第十五章 第四話 晩夏のすれ違いと、冷徹な現実
連絡を受けて空き地へとやってきた警察の手によって、森山隆の身柄は静かに連行されていった。
ノートパソコンや車内の機材一式も、証拠品としてすべて押収された。
警察車両の後部座席に押し込まれる間際、森山は窓ガラス越しに、一瞬こちらをにらみつけたが、すぐにあきらめたように視線を逸らした。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
森山の背後にいた産業スパイの男についても、ここから先は警察の捜査が明らかにしてくれるだろう。
後日、俺は依頼の完了報告のために、松本貴子さんと顔を合わせた。
事件の全貌を淡々と聞き終えた貴子さんは、感情の起伏を感じさせない口調で、小さくため息をついた。
「ありがとうございます、黒崎さん。……でも、本当に馬鹿な人。あの人がスパイと組んでまで私から盗もうとしていた新薬のデータ、まだ初期の治験段階で、ただの重い副作用を抑えるための試作品のデータなのよね。そんなもの、他社に売ったところで市場価値なんてほとんどないのに。本当に、最後までダメな人だわ」
悪気は全くないのだろう。
彼女はただ、研究員として客観的な事実と数字に基づいて、淡々と口にしただけだった。
だが、その合理的で冷徹な正論こそが、付き合っていた当時から森山隆という一人の男のちっぽけなプライドを、少しづつ抉り続けていた何よりの証拠だった。
森山が行った裏切りは、決して許されることのない犯罪だ。
だが、大金を手に入れて自分の価値を証明したかった森山の行動は、強固なエリート意識の前に、最初から彼女には何の価値もなかったのだ。
*
俺はスナック『蜘蛛の巣』のカウンター席で、一人ウイスキーのグラスを傾けていた。
店内には静かな音楽が流れ、ママが手際よくグラスを拭いている。
貴子さんとのやり取りや、去り際の森山の表情を思い返し、俺は喉の奥に広がるウイスキーの苦味を静かに味わっていた。
森山の犯行は歪んだ逆恨みだ。
だが、その逆恨みを育てたのは、間違いなく貴子さんの無自覚な傲慢さだった。
そしてその傲慢さを, 彼女はこれからも正しい事実として生きていくのだろう、何の疑いもなく。
人は、どこまで行っても根本的には分かり合えない生き物なのかもしれない。
互いの価値観の違いで傷つけ合うだけだとしたら、それは少し切ないな。
俺はただ静かにグラスを傾け、氷が溶けて薄まっていく琥珀色の液体を見つめながら、夏の残り香を抱き締めてみようとしたが、スルリと零れ落ちてどこかに行ってしまった。
(第十五章・完)




