第十八章 第二話 クローゼットの違和感
警察の発表では、半年前の事件の死因はクローゼット内のハンガーパイプを使った突発的な首吊り自殺ということになっていた。
だが、部屋に入って、まずクローゼットの構造をじっくりと調べ始めた俺の頭の中に、ひとつの物理的な違和感が浮かび上がった。
アルミ製の細いハンガーパイプを指で触って強度を確かめてみる。壁に固定しているネジ留めもかなり緩い。大の大人が全体重をかければ、首を吊る前にパイプごと根元からへし折れるか、ネジが吹き飛ぶはずの強度だった。清掃が行き届いているとはいえ、パイプには歪みすらなく綺麗な状態で残されている。
(……おかしいな。これじゃあ、つじつまが合わない)
何とも言えない引っかかりを覚えた俺は、マンション周辺での聞き込みから始めることにした。
近隣を回って集まった証言は、様々な内容が混ざり合ったものだった。
隣の部屋に住むおばさんは、怯えたような顔でオカルトめいた話をまくし立ててきた。
「あのお部屋ね、事件の何日か前から、夜中に中から『うう……』って、お化けがすすり泣くような不気味な声が聞こえてたのよ。やっぱりあの部屋、呪われてるんだわ!」
そんな話もメモに留めつつ、今度はマンションの管理人へと足を運んだ。
管理人は面倒そうに管理室の奥から古い記録ファイルを引っ張り出し、当時の入居者データを調べてくれた。
「あの部屋はね、アジア貿易とかいう会社の社宅として借りられていたんだよ」
管理人にお願いして、記録に載っていたその会社の横浜市内の住所と、固定電話の番号を書き写させてもらった。管理人は思い出したように言葉を続けた。
「でも、若い男が普通に暮らしている気配なんてほとんどなかったな。たまに夜中、ガラの悪い男たちが何人も出入りしていてね。一度、怯えたような様子の人間が、男たちに挟まれるようにして部屋に連れ込まれるのを見たことがある。トラブルの匂いがしたから、関わらないようにしていたんだが……」
地域の他愛のない噂話や住民の怪しい証言をいくつもノートに書き留め、この事故物件の部屋へと戻った。
一人で床に座り込み、集まった情報を選別していく。
おばさんの言っていた夜中の不気味な声と、管理人の「怯えた人間が連れ込まれていた」という目撃証言。それを組み合わせるうちに、オカルトではない別のロジックが浮かび上がってきた。
外に声が漏れないように奥のクローゼットに閉じ込められていた人間の、悲痛な呻き声だったのではないか。
さらに、俺の目は綺麗に修復されたはずの室内の、ある不自然な傷跡を捉えた。
フローリングの隅や、壁の巾木のあたり。よく見ると、人が普通に生活していたにしてはあり得ない、何かを引きずったような細かな傷が、床にいくつも刻まれている。壁の一部にも、家具の跡ではない、何かが激しくぶつかったような打痕の凹みが残されていた。
生活用品の跡が一切なく、床にだけ残された、何かを引きずった無数の擦り傷。
(ここは、普通の社宅として使われていたんだろうか。それとも、以前の借り主の会社が何か別の目的で使っていた場所なんじゃないか)
まだ何も確証はなかった。俺は手帳に書き写したアドレスをじっと見つめ、まずはこの会社を直接確かめてみる必要があると考えた。




