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第十二章 第一話 珈琲の香りと、二つの足跡

ガラガラとけたたましい音を立てるだけで、いっこうに涼しくならない古いクーラーを、俺は汗をかきながら睨みつけていた。


梅雨の蒸し暑さの中、スマートフォンが鳴った。以前の事件で関わった遠藤信二君からの電話だった。

彼は今、大阪でまっとうな職に就き、麗子さんにもわずかずつだがお金を返せているのだという。事件から一年が過ぎ、二人が育った孤児院の助けもあって、彼の義理のお姉さんも徐々に回復し、当時のことをぽつぽつと話せるようになったらしい。


そこで分かってきたのが、彼女を騙したのが、どうも東京の結婚詐欺グループだったのではないかということだった。

奴らの手口は巧妙だった。まず狙いを定めた女性を暗がりで二人の仲間が拉致しようとする。危機一髪というところに主犯の男が現れて女性を救い、「すぐそばに自分が借りている事務所があるから少し休んでいくといい」と、連れ込んで安心させるのだ。

男は「東京で欧州の家具を輸入し、富裕層に販売する会社を経営しているが、今回は大阪に販路を広げるために一週間ほどこちらに来ている」などと嘘を重ねた後、女性を家まで送り届ける。

その後も心配をする風を装って何度も連絡を入れ、爽やかで優しい気遣いに女性が心を許した頃、「恩人の借金の保証人になってしまったため急遽大金が必要になった。会社は上手くいっているから来月には絶対に返せる」とお金を工面させるのだという。

空間と時間を巧みに使った計画的な犯行だった。そして、お金を渡した途端に男は姿を消し、あの事務所も空き家になっていたそうだ。


「奴らを捕まえられないか」と、信二君は受話器の向こうで切実に訴えてきた。だが、それだけでは情報が少なすぎる。

力になってあげたい気持ちは山々だったが、俺が今大阪へ行ったところで奴らを捕まえることはできない。俺のような探偵が一人でどうこうできるような話でもなかった。俺は苦渋の決断の末、その話を断るしかなかった。


     *


数日後。あまりの蒸し暑さに耐えかねて、俺はエアコンのよく効いた純喫茶『ノア』へと逃げ込んでいた。

冷たいアイスコーヒーを飲みながら、俺は真剣に悩んでいた。

段ボール工場から夏のボーナスも出て、先日の『真夏の夜桜』探しの報酬も入ったことだ。いい加減、あのボロ部屋から引っ越しをするべきか、新聞の住宅情報欄を広げて深く考え込んでいたのだ。

あまりに集中して考え込んでいたので、俺の向かいの席に人が座ったことすら、しばらくの間まったく気が付かなかった。


「ねぇ、探偵さん。いつまで私を無視する気?」


     *


私は谷口かおり。

大学の友人からのちょっとした相談事を、以前お世話になった探偵さんに頼みに来たら、何かもの凄く集中して考え事をしていた。だからちょっとイタズラしてやろうと思って、彼の向かいの席に静かに座って声をかけたの。


「ねぇ、探偵さん。いつまで私を無視する気?」


「うおっ!? 」


驚いて勢いよく顔を上げた探偵さんは、次の瞬間、まるで映画の不審者みたいに血相を変えて周囲の席をキョロキョロと見回し始めた。


「ねぇ、探偵さん。何をそんなにキョロキョロしてるのよ?」


「いや……谷口親分が俺を拉致しに来たのかと……。それよりかおりちゃんこそ、どうしてここが分かったの?」


「そこはそれ、ちょっとパパの伝手で調べてもらったらすぐ分かったよ。エへへ」


私が笑ってみせると、探偵さんはあからさまに引きつった顔をした。


「……なるほど。お父さんのネットワークをそんなことに使うのは勘弁してほしいんだけどな。それで、わざわざ俺を調べ上げてまで、一体何の用だい?」


探偵さんは丁寧な口調ながらも、相変わらず私を警戒しているのが伝わってきて、ちょっと面白い。私はテーブルを挟んで身を乗り出した。


「実はさ、大学の友達の樋口里香から相談されたの。里香のお姉さんの裕子さん(27歳)が、婚約者にかなりの大金を渡そうとしてるらしくて。でも、話があまりに急で怪しいから、里香が『素行調査をしてくれる探偵知らないか』って、私に聞いてきたのよ」


「……婚約者、ですか。どんな男なの?」


探偵さんがアイスコーヒーのグラスを置き、真面目な顔で聞いてきた。


「えっとね、名前は小栗翔太(34歳)。『ヨーロピアンライフデザイン』って会社なんだって。東京で欧州の高級家具を輸入して、富裕層に販売して大成功してるらしいんだけど……」


その情報を口にした瞬間、探偵さんの顔色が、一瞬で見たこともないほど真っ青に変わった。


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