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第十七章 第四話 マスターの幸運と、新たな関係

ファミレスを出た俺と千鶴ちゃんは、お店が混み始めるお昼の時間を避けて、純喫茶『ノア』へと向かった。


扉を開けると、まだ客のまばらな店内に、珈琲の落ち着いた匂いが広がっていた。カウンターの奥では、やはり少し腰をかばうような硬い動作で、マスターが開店の準備を進めていた。



「マスター。レシピノートが見つかりましたよ」



俺は声をかけると、千鶴ちゃんが抱えていたノートを預かり、カウンターテーブルに置いた。


マスターは驚いたように目を見張り、それからノートと、俺の後ろで俯いている千鶴ちゃんの姿を交互に見つめた。



「……千鶴。お前が持ち出していたのか?」



マスターの低い声に、千鶴ちゃんは意を決したように顔を上げ、自分の言葉で真っ直ぐに語り始めた。


おじいちゃんがつらそうなのに無理をしてパイを焼き続けているのが見ていられなかったこと。自分が代わりに作れるようになって、おじいちゃんをいつでも休ませてあげたかったこと。だから、家でこっそり練習していたこと。


孫娘の口から明かされた不器用な優しさの全貌に、マスターは言葉を失い、ただ立ち尽くしていた。俺は横から、あらかじめファミレスで千鶴ちゃんと話し合っていた提案を告げた。



「マスター。千鶴ちゃんは、漠然と流されるくらいなら、今は大好きなこの店でおじいちゃんから吸収できることは吸収したいと言っています。だから、マスターがしっかりと腰の治療に専念してもらう代わりに、千鶴ちゃんにパイの作り方を正式に教え込んでいくというのはどうですか」



俺の提案を聞いた瞬間、マスターは自分の大きな手でトントンと腰を叩いた。


これ以上の無理をせずに腰を休められるだけでなく、かわいい孫娘と一緒に厨房に立ち、自分の技術を受け継いでもらえる。マスターにとっては、まさに願ったり叶ったりな解決策だった。



「……そうか? 千鶴がそう言うならやってみようか」



マスターは目元を嬉しそうに緩ませ、静かにそう言った。


「じゃあ、次の土曜の仕込みから遅れるなよ」という言葉に、千鶴ちゃんは「うん、がんばる!」と、バンドエイドの巻かれた手を握りしめて、本当に嬉しそうに笑顔を見せた。



新しく始まる二人の師弟関係の姿を見届け、俺は自分の分の仕事を終えてノアを後にした。


     *


アパートの六畳一間の部屋に戻り、俺はベッドの上にどさりと横たわった。


重苦しい結末の事件が続いた後だっただけに、今回はどこか心がほっこりと温かくなり、気持ちが随分と軽くなっているのを感じていた。誰も傷つかず、誰も不幸にならない日常の謎の解決。


部屋の中で天井を見つめているうちに、つい気が緩んで、口から言葉が漏れた。



「それにしても……今回の俺のプロファイリングは完璧だったな。バンドエイドと白い粉の跡だけで秘密を見抜くなんて、我ながら名探偵の領域に片足を突っ込んでるんじゃないか?」



誰もいない部屋で声に出して自画自賛してしまった、まさにその時だった。


ヒュッと、開け放たれた窓から、少し冷たさを増した秋の夜風が部屋の中へと吹き込んできた。



「――ハックション!」



盛大なクシャミが、六畳一間に虚しく響き渡った。

俺は鼻をすすりながら、上着の襟を引っ張り上げて小さく身を縮めた。



「……。これはあれか。調子に乗ってないで、大人しく頭を冷やせってことなのか?……」



少し冷えた鼻頭を指でこすりながら、早めに布団を被るのだった。


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