第59話「心変わり」
フィーヴェの森。
フィトラグスとディンフルは剣を構え、向かい合っていた。今にも戦い出しそうだった。
見ていたユアとティミレッジはどうすればいいかわからず、オプダットも顔が青ざめていた。
「どうしよう。これじゃあ、何のために魔法を封じたのか……」
「どっちみち、二人は戦い合う運命なんだよ」
ユアがうろたえ、ティミレッジが見切りをつける中、オプダットは顔面蒼白で震えていた。
ユアは彼へ振り返った。
「オープン、二人を止めて! 私の魔封玉やティミーの説得でもダメだったから、あとは力ずくでないと……」
「オープンが死んじゃうよ!」
ユアの提案をティミレッジは拒否した。
確かに、戦う気満々のフィトラグスと戦闘力に長けたディンフルの間に入ると、悲惨な事態は目に見えていた。
「言おうと思ってたんだが……」
オプダットが口を開いた。恐怖からか声まで震えていた。
ユアとティミレッジは彼へ注目した。
「……ユアの背中、ゴキブリがついてるぞ」
「えぇっ?!」
ユアが絶叫すると、睨み合っていたフィトラグスとディンフルもこちらへ向いた。
「どうした?」
フィトラグスが心配して尋ねると、ユアは背中を見せた。
すると、こげ茶色の楕円形の物体がぴったりとくっついていた。
ティミレッジとフィトラグスが悲鳴を上げると空気ががらりと変わり、決着どころではなくなった。
「本当だ! それも、とびきり大きいやつ!」
「こんな冬でも出るのか……?」
二人が言うとユアはパニックを起こし始めた。
「いやいやいやいや! 誰か取って~!」
「俺もイヤだよ! ティミー!」
「む、虫は平気だけど、それだけは……!」
虫嫌いのオプダットは当然拒否。
振られたティミレッジも行きたがらない。
「その無駄に長い杖で取ってやればいいだろ!」
「“無駄に長い”って何だよ?! ちゃんと役に立ってくれてるよ!」
「つべこべ言ってないで、早く取ってよ~!!」
男性陣が誰も行かないでいる間にゴキブリは少しずつ上がって行き、ユアの髪に近付いて行った。
「大変だ! 髪につくぞ!」
オプダットが叫ぶ。
ユアはますます慌てふためいた。
「やだやだ! 離れて離れて~!」
ユアは虫を払うために頭と体を振ると、近くに置かれてあったバケツを倒し、辺りを水浸しにしてしまった。
さらに倒れたバケツにつまずき、石碑のようなものに頭をぶつけ、うつ伏せに倒れてしまった。
「だ、大丈夫?!」
「何やってんだよ?!」
「そんな転び方する奴いるか?!」
ティミレッジが心配し、フィトラグスとオプダットがユアへつっこんだ。
「そんなこと言われたって、早く取ってくれないからじゃない! みんな、男でしょ?!」
「男も女もねぇだろ! 怖いものは怖いんだから!」
ユアが珍しく文句を垂れ、仲間想いのオプダットが拒否をするという今までにない光景が流れる間、ディンフルは俯いて体を震わせていた。
「ディンフルさん……?」
気が付いたティミレッジが声を掛けるも反応はない。
そして、顔を上げると……。
「アハハハハハハハハ!」
彼は大きな笑い声を上げ出した。
すでに目に涙も浮かべていた。
「お前は本当にドジだな! 絵に描いたようなドジだ!」
しかも魔王の不敵な笑みではなく、大笑いだった。
これこそ今まで見たことないものなので、ユアたちは思わず呆然とした。
笑い続けるディンフルを凝視していると、彼が疑問に思い始めた。
ツボにハマったのかまだ笑っていた。
「何だ、その顔は?」
「いや、あんたが何なんだよ……? そんなに笑う奴だったか?」
フィトラグスは四人の中でもっとも強張った顔をしていた。
普通に戦っていれば、絶対に見ることのなかった魔王のバカ笑いだ。
目の前の光景が信じられず、まるで夢でも見ているかのような感覚に陥っていた。
「お前たちの挙動も何だ? ティミレッジはユアと同様に慌て、仲間想いのオプダットも正義感に溢れたフィトラグスでさえ助けに行かぬ。たかが虫相手にだ……。今のを見て笑わずにいられるか、バカ者!」
ディンフルは涙を拭いながら答えた。
四人は終始絶句していた。大笑いする魔王がどうしても信じられなかった。
「いかなる時も世話が焼ける! 待ってろ」
ようやく落ち着いたディンフルは魔法を使うとゴキブリが白い球体に包まれ、ユアの背中から離れた場所にある木の根元まで飛んで行った。
「室内であれば殺すが今は処理に困るゆえ、移動させた」
「ありがとう~……」
「それよりも、どうしてくれる?」
ユアが安心して感謝し仲間たちも心から安堵すると、ディンフルは大笑いから一転し威圧しながら聞いて来た。
「な、何が?」
「バケツを倒し、水浸しにした上、石碑に傷をつけたな?」
今の騒ぎでユアはバケツの水をこぼし、石碑にもぶつかった。
頭をぶつけたので、実際に傷ついたのは彼女の方だった。
しかし、何故それでディンフルが睨んでいるかと言うと……。
「このバケツに水を汲み、置いたのは私だ」
「えっ? じゃあ、この石碑は……?」
「大切な者の墓だ」
ティミレッジが物怖じしながら聞くと、ディンフルはそう答えた。
ユアはその場で土下座をした。
「ご、ごめんなさい! そうとは知らずに……!」
「やめろ! 土下座など大袈裟な! 早速だが、お前に罰を与える!」
フィトラグスとの決着やゴキブリのお陰ですっかり忘れていたが、ユアにはこれから罰が待っていた。
ディンフルから言われて思い出し、再び覚悟を決めた。
「今から、この墓をキレイにしろ」
四人はまた絶句し、目を丸くしてディンフルを見た。
「何だ、その目は? 何か不満でも?」
視線を感じた彼が問うと、フィトラグスが一番に発言した。
「そんなことでいいのか?」
「“そんなこと”……とは?」
「もっと、キツそうなのを用意すると思ってたからさ……」
「今言ったばかりだが、大切な者の墓石だ。少しの汚れも容赦はせぬ。よって、お前たちにとってはキツい罰になる筈」
ディンフルの言い方をティミレッジは聞き逃さなかった。
「お前たち?」
「早く虫を取らなかった罰と連帯責任で、三人にもやってもらう!」
突然の提案にフィトラグスが文句を言った。
「何であんたの大事な人の墓参りなど……!」
そこへオプダットが割り込み、声を弾ませた。
「よっしゃ! まず何したらいい?!」
掃除をする気満々の彼の後ろで、ティミレッジとユアもわくわくしていた。
墓掃除を楽しみにしているようだった。
「お前ら……?」
フィトラグスは受け入れ難かったが、自分だけ蚊帳の外になるのは嫌だったので一緒に掃除をすることになった。
一方でユア、ティミレッジ、オプダットはディンフルの役に立てるのが嬉しくて張り切っていた。
途中何度も彼に怒鳴られたが、ユアは「避けられるよりはマシ」と思い、どんな注意も喜んで引き受けた。
そして、この墓掃除でディンフルからの信頼を回復しようと、一番奮起するのであった。