第九章 第二話 浪速の迷宮と、見えない障壁
羽田から飛行機に飛び乗った俺は、大きな揺れもなく大阪へと到着した。
空港を出てすぐにタクシーを拾い、田村の勤める出版社の大阪支局へと向かった。
ビルに到着した俺は、田村から事前に指定されていた部署へと足を運び、受付の職員に今回のターゲットである男の名前を告げた。
「本条正さんをお願いします。東京の本社の田村から、書類を届けにきました」
だが、俺の言葉を聞いた瞬間、受付の職員は一瞬だけ表情を強張らせ、すぐに取り繕うような愛想笑いを浮かべて首を振った。
「……いえ、うちの部署には、そのような名前の職員はおりませんが」
「え?」
職員はマニュアル通りといった様子で、冷淡にそう言い放った。
そんなはずはない。つい一週間前に急な転勤でここに飛ばされてきたと、田村から確かに聞いている。
俺はそっと周囲の様子を観察してみたが、俺たちのやり取りにそれとなく聞き耳を立てて見守っている周りの職員たちの視線に、何かを必死に隠そうとしているかのような、奇妙な違和感を覚えた。
(……怪しい。絶対に何か知っていやがるな。だけど……)
ここで大騒ぎをすれば、確実に面倒なトラブルになる。
俺はおとなしく引き下がり、支局のビルを出てからすぐに携帯を取り出して田村に電話をかけた。
『えっ? 本条がいない!? そんな馬鹿な、確かに大阪支局のその部署に異動になったはずだぞ』
電話の向こうの田村も、俺の報告にひどく困惑していた。
田村はその場で本条のスマートフォンへすぐに電話をかけてくれたが、残念ながら留守番電話に繋がってしまったらしい。
『黒崎、すまないが本条の携帯の番号を教えるから、お前から直接連絡を取ってみてくれないか?』
「わかった」と電話を切り、俺は田村から送られてきた番号へ直接連絡を入れてみた。だが、やはり呼び出し音が鳴り響くばかりで本条が出る気配はなく、俺は仕方なく留守番電話にメッセージを録音した。
「東京の田村から頼まれて書類を持ってきた、探偵の黒崎です。連絡をください」
さあ、どうしたものか。
すっかり手詰まりになった俺は、あてもなく道頓堀まで歩き、橋の上でぽつんと佇みながら、有名なグリコの看板をただじっと見上げていた。
(……ただの書類運びだと思ってたのにな。これ、もしかして思ったよりヤバい事件なんじゃねえだろうな)
冬の冷たい風に吹かれながら、俺の心臓が静かにバクバクと嫌な音を立て始めた、まさにその時だった。
ポケットのなかで、スマートフォンが短い着信音を鳴らした。画面を見ると、先ほどメッセージを入れたばかりの、本条正の番号からだった。




