犬の声を待つ猫
今回の任務はキンドゥノスの森に隣接する街道。
その一部に、商人や旅人が休息地として使用するひらけた場所がある。そこを狩場として縄張りにした、熊に似た大型魔獣の討伐だった。
シオンの偵察とロイの指示により、討伐は順調だ。
「右!」
シオンの声に、ロイが槍を構える。
魔獣が振り下ろした腕を避け、そのまま懐へ入った。槍が脇腹を抉る。
怒った魔獣がロイへ向く。
その背後、木の上からシオンが飛び降りた。
双剣がその背に何撃もの傷をつけていく。
魔獣は咆哮をあげて両腕を振り回す。
ロイとシオンは避けるために大きく後ろへ下がった。
魔獣はそのまま岩壁へとぶつかり、振動が響く。
「浅い!」
「だってこいつ岩みたい!」
「もう一回!」
魔獣が振り返る。
そこを見ると立っているのはロイしかいない。
シオンはすでに次の連携のため木の上へと跳んでいた。
もう一度、同じ手順。
それでも魔獣はまだ立っていた。
「シオン、先!」
「分かった!」
「マルク、俺の後ろに待機!」
「はい!」
すぐに態勢を変えて、死角にいたシオンが魔獣の前に飛び出す。
急に現れたシオンを追って、魔獣は腕を振り下ろした。
それを跳んで避けて、誘導したい方向へ着地する。ロイの待つ方へ少しずつ進んだ。
「――待って」
あと少し、そう思った時だった。
シオンの耳が動く。
魔獣の攻撃を避けながらだと、音源を探しにくい。
「どうした!」
様子の変わったシオンに、ロイが声をかける。
シオンは一度、魔獣から大きく距離を取ると、一瞬だけできた隙に音を探した。
「ロイ!上だ!」
その直後、ゴゴゴッと大きな音。
「散れ!」
ロイが叫ぶ。
第四班が一斉に動く。
崖の上から拳ほどの石が降り注ぎ、ときどき大きな岩まで落ちてくる。
魔獣が何度もぶつかっていたから、脆くなって岩壁が崩れたのだ。
シオンは向かってくる魔獣を引きつけることに集中した。みんなの体勢が整うまで、魔獣が向かわないように。
「キィ!」
誰かが叫ぶ声が聞こえた。
そちらをチラリと見ると、岩の落下地点に、倒れた班員を引き起こそうとしているキィがいた。
シオンはそちらには行けない。
「下がりなさい!」
オーバがキィを引っ張った。
倒れている班員までは間に合わない。
その時、黒い影が滑り込んだ。
ロイが倒れている班員をオーバの方へと突き飛ばす。
「ロイ!」
オーバが叫ぶ。
直後、大きな音が響いた。土煙があがる。
シオンは接敵しながらも耳を澄ました。
犬の声が、聞こえない。
「――ロイ?」
土煙の向こう。
地面に倒れている黒い耳が見えた。
「ロイ!」
そちらへ向かって走ろうとした。
その瞬間、横から風を切る音が聞こえて、シオンは咄嗟に体を捻り腕をクロスして構える。
振り下ろされる魔獣の腕を正面から受けてしまった。そのまま後ろへ吹き飛ばされる。
「シオン!」
マルクが急ぎ駆けつける。
シオンはすぐに立ち上がった。腕は爪で裂かれ、額からは血が出ている。
「大丈夫」
目の前には崩落に驚き、完全に興奮した魔獣。
マルクがシオンの後ろへ立つ。
「ロイは?」
シオンは自分の怪我より、ロイについてマルクに聞いた。
「……今、副班長が確認してる」
「….........」
ロイへと視線を向けると、岩を急いで退かすオーバと他班員の姿。数名はこちらを警戒するためロイの前を塞いでいる。
そのせいで、姿は見えなかった。
「……ロイ」
返事はない。
「シオン、お前も下がれ」
マルクが声をかける。
「大丈夫」
返事はしているものの、思考は別のところにあるようだった。
双剣を握り直し、姿勢を低くして構える。
それは完全に獲物を狙う捕食者の目。
熊型魔獣も自身へ向けられた敵意に、シオンに牙を向いた。
数秒、睨み合う。
シオンの耳がピクリと動いた瞬間。
「おい、シオン!」
マルクが止める間もなく、シオンが飛び出した。
その一撃はいつもの軽快さはなく、重い音が響いた。
超至近距離から振り下ろされる腕。
スレスレで避けるシオン。何度も振り下ろされる双剣。服、頬、腕、脚。お互いに細かな傷が増えていく。
他の班員も攻撃に入りたいが、シオンが至近距離を素早く動き回るため、手を出せない。
「シオン、下がりなさい!」
オーバが声をかける。異様な音を聞いて、こちらを対応すると決めたのだろう。
シオンは止まらない。
「ロイは生きてます!」
その一言でやっと、動きが変わる。
魔獣から距離を取りロイの方を見た。
キィ達がロイの手当てを進めている。
眠るロイの胸が動いている。
生きている。
「……うん」
息を大きく吸った。
いつの間にこんなに息を詰めていたのか。
「もう、大丈夫」
さっきとは違う、今度はちゃんと返事をした。
額から溢れる血を拭う。
「マルク、オーバの方に行って」
まだ興奮状態の魔獣はシオンから視線を外さない。
「オーバ、そっち。最後決めて」
続くその一言に、マルクもふぅ、と安心のため息をこぼしてすぐに移動する。
「ええ、任せてください」
オーバの後ろ、マルクとタオが構える。
シオンはまた魔獣へと飛び出したが、今度は無理に双剣を振るうことはない。
「オーバ、行くよ!」
「はい!」
「マルク、タオ!右に少し逸れて!」
「おう!」
シオンが誘導した先。オーバ達の前へとついたところでシオンは木の上へと跳ぶ。
魔獣の視線がそれを追う。
その死角から、オーバの剣が魔獣の喉元を切りつけた。
二撃、三撃と、マルクとタオも剣を振るう。
ついに魔獣が倒れた。
シオンはそれを見て、双剣を収めることも忘れてロイの側に駆け寄る。
血。頭も服も赤く染まっている。
「ロイ」
返事はない。でも触れた犬の手は温かかった。
**
それからすぐに第四班は拠点へと帰還した。
崩落により、多くの班員が負傷したためだ。
拠点に着いても、シオンはロイの側を離れなかった。治療が行われる部屋の片隅で、ぼーっとその姿を見ている。
それを見たマルクがシオンを別の治療室へと引っ張ろうとしたが動かない。
仕方ないので、その場で無理やり治療をしてもらった。
それから三日。
まだロイは目を覚さない。
命に別状はないが、頭を強く打っているため、いつ意識が戻るかは分からない、と治療師は言った。
シオンは「そっか」と、受け入れたものの、ロイのそばから動かない。
包帯だらけの猫が、今日も犬の眠るベッドの脇に座っている。
「シオン」
オーバが食事を持って入ってきた。
シオンの耳が動く。
「食事です」
「そこ置いといて」
机を見るが、朝持ってきた食事が、そのまま残っている。オーバは何も言わず、その隣に新しいものを置いた。
「少し食べて、寝てください」
「うん」
「ずっと寝てないでしょう?」
「眠くない」
「昨日も言っていましたね」
「そうだっけ?」
「そうですよ」
シオンはベッドを見る。
ロイが眠っていて、呼吸は安定している。
手に触れた。変わらず温かい。
それにここは安全な場所で、見張りも必要ない。
なのに。
「……ロイ」
『――いるぞ』
その返事がないだけで、こんなにも眠れない。
「ロイ」
何度も名前を呼ぶ猫を、オーバは困ったように見た。
「シオン、ほら少し休みなさい」
「大丈夫」
「……分かりました。なら、これ」
そう言って差し出したのは、持ってきたパンの半分。
「これだけ食べたなら、ここに居ていいですよ」
「….........」
しぶしぶ受け取るシオンに、オーバはその頭を撫でた。
「子供じゃないけど」
「ええ、知っていますよ」
そして、ちゃんと食べ切ったシオンを見て、古い食事を持って下がる。
「シオン、何かあったら呼びなさい」
「……うん」
シオンは優しく微笑むオーバをちゃんと見て、返事をした。
そして夕刻になって。
まだロイは目を覚さない。
「ロイ」
手を握り続ける猫の手は、犬の体温が移って温かい。
「俺を呼べって言った」
目を開けない犬を見て、思わず言葉がこぼれた。
いつかの戦闘の時。
「一人でなんとかするな、って言った」
返事はない。
「自分は勝手に怪我して」
少しだけ手を握る力が強くなる。
「用があったらシオンって呼んでって言った。……俺を呼んでよ」
自分が発したその一言が、すとん、と心に落ちた。
一人で無茶をするな。
俺を呼べ。
――お前が死んだらどうする。
「……そっか」
シオンが呟く。
分かってしまった。
ロイが怪我をするのが嫌。
呼んでも返事がないのが嫌。
いなくなるかもしれない、それが一番嫌。
そんな風に思う理由なんて一つしかない。
――ロイが好き。
「……早く起きてよ」
握った手に額を当てて、目を閉じる。
それでもやっぱり、眠ることはできなかった。
**
四日目の朝。
握る手。指先が動いた。
猫の尻尾が上がる。
「ロイ?」
瞼がゆっくりと上がる。
焦点の合わない目が、次第にゆっくりとこちらへ向いた。
「ロイ!」
「….........」
ロイはシオンの姿を認識する。
シオンはそれをジッと見つめた。
「……シオン」
掠れた声。でも、ずっと待っていた声だ。
猫の耳から力が抜ける。
「シオン」
もう一度呼ばれた名前。
「遅いよ」
「……?」
「……遅い」
今にも泣き出しそうな顔。
ロイは少し驚き、シオンの顔へと手を伸ばした。
しかし、その手が届く前。
パタリと猫の顔が布団に落ちた。
「え、おい?」
ピクリともしないシオン。
ロイはびっくりして肩を少し揺すった。
「……寝てる?」
その時、ちょうど部屋にオーバが入ってくる。
その手には一人分の食事を乗せたトレーがあった。
オーバはこちらを見ると、その目を少し開く。
「目が覚めましたか」
「ああ」
トレーを机へと置くと、すぐに水を入れたカップをロイへ渡す。ロイはそれを受け取って一気に飲み干した。
その間、オーバはシオンを見て微笑み、その背に毛布を一枚掛けてやる。
「……こいつ、さっきまで起きてたんだが」
「はい」
「急に寝たぞ」
「そうでしょうねえ」
ロイが眉を顰める。オーバはそれを見てクスクス笑った。
「ずっと起きていましたから。あなたが眠る三日間」
「……三日?」
「そばでずっと、あなたの名前を呼んでいましたよ。起きて安心したんでしょう」
「阿呆か……」
「ま、少し寝かせてあげてください。起きた時側にいないと、また可哀想ですから」
そう言って、部屋を出て行くオーバ。
ロイは座ったままベッドに突っ伏して眠る猫を見た。耳から完全に力が抜けて、今まで何度も見た安心している姿。
呆れたような笑いが出たが、その表情は優しい。
手が伸びて猫の頭を撫でた。
「……悪かったな」
呟いた一言は誰も聞いていない。
ロイはシオンを抱えて自分の隣へと寝かす。
猫が安心して暖かいところで眠れるように――。




