猫が消えた日
ある日の訓練終わり。
いつもならロイの側か木の上で転がっているシオンが、その日はすぐにその場から姿を消していた。
「あれ、シオンは?」
マルクが聞いたが、答える人はいない。
今回ばかりは、ロイもどこへ向かったのか分からなかった。
「まあフラッとどこか行って、またすぐ帰ってくるだろ」
「じゃあ街の方はまた誘うかー」
そう言ってマルクとタオが訓練場から離れていく。ロイもそれを気にすることなく、執務室へと戻っていった。
それから数時間。夕食の時間に食堂へ行くと、普通にシオンがご飯を食べている。
ただ、気が向かないのか輪の中に入らず静かにもくもくと食べてすぐに部屋へと戻っていった。
――今日は来なそうだな。
ロイは一瞬、そう考えて首を振る。
耳が少し下がっているように見えた。
翌日。
その日も訓練終わりにシオンはすぐに姿を消した。犬の尻尾が地面を一度叩く。
その後、二時間ほどで戻ってきたが、ロイの仕事する執務室の窓際で少し眠ると、声をかけずに部屋を出ていく。
そして、今度は夕食にも姿を見せなかった。
「なんか、シオンの様子変じゃね?」
キィが言った。ロイの耳が動く。
「訓練のときは普通だけどな」
「でもなんか静かだよな」
マルク、タオが続く。
そして、何か知らないかと、ロイの方へ三人の視線が向いた。
ロイはその視線を受けて、ため息をついた。
「俺は知らん」
班長でも知らないのか、と三人は困り顔。
なぜ自分なら分かると思ったのか。
「俺も様子は見ておく。何かあれば報告を」
「はい……」
どうせ明日には、また勝手にベッドに丸まってるだろう。ロイは深く考えずに食堂を後にした。
それからまた、翌日。
森の入り口で、魔獣討伐の緊急任務が入った。討伐は順調で、怪我人もなく終わる。
帰還する間際、シオンが遠くを見つめた。
「何か聞こえたか」
ロイが確認する。
シオンはロイの方を向くと「何もない」とだけ答えて拠点方向へと歩き始めた。
態度や表情はいつもと変わらない。
何も違和感はないはずだ。
ざわつく心を落ち着かせて、ロイも帰路に着く。
その日の夜。
仕事を終えて部屋に戻ると、灰色の猫がベッドに丸まる姿が見えた。
犬の尻尾が数回振れる。
ロイは起こさないように、静かに隣に横になる。
一瞬猫の耳がピクリと動いた気がしたが、目を開けることはなかった。
夜が明ける。その日、シオンは非番だった。
訓練もなく、いつもなら昼ごろまで眠っている。
しかし、目を覚ましたロイの隣はすでに空になっていた。
ロイはそれを見て、眉を顰める。
珍しいこともある。もしかしたら、腹が減ってすでに食堂へ行ったのかもしれない。
ロイは急いで身支度を整え、部屋を出た。
予想に反して、食堂にはこれから訓練に参加する面々のみが集まっている。
一つのテーブルに集まるタオとマルクとキィ。
ロイはそこへ近づいた。
「シオンを見なかったか?」
「え、昨日の夜そっち行きませんでした?」
タオが驚いて言った。
「来たが、もういなかった」
ロイが答える。
「最近、ちょっと変でしたもんね……」
タオが首を傾げた。その様子に、三人とも知らないのだと分かった。
「……猫って確か、死期を悟ると姿を消すって言いますよね」
キィが考えるように言った。
「飼い猫が、死ぬ前に家からいなくなるって話?」
マルクが驚いたように言う。
「静かな場所を探すとも言いますね」
話を聞いていたのか、近くに来たオーバが補足する。
ロイの眉が深く顰められた。
「なんだ、それは」
「猫にはそういう性質があるという話です」
「……なぜ消える?」
「そこまでは分かりません。とはいえ、これはあくまで"猫"の話ですよ」
「…………」
ロイは考える。
この数日、ぼんやりとした様子で静かだったシオン。昨日の帰りも、どこか遠くを眺めていた。
犬の耳がピンと立つ。
それからすぐ、ロイは外へと飛び出していった。
残された四人が、その背中を見送る。
「……班長、探しに行った?」
「そうっぽい」
オーバは閉じた扉をしばらく見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……あくまで猫の話だと言ったんですがね」
「でも、シオンの様子が心配なのは俺たちも同じだしな」
マルクの言葉に、オーバも頷く。
「そうですね。私たちも探しに行きましょうか」
そうして四人も立ち上がり、それぞれシオンを探しに動き出した。
**
ロイは一人、森の入り口の方へと来ていた。
昨日、シオンが立ち止まった場所。
さすがに魔獣が出る森の中までは入ってないはずだ。だが、もし入っていたとしたら。
――静かな場所を探す。
さっきの話が頭をよぎる。
ロイは鼻に意識を集中させて、周囲を捜索した。
思い出そうとしなくても、その匂いを覚えている。
「シオン!」
返事はない。
だんだん歩幅が大きくなる。
「シオン!」
もし、何か体に異変があったのだとしたら。
それに気づいて消えようとしているなら。
「……あの阿呆」
ロイはそう呟いて、走り出した。
**
森の入り口に沿って東側。
少し進んだ先で、微かな匂いを拾う。
気づいた途端、ロイはそちらへ向かって走った。
木々を抜ける。
そしてその中で一番大きな木の上。
灰色の尻尾が垂れている。
「シオン!」
「んぁ?」
猫が顔を出した。眠そうな気の抜けた顔。
そしてそのまま大きな欠伸をする。
「は?」
ロイの口から思わず声が漏れた。
「あれ、ロイ。どしたの?」
何食わぬ顔で問うシオン。
ロイは何も言うことができなかった。
「ロイ?」
不思議そうに木から降りてくるシオン。
ロイの目の前に立ち、その顔を覗いてくる。
「……何をしていた」
「ん、猫」
「猫!?」
鳥が飛び立った。シオンが耳を伏せる。
「声でか」
「朝から姿が見えないと思ったら、猫がなんだ!!」
「この子」
シオンが自分の服の襟を少し下げる。
その中を覗くと、一匹の猫が顔を出した。
ロイは訳が分からず、シオンが続きを説明するのを待つ。
「街の宿屋の飼い猫。おばさんが、いなくなっちゃったって落ち込んでたから、ずっと探してたんだ」
「……」
「見つけたんだけど、朝早く起きたから眠たくて、ちょっと休んでた」
「……猫」
「そう」
「……こいつは、その、死ぬかもしれないから逃げたのか?」
「……?」
ロイの耳が垂れ下がっている。
「猫は、死期を悟ると姿を消すと――」
シオンが瞬きをする。
それから、ようやく意味が分かったように笑った。
「ふふ、違うよ。こいつはおばさんが窓を開けた拍子に逃げ出したんだ」
「……」
普通なら今頃、訓練中のはずのロイ。
こんな森の方にくる用事なんて、きっとない。
シオンはくすくすと笑った。
ロイの眉が顰められる。
「もしかして、俺が消えると思った?」
「違う!」
「俺は猫獣人だよ」
「知っている!」
認めない犬。
でも、シオンには聞こえた。
――シオン!
切羽詰まった、自分の名を呼ぶ声。
「ごめんね」
素直に出た言葉。
ロイは一瞬黙って、それから小さくため息を吐く。
「今度から、一言言ってから行け」
片手で額を押さえて言うロイに、シオンは笑って「分かった」と返した。




