自然と握る力が強くなってきていた。
ああ、イライラする。
本気であいつなんかいなければいいのに。
本当に忘れたい奴なのに、なんでいるんだよ。
今。
ここに。
大体許すわけがないのにいつまで引きずってんだ。
早瀬もいい加減にあの事件を忘れて、他の友達でも作ればいいのに。
介人の苛立ちは限界を超えそうな位まで蓄積されていた。
あんな奴今すぐ死――。
「カイ君ってば!!」
「!」
可菜香の呼びかけに、激しく巡っていた思考が停止する。
「ねえ…どうしちゃったの?さっきの人、カイ君の知り合いなの?」
「……」
掴んでいた手を緩める。後ろから蓮が追ってくる気配は無い。
「知り合いなら何で避けたの?あの人と何かあったの?ねえ、カイ君」
「うるさいな!少し黙っててくれよ!!!!」
介人がついに癇癪玉を爆発させた。
「!」
可菜香は突然のことに身を縮めた。
「…ごめん」
そして少し遅れて謝ってきた。それを聞いた介人も声を張り上げたことに後ろめたさを感じる。
「いや…こっちも、ごめん。別に怒ってた訳じゃ…ないんだ」
「……うん、わかってる。私も無神経だったし」
五月なのに、辺りには冷たく、痛い、氷の針が刺さっているような空気が漂っていた。
「…今日は、もう別々に帰ろっか」
「……だな」
可菜香は返事を聞いた途端、介人を見ずに軽く駆け出す。家は同じ方向なので、どちらかが先行する必要があったからだ。
見えなくなった後で、介人はこめかみを押さえた。
「…本当にイライラする。これも全部…」
あいつの、早瀬のせいだ。
介人はアスファルトをわざと踏み鳴らすように、のしのし歩いていった…
翌日。
「ぶはーっ!」
ガラガラッと教室の戸を開けて亮が駆け込んできた。息を切らすどころか、既に虫の息だ。
「ギリギリだぞ石橋。もっと気を引き締めんか」
今はHR。担任は眉をひそめて亮を睨む。
「文句は、あ、姉に言ってください…毎日こうなると…死んじまいますって」
クラスに『またか』『やれやれ』と小さな呆れ笑いがおこる。
「またか、石橋」
当然、介人もその仲間だ。
「そーだよ、まただよ。あのクソ女がまたなんだよ。今朝は目覚まし止めてやがった。予備にかけといたケータイのアラームまでよぉ…」
「わかったわかった、いいから席に着け」
長く愚痴りそうな亮を担任が止めた。
「………」
この何の変哲もなさそうな朝、可菜香は笑いも呆れもせずに黙ったままであった。
「…」
介人の方はそれを見てやきもきしていた。
八つ当たりのように声を荒げたのは、やはり謝るべきだろう。
「…それじゃ、HR終わり。森川、書類早く持って来いよー」
担任がのろのろ教室を出て行き、クラスには賑わいが戻った。各々が終わる瞬間に席を立ったり、寝始めたりする。
「可菜香、その…」
「あ…」
介人は可菜香に昨日のことを謝るべく話しかけた。可菜香もそれをすぐに察する。
「大丈夫、私は気にしてないよ」
「…そっか。なら…いいんだ。本当にごめん」
介人は軽く頭を下げる。可菜香はそれをわかっていたかのように動じず、「でもね」と続けた。
「悩んでるなら相談して欲しいな。少しでも楽になるなら尚更。カイ君なら、いつでも相談に乗るから」
「……悪い、今は無理だ」
以前と同じ答えを繰り返す。
「待つよ」
「?」
「カイ君が話したくないなら、それまで待つよ」
可菜香は安心させるようにゆっくりとした口調で言った。
「ね?」
「…うん」
昼休み。やる気の無い学生が唯一楽しみにする時間。
介人、可菜香、亮、由奈に加え、今日は真理も合流していた。
流石に全員が同じ教室で食べるには他の人が狭そうなので、中庭に集まることにした。
「大所帯になっちゃったっすね」
苦笑しながら亮が呟く。
「…あ、そういえば二宮先輩はどうしたんすか?」
「沙紀ちゃんは今頃誠君とラブラブランチ。お昼誘っても沙紀ちゃん全然気づかないんだから、もう…」
全員、気まずそうに誘いを断る誠の姿が頭に浮かんだ。
「でさ亮君…返事、考えてくれた?」
「え……や、それはもうしばらく」
介人はすぐそばでヒソヒソ話す二人の声が聞こえたが、内容は聞かずとも大体わかるので放っておいた。
「そーいや介人と初めて会ったのもここだったよね」
「ああ、ですね」
「入学して一週間だっけ。その時から介人は一人で食べてたし、よそよそしかったなー」
あの時は由奈とのお昼がたまたま一緒の場所になったと思っていた。
が、よくよく考えれば由奈が一人でいた介人を見つけたから来たのかもしれない。
そう思うと、何だか運命的なものを感じてしまった。
「さっ、食べよっ」
みんながコンビニの袋や弁当袋を広げ、個人個人の食卓を作る。
「あれ、介人またおにぎりか?」
気が付けば、亮が介人の手荷物の中を覗いていた。
「またって何だ。昨日はパンだったろ」
「やっしー、いつも買い弁なの?」
真理も覗き込むように言った。
「あ、ええ…まあ」
「ちゃんとしたもの食べてる?」
由奈は介人の奢ったコロッケをほくほくと食べている。
「私が作ってきたげよっか?」「え…」
驚いたような声を上げたのは介人ではなく、可菜香だった。 しかし誰も気に留めず、話は進む。
「そんな、いいですよ別に」
「えー?」
と、残念そうに言う。
「由奈ちゃんのは美味しいから大丈夫だよ」
「お前、そんな羨ましいこと断るなよ」
真理と亮も由奈を煽った。
「じゃあ亮君、私も作ってきてあげようか」
「え…あ、それは、その…何と言うか」
「?」
「で、どうかな〜可菜香ちゃん。私が作ってきていい?」
由奈は口ごもった亮を置いて、何故か可菜香に尋ねた。
「え、ええっ?」
由奈の意図が読めない可菜香は困惑する。
「?……何で可菜香に聞くんですか?」
「いーからいーから」
可菜香がずっと迷っていたように考えてる間、介人は黙々と食べ続ける。
「カイ君…あの、私…」
「?」
可菜香の声で食べるのを止めた介人は耳を傾ける。
「私が…作っても…あの、おべ、お弁当…」
絞り出した言葉はそれだけだったが、言わんとしてることはわかった。
「……いや、いいよ別に。無理しなくても」
「む、無理じゃないよ、平気」
「でもさ」
断ろうとすると、みんなの諭す声が聞こえた。
「「介人」」
「やっしー」
「……」
ああ、もう…わかったよ。
そう諦め、「じゃあ出来る日だけ頼むよ」と可菜香に告げた。
「…う、うんっ。明日から作ってくるから」
一目でわかる嬉しさを顔に出す。
「んじゃ決まったところで、話は終わりっ。早く食べないと昼休み終わっちゃうよ」
由奈の言葉で気が付けば、もう半分以上時間が過ぎていた。
…やがて、食べ終わってそれぞれの教室に帰る時、介人は由奈に声を潜めて呼ばれた。
「よかったね、お弁当」
「…半ば無理矢理言わせたくせに」
「にへ〜☆でもさ、可菜香ちゃんも健気で可愛いなー。ああいう娘がお嫁さんの男の子は幸せだと思うよー。好きな男の子には尽くすかも」
からかうような口調で介人を見てくる。
「だっ…そんな、俺はただ弁当を作ってもらうだけで」
「『ただの友達』だったらそこまでしないと思うなー…ねえ?」
「なっ…まさか」
介人の顔がみるみる赤くなっていく。
「…そ、そんなわけないでしょ!あいつが俺なんかを好きになるわけが…!」
「え?」
介人が大声を出したので、前を歩いていた可菜香が振り向く。
「あ…いや、なんでもない」
「何の話?」
ごまかす介人に何の話かを尋ねる可菜香。介人はますますあわてふためき、可菜香は不思議がるばかりだ。
そんな二人の光景を見て、由奈は苦笑した。
「…私、可菜香ちゃんが『介人のこと好き』だなんて一言も言ってないのになあ…」
だが、その苦笑も何故か俯いた表情へと変わる。
「………私も、ただの友達にお弁当作ろうとしたりしないんだけどな」
可菜香ちゃんが本当に遠慮してたら、介人は私のお弁当――。
ハッとして首を左右に振る。
「何言ってんだろ…私」
いつの間にかみんなと離れてるていることに気付き、小走りでついていった。
放課後になり、速攻で帰る者とだるそうに部活に向かう者が教室を出始めた。
「……」
介人は前者である。
苛立つことがあったせいか、学校の外は逆に心が休まらなかった。今の介人は、この世の学生にしては珍しく、学校から帰るのも嫌だった。
出来ればみんなといつまでもわいわい話していたかったのだ。
「………」
何度も言葉にならない憂鬱さを感じて、気分がぼーっとしてくる。
だからなのか。
後ろの気配にずっと気付かなかったのは。
「やしま…」
「!びっくりした…誰」
だ、と言いかけて止まる。
いたのはだらんと腕を垂らしていた蓮だった。
「……何だよ、早瀬。いい加減しつこいんだよ」
「……………」
早瀬は何も言わなかった。
だが、それは昨日までの泣きじゃくる早瀬ではなかった。
「……?」
しゃくりあげる声すら聞こえない。本当に何も言わないのだ。
「おい…?」
何だ…こいつ。気味が悪いな…様子がいつもと違う。
「…気になってたんだけどな。お前、今どこの高校に行ってんだ?」
これは再開時から疑問に思っていたことだった。この辺りではまず見かけない制服だし、何日もこの辺りに留まっているのなら、サボってることになる。
「……ないよ」
言葉の末尾だけが小さく耳に入る。
「あ?」
次に、聞き返した介人が耳にしたのはとんでもない事実だった。
「…俺、高校行ってないよ」
「………!?」
「あの日以来さ…受験勉強してたけど、身に入らなくて…で、第一志望…落ちた。第二志望も、滑り止めのとこも…みんな」
まさか…そんな…。
俺が許さなかった…せいで?
「だからさ…俺、情けなくて家を出たんだ。それで谷嶋のいる高校の近くにまで来た」
「………」
「そのときからかな。俺…たまにおかしくなるんだ」
「?」
蓮が近くに置いてある『何か』を取りに行く。
「過去のこと思い出した日には、気付いたら…人が倒れてて、その時の俺」
拾った『何か』を、蓮は一度振りかざし、勢いよく振る。
「赤くなったこれ、持ってるんだ」
「!!!!」
『何か』とは金属製の野球バットだった。蓮の言う通り、所々に生々しい赤い染みがこびりついている。
「…変だよな、俺、やってないのに。なあ、谷嶋」
この時、蓮から女の子とは思えない、暗黒の嘲笑が見え隠れしていた。
「早…瀬」
やばい。
何かおかしい。
まさか、こいつ…。
「今、通り魔がうろついてるんだってな。谷嶋も気をつけてな」
こいつが…やったのか…?
「谷嶋、俺のこと信じてくれるよな?俺、やってないだろ?」
「……」
今度は介人が何も言えない側になる。
「やっぱし信じてくれないか…だよな。大嫌いな元友達が、虫が良すぎたかな…」
蓮はそう言って、力無い歩みで近づいてくる。
「せめて、谷嶋があの時のこと…忘れてたらよかったのに」
一歩、また一歩と距離が減る。介人は自分の我が儘で起こってしまった事実の絶望感で身動きがとれなかった。
「…そうだ谷嶋、忘れてよ。忘れて昔みたいに仲良しになろう。ほら、ショック療法の逆をやればきっと…」
次の瞬間、蓮の動きが俊敏になる。バットも横に振りかざした。
「忘れるから…さっ!」
擬音に表すには難しそうな、鈍いかどうかわからない音が介人の頭に響いた。
「ぐっ…!」
介人は道の端に投げ出され、俯せに寝そべる。
「があ…ぁ…ぐ」
とてつもなく激しい痛みが、介人の意識を闇に引きずり込もうとした。
「まだ、忘れられない?でも平気。次で終わる」
「…っ」
「めちゃくちゃ好きだったよ、谷嶋。忘れても、俺が一番最初の友達…ううん、彼女になってやるからさ」
蓮は再びバット振りかざし、屈託のない、一端の女の子らしい笑顔を浮かべる。
正直それは、こんな状況じゃなければ惚れてしまうほどの可愛さだったかもしれない。
…こんな状況でなければ。
「ごめんな」
いつか蓮が介人に言った、あの事件当時の言葉。
ただ違うのは、申し訳なさそうに言ったか、喜びながら言ったか、だ。
今回は――。
「ぐぁっ…!!!!!」
後者だった。
俺の意識が…遠退く…。
やっぱり…早瀬は、友達じゃ…。
な……かっ…た…。
そのまま、介人の精神は深い暗黒の中に沈んでいった――。
急転直下。
蓮の驚愕の現状。高校生でも社会人でもない悲劇の少女、早瀬蓮。蓮がとうとう狂気に侵され、介人を襲う。
周りには誰もおらず、頼りの友人たちは状況を知るはずもない。
介人は命を失うのか、それとも――。
…このストーリー展開は前々から考えついていました。ですが、初めは蓮は男の元親友として設定がされました。それに意外性と、悲劇を持たせるためには『少女』という設定が必要と考えたのです。
さて、介人を想う人物、介人に干渉した人々はどう動くのでしょう。
…残念ですが、これ以上書くことが見つかりません。
後は皆さんの感覚に任せます。このような文で、一人でも夢中になってくれた方がいれば至福の喜びです。




