第十五章 第三話 空き地の沈黙と、ちっぽけな牙
俺は物陰から音もなく近づき、セダンの運転席のドアを外から一気に引き開けた。
「うわっ!? 誰だあんた!」
ヘッドホンを叩き落として飛び上がった森山の手首を掴み、俺は奴のノートパソコンの画面を素早く引き寄せた。
液晶には、貴子さんの部屋のカメラ映像と、拾い上げられた音声の波形データがリアルタイムで映し出されていた。
「黒崎探偵事務所だ。松本貴子さんから依頼を受けて、この盗聴電波の受信先を探していた。――これで言い逃れはできないぞ、森山さん」
森山は血相を変えて逃げ出そうとしたが、俺は奴の体をシートに強く押し込み、車内へと踏み込んだ。
奴の表情は、恐怖と、隠し通せなかった絶望で激しく歪んでいた。
「ここで逃げてもすぐ捕まるぞ、身元はわかってるんだ」
「・・・」
「すべて話してもらう。あの喫茶店で会っていた、スーツの男は誰だ」
車内の狭い空間のなかで、俺は声を荒らげることなく、淡々と問いかけた。
森山はしばらくの間、激しく肩を上下させていたが、やがて諦めたようにぽつぽつと真実を吐き出し始めた。
「……あいつは、産業スパイだ。どこの組織の人間かは、俺も本当に知らない」
森山の口から語られたのは、ただの未練がましいストーカー事件の枠に収まらない、裏の全貌だった。
そのスパイの男から、新薬の研究員である貴子さんから重要な機密情報を手に入れられたら、今の給料とは比較にならない多額の報酬を支払うと持ちかけられたのだという。
「あの女は、エリート意識が強くてさ……。付き合っているときも、俺のことを効率が悪いとか、優先順位を考えろとか、感情で動くなとか、そんなことばっかり言って、当然みたいに下に置いてさ……。悪気はないのかもしれないが、あの女はそういうのわからないんだよ」
森山はハンドルを拳で叩き、悔しそうに歯を剥いた。
自分を認めようとしない貴子さんに対する、底知れない無力感。
その歪んだ感情が、産業スパイの甘い誘いと結びつき、彼女の情報を握って脅すことで自分の価値を証明したいという、暴走へと奴を駆り立てていたのだ。
「最初は、ただの仕返しのつもりだったんだ。盗聴器と監視カメラで弱みを握って、あの澄ました顔を崩してやろうって……。でも、スパイの男にデータを渡せってどんどん脅されるようになって、俺ももう、引き返せなくなって……」
頭を抱えて震えだした森山を見つめながら、俺は手帳の白ページに奴の自供を静かに書き留めていった。
ちっぽけな感情から始まった裏切りは、すでに森山自身の手に負えない状況へと繋がっていた。
俺はスマートフォンを取り出すと、事前に相談を入れていた警察の窓口へ向けて、静かに発信ボタンを押すのだった。




