第十八章 第三話 沈さんの忠告
管理人に教えてもらったアジア貿易の固定電話の番号に、俺は一度連絡を入れてみることにした。
だが、受話器から聞こえてきたのは、無機質な機械の音声だった。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません……』
最初の手がかりが途絶え、俺は昼間の仕事を終えて夜に、事件当時の資料をネットのニュースアーカイブで調べ始めた。さらに、不動産屋に足を運び、篠原遥さんにも当時の社内資料を見せてもらう。半年前の事件直後、警察の捜査が入るのとほぼ同時に、アジア貿易はすべての連絡を絶って姿を消していた。
休日の昼、俺は手帳の住所を頼りに、横浜の雑居ビルにあるというアジア貿易のオフィスを直接訪ねてみた。
だが、錆びついたポストには会社の名前は無く、部屋の中は完全にもぬけの殻だった。手詰まりになり、以前の借り主の会社を直接確かめる手段を失った俺は、横浜の闇に詳しい人物の顔を思い浮かべていた。
中華街の路地裏にある、怪しげな古物商の店。俺はそこの店主である沈さんの元へと足を伸ばしてみることにした。
薄暗い店内のドアを開けて入っていくと、カウンターの奥から沈さんが独特の笑みを浮かべて、棚から埃を払って大きな帽子を取り出してきた。
「イラッシャイ、探偵サン。ちょうど良いものが入ったよ。このギャンブラーハット(平天のウエスタンハット)、カブッテミテ マントモツケルヨ」
(クリント・イーストウッドかよ!)
俺は心の中で即座に突っ込みを入れた。
「いえ、帽子は結構です。それより沈さん、アジア貿易っていう会社について、何か知っていることはありませんか」
俺が丁重に断って話を戻すと、沈さんは帽子を棚に戻した。
商売人の笑みが消え、冷たい目が俺を見ていた(それだけで気温が二度は下がった気がした)。
「アジア貿易……。あそこは実態のないただのペーパーカンパニーだよ。表向きは雑貨商を名乗っていたけれど、裏では偽ブランド品の密輸入をやっていたグループさ」
沈さんのその言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に、あの事故物件のフローリングに残されていた無数の細かい傷跡が鮮明に蘇ってきた。
(……待てよ。あの修復された床の細かい傷は、偽ブランド品が詰まった重い段ボール箱を、何度も積み上げて引きずった跡だったんじゃないか。あそこは社宅なんかじゃなく、密輸品の一時保管場所だったんだ)
昼間の工場で毎日見ている段ボール箱の扱いとその痕跡が、あの部屋の違和感と完全に繋がった。
俺が一人で思考を巡らせていると、沈さんは客観的な事実を告げた後、さらに声を低くした。
「そのアジア貿易の本当の母体、誰だか知っているか? 広域暴力団傘下の、横浜紅龍会だよ。半年前の自殺って言われてる事件も、運び屋が口封じに消されたって噂さ。あそこはかなりヤバイ。命が惜しいなら、すぐに手を引いた方がいい」
言い終わると、いつもの沈さんの笑顔になって「マタキテネ、探偵サンにピッタリノ トットクカラネ」といつもの沈さんの笑顔に戻っていた。
単純なルームロンダリングだと思っていたあの部屋の裏には、触れてはならない裏社会のタブーが潜んでいた。
俺は沈さんにお礼を言って店を出ると、背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、自分はどこまでやるのかを考えざるを得なかった。




