第五章 第四話 偽りの狂詩曲と、遠いハット
寿町の為五郎さんから「爆弾の中身」であるSDカードを回収した俺は、その足で大急ぎで中華街の沈さんの店へと引き返した。
「沈さん、これを」
店の奥の引き戸を閉め、俺が差し出したメモリーカードを見るなり、沈さんのいつもの笑顔がまたしても一瞬で消え失せた。
「……よく見つけてきましたね、黒崎さん」
流暢な日本語のまま、沈さんは店のノートパソコンにカードを差し込み、動画ファイルを再生した。
液晶画面に映し出されたのは、どこかの中華料理店の個室らしき映像だった。
円卓を囲んでいるのは、見事なリーゼントヘアにアロハシャツを着た地元の暴力団の幹部と、黒い高級スーツに身を包んだ中国系マフィアのボスたち。
緊迫した抗争の映像かと思いきや、彼らは酒を酌み交わしながら、じつに和気藹とした様子で密談を交わしていた。
『――よし、今度の大口の麻薬取引だが。警察の目を完全に眩ますために、しばらく俺たちの組織同士が激しく反目し合っているフリをしよう』
『それがいい。中華街のあちこちで派手な小競り合いを起こせば、マスコミも警察もそっちの抗争に気を取られる。その隙に、本命の密輸ルートを丸ごと通すのさ』
(……偽装抗争、だと!?)
画面を見つめる俺の背中に、ドッと冷や汗が噴き出した。
最近の中華街のピリついた空気は、すべて警察の裏をかくための大がかりな自作自演だったのだ。
沈さんがさらに動画のシークバーを動かすと、密輸のルートや、具体的な取引の日時・場所がはっきりと記録されていた。
この映像は、相手の組織が後から裏切らないように、念のために暴力団側の組員が極秘で撮影していたものだったらしい。だが、それに気がついた中国マフィアの男たちが撮影者を追いかけ、窮地に陥った撮影者がそのカメラをゴミ捨て場に隠して逃走。
その一部始終を物陰からじっと覗き見ていた為五郎さんが、団員たちが回収に戻ってくる前にカメラを横取りして、沈さんの店に売り払った……というのが、9日前の早朝に起きた三つ巴の真相だったのだ。
「……なるほどな。すべてのパズルは繋がった」
俺が深くため息をつくと、ノートパソコンの画面を閉じた沈さんが、青ざめた顔で首を振った。
「黒崎さん。さすがにこれは、私のようなしがない古物商の手には負えません。このデータは、私のルートを使って、無記名で警察のしかるべき部署に流すことにします」
「……ええ、それが賢明です」
さすがの沈さんでも、麻薬組織の密輸計画はヤバすぎたらしい。命の危険を感じた俺たちは、すぐにそのデータを警察へ匿名でリークし、俺の今回の調査はこれにてお役御免となったのだった。
*
後日。
俺はいつものようにアパートの部屋で安ウイスキーを揺らしながら、スマートフォンのニュースアプリを開いた。
画面のなかでは、横浜港の倉庫街で行われた大がかりなガサ入れの様子がテキストと動画で報じられている。
『――本日未明、警察の特殊部隊が一斉検挙に踏み込み、地元の暴力団と中国系マフィアの密輸グループ、合わせて数十人を現行犯逮捕いたしました。事前に詳細な取引情報のリークがあった模様で……』
スマートフォンの小さな画面のなかで、一網打尽にされていく男たち。
「フッ……どんな巨大な悪の計画も、俺のインテリジェンスの前には形無しというわけさ」
誰もいない部屋で格好よくうそぶいてみる。警察を動かして麻薬組織を丸ごと壊滅させたのだ。私立探偵として、これ以上ないほどの歴史的大手柄である。
……だが、現実に帰れば非情だった。
その日の夕方、俺が期待に胸を膨らませて中華街の沈さんの店へ向かうと、そこにはいつもの怪しい片言の笑顔に戻った沈さんが立っていた。
「クロサキサン! コンニチハ!」
「沈さん、例の件、ニュースで見ましたよ。それで、あの……報酬の件なんですけど」
俺が視線でカウンターの奥のトレンチコートとソフトハットを促すと、沈さんは困ったように両手を広げた。
「あー、クロサキサン。残念ねー。今回は『盗まれたビデオカメラ(品物)』そのものは回収できなかったネ。だから、約束の報酬はナシよ。……でも、大丈夫! ガンバッテ、オカネ、タメテカイニキテヨ。トッテオクカラ!」
がくっ、と俺は文字通りその場に頽れた。
そんな殺生な。警察を動かして暗黒街の危機を救ったのに、まさかの報酬ゼロ、自腹での購入案内である。仕方ない、これが裏社会のルールってやつか……。
*
すっかり夜も更けた、六畳一間のアパート。
俺は沈さんの店での非情な宣告を思い出しながら、一人静かにベッドに寝転がっていた。
結局、今回も手に入らなかったな……。
俺は静かに目を閉じ、もしもあの漆黒のトレンチコートを身にまとい、渋いソフトハットを深くかぶった自分が、中華街の薄暗い裏路地に立っている姿を頭のなかで思い描いてみる。
霧のなかに立つ、完全体の私立探偵、黒崎優斗。
コートの襟を立て、ハットの気取った影から、鋭い眼光で街の巨悪を睨みつける――。
「フッ……やっぱり,、めちゃくちゃ格好いいな、俺」
手に入らなかったからこそ、妄想のなかの俺はどこまでも完璧で、どこまでもハードボイルドだった。
いつか本物の依頼料をがっぽり稼いで、あの神器をこの手で買い取ってやる。そんな果てしないオタクの野望と甘い妄想にどっぷりと浸りながら、俺は静かに眠りへと落ちていくのだった。
夜の帳は、今夜も静かに、等身大の探偵を包み込んでいく。
(第五章・完)




