CHAPTER3『交錯する牙』
第二階層には、いくつもの暴力が沈殿している。
秩序を装い、静かに牙を研ぐ者たち。
理性を捨て、ただ血を求めて彷徨う狂気。
それらは互いを警戒しながら、同じ“異物”の気配を嗅ぎ取っていた。
蒼海の解放軍。
まだ名は届いていない。だが――その小さな火種が、この監獄の底で、静かに燻りはじめていた。
第二階層通路――
マーケット地帯を抜けた先、広大な通路をジルとバレルは並んで歩いていた。
バレルが言う、心当たりのある男を探しに。
蒼海の解放軍にとって、最初の仲間になり得る存在だった。
ジルは思わず視線を巡らせる。
「……本当に広いな。先が見えない」
バレルは鼻で笑った。
「ああ。この第二階層は、地上の街ひとつ分くらいの広さはあるぜ。迷えば、平気でしばらく戻れねぇ」
人の流れはまばらだ。
代わりに、通路の奥から冷たい空気が流れてくる。
ジルは歩調を落とさず、低く言った。
「……こっちへ行ってみるか?」
前方に、いくつもの通路が交差する分岐点が現れる。
その瞬間、バレルがわずかに足を止めた。
「……いや」
視線だけで、一本の通路を指す。
「そっちはやめとけ。さっきの沈黙の牙の野郎どものアジトが、その先にあるからな」
ジルは一瞬だけ、その方向を見た。
確かに空気が重い。
(……なるほどな)
ジルは、反対側へと伸びる通路に視線を向けた。
薄暗いが、先ほどよりも人の気配が薄い。
「……なら、こっちだな」
そう言って、ジルは静かに歩き出そうとする。
バレルは足を止め、その通路の奥を見据えた。
「ああ、そっちは墓場や旧処刑場の跡があってな。滅多に人は寄り付かねぇが……探してみる価値はありそうだ」
通路の先から吹いてくる風は、どこか冷たく、鉄と湿り気を帯びている。
遠くで、金属が擦れるような音が響き、すぐに消えた。
二人は並んで、人気の消えた通路へと踏み込んでいった。
マーケット地帯の喧騒が背後で遠ざかり、代わりに――張りつめた沈黙が、ゆっくりと濃くなっていく。
ジルは、周囲を警戒するように視線を巡らせた。
通路に漂う空気が、わずかに重い。
「……やけに不気味な雰囲気だな」
バレルは歩調を落とさず、低く応じる。
「ああ。もうすぐ処刑場跡地だからな」
そのとき――
シャリン……と、かすかな金属音が通路の奥から響いた。
鎖が、引きずられるような音。
バレルの足が止まる。
ハサミが、小さく開いた。
「……何だ?」
ジルは反射的に身構え、前方を睨み据える。
暗がりの向こうで、影が揺れた。
「……前から、誰か来るぞ」
通路の奥で、鎖の音が再び鳴った。
やがて、通路の奥から人影が浮かび上がってきた。
五体――まとまった足取りで、こちらへ向かってくる。
先頭に立つのは、鋭い歯を覗かせたピラニア魚人の男だった。
男は歩みを緩めることなく、ジルとバレルを睨みつける。
視線が、頭から足先までをなぞる。
値踏みするように、じろじろと。
バレルが、ジルの横で声を潜めた。
「……こいつら沈黙の牙の兵隊だ。今は揉めねぇ方がいい」
「……何だ、テメェら?」
男は低く吐き捨てるように言うと、すぐに興味を失ったように鼻を鳴らした。
「フン……まぁいい。俺たちは急いでんだ」
そのまま、ジルとバレルを避けるように、五人は通り過ぎようとする。
だが――
ジルは、思わず足を止めた。
「……!?」
五人の中の一人。
バンドウイルカ魚人の男が、両腕と片脚に鎖を巻きつけられ、引きずるように連行されている。
抵抗する様子はない。
その男は少し顔を傾けた。
鎖の音に紛れて、視線だけが滑る。
ジルと目が合った、その瞬間――
男の瞳が細まった。
助けを乞う目ではない。
状況を読んでいる目だ。
バレルが、思わず足を止めた。
「……!? あ? おい、ジル!」
鎖に繋がれた男を見据え、バレルの目が見開かれた。
「こいつだ。俺が言ってた奴だ……早速、見つけちまったな」
ジルは一瞬だけ目を細める。
(何っ……?)
その横で、バレルが低く唸るように続けた。
「どうするよ? あのまま奴らのアジトに連れて行かれりゃ……あの野郎、殺されちまうかもしれねぇぞ」
そう言いながら、バレルは重心を前へ移す。
いつでも踏み出せる――そんな気配。
ジルは、視線を沈黙の牙の兵たちの背中へ戻し、頭の中で状況を組み立てる。
――囲まれている。
――拘束は厳重。
(さて……どうやって解放するか――いや、まずは接触だ)
ジルは一歩、前に出た。
「おい」
通路に、はっきりとした声が響く。
五人の足が止まり、先頭の男が振り返った。
「アンタら、その男を――どこへ連れて行くんだ?」
ピラニア魚人は、鋭い歯を覗かせ、じっと睨みつけた。
「……あぁ?」
鎖に繋がれた男を一瞥し、ジルとバレルへ視線を戻す。
「こいつをどこへ連れて行こうが――テメェらには、関係ねぇだろうが?」
ジルは、肩をすくめるように言った。
「……関係ないかどうかは、聞いてから決める」
ジルは目を逸らさず、続けた。
「その男を、どこへ連れて行く?」
ピラニア魚人は、眉をひそめた。
「……はぁ?」
腰の剣の柄に、指がかかる。
その背後で、沈黙の牙の兵が一歩近づき、低く耳打ちした。
「……そいつ、さっき話にあがってた新入りです。
ロークス相手に、ひと騒ぎ起こしたっていう噂の……」
ピラニア魚人は目を剥いた。
「……何だと!?」
だが次の瞬間、鼻で笑う。
「フン……どうやら、この監獄のことをまだよく分かってねぇようだな」
鞘走りの音が、低く響いた。
剣が抜かれ、鈍い光を帯びる。
ピラニア魚人は刃を肩に担ぎ上げ、言い放つ。
「俺たちは――沈黙の牙だ」
視線を鎖の男へ向ける。
「こいつは、これから俺たちのアジトへ連れて行く。
拷問を受けて――最後は、死ぬ」
わざと間を置き、にやりと笑った。
「……何か、文句あるか?」
ジルの拳が、静かに握られた。
噛み抉られた腕の奥で、血が熱く脈打つ。
「……何っ? そいつが、何をした?」
ピラニア魚人は即座に吐き捨てる。
「関係ねぇ……」
刃先が、わずかに持ち上がる。
「ここ第二階層じゃあ、
沈黙の牙が“ルール”だ」
「俺たちが決めたことに――
理由なんざ、いらねぇんだよ!」
周囲の沈黙の牙の兵たちが、
無言のまま、じわりと距離を詰めた。
その前に、バレルが一歩出る。
「……そいつは、ちょっとやりすぎじゃねぇか?」
兵たちが、一斉に視線を向ける。
バレルの巨大なハサミが、兵たちへ向けられる。
「拷問して殺すだぁ?
派閥の名前を出せば、何でも通ると思ってんのか?」
ピラニア魚人の頬が引きつった。
「……ロブスター、余計な口出しだ。俺たちは“ルール”を執行してるだけだ」
その瞬間――
鎖に繋がれたバンドウイルカ魚人は、わざとらしくジルたちの方へ視線を向けた。
「……この連中は下っ端だ」
低く、淡々と言う。
「肩書きがなけりゃ、何もできねえ」
ピラニア魚人の方へ向き直り、その口角が、ほんのわずかに吊り上がった。
バレルが、喉の奥で短く笑った。
「ハハッ……違えねぇ!」
ピラニア魚人のこめかみが、ぴくりと跳ねる。
「……もう一度言ってみろ。俺たちをその辺の雑魚と一緒にするんじゃねえぞ……!」
肩に担いでいた剣を、ゆっくりと下ろす。
切っ先は、鎖に繋がれた男へと向けられた。
刃が空気を裂く。
周囲の兵たちは、それぞれ無言で武器に手を伸ばす。
ピラニア魚人は、感情のない目で鎖の男を見据えた。
「……イルカ野郎、テメェはこの場で死刑だ……!」
剣を、ためらいなく振り上げる。
「フン……軽率だな」
鎖の男は、剣を振り上げたピラニア魚人を静かに見据えた。
「死ねぇ!」
ピラニア魚人が、躊躇いもなく剣を振り下ろす。
「……っ!」
ジルは、反射的に踏み込んだ。
跳躍で、一気に間合いを潰す。
「!?なにっ……!」
拳が、ピラニア魚人の顔面を捉えた。
バギィッ!
鈍い音とともに、身体が宙を舞い、壁に叩きつけられたピラニア魚人は、そのまま崩れ落ちた。
「……やっちまったな」
ジルは背後のバレルに振り向くことなく言った。
バレルが一歩、前に出る。
「ああ。お前がやらなきゃ、俺がやってた」
「……テメェら。俺たちに手ぇ出して……どうなるか、わかってんのか!?」
沈黙の牙の兵たちは、互いに間合いを取りながら武器を構え、左右へ広がろうとする。
「どうなるも、こうなるもねえ!」
叫ぶように踏み込み、バレルが突撃した。
両手のハサミが唸りを上げて振るわれる。
ゴッ! バギバギッ!
重い衝撃音とともに、三人の身体がまとめて吹き飛んだ。
両手を横に広げ、バレルはひと息ついた。
「……ふぅ。たいしたことねぇ奴らだぜ」
倒れた兵たちのうめき声と、どこかで鳴る水の音だけが響く。
「……フッ。随分と派手だな。助かったよ」
バンドウイルカ魚人は、わずかに口角を上げた。
「……何で、俺を助けた?」
ジルは、相手の目を静かに見据えた。
「……俺たちは、この監獄を抜け出す」
少しだけ間を置き、続けた。
「そのために、俺たちと同じ考えを持った奴を探してるんだ。コイツらのように、派閥の名前を盾にして威張るだけのような奴らはいらない」
バレルが続ける。
「お前は、ずっと一歩引いた場所から、この監獄全体を見渡していたな」
「だから声をかけた……そういう目をしてる奴は、そう多くねえ」
「……なるほどな。話はわかった。そういうことか……だが、無計画に乗る気はない。
何か、考えはあるのか?」
バンドウイルカ魚人の口元の笑みは消え、代わりに冷えた光がその瞳に宿る。
「それがねぇんだよ。俺たちの同盟も、さっき組んだばっかでな、“蒼海の解放軍”って名前もさっき決まったところだ」
バレルはそう言って、ジルのほうを見た。
「……どうやってここを抜け出すかは、これから考えていくつもりだ」
短くジルが答える。
「ただな。二人だけで動いてりゃ、派閥にあっという間に潰されちまう。
だから、同志を探してるってわけだ」
バレルは低く息を吐いた。
その瞬間――背筋を、冷たい悪寒が駆け抜ける。
三人の視線が、一斉に背後へ走った。
「フン……お前たちか。
探す手間が、省けたな」
通路の奥から、一つの影が現れた。
全身を覆うのは、鎧とも皮膚ともつかぬクロヒトデ魚人特有の黒い外殻。
顔は滑らかな面に覆われ、表情は読み取れない。
バレルの声が沈む。
「……クッ。沈黙の牙ナンバー2――ローレンスだ」
その名が落ちた瞬間、
通路の空気が、別のものに塗り替えられた。
ここから先は、
ただの衝突では済まない――
第二階層そのものが、揺れ始める。
《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
もし物語を面白いと感じていただけたら、
あなたの一票(=★評価・ブックマーク)が、
監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。
▼作者Xはこちら
https://x.com/00aomiray00?s=21
これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。




