第五章 第二話 男のプロファイルと、追跡のプロトコル
沈さんの店を飛び出した俺は、大急ぎでアパートへと逃げ帰ってきた。
自宅の鍵を閉めてネクタイを緩めた瞬間、ようやく心臓のバクバクが収まる。
あぶなかった。あのまま沈さんの店にいたら、中国系マフィアの気配に押しつぶされて息が止まるところだった。
トレンチコートとソフトハットという物欲に目が眩み、俺はまたしてもガチの修羅場案件を二つ返事で引き受けてしまっている。
沈さんが何か説明してくれていた気はするが、頭の中は報酬のコートのことでいっぱいで、詳細な内容は上の空だった。ここからは、ハードボイルド小説の探偵になりきって、手元にある僅かな情報からターゲットのプロファイルを作成し、動機と足取りを推理していく時間だ。
俺はいつもの安ウイスキーをショットグラスに注ぎ、デスクに向かってメモ帳を広げた。
無くなった品物:ビデオカメラ
入手した日:9日前
無くなった日:8日前(つまり入手した翌日)
出所:たまに沈さんの店に、拾ったものを売りに来るホームレス(住所不定)
「ここで、最初の謎だ」
俺はメモ帳に大きく丸をつけた。
「ビデオカメラが盗まれた8日前、沈さんの店の前で、地元の暴力団組員と中国マフィアの数人が突然喧嘩を始めた。沈さんが何事かと見に店を空けていた、わずか10分ほどの間にカメラは消えている」
これは単なる偶然の窃盗ではない。
最初からそのビデオカメラだけを狙い澄ました、計画的な犯行だ。店の前での喧嘩は、沈さんの目を逸らすための組織的な「サクラ」だったのだ。
ということは、あのビデオカメラの中に、暴力団や中国マフィアにとって『警察にバレたら一発で組織が吹き飛ぶようなヤバいデータ』が入っていたと見て間違いない。
「……って、おいおいおい。やっぱりガチの暗黒街の抗争じゃねえか!!」
推理が繋がれば繋がるほど、俺の全身からブワッと冷や汗が噴き出した。
もし俺の推理が合っているとしたら、あのビデオカメラをどこかで拾って沈さんに売り払ったホームレスは、今頃どうなっているんだ?
まさか、もう組織の手によって、運河の底にでも沈められているんじゃ……。
「ひぃぃっ……! 怖い、怖すぎる……っ!」
こんな連中と渡り合えるわけがない。見つかったら、俺まで一緒に沈められてしまう。
(ダメだ、やっぱり断ろう。今からでも『田舎の婆ちゃんが急に危篤になった』とでもベタな大嘘をぶっこいて、沈さんに依頼をキャンセルしに行おうか……無理だろうな)
弱気が頭をもたげるが、頭をよぎるのは、沈さんの店のカウンターの奥に見えた、あのトレンチコートとソフトハットの姿だ。あれを身にまとえば、俺はついに完全体の探偵になれる。
俺は意を決してネクタイを締め直し、いつもの黒いスーツの上着を正した。黒サングラスをかける。
まずは、すべての発端となった、あのビデオカメラを沈さんに売り払ったという「住所不定のホームレス」の行方を追うしかない。俺は早速、中華街の裏路地へと調査を開始した。




