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第三章 第二話 岩田源次郎の咆哮と、孫娘『千鶴』の憂鬱

「……それでね、黒崎ちゃん。誰にも言えない、私立探偵の君にしか頼めない深刻な依頼なんだよ」


いつになく真剣な表情で、マスターがカウンター越しに身を乗り出してきた。

手元の依頼書(ただのメモ帳)に目を落とした俺は、そこに書かれたマスターの本名を見て、思わずブレンドコーヒーを吹き出しそうになった。


岩田源次郎いわたげんじろう


(……え? 幕末の志士かよ! 人斬り源次郎、なんちゃって……!)


この店に通い詰めて数年、初めて知った衝撃の本名だ。胡麻塩頭に赤いタータンチェックのベストが、急に新選組の羽織か何かに見えてきた。


「岩田……源次郎さん。いい名前ですね。それで、事件ですか?」


「私の最愛の孫娘――千鶴ちづるの危機なんだよ」


マスターが苦しげに顔を歪める。

孫娘の鈴木千鶴ちゃん、十七歳。地元の県立高校に通う、ごく普通の女子高生だ。

俺のインテリジェンス(町内会のおばさんネットワーク)によると、彼女は自分の「千鶴」という古風な名前にかなりのコンプレックスを持っているらしい。周りの友達が『真凛』だの『恵里衣』だの可愛い名前ばかりなせいで、自分はおばあちゃん臭いと思い込んでいるのだ。


(いや、俺は『千鶴』っていい名前だと思うけどな。将来年を取ったとき、マリンおばあちゃんや、エリィおばあちゃんになるよりよっぽどマシだろう……)


ちなみに、その名前を良かれと思って命名したのが、目の前で深刻な顔をしている人斬り源次郎マスターその人であることは、千鶴ちゃんには絶対に言えない秘密である。


「千鶴ちゃんが、どうかしたんですか?」


「最近、どうも元気がないんだよ。店に手伝いに来ても、ため息ばかりでね。……そしたら先日、常連の口佐賀くちさがさんから、とんでもない目撃情報が入ったんだ」


マスターはボウタイをきつく締め直すように首を鳴らした。


「千鶴が、髪を派手に染めたチャラチャラした男と一緒に、電車で東京方面へ乗り込んでいくのを見た、とね。すぐに千鶴の親(私の娘夫婦)に探りを入れてみたんだが、『特に変わりはないよ』と言うばかりで、全く危機感がないんだ!」


バン! とマスターがマホガニー(実際は木目調の合板)のカウンターを叩いた。


「間違いない。千鶴は、あのチャラついた東京の悪い男に騙されているんだ! 黒崎ちゃん、探偵の職権でその男の身元を突き止め、千鶴を救い出してくれ。もし本当に悪い奴なら……私が一刀両断にしてくれるわ!!」


ひぃっ……!

マスターの背後に、一瞬だけガチの日本刀の幻影が見えた気がした。人斬り源次郎、マジでやりかねないオーラが出ている。


(うわぁ……また面倒くさい身内のドタバタ劇じゃねえか。しかも今度の相手は、東京のチャラ男と、キレたら何をするか分からない年齢不詳のマスターだぞ……!)


心の中のヘタレな俺が「お断りして段ボール工場に引きこもれ!」と全力で警報を鳴らしている。

だが、コーヒーの無料おかわり(2杯目)をすっと差し出してきたマスターの圧力と、これまでの事件を解決(?)して調子に乗っている俺のハッタリ癖が、またしても俺の口を勝手に動かした。


「……いいでしょう、マスター。その東京の不穏な影、黒崎探偵事務所が光の下に引きずり出して見せましょう」


言ってしまった。

こうして俺は、新緑の東京へと向かうチャラ男と、看板娘の怪しいデートの尾行調査を引き受ける羽目になったのだ。


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