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第一章 第四話 軽井沢の決戦、そして日常へ

土曜日。俺と冴子さんは横浜駅で待ち合わせ、新幹線を乗り継いで軽井沢へと向かった。


駅に現れた冴子さんは、カラフルなマウンテンパーカーに身を包んだ、ばっちりハイキングスタイルだった。足元を見れば、ピカピカの新品の登山靴。


(ふむ……案外、形から入るタイプだな、と探偵の視線でまた観察してしまったと一人心の中で思う)


対する俺はといえば、いつもの「中華街の端のいかがわしい古着屋のスーツ」に、靴底がだいぶすり減っている、先のとがったビジネス革靴だ。軽井沢の爽やかな風のなかで、一人だけ完全に浮いている。


思い出のペンション周辺の聞き込みでは手がかりがなく、冴子さんの記憶を頼りに、少し離れた雑木林の奥にあるという無人の寺へ向かうことになった。


だが、舗装されていない山道に入った瞬間、俺のライフはゼロになった。


先のとがったすり減った革靴が、砂利や木の根に滑る。足の裏が痛い。スーツのせいで汗がじっとりと滲む。


「……はぁ、はぁ、冴子さん、ちょっと、ペースが……」


『黒崎さん、あそこです! あそこに長い石段が見えますよ! がんばりましょう!』


冴子さんは新品の登山靴のグリップ力を活かして、元気にトコトコと先へ進んでいく。


目の前に現れたのは、苔むした、見上げるような長い石段だった。絶望が俺を襲う。


だが、俺はそこで、ハードボイルドな探偵に許された唯一の「エネルギー」を見つけた。


目の前を一段一段、元気に登っていく冴子さん。


ハイキング用のタイトなパンツに包まれた、その形のいい丸いお尻。


それが、石段を登るたびに規則正しく、魅力的に左右に揺れているのだ。


(……おお。神よ。これぞ砂漠に咲いた一輪のオアシス……!)


俺は湧き上がる不純なエネルギー(お尻パワー)を元気の糧にして、へばりそうになりながらも、冴子の後ろを必死についていった。


これは下心じゃない。過酷な捜査を生き抜くための、探偵の防衛本能だ。



ぜぃぜぃと死にかけながら石段を登りきると、無人の寺の本堂の裏手に、一人の男が立っていた。


冴子さんのお父さん(六十歳)だった。


彼は驚いた顔をしたが、すぐに全てを察したように、がっくりと肩を落とした。


そこで俺たちは、お父さんの口から衝撃の真実を聞かされる。


お父さんは定年まで食品会社の経理部門の責任者だった。


五年前、会社が食品衛生上の重大な隠蔽があるのではないかと世間に取り上げられたが、流行り病や円安不景気などのニュースに紛れて、いつの間にか話が消えていた事件。


実は、お父さんがその隠蔽の証拠となる書類を、土地勘のあるこの無人の寺に隠していたのだという。


失踪の朝、雑にたたんだ新聞の片隅にその事件の新事実が発見されたという記事を見つけ、お父さんは証拠の書類を確認するために軽井沢へやってきたのだ。


『もう、耐えられなかったんだ……。誠実でありたかった……』


お父さんは涙を流していた。もう嘘をつき続けることに耐えられなかったのだ。


その後、お父さんは連絡を受けて同行した継母の綾子さんと冴子さんに付き添われ、自首することに決意した。


大きな企業犯罪の闇。だが、気の弱い段ボール工場勤務の俺にできることなど、もう何もなかった。


俺はただ、現地にやってきた警察官から簡単な事情聴取を数分受けただけで、そのままお役御免となった。



数日後の、午後五時すぎ。


俺はいつものように、藤沢寄りのアパートで、サイズ違いの黒スーツを着てデスクに脚を投げ出していた。


ショットグラスの安いウイスキーを揺らしながら、スマートフォンを見る。


冴子さんからメールが入っていた。


『黒崎さん、先日はありがとうございました。依頼料は口座に振り込ませていただきました。父のことで本当に感謝しています』


メールの文面は、それだけだった。


そこには「今度、お礼に二人でご飯でも」なんていう、淡い期待を抱かせる言葉は一言もなかった。ありがとうと感謝されたが、本当にそれだけだった。


「フッ……これでいいさ」


俺はウイスキーを喉に流し込み、気取った仕草でスマートフォンの画面を伏せた。


「ハードボイルドな探偵ってやつは……依頼主に恋なんかしないのさ。それが、この街のルールだろ?」


誰もいない部屋で、たばこ(お線香状態)に向かってうそぶいてみる。


ちょっと寂しいが、胸ポケットの財布には、確かに初めて自分の「探偵業」で稼いだ数万円の依頼料が入っている。悪くない気分だ。


さて、足を投げ出したデスクの上で、俺は静かに次の高難度な依頼を待つとするか――。


時計を見る。


……あ。やべ。


「もう朝の七時半じゃねえか!! 夜更かしして探偵ごっこしてる場合か!」


慌てて黒いスーツを引っぺがし、ガムテープの匂いが染み付いた、いつもの地味な作業服に着替える。


表の顔に戻って、作業服に着替えて出勤しないと、定時に遅刻してしまう。


俺の明日は、どっちだ。


(第一部・完)


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!


これにて『黒崎探偵事務所 detective agency case book』の第一章(田中冴子誘拐……もとい、田中冴子の父親失踪事件編)は完結となります。

名前だけは主人公っぽい優斗ですが、中身はヘタレな段ボール工場作業員。ハッタリとやせ我慢だけでなんとか初めての事件(?)を乗り切ることができました。

(無事に遅刻せず工場に出勤できたのかは、優斗のみぞ知る……ということで笑)


本作は、今後も第二章へと続いていく予定です!

次なる事件では、優斗がどんなトラブルに巻き込まれ、どんなハッタリをかますのか……。

少しずつ成長していく(かもしれない)彼の活躍を、また見守っていただけますと幸いです。



それでは、第二章でまたお会いしましょう!


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