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第二章 第一話 スナックの夜、夜の帳はカラオケの音と共に

探偵にとって、情報とは命だ。


俺がハードボイルドな探偵を気取る上で、拠点にしている純喫茶『ノア』。

そのマスターは、胡麻塩頭に黒いボウタイ、そして赤いタータンチェックのベストを粋に着こなす、年齢不詳の渋い男だ。


だが、俺のインテリジェンス(町内会のおばさんネットワーク)によると、マスターには極秘情報がある。

最近高校生になった近所に住む孫娘が、たまに店にバイトに来るらしいのだが、マスターは彼女を看板娘にして『毎日バイトに来るように画策している』というのだ。

理由はただ一つ。孫娘と毎日会いたいから。


フッ……いかに渋く決めていても、中身はただの孫煩悩なおじいちゃん。

そんな裏の顔を見抜くのも、私立探偵の基本スキルというやつさ。


だが、そんな俺にも、絶対に死守しなければならない裏の顔(段ボール工場勤務)がある。

昼間の会社の同僚とは、プライベートで絶対に会いたくない。


だからこそ俺は、休日の前夜、わざわざ工場の最寄駅から二駅も離れた、場末の怪しげな歓楽街へと足を運ぶのだ。


「いらっしゃい、黒崎ちゃん。昨日給料日だったんでしょ? 待ってたわよ」


温かい声で迎えてくれたのは、スナック『蜘蛛の巣』のママだ。

年齢は五十歳前後。少々お疲れ気味のハスキーボイスだが、面倒見が良くて憎めないおばさんである。


店内は、お世辞にもお洒落とは言えない。

メラニン化粧板のチープなカウンター。スピーカーから流れてくる音楽は、常連の酔客が歌う昭和歌謡の泥臭いカラオケだ。


だが、ウイスキーの水割りを手にした俺の脳内フィルターを通せば、そこはマホガニーの重厚なカウンターへと変貌し、カラオケは場を盛り上げる上質なジャズセッションへと脳内変換される。


フッ……今夜のジャズも、なかなかスイングしてるじゃないか。


そんな風に俺がグラスを傾けて悦に浸っていると、ママがカウンター越しに身を乗り出してきた。


「ねえ、黒崎ちゃん。あんた、探偵さんなんでしょ? この前来た時に大事件を解決したって、お酒飲みながら大威張りで言ってたじゃない」


「……ゲホッ、ゲホッ!?」


ウイスキーが変な気管に入って、盛大にむせた。

思い出した。この前来た時に、初めて手に入れた探偵の依頼料で気が大きくなり、ママに「軽井沢の国際的な企業犯罪の闇を暴いた」とか何とか、とんでもないハッタリをぶちかまして自慢してしまったのだ。


「い、いや……あれは、守秘義務というやつがありましてね、ママ。あまり大っぴらには……」


必死に渋い声を作って誤魔化そうとする俺の隣に、ママがコトッとグラスを置いた。


「いいから聞きなさいよ。実はさ、ちょっとうちの娘の話を聞いてあげてくれない? 困ってるみたいなのよ。依頼料なら、私が立て替えてもいいからさ」


ママがカウンターの奥へ合図を送ると、スナックの暗がりから、一人の少女がもじもじしながら歩み寄ってきた。


「……沢田マキです。自称、二十歳です」


……いや、自称って自分で言っちゃうのかよ!

思わず心の中でツッコミを入れた。


目の前に現れたその娘――沢田マキは、下手くそなギャル風の化粧で大人ぶってはいるものの、その下に隠しきれない童顔はどう見ても十五〜十六歳の現役女子高生だった。


だが。

本当に、だが、である。


俺の視線は、彼女の胸元に完全に釘付けにされた。

でかい。

とにかく、でかい。

下手な化粧や年齢の違和感なんてどうでもよくなるくらい、それは圧倒的な質量を持ってそこに存在していた。


「あ、あの、黒崎さん……。私、怪しい男につけ狙われてるみたいで、怖くて……」


でかい胸をぎゅっと抱きしめるようにして、上目遣いで怯えるマキちゃん。

心の中のヘタレな俺が「未成年のトラブルはヤバい!逃げろ!」と大警報を鳴らしている。


一応、警察には届けたのか聞いてみる。無駄だとは思うが。

もし犯人が凶暴な奴だったら本気で怖い。俺、生まれてこの方、喧嘩とか一度もしたことないし……。


「……警察には、その、相談したのかい?」


『一応届けたんですけど、ただの後をつけられた気がするっていう勘違いじゃないかって、全然相手にされなかったんです……』


やっぱりね。大人の家出に続いてストーカーも門前払いか。警察が頼れないとなると、いよいよ俺は逃げられないか……。


う〜ん、犯人と戦ったりする自信は微塵もないんだよな。しかし、この国宝級の双胸は……ゴホン。

ゲホゲホ、いやいや。か弱い少女を守るというのも、探偵小説ではよく出てくる王道の展開だ。

たいていは、探偵が満身創痍になりながらも泥臭く守り抜く、みたいな?

いや、でも待てよ。そんな満身創痍のボコボコになったら、翌日工場に仕事行けないしな……。


「ちょっと、黒崎ちゃん。さっきから何ブツブツ小声で言ってるのよ」


ママからの冷ややかなツッコミが飛んできた。

俺はハッと我に返り、小さく咳払いをする。もう観念するしかない。


「……分かりました。できる限りのことはやってみましょう。ストーカー、ですか。その巨大な……いや、不穏な影を、俺が暴いてみせましょう」


また言ってしまった。ハッタリだけは一丁前なのがオタクの悲しい性だ。


その後、俺たちは店の空いているボックス席へと移動した。

そこで小一時間ほど、具体的な事情の聞き取りと対策の打ち合わせをすることになったのだが。


……ダメだ。まったく話に集中できない。

何しろ、ソファに座った俺のすぐ目の前に、あの巨大な敵――いや、国宝級の存在が鎮座しているのだ。マキちゃんが動くたびに、それが視界の端で暴力的なまでに主張してくる。

話に集中しろ俺! これは探偵としての重要なミーティングなんだぞ! 


しかし、そんな俺の必死の理性も虚しく、その夜の打ち合わせの記憶は、ただ「でかかった」という圧倒的な印象だけで埋め尽くされていくのだった。


こうして、スナック『蜘蛛の巣』を舞台にした、俺の不本意極まりない第二の事件が幕を開けた。


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