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第三章 第四話 北の果ての一杯飲み屋と、ハードボイルドな伝言

夜の路地裏での張り込みを終え、俺は純喫茶『ノア』へと戻った。

待っていたマスターと千鶴ちゃんに、健くんから聞き出した香蓮ちゃんの事情をすべて説明する。

香蓮ちゃんが北海道の港町の一杯飲み屋で母親を説得し続けていること、環境による大人の現実。


話を聞いたマスターも「そんな遠くへ……。一刀両断に……いや、それは流石に無理だな」と、愛刀の幻影を引っ込めて途方に暮れていた。

すると、隣にいた千鶴ちゃんが、俺の服の袖をぎゅっと掴んできた。


『黒崎さん……私、香蓮が心配で夜も眠れないの……』


潤んだ瞳での、可愛い上目遣い。

そして、千鶴ちゃんは両手で俺の手をそっと握りしめてきたのだ。


(……ドクンッ!!)


俺の心臓が、今日一番の爆音を立てた。

「……っ。分かった、俺が解決するよ、千鶴ちゃん」

俺は必死にポーカーフェイスを保ちながら、優しく彼女の手を押しやり、そのまま「ちょっと、探偵のインテリジェンスを整理してくる」と席を立ってトイレへと駆け込んだ。


個室の鍵を閉め、すかさず自分の両手を鼻の頭へと持っていく。スー、ハー。


(……お、おおおお! 千鶴ちゃんの匂いがする! 千鶴ちゃんの手、めちゃくちゃ柔らかかったなぁ……!)


個室の中でニヤニヤと不審な笑みを浮かべる俺。だって、生まれてこの方、女子高生に手を握られたことなんて一度もなかったんだもん。仕方ないじゃないか。これはここだけの秘密だ。


ともあれ、JKに手を握られて俄然やる気を出した俺は、次の工場の休み(土日)をフルに使い、自腹で飛行機と電車を乗り継いで北海道の港町へと飛んだ。


そこは、北の潮風が吹き抜ける、うらぶれた港町だった。

目当ての一杯飲み屋のドアを開ける。六人も入ればいっぱいになる小さなカウンター。そこに、香蓮ちゃん(十七歳・名前にだって限度があるぞ)と、彼女のお母さんがいた。


「お嬢さん、そこまでにしときな」


俺はサイズの微妙な黒スーツの襟を立て、カウンターの端に腰を下ろした。

驚く香蓮ちゃんを横目に、俺はお母さんから、仕事人間だった父親への小さな不満が積もり積もって破局したという大人の現実を聞かされた。確かに、一度破れた段ボールはガムテープを何重に貼っても元には戻らない。段ボール工場のプロとして、お母さんの言葉は妙に腑に落ちた。


だが、俺はここで、ハードボイルド小説の受け売りのセリフをドヤ顔で言い放った。


「お嬢さん、大人の世界にはね、他人が土足で踏み込めない聖域プライベートがあるのさ。――それが,、実の娘であってもね」


「え……?」


「だがね、君がここで頑固に復縁を迫り続けても、横浜で健くんや千鶴ちゃんが、君を心配して夜も眠れずに泣いている。君の戻るべき場所は、お母さんの横だけじゃないはずだ。……違うかい?」


俺の、小説からそのまま拝借した渋いセリフと、横浜に残してきた幼馴染たちの深い絆。

それに胸を打たれた香蓮ちゃんは、ぽろぽろと涙を流し、ついに納得して東京の家へと戻る決意をしてくれたのだった。


     *


数日後。

香蓮ちゃんは無事に東京へと戻り、健くんや千鶴ちゃんとの賑やかな日常を取り戻した(ラインの既読無視も無事に解消された)。

千鶴ちゃんもすっかり元気になり、純喫茶『ノア』で楽しそうにバイトをして、マスターも孫と毎日会えて大喜び。これにて『看板娘の憂鬱事件』はサクッと完全解決である。


最近はめっきり暑くなってきた。

二つの事件を解決し、マスターからも弾んだ依頼料を貰ったおかげで、今の俺の懐には少しばかりの余裕がある。


「フッ……夏に向けて、一着、新調するか」


俺はいつもの横浜中華街へと足を運んだ。

目指すのは、サイズの微妙な古着をいつも買っているちんさんの店――ではなく、その三軒先にある、キムさんのテーラーだ。今日は余裕があるから、古着ではなく、オーダーメイドでビシッとスーツを仕立ててやろうというわけだ。


沈さんの店の前を通りかかると、店先から声をかけられた。

「クロサキサン、クロサキサン! アンタニ、チョウドイイ、フク、ハイッテルヨ」

「いや、沈さん、今日はちょっと余裕があるんでね。金さんのところで仕立てようと思ってるんだ」

「ソナノ、ザンネンネ。マタキテネ」


沈さんに手を振り、俺はキムさんのテーラーのドアをくぐった。

すると、店主の金さんは俺の姿を見るなり、しきりに「夏なら白いスーツだ! 絶対に白いスーツが格好いい!」と、熱烈に白スーツを勧めてくる。


白いスーツ。


その単語を聞いた瞬間、俺の脳内にあるハードボイルドの伝説的アラートが、最大音量で鳴り響いた。


(オイオイオイ……!! 探偵が白いスーツなんて着たら、地下のBarを出たところで振り返りざまに腹をグサッと刺されちゃうだろ!! そんなの、万有引力の法則より確かな法則だぞ……!!)


白スーツを着た瞬間に、俺の死亡フラグが天高く乱立した。あんな芸当、痛すぎて俺には絶対に無理だ! 命がいくつあっても足りやしない。


「……す、すみません、急に用事を思い出しました」


俺は金さんの制止を振り切り、回れ右をして高速でUターンし、テーラーを飛び出した。

正式にそのまま猛ダッシュして、三軒手前の沈さんの古着屋へと滑り込む。


「モドッテキタネ!」


ハァハァと息を切らしながら、俺は沈さんの店に飛び込んだ。

やっぱりこれだ。命あっての探偵業である。危うく金さんの口車に乗せられて、人生の最終回になるところだったぜ。


冷や汗を拭いながら、俺はアパートへ向かって早足で歩きだす。


時計を見る。

……あ。やべ。


「もう朝の七時半じゃねえか!! 白いスーツで刺される心配をしてる場合か!」


慌ててアパートの部屋に飛び込み、黒いスーツを引っぺがして、ガムテープの匂いが染み付いた、いつもの地味な作業服に着替える。

早くチャリを漕いで段ボール工場に出勤しないと、定時に遅刻してしまう。

俺の明日は、どっちだ。


(第三章・完)


第三章(看板娘の憂鬱事件編)を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!


千鶴ちゃんの柔らかい手の感触をトイレで噛み締めていたかと思えば、北海道まで飛んで「段ボール」と「ハードボイルド」を掛け合わせた謎の説教をぶちかまし、最後は白スーツの暗殺フラグに怯えてUターンする……。相変わらずハッタリとやせ我慢だけで生きている黒崎優斗ですが、今回もなんとか五体満足で(刺されずに)事件を乗り切ることができました。

無事に幼馴染たちの日常が戻り、純喫茶『ノア』のマスターの「看板娘計画」も大成功となって何よりです。


本作は、この後も第四章へと続いていく予定です。

いよいよ本格的に『ノア』の看板娘として働き始めた千鶴ちゃんや、二駅離れたスナック『蜘蛛の糸』のママ、そして優斗を待ち受ける新たな(そしてやっぱり不本意な)依頼など、これからもマイペースに彼らの日常を紡いでまいります。


昼間は地味に段ボールを運び、夜はサイズの微妙な古着の黒スーツで格好つける、そんなヘタレ探偵・黒崎優斗の明日をこれからも見守っていただけますと幸いです。


それでは、第四章でまたお会いしましょう!


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