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閑話・教師達の視点

放課後の職員室。新学期の慌ただしさがひと段落し、窓から差し込む夕日が、山積みの書類と教諭たちの疲れた顔をオレンジ色に染めていた。


淹れたばかりのお茶の香りが漂う中、進路指導票を整理していた教諭の一人が、ふと手を止めて口を開いた。


「……それにしても、やはり変わりましたね。佳山先生」


「ええ。表情が明るくなったというより、何か……覚悟が決まったような顔をされています。あの一件、警察からの連絡があった時は心臓が止まるかと思いましたが」


別の教諭が同意するように深く頷く。話題の中心は、3月の末に起きた、あのあまりにも劇的で、凄惨ですらあった「見合い騒動」だ。


「ドラマのような話でしたが、佳山先生がその渦中にいたのは事実ですからね。そして、そこに……久遠君もいた」


教頭が眼鏡を拭きながら、低く呟いた。その場にいた教師たちの間に、一瞬の沈黙が流れる。それは、一介の生徒である久遠慎に向けられる、畏怖に似た感情の表れだった。


「……正直なところ、あの日以降の二人の空気を見れば、察せざるを得ません。彼らがどういう関係にあるのかを」


「付き合っている……のでしょうね。男女の関係、と断じても、今のあの二人を見れば否定できる者はいないでしょう」


「本来なら、アウトなのだが…」


「ですが、法に違反するような不適切な触れ合いは一切見られません。常に適度な距離を保っているらしい…」


「それがまた、逆に恐ろしいんですよ。あの若さで、あれほどの自制心。普通なら、手の一つも繋ぎたくなる年頃でしょうに」


一人の若手教諭がため息をついた。


「佳山先生のような美しい年上の女性を傍に置いて、あれほど冷静に、かつ理性的でいられるなんて。教師と生徒という立場を差し引いても、同じ男として尊敬すらしてしまいます。本当に、久遠君は十代の若者なのでしょうかね?」


「さあ? もしかしたら十代の皮を被った五十代かもしれませんよ?」


「ごじゅ……5倍ですか??」


「ははは、彼が聞いたらさすがに怒ると思いますよ? しかし、確かに精神年齢が、実年齢よりも高い気がしてなりませんな。時に、我々よりも世の中の道理を知り尽くしているような、そんな目をする」


教務主任が苦笑を浮かべる。学校側として、彼らの関係を精査すべきではないかという意見も、かつてはあった。しかし、今ではその声も消えつつある。なぜなら、彼らが直面した事態の「経緯」があまりに苛烈すぎたからだ。


「我々が介入できる範疇を超えています。警察の捜査に協力し、犯罪組織の手下を制圧して、被害の拡大を防いだ」


「……結果だけを見ればヒーローも同然ですが、高校生が首を突っ込むようなトラブルではない。それを平然とやり遂げてしまった彼に対して、今更『校則』だのなんだのと説教できる人間が、この学校にいるでしょうか?」


「……いないでしょうね。説教をしたところで、逆に論破されるのがオチですよ」


誰もが、慎の底知れぬ胆力に圧倒されていた。麗奈は、自分たちが知らない慎の「何か」を知っているのかもしれない。彼女が時折見せる、彼への全幅の信頼。それは単なる男女愛というより、もっと根源的な何かにも見えたが、誰もそれを深く詮索しようとはしなかった。


触れてはいけない。それが、学校側が暗黙のうちに共有した「聖域」の境界線だった。


一方で、学年主任の武村は、一人静かに手元の資料に目を落としていた。彼女の脳裏には、以前、慎と交わした会話が鮮明に残っている。


『トラブルは、絶対に起こしません』


慎は確かにそう言った。武村は当時、その言葉を傲慢な不遜さと受け取ったが、今では別の意味を感じている。


「……確かに、彼はトラブルを『起こして』はいないわね。降りかかる火の粉を、払い落としただけ……」


武村の独り言に、隣の教諭が怪訝な顔をした。


「何か仰いましたか、武村先生?」


「いいえ……。ただ、彼は、我々の物差しでは測れないのだと思って…」


武村は窓の外に目を向けた。


慎は約束を守っている。あの一件も、彼が自ら騒動を巻き起こしたわけではない。佳山家という歪んだ環境が勝手にトラブルを呼び寄せ、慎はそれを「解決」するために動いただけなのだ。犯罪の通報は国民の義務であり、暴力からの防衛も正当な権利だ。論理的に考えれば、慎に非など一分もなかった。


「まったく、本当に彼はどういう高校生なのかしら……?」


武村は呆れたように、しかしどこか感心したように、小さく笑った。


慎が無事に卒業するまで、あと一年足らず。その時が来れば、法的な制約は消え、彼らの関係を縛るものは何も無くなる。それが教育現場として正解なのか、あるいは世間体がどうなのか、議論の余地はあるだろうが、望む未来へ進もうとしているあの二人を誰が否定できるというのか。


「……せいぜい、静かに見守るのが我々の仕事かもしれませんね」


教頭の言葉に、教師たちは静かに頷いた。


学校という閉ざされた社会の中で、慎と麗奈の関係は、既に誰にも侵せない特別な形を成していた。それは不適切という言葉では片付けられない、一つの「完成された答え」のようでもあった。

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