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猫の話を聞く犬


「ミーちゃん!」


宿屋に入った途端、女将が声を上げた。

シオンの服の中から顔を出していた猫が、耳を立ててニャーと鳴く。


「ほら」


シオンはしゃがんで猫を床へとおろした。

猫は一度シオンを振り返った後、女将の方へ走っていく。


「ああ、もう......! どこ行ってたの!」


女将はその場にしゃがみこんで、猫を迎え入れた。

彼女が頭から背に向かって撫でると、猫はその場にごろんと転がって、その温かそうな手を受ける。


「よかった......」


そうして抱き上げられた猫は答えるようにまた、ニャーと鳴いた。

シオンがその様子を見て笑う。


「ありがとうね。ずっと探してくれてたんでしょう?」

「別に。俺、今日休みだったし」

「昨日も一昨日もじゃない。本当にありがとう」


少し後ろにいたロイが、それを聞いてシオンを見る。


訓練が終わってすぐいなくなっていた理由。

夕飯に来なかった理由。遠くを見ていた理由。


全て、この猫のためだったらしい。


ロイはまた、額に手を当てて息を吐いた。


「何?」


その様子に気づいたシオンが聞く。


「......いや」


ロイはそれだけ返した。

シオンは首を傾げたが、それ以上は気にせずに女将の方へ視線を戻した。


「見つかって良かったね」


女将は猫の頭を撫でる。


「この子、昔からたまに脱走するのよ。その度に帰ってこないと心配で」

「でも、いつも帰ってくる?」

「そうね。自分でちゃんと帰ってくるときもあったわ」


女将が困ったように笑う。


「帰ってくるけど、いつも心配になるわ」


シオンの耳が、僅かに動いた。


「帰ってくるまで、何があったかなんて分からないでしょう」

「............」

「無事な顔を見るまでは安心できないのよ」


シオンは何も言わなかった。

ロイも何も言わない。


それから二人、女将から礼にと渡された焼き菓子を受け取って、宿を出た。


**


宿舎へと戻る道。

お互いに会話のないまま、しばらく歩いた。

ロイは隣を歩くシオンを見る。

シオンは手に持った焼き菓子をじっと見ていた。


「どうした」

「ん?」

「菓子が気になるのか」

「............」


そう言われて、シオンは横にいるロイを見る。

考えるように少し黙って、それからゆっくりと話し出す。


「......俺、昔だったら、本当に勝手にいなくなってたかも」


ロイの眉が寄る。


「どういう意味だ」

「西部にいた頃の話」


思わず息をのむ。

連日戦闘が起きる、危険地域。

何かを思い出すように、シオンは視線を遠くへ向けた。


「俺さ、外で寝れなかったんだよね」


猫の耳が、少し伏せられた。


「今もロイがいないと、あんまり寝れないけど」


ロイの足が僅かに止まりかけた。

シオンは気づかず、歩いている。


「......何かあったのか?」


その質問にシオンはすぐ答えなかった。

少しの間、静かな時間が流れる。

ロイも黙って、そのまま隣を歩く。


そして少しずつ、シオンは言葉を探すように話し出した。


「隣国の小隊が国境を越えたと聞いて、数日、その小隊を探す任務が続いた」

「............」

「こっちは三人で動いてたんだ。短い時間を交代で休んで、また探して、俺も結構疲れてて」


お互いに視線は前を向いたまま。


「寝ちゃったんだ」

「............」

「途中で、遠くで音が聞こえたのに。見張りしてた奴がいるからいいやって、そのまま寝た」


二人の間に風が通った。灰色の猫の耳が揺れる。


「次に聞こえたのは仲間の悲鳴だった。目の前には探していた敵がいて......一人死んだ」

「............」

「もう一人は大怪我を負って、隊を辞めた」


ロイの拳が握られる。

それでも、まだ何も言わなかった。


「我武者羅に双剣を振ったことだけ覚えてる。気づいたら敵は全員倒れてて、それが、なんか重要な情報を運ぶ部隊だったらしくてさ。俺だけ、等級が上がったんだ」

「............」

「でも、俺は言ったんだよ。あの時、聞こえたんだって」


シオンが笑う。自嘲的で、その笑顔が痛い。


「あの時ちゃんと動いていれば、確認していれば..........」


今度はシオンの手が、僅かに握られた。


「誰も俺を責めなかったよ。辞めたやつも、上司も。でも......それからかな、外で寝るのは苦手」

「......そうか」


シオンがロイを見る。

ロイの顔は眉が寄せられていて、自分の苦しみが移ったようだった。


先ほどとは違う、柔らかい笑みがシオンからこぼれる。


「でもさ、ロイが見張りの時に気づいたら寝てた」


犬の耳が立つ。視線が交わった。


「俺が音がするって言う度、ロイ確認しに行ったじゃん」


それは多分、シオンが異動してきて最初の任務の時。

なかなか寝ない猫の耳が、音を拾って忙しなく動いていた夜だ。


「......それがどうした?」


分かっていないロイ。

シオンが笑う。


「そういうとこ、ロイっぽい」

「意味が分からん」

「......多分、あの時、ロイが『大丈夫』て言ってたら、俺、寝なかったと思う」


ロイはまた黙って、シオンの話を聞いた。


「俺が何度言っても、確認しに行ってたから。だから寝れたんだと思う」


ロイは少し考えて、


「あの時、お前が寝た後も何回か確認しに行った」

「え?」

「俺には何も聞こえなくても」

「なんで?」

「お前の耳が動いたからだ」


シオンの足が止まる。

ロイもそれに気づいて、数歩先で止まった。


「どうした」

「......ずるいなあ」


シオンの耳が緩む。つぶやいた声は、どうやらロイには届かなかったようだ。


「なんでもない」

「そうか」


再び歩き出すロイに合わせて、シオンも隣に追いつき歩いた。


**


「そういえば」

「ああ」


シオンがまた話し出す。

ロイは今日の猫はよく話す、と思いながらまた静かに聞いた。


「あの夜からずっと、俺、結構無茶してたのかも」

「そうだろうな」

「分かるの?」

「何度も言っただろ!」


ロイの言葉に、瞬くシオン。

そして笑った。


「そうだった」

「お前......!」

「でも、昔はもっとだよ。俺が全部やれば、もう同じことは起きない」

「.............」

「その同じことに、自分を入れてなかった」


ロイの表情が変わる。


「死にたかったわけじゃないよ」

「なら――」

「俺なら帰れると思ってたんだよ」

「............」

「実際、帰ってきてたし」


シオンが空を見る。

空は晴れていて、心地よい風が吹く。


「さっき、宿屋のおばさんの話。帰ってくるまで心配って、俺も、心配かけてたんかなあ」

「当たり前だろ」


即答だった。

その顔は真剣で、シオンをくすぐったい気持ちにさせる。


「うん」

「なんだ」

「いや......いっぱい心配かけたなって。一回、腕も足も折れて帰ってきたときは怒られた気がするよ」


ロイの眉が顰められる。


「今さら分かったのか」

「うん。それに心配する側の気持ちも、もう分かったしね」

「する側?」

「そう、ロイが瓦礫に敷かれたとき」

「............」

「呼んでも返事ないし。あの時は本当に死んだかと思った」

「おい!」

「それから三日起きないし」


少し責めるようなシオンの視線。

ロイはばつが悪くなって目をそらした。


「俺、ずっとロイのこと呼んでた」

「......ああ」

「目が覚めたとき、やっと安心したんだよ」


ロイの耳が伏せられる。

あの後、オーバから聞いた。シオンもひどい怪我をして、それでも側を離れず眠りもしなかったと。


「......悪かった」

「なんで謝るの」

「心配をかけた」

「......うん」


シオンはその謝罪を素直に受け取る。


「......俺も今度会ったら謝ろうかな」

「誰に」

「西部のやつら」


ロイは少し考える。


「なら、謝罪じゃなくて礼を言っておけ」

「礼?」

「今さら謝られてもだろ。ただ......今はその心配が嬉しいと思ったんだろ?」

「......なんで?」

「尻尾」


シオンが自分の尻尾を見ると、左右にゆっくり揺れている。


「............」

「今は多分、礼の方が相手も喜ぶ」

「......うん」


シオンの表情はどこか晴れやかだ。

それを見て、ロイも少し口角が上がる。


「ま、その前に宿舎に戻ったときだな」

「?」



**


そして宿舎に着いて。

第四班の面々が待ち構えている。


その中心にいつもの笑顔を浮かべる狐がいた。


「シオン」


シオンの耳が震える。


「......オーバ」

「見つかって良かったです」

「うん」

「皆で探していたんですよ」

「............」

「非番ですから、どこへ行くのもシオンの自由です」


オーバがにこりと笑う。

今度は肩が震えた。


「それでも、これだけ皆を心配させたんです。次からは一言くらい残していっても、罰はあたらないでしょう?」

「............はい」

「よろしい」


シオンの背が丸まっていく。

それを見て、マルクが思わず吹き出した。


「怒られてる」


シオンがじろりとマルクを見る。


「でも、無事で安心したよ」


タオが息を吐き出して言う。


「本当だよ。俺、宿舎中の屋根飛び回って探したぞ」


キィが頷いた。


「ごめん」


シオンが真っすぐ三人を見る。


「探してくれて、ありがと」


三人が驚いた顔をする。

ロイはそれを後ろから見守っていた。


「......なんだよ、やけに素直だな。明日は槍でも降るのか?」

「マルク、うるさい」


いつものシオンだった。

他の面々からも笑い声が上がる。


それから少しして、それぞれが本来やるべき作業へと戻っていく。

それを見送るシオンの横に、オーバが近づいた。


「それにしても」

「?」

「何か、スッキリして見えますね」


シオンが瞬きをする。

オーバはいつもと変わらない。いつもの糸目。いつもの笑顔。


「......狐って、なんでも分かるの?」

「何のことでしょう?」


シオンはじっとオーバを見る。


「......犬って、みんな鈍感?」


その一言に、オーバはほんの一瞬、目を開く。

少し考えた後、「さあ」と一言。


そして今はにこにこと笑っている。


「............」

「犬にも、色々いますからねえ」


シオンの耳が、左右へぴんと伏せられた。


「.......分かるんじゃん」

「何のことでしょう」

「ずるい狐」

「褒め言葉として受け取っておきます」


シオンは不満そうに、尻尾で自分の足をひと叩き。


その様子をみて、狐はただ、いつものように目を細めて笑っていた。



狐にイカ耳になる猫

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