CHAPTER36『闇より迫る毒針』
第二階層に、二つの戦場が生まれていた。
崩落隔離区画の中央では、地底の暴君バシリスクと嵐喰らいカイゼル。
血に濡れた瓦礫の上で、二体の怪物が互いを潰そうとしていた。
一方、深海の狂気のアジト裏道では――。
祠へ続く道を塞ぐように、沈黙の牙の遊撃隊が立ちはだかる。
率いるのは、カジキ魚人バロン。
その刃のような視線が、ジルたち蒼海の解放軍を捉えていた。
中央では、怪物同士の激突。
裏道では、第三階層へ向かう者たちを阻む包囲網。
怒号と雷鳴が轟く中、ジルたちの戦いもまた、始まろうとしていた。
バロンが、片手を振り下ろした。
「潰せ!」
沈黙の牙の遊撃隊が、一斉に動く。
ジルの目が鋭くなる。
「来るぞ!」
ジルは、とっさに右腕へ意識を向けた。
だが、鉛化しようとした瞬間、神経を刺すような痛みが走る。
(クッ……さっきロークスを倒した時、使ったばかりだ)
右腕が、痺れるように疼いた。
(まだ、使えない……!)
四方から、刃が迫った。
正面と左右から複数の槍。
瓦礫の上からは、矢を番えた兵。
だが、遊撃隊が踏み込むより早く――。
バレルが、一歩前へ出た。
「おりゃあああッ!」
ブオンッ!!
巨大なハサミが、横薙ぎに振るわれる。
ドガッ!
槍を構えた兵が、まとめて弾き飛ばされた。
だが――
ガギィンッ!!
その一撃を、バロンが槍の柄で受け止めていた。
バレルの目が見開かれる。
「チッ……!」
バロンは、表情を変えない。
ただ、横にいた兵へ目を流した。
その合図だけで、遊撃隊の一人が動く。
短剣を逆手に構えたハタハタ魚人。
低い姿勢で瓦礫を蹴り、バレルの背後へ滑り込んだ。
狙うのは、甲殻のつなぎ目。
硬い外殻ではなく、わずかに露出した急所。
ハタハタ魚人の短剣が、振り下ろされる。
だが――
その刃が届くより早く、ジルが動いていた。
「させるか!」
トビウオ魚人の脚が、瓦礫を蹴った。
一瞬で、ハタハタ魚人の懐へ潜り込む。
ドムッ!!
ジルの拳が、鳩尾へ突き刺さった。
「グッ……!」
ハタハタ魚人の体が折れる。
短剣が手からこぼれ、瓦礫の上へ落ちた。
そのまま、ハタハタ魚人は膝から崩れ落ちる。
バロンの目が、地に伏した部下へ一瞬だけ落ちた。
「……チッ」
次の瞬間。
バロンは槍を捻り、バレルのハサミを横へ弾いた。
ガギィンッ!
バレルの足が、地面を削って後ろへ滑る。
その刹那――
ヴォルグの片目が、瓦礫の上を捉えた。
弓兵が一人。
二本の矢を、同時につがえている。
(狙いは二つ……)
二本の矢尻がヴォルグとレクスを狙い、わずかに揺れる。
ヴォルグの目が鋭くなった。
(俺だけなら躱せる。だが、避ければレクスに命中する……連れて躱す時間もない)
「……チッ」
シュバッ!
瓦礫の上に陣取った遊撃隊の弓兵が、二本の矢を同時に放った。
矢は、一直線にヴォルグとレクスの方へ飛ぶ。
ジルが、息を呑む。
「何っ!?」
その声より早く、ヴォルグが動いた。
一本目。
自分へ向かう矢を、鉄棒で弾く。
キィンッ!
矢が火花を散らし、瓦礫の上へ跳ねた。
だが、もう一本はレクスへ向かっている。
間に合わない。
ヴォルグは、レクスの前へ半歩だけ体を滑り込ませた。
ザシュッ!
矢が、ヴォルグの左肩を掠める。
血が飛んだ。
レクスの目が見開かれる。
「あ……おい、ヴォルグ……!」
ヴォルグは、表情を変えない。
肩から血を流したまま、鉄棒を構え直す。
「……騒ぐな」
片目が、瓦礫の上の弓兵を捉えた。
「急所は外した」
瓦礫の上の弓兵が、すぐに背中へ手を伸ばした。
次の矢を引き抜く。
一本。
そして、もう一本。
ヴォルグの片目が鋭くなる。
「……また来るぞ」
だが、その前にバロンが動いた。
「まずは、ロブスターを押さえろ」
低い声と同時に、二人の槍兵が左右から踏み込む。
バロンと、二人の配下。
三方向から、バレルへ槍が迫った。
「クソッ!」
バレルがハサミを振るう。
ガギィンッ!
ギィンッ!
槍を弾く。
だが、バロンの槍がその隙間を突いてくる。
バギィッ!
槍先が、バレルの甲殻の表面を削った。
火花が散る。
硬い殻に、細い亀裂が走った。
「クソッ!」
バレルの巨体が押し戻される。
その背後。
瓦礫の上で、弓兵が二本の矢をつがえる。
ぎり、と弦が引き絞られた。
ジルの目が、弓兵を捉えた刹那――
ジルの脚が、瓦礫を蹴った。
ドンッ!
トビウオ魚人の脚力が、爆発する。
ジルの体が、一気に跳ね上がった。
弓兵の目が見開かれる。
「なっ――」
ジルは、弓兵へ一直線に向かわない。
横の壁へ飛ぶ。
ガッ!
壁を蹴る。
砕けた石片が散った。
ジルの体が、弓兵の頭上を斜めに抜け、反対側の壁へ足をつけた。
ガッ!
そこを足場に、さらに跳ぶ。
弓兵の視界から、ジルの姿が消えた。
「どこへ消えやがっ――」
次の瞬間。
ドゴンッ!!
ジルの拳が、弓兵の顔面へ叩き込まれた。
弓が折れる。
つがえられていた二本の矢が、宙へ散る。
弓兵の体が瓦礫の上から吹き飛び、崩れた壁へ叩きつけられた。
ジルは、砕けた瓦礫の上に着地する。
視線が、戦場を走った。
バロン。
槍兵、二人。
ジルは拳を握る。
「……残り三人」
バロンの奥歯が軋んだ。
(クッ……こいつら……ヴィクター様を追い込んだという話……伊達ではないようだ)
(このまま正面から削り合えば、こちらが崩れる……ならば――)
バロンの目が、ヴォルグへ流れた。
肩から血を流している。
次に、レクス。
戦闘向きではない。
(潰す順番を変える)
次の瞬間。
バロンの体が、低く沈んだ。
バレルがハサミを振り抜く。
ブォンッ!
だが、バロンはその下を滑るように抜けた。
「なにっ!?」
バレルの目が見開かれる。
バロンは、すでに背後にいた。
槍先が、ヴォルグとレクスへ向く。
「……怪我人と雑魚から始末する」
次の瞬間――
シュバッ!
槍が、一直線にヴォルグへ走った。
ヴォルグは、即座に鉄棒を上げる。
ガギィンッ!
槍先と鉄棒がぶつかる。
だが、勢いを殺し切れない。
「ぐっ……!」
ヴォルグの体が、後ろへ弾かれた。
ドガッ!
背中が、崩れた壁へ叩きつけられる。
「グアッ!」
負傷した肩に、衝撃が走る。
その隙を、バロンは逃さない。
槍を引き、すぐに構え直す。
狙いは、その奥にいるレクス。
レクスは、引きつった笑みを浮かべた。
「雑魚から始末する、か……」
バロンは、槍を振りかぶった。
冷たい切っ先が、レクスの喉元へ向く。
「けどな、暗がりで深海魚を舐めると――目を焼くぜ」
レクスの提灯の光が、瞬時に膨らむ。
その声に、ジルは反射的に片目を細めた。
ビカァッ!!
裏道が、白い閃光に包まれた。
「ぐっ……!?」
バロンの目が見開かれる。
槍先が、わずかに逸れた。
「チィッ……!」
バロンは顔を背ける。
だが、遅い。
焼けるような光が、目の奥を刺した。
バレルの前の槍兵たちも、足を止める。
「眩しいッ……!」
「くそっ……!」
レクスの口元が、にやりと歪む。
「夜目が利く奴ほど、光には弱ぇだろ?」
その瞬間。
瓦礫の上にいたジルが、動いた。
顔を背けたバロン。
その一瞬の隙へ向けて、一直線に飛ぶ。
トビウオ魚人の脚が、瓦礫を蹴った。
ドンッ!
ジルの体が、弾丸のように走る。
「……らァッ!」
バガンッ!!
ジルの拳が、バロンの横っ面へ叩き込まれた。
「ぐっ……!」
バロンの体が吹き飛ぶ。
ドゴッ!!
背中から、崩れた壁へ叩きつけられた。
砕けた石片が、ばらばらと落ちる。
ジルは空中で一回転し着地した。
「ふぅ……」
同時に、バレルも動いていた。
目を押さえる二人の槍兵。
その間へ、巨体が踏み込む。
「どけェッ!」
ブオンッ!
巨大なハサミが、横薙ぎに振るわれた。
バゴンッ!!
槍兵二人の体がまとめて弾き飛ばされ、瓦礫の上を転がった。
バレルは牙を剥いた。
「俺たちは、蒼海の解放軍だ。舐めてかかりゃ、沈むのはテメェらだ!」
レクスが、ぼそりと呟いた。
「……お前も重さで沈む側だけどな」
バレルの眉が跳ねた。
「テメェも提灯ごと沈めるぞ!」
レクスは、両手を軽く上げた。
「はいはい、喧嘩はあとだ」
革袋を肩にかけ直す。
「沈むにしろ浮くにしろ、まずは先へ進もうぜ」
バレルの甲殻が、ぎしりと鳴った。
「テメェが喧嘩売ってきたんだろうが!」
その時、ジルが低く言った。
「二人とも、そこまでだ」
ジルは、倒れたバロンと遊撃隊を見た。
すぐに、起き上がる気配はない。
だが、戦場の音はまだ止んでいない。
遠くで、また雷鳴のような轟音が響いた。
ズウゥゥゥン……!
壁が震える。
砂が、天井からぱらぱらと落ちた。
ジルの目が、奥の通路へ向く。
「急ぐぞ。増援が来るかもしれない」
ヴォルグが、血の滲む肩を押さえながら頷いた。
「……ああ、ここに長居はできない」
バレルは舌打ちし、ハサミを構え直した。
「チッ……いつもテメェは一言多いんだよ!」
レクスは、革袋を揺らして歩き出す。
「ハッ。俺の一言には価値があるからな」
口の端を上げる。
「禁書になっても、写本が出回るくらいにな」
バレルの目が据わる。
「それを自分で言うな!」
ジルが、短く言った。
「……行くぞ」
四人は、倒れた沈黙の牙遊撃隊を背に、再び祠へ続く裏道を進んだ。
怒号と雷鳴が遠くで響く中、ジルたちは第三階層へ続く闇の奥へ、足早に消えていった。
一方、第二階層崩落隔離区画――。
血に濡れた瓦礫の中央で、バシリスクとカイゼルが向かい合っていた。
沈黙の牙の兵も、深海の狂気の囚人たちも、一歩も動けない。
ただ、二体の怪物を見ていた。
バシリスクが、片足を大きく振り上げた。
ズシィィーン!!
足が瓦礫を踏み砕く。
第二階層全体が、地震のように揺れた。
天井から砂が降る。
崩れかけていた岩壁が、音を立てて崩れた。
さらに、折り重なっていた瓦礫の山が連鎖するように崩れ、石片が四方へ転がる。
「うわああっ!」
「下がれ!」
「巻き込まれるぞ!」
沈黙の牙の兵も、深海の狂気の囚人たちも、慌てて瓦礫から離れる。
逃げ遅れた数人が、崩れた石片に呑まれた。
悲鳴が上がる。
だが、カイゼルは微動だにしない。
青白い電流が、体表を這う。
バチ、バチ、と火花が散り、足元の瓦礫を焦がした。
バシリスクは、それを見て笑った。
「ハッハッハ……!」
巨大な口が、獰猛に歪む。
「貴様、何者だ?」
カイゼルは、ゆっくりと目を細めた。
「……フン」
雷が、肩から腕へ走る。
「貴様に名乗るほどの名はない」
その時だった。
カイゼルの背後から、一人の兵が前へ出た。
イシダイ魚人の沈黙の牙兵。
小柄な体に似合わず、やけに胸を張っている。
「おい、バシリスク!」
場違いなほど得意げに、声を張り上げた。
「このお方はなぁ、嵐喰らいのカイゼル様だ!」
イシダイ魚人は、ビシッとバシリスクを指さす。
「お前ごときが、敵う相手ではないぞ!」
沈黙の牙の兵たちが、わずかにどよめく。
威勢だけは、見事だった。
だが――
バシリスクの目が、ぎょろりと動いた。
その視線がイシダイ魚人を射抜く。
「ヒッ……!」
イシダイ魚人の喉から、小さな悲鳴が漏れた。
次の瞬間、さっきまでの威勢は消えていた。
ササッと後ずさり、カイゼルの背後に隠れる。
バシリスクは、鼻で笑った。
「……ほう」
その目が、改めてカイゼルへ向く。
獲物を見る目ではない。
値踏みするような、濁った視線。
「あの第三階層から解き放たれたという怪物が、貴様か」
バシリスクの口元が、ゆっくりと歪む。
「道理でな……」
カイゼルの体表を、青白い雷が走る。
バシリスクは、それを楽しむように見つめていた。
「……ならば、本気で来い」
カイゼルの低い声が、瓦礫の上に落ちた。
「本気の貴様を、正面から叩き潰してやろう」
その言葉に、バシリスクの口角が吊り上がる。
巨体の重心が、低く沈んだ。
足元の瓦礫が、めき、と割れる。
「……いいぜ」
バシリスクの瞳が、獣のように見開かれた。
「楽しもうじゃねぇか!」
次の瞬間。
ドンッ!!
バシリスクの巨体が、跳んだ。
血に濡れた瓦礫が爆ぜる。
沈黙の牙も、深海の狂気も、同時に息を呑んだ。
地底の暴君が、一直線にカイゼルへ襲いかかる。
カイゼルもまた、動いた。
右腕をゆっくりと引く。
青白い雷が、肩から拳へ集まっていく。
迫り来るバシリスク。
迎え撃つカイゼル。
二体の怪物の距離が、一瞬で潰れる。
ドオォォーンッ!!
拳と拳が、正面からぶつかり合った。
雷光が爆ぜる。
火花が散る。
血に濡れた瓦礫が、衝撃でめくれ上がった。
「ひょえええっ!?」
カイゼルの背後に隠れていたイシダイ魚人が、悲鳴を上げた。
その小柄な体が、衝撃波にさらわれる。
「うわああっ!」
「ぐっ……!」
「下がれ、下がれぇ!」
周囲にいた沈黙の牙の兵も、深海の狂気の囚人たちも、まとめて吹き飛ばされた。
武器が宙を舞う。
瓦礫の上を、兵たちの体が転がっていく。
だが、中心に立つ二体は動かない。
バシリスクの拳。
カイゼルの拳。
互いの腕が、軋むほど押し合っていた。
青白い雷が、バシリスクの拳を焼く。
焦げた皮膚から、白い煙が上がる。
それでも、バシリスクは笑っていた。
「ハハハ……いいぜ、カイゼル……!」
カイゼルの目が、冷たく細まる。
次の瞬間。
バチィッ!!
カイゼルの姿が、雷光と共に消えた。
「消えた!?」
沈黙の牙の兵が叫ぶ。
その声が終わるより早く、カイゼルはバシリスクの背後に立っていた。
雷を纏った拳が、ゆっくりと振り上げられる。
「……終わりだ」
ドゴォッ!!
カイゼルの拳が、バシリスクの背中の中心へ叩き込まれた。
同時に、青白い雷が爆ぜる。
バリバリバリィッ!!
雷撃が、バシリスクの巨体を貫いた。
背中から胸へ。
肩から腕へ。
全身を青白い光が走り抜ける。
周囲の兵たちが、息を呑んだ。
だが――
バシリスクの口元が、獰猛に歪んだ。
ブオンッ!!
巨大な尾が、地面すれすれを薙いだ。
カイゼルの片足を、尾が払う。
「……!」
カイゼルの体勢が、わずかに崩れた。
その一瞬――
バシリスクが、振り向く。
丸太のような拳が、カイゼルの顔面へ叩き込まれた。
ドゴォッ!!
鈍い音が、崩落隔離区画に響く。
カイゼルの巨体が吹き飛んだ。
雷光を散らしながら、瓦礫の山へ突っ込む。
ドガァンッ!!
瓦礫が砕ける。
砂煙が、ぶわりと舞い上がった。
「カイゼル様ァッ!」
イシダイ魚人の悲鳴が響く。
その時だった。
崩れた瓦礫の中から、甲高い笑い声が漏れた。
「ヒャハハハハ……!」
沈黙の牙の兵たちが、はっと振り返る。
「待ちくたびれたぜェ、隠れてた甲斐があったなァ……」
瓦礫の隙間から、ぬるりと影が這い出す。
膨れた頬。
濁った目。
毒を孕んだ、歪んだ笑み。
深海の狂気ナンバー2、トラフグ魚人ドロマだった。
その手には、黒ずんだ毒針が握られている。
針先から、ぬらりと毒液が垂れた。
ツン、と鼻を刺す臭気が広がる。
さらに、その背後から三つの影が滲み出る。
毒塗りの短剣を握った、ドロマの配下たちだった。
狙いは、倒れたカイゼル。
ドロマの口元が、さらに裂けた。
「もらったぜ、雷野郎」
毒針の先が、カイゼルの眼前へ迫る。
《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
もし物語を面白いと感じていただけたら、
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監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。
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これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。




