CHAPTER4『深海は静寂を拒む』
沈黙が、重くのしかかった。
そこに立っている――ただそれだけで、通路の空気が変わる。
沈黙の牙ナンバー2。クロヒトデ魚人のローレンス。
その名が落ちた瞬間、ジルの拳を握る手のひらに汗が滲んだ。
(……こいつが沈黙の牙のナンバー2!?
クソッ……目を逸らしたら……殺られる……!)
ローレンスは、ゆっくりと前へ出た。
「……うちの兵たちが、ずいぶん世話になったようだな」
低く、感情の起伏を感じさせない声。
その視線が、通路に転がる沈黙の牙の兵たちへと落ちる。
倒れ伏す者。
壁にもたれ、苦しげに息を整える者。
次の瞬間――
背後の闇が、ざわりと動く。
鉄靴の音。
ローレンスの背後から、沈黙の牙の兵たち十数人が姿を現した。
バレルは背後の気配に目を走らせ、低く唸った。
「チッ……囲まれてやがる。ローレンスだけでも厄介だってのによ!」
ジルは一瞬だけ振り返り、バレルと、鎖に繋がれたバンドウイルカ魚人を見た。
「……やるぞ」
二人の視線を受け止めると、すぐに前へ向き直る。
ジルは足元に転がる兵たちを指さした。
「こいつらは、俺たちに向かって来た。だから倒した。それだけだ」
ローレンスは倒れた部下たちに、ちらりと視線を落とす。
感情の色は、どこにもない。
「フン……そんなものはどうでもいい……」
低く、冷え切った声。
「この監獄の秩序を乱す貴様らを――排除しに来ただけだ」
そして、背後へと顎を引く。
「やれ」
合図と同時に、ローレンスの背後に控えていた沈黙の牙の兵たちが、一斉に動いた。
十数人の殺気が、通路を埋め尽くす。
ジルは一歩前へ出る。
「……来るぞ!」
「おうよ!」
バレルが巨大なハサミを構え、低く唸る。
一方、鎖に繋がれたバンドウイルカ魚人は、静かに距離を取って後退した。
手足を拘束されたまま、鋭い目で戦況を見据える。
合図と同時に、沈黙の牙の兵たちが一斉に襲いかかった。
ジルは先頭の兵の懐へ飛び込み、鳩尾を打ち抜く。
同時に、バレルが前へ出た。
巨大なハサミを豪快に振り回す。
「どりゃああぁっ!!」
突っ込んできた兵たちが、まとめて弾き飛ばされた。
ジルはそのまま動きを止めない。
槍を構えて突進してきた兵の一撃をかわし、踏み込みざまに蹴りを叩き込む。
背後――
斧を振りかぶった兵が、バレルに襲いかかる。
ガキィィーン!!
ハサミで斧を受け止め、弾き返す。
「クッ……やっぱ数が多すぎるぜっ!」
ジルは転がるようにバレルの背へ戻り、互いに背中を預けて構える。
「……一人ずつ潰していくしかねえが……」
ジルの視線が、自然とローレンスへ向いた。
(――奴は、まだ動いてない……)
その時、ローレンスが、静かに口を開いた。
「……さて。そろそろ終わらせようか」
一歩。
また一歩。
前へ出るたび、通路の空気が重く沈んでいく。ただ歩いているだけだというのに、圧が違う。
ジルが歯を食いしばる。
「……!? 奴が来るぞ!」
ローレンスは足を止め、じっとジルを見据えた。
その視線は、獲物を定めた捕食者のそれだった。
「お前たちのような新たな派閥の芽は――早いうちに摘む。それだけのことだ」
次の瞬間だった。
ローレンスの左腕が、音もなく分裂した。
肉が裂ける感触すらなく、形を失った腕の一部が増殖する。
無数のヒトデ状の触手が宙に浮かび、空中で静止し高速回転する。
「――ッ!」
ジルたちへ、一直線。
「くそっ、コイツはやべぇぞ!」
バレルは、巨大なハサミで、迫る触手を弾き飛ばす。
「クッ――!」
ジルは身を捻ってかわす。
だが、ひとつが肩をかすめ、血が滲んだ。
触手の先端は、手裏剣のように鋭く成形されていた。
間髪入れず、第二。
さらに第三の軌道が、死角から叩き込まれる。
ジルは歯を食いしばり、身を捻り、跳び、沈み、体を流すようにしてかわす――だが、足を止める暇はない。
(……くそっ)
踏み込もうとした刹那、また軌道が塞がれる。
攻めに転じる隙がない。
かわすだけで、精一杯だった。
宙に浮かび、軌道を描きながら――
三人を、完全に囲い込んだ。
(……クッ。このままじゃ、確実に削られる……!)
反撃に出る一瞬すら、与えられない。
バレルが歯を食いしばる。
「チッ……! 雑魚どもの相手しながら、こんなの防いでられるかよ!」
ハサミで迫る兵を弾きながらも、視線は宙を舞う刃群から離れない。
次の瞬間――鎖に繋がれたバンドウイルカ魚人は、その刃の軌道を正確に見切る。
首を傾け、肩を引く。
最小限の動きでかわし、腕に巻き付けられた鎖を使って、防いでいった。
そして、左右に視線を巡らせ、触手の配置、軌道、距離、速度を無言で追う。
(……正面からは、捌けない。数が多すぎる)
その視線は、ローレンスへと一瞬だけ向けられ、すぐに戻る。
そして、バンドウイルカ魚人は、すぐにジルとバレルへ向いた。
「……聞け、おまえら!いいか。あれは防いでも、斬っても、意味はない……操ってる本体を倒さなければ、終わらない」
言い切ると、視線をローレンスへ走らせる。
「狙うのは――あいつだ」
視線の先。腕を組み一歩も動かず、すべてを制御するローレンスを指す。
(……そうか。あいつを倒せば――)
一瞬で繋がった答えに、ジルの瞳が鋭くなる。
「よしっ……俺が飛ぶ。残りは任せたぞ、バレル!」
一瞬の迷いもなく言い切った。
バレルは即座に応じる。
「おう! まとめて引き受けてやる!
――ぶっ倒して来い!」
次の瞬間、ジルの身体が弾けた。
床を蹴り裂き、宙を切り裂く一直線の跳躍。
迫る触手の間を、紙一重で抜けていく。
ギューンッ!
刃の包囲を突破し、狙いはただ一つ――沈黙の牙ナンバー2、ローレンスの懐へ、一直線に。
跳躍の勢いを殺さぬまま、拳を振り抜く。
――だが。
ローレンスは、ほんの僅かに踏み込み、身体を捻るだけで、その拳を外した。
次の瞬間――
背中から、禍々しい大鎌を引き抜く。
「……惜しかったな」
低く、冷えた声。
「貴様は――ここで終わりだ」
物凄い速度で、ジルの首目掛けて、大鎌が振り抜かれようとした。
その時――
「ヒャハハハハハッ!!」
狂気じみた笑い声が、響き渡った。
反射的にローレンスの動きが止まり、眉がわずかに動く。
(……!? この声は……)
闇の奥――
闇が灯りを侵食するように、ぬらりと人影が滲み出てくる。
先頭に立つのは、異様に膨れた体躯のトラフグ魚人。
その背後には、同じ狂気を纏った兵たちが続いている。
バレルが歯噛みした。
「……チッ。こいつらは……深海の狂気の野郎どもだ」
そして、視線が先頭に定まる。
「しかも……真ん中はナンバー2。ドロマときたか……!」
(……こ、こいつらも――敵か……!?)
ジルの胸の奥で、嫌な予感が弾ける。
トラフグ魚人――ドロマは、腹を揺らしながら嗤った。
「ヒャハハハハッ!楽しい殺し合いに――俺も混ぜてくれよぉ!!」
ローレンスは、わずかに舌打ちする。
「……チッ。厄介な奴が現れやがったか……」
沈黙の牙は排除を選び、深海の狂気は混沌を選ぶ。
そしてジルたちは――生き残るために、戦うしかなかった。
三つ巴の殺し合いが、今、幕を開ける。
《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
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これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。




