第十一章 第二話 真夏の夜桜と、記憶の迷路
「ねえ、紘一さん。あの満開の夜桜、どこにあるか覚えている?」
深夜の静まり返った住宅街を二人で並んで歩きながら、純子おばあちゃんは嬉しそうに俺の顔を見上げて言った。
俺は一瞬、耳を疑った。
「……桜、ですか?」
「そうよ。あなたと私の、初めてのデートの夜。息を呑むほど美しい、満開の夜桜の下を二人で歩いたじゃない。あのお祭りの夜の景色を、もう一度見たくて探しているのだけど……なかなか見つからなくて」
おばあちゃんは愛おしそうに目を細めて微笑む。
だが、今の季節は7月。ぎらぎらと太陽が照りつける、本格的な真夏だ。
(7月のお祭りの夜に、満開の夜桜……? 記憶が完全に混ざり合ってしまっているんだな)
桜があるわけがない。自然現象としては絶対にあり得ない記憶のズレに、俺は心の中でそっと息を吐きながらも、「そうだね、どこだったかな」と話を合わせ、その夜はおばあちゃんを静かに自宅へと送り届けた。
それから数日。俺は工場での勤務が終わった後の夜、おばあちゃんの『護衛』に赴く前に、毎日少しずつ白木家へ足を運び、息子の嫁の加奈子さんから純子おばあちゃんの過去についての情報収集を重ねていった。
毎夜の『付き添い』の最中もおばあちゃんの言葉に耳を傾け、地道に記憶の糸をたぐり寄せていく。
ある夜、加奈子さんは客間で冷たい麦茶を出してくれながら、困ったように眉を下げて教えてくれた。
「古い日記やアルバムによると、二人の初デートは確かに昭和の、とある『夏祭りの夜』だったそうです。でも、お義母さんはずっと、そこで満開の夜桜を見たと言い張っていて……。やはり、頭のなかの記憶が混ざってしまっているのね、と家族で話していたんです。黒崎さん、毎晩の『見守り』、本当にありがとうございます」
初デートは、間違いなく真夏。それなのに、おばあちゃんのなかでは「満開の夜桜」の記憶が鮮明に残っている。
(……待てよ。おばあちゃんは本当に、記憶をただ間違えているだけなのか?)
探偵としての俺の脳細胞が、ひとつの仮説を編み出し始めていた。
冷房なんてなかった昭和の真夏。冷たい風の吹かない暑い夜。おばあちゃんが「真夏の夜祭りに、二人で確かに見上げた」と言い張るからには、それは自然に咲く本物の花などではない。
屋内のどこかにあった、本物と見紛うほどの圧倒的に巨大な人工の景色だったのではないか。
俺は横浜の古い歴史や、地元の古いお寺、伝統的な催し物についてネットや図書館で徹底的に調べ上げた。
そして、その地道な調査の果てに、ついにひとつの真実にたどり着いた。
この地区にある格式高い古いお寺では、毎年8月のお盆――つまり夏祭りの時期にだけ、本堂の奥で特別に開帳される、歴史ある巨大な宝物が存在していたのだ。
「――これだ。おばあちゃんが見たのは、これに違いない」
真夏の熱気のなかで、俺は確信を胸に、今夜の『尾行』……いや、おばあちゃんとの本当の目的地へのデートに向かって、静かに準備を始めるのだった。




