CHAPTER37『秩序なき戦場』
毒針が、カイゼルの眼前へ迫る。
瓦礫の中に潜んでいたドロマは、その一瞬だけを待っていた。
バシリスクに吹き飛ばされ、カイゼルの体勢が崩れた瞬間。
雷を纏う怪物の目を、毒で潰す。
それが、深海の狂気の副官ドロマの狩り方だった。
後方で戦場を見ていたウルスの目が、細くなる。
「……いねぇと思ったら」
その視線が、瓦礫の中から這い出した影を捉えた。
「隠れてやがったか、ドロマ……!」
ウルスは、背後の兵へ目だけを向けた。
「……アレを出しておけ」
ドロマの口元が、さらに裂ける。
「目玉ぶちまけろよォ! 雷野郎!」
黒ずんだ毒針が、カイゼルの目に届こうとした。
その瞬間――
バリバリバリバリィ……!!
カイゼルの全身から、青白い雷撃が噴き上がった。
毒針の先が、眼前で弾かれる。
体勢を崩したまま。
瓦礫に片膝をついたまま。
それでも、雷は周囲を焼き払う。
「ギャアァァッ!」
「ぐあああっ!」
ドロマの配下たちが、雷撃に呑まれた。
毒塗りの短剣を握った影が、次々と弾け飛ぶ。
瓦礫の上を転がり、黒い煙を上げて動かなくなる。
だが――
ドロマだけは、笑っていた。
「ヒャハハ……!」
雷に焼かれながらも、その歪んだ笑みは消えない。
「体中が痺れちまうぜェ……!」
ドロマの頬が、ぶくりと膨らんだ。
大きく息を吸う。
喉が、不気味に鳴る。
カイゼルの眼が、その異変を捉えた。
次の瞬間。
ブババババババアアアアアアッッッ!!
ドロマの口から、毒液が噴き出した。
前方一帯へ、濁った液体が撒き散らされる。
カイゼルは、とっさに腕を上げた。
毒液が、雷を纏う腕に降りかかる。
ジュワァッ……!
皮膚を焼く音がした。
白い煙が上がる。
カイゼルの腕に、黒く爛れた痕が走った。
その背後では、さらに悲鳴が上がる。
「うぎゃあああっ!」
「目が、目がァッ!」
「毒だ! 下がれェ!」
沈黙の牙の兵たちが、次々と毒液を浴びて倒れていく。
皮膚を押さえ、顔を覆い、瓦礫の上を転げ回る。
崩落隔離区画に、阿鼻叫喚が広がった。
ドロマは、腹を抱えるように笑った。
「ヒャハハハハ!」
濁った目が、狂ったように見開かれる。
「ここが地獄だァ、沈黙の牙どもォ!」
少し離れた場所で、バシリスクは腕を組んだまま見ていた。
ただ、獰猛な笑みを浮かべ、戦場の混沌を眺めている。
だが――
ドロマの背後で、影が動いた。
ザシュッ!
鋭い刃が、ドロマの背を裂いた。
血と毒液が、同時に飛び散る。
ドロマの体が、わずかに前へ傾いた。
その背後に立っていたのは、二本のショートソードを握るマダラウツボ魚人。
沈黙の牙のマダラだった。
マダラは、口元を歪める。
「へっへっへっ……」
刃についた血を、ぬらりと振り払った。
「やっと見つけたぜ、ドロマァ!」
ドロマが、ゆっくりと背後を振り返る。
裂けた背中から血を流しながら、その目に怒りとも愉悦ともつかない光が宿る。
「あ……?」
ドロマの口元が、ぴくりと歪んだ。
「何だァ、お前……?」
マダラの両腕が霞む。
二本のショートソードが、銀色の軌跡を描いた。
「へっへっへっ!」
ザシュッ!
ドロマの肩が裂ける。
ザシュッ!
脇腹に、赤い線が走る。
ザシュッ!
さらに胸元が切り裂かれた。
マダラは笑いながら、凄まじい連撃を叩き込む。
刃が走るたび、ドロマの体表に血が跳ねた。
そこへ、ぬらりとした毒液が混じる。
赤と黒。
血と毒が、ドロマの体を汚していく。
「切り刻んでやるぜ、トラフグ野郎!」
だが――
斬られながら、ドロマは笑っていた。
「……ああ?」
濁った目が、ぎょろりとマダラを見る。
「こんなモンじゃ、楽しめねぇなァ……」
次の瞬間。
ドロマの全身が、不気味に膨れあがった。
「……!?」
マダラの目が、わずかに開く。
ビュビュビュビュッ……!!
ドロマの体表から、短い毒針が一斉に飛び出した。
数十本の黒い針が、マダラへ向かって降り注ぐ。
マダラは、即座にショートソードを振るった。
キンッ!
ギィンッ!
キィンッ!
飛来する毒針を、次々と弾き落とす。
だが、全ては防ぎ切れない。
ザクッ!
一本が、肩に刺さった。
ザシュッ!
もう一本が、脇腹を掠める。
さらに数本が、腕と脚に突き立った。
血が滲む。
黒い毒液が、傷口からじわりと広がる。
マダラの眉が、ぴくりと動いた。
「……アン?」
足元が、わずかに揺れる。
マダラは、自分の腕に刺さった毒針を見た。
「俺は毒に……耐性があるんだが……」
それでも、マダラは一歩前へ出ようとした。
膝が、がくりと落ちる。
「何だこりゃ……?」
ドサッ。
マダラの体が、前のめりに崩れ落ちた。
ドロマは、裂かれた体を震わせながら笑う。
「ヒャハハハハ! 俺の毒は、世界で一番性質が悪ィんだよォ!」
傷口から血と毒液を垂らし、濁った目を見開く。
「雑魚どもは、血を献上しやがれよォ!」
その声に応えるように、深海の狂気の囚人たちが狂った笑みを浮かべる。
沈黙の牙の兵たちは、じり、と後ずさった。
その中央で、カイゼルがゆっくりと身を起こす。
毒液を浴びた腕から、白い煙が上がっている。
だが、その目はまだ死んでいない。
そこへ、バシリスクが一歩前へ出た。
腕を組んでいた姿勢を解き、獰猛な笑みを浮かべる。
反対側では、ドロマが毒針を揺らしながら近づいてくる。
血と毒に濡れた口元が、にたりと歪む。
バシリスク。
ドロマ。
二つの狂気が、カイゼルを挟んだ。
後方の指揮台で、ウルスの奥歯が軋む。
「クッ……マダラまで落とされたか」
細い目が、戦場を見下ろす。
「仕方ねぇ」
バッ!
ウルスは、指揮台から飛び降りた。
長い腕を揺らしながら、ゆっくりと戦場へ歩き出す。
「俺が出るか……これ以上、盤面を荒らされたくはねぇからな」
その中央の戦場が毒と雷に呑まれていく一方で――
ジルたちは、第三階層へ続く闇の奥へ進んでいた。
レクスの住処を抜け、崩れた通路を走る。
足元には砕けた石片。
壁には、古い血の跡。
遠くでは、まだ怪物たちの轟音が響いていた。
ズウゥゥゥン……!
天井から、ぱらぱらと砂が落ちる。
バレルが舌打ちした。
「チッ……また揺れやがった」
ヴォルグが、血の滲む肩を押さえながら前を見る。
「急げ。崩れる前に抜けるぞ」
その時、息を切らしながらレクスが足を止めた。
「はぁ、はぁ……あれだ」
レクスが、前方を指さす。
薄暗い通路の奥。
崩れた岩壁に囲まれるように、古びた祠が立っていた。
石で組まれた、小さな祠。
表面には、削れた渦を巻くような紋章。
何を祀っていたのか、今ではもう分からない。
だが、その裏側。
岩壁との境目に、黒い裂け目があった。
ジルの目が鋭くなる。
「……あれが、ディナイの言っていた亀裂か」
レクスが頷く。
「たぶんな。第三階層へ繋がる抜け道って話だろ?」
四人は、祠の裏へ回り込んだ。
だが――
ジルの足が止まる。
亀裂は、確かにあった。
黒く、細く、下へ続いている。
しかし、その入口は崩れていた。
折り重なった瓦礫が、裂け目を半分以上塞いでいる。
割れた石壁。
崩れた岩。
祠の一部だったらしい石片。
それらが重なり合い、通路を狭く潰していた。
バレルが、低く唸る。
「……おいおい。通れねぇぞ、これじゃあ」
レクスが顔をしかめる。
「さっきの衝撃だな。怪物どもが暴れすぎなんだよ」
遠くで、また雷鳴のような音が響く。
ドオォォン……!
亀裂の奥から、冷たい風が吹き上がった。
ヴォルグが、裂け目を覗き込む。
「確かに細いが……ジルとレクス、俺なら通れるかもしれない」
バレルが、無言で亀裂を見る。
そして、自分の甲殻と巨大なハサミを見下ろした。
レクスが、少し間を置いて言った。
「……お前は、殻を置いていけば通れる」
バレルのハサミが、ギチ、と鳴った。
「ああ? 俺の殻は着脱式じゃねぇ!」
レクスは肩をすくめる。
「殻を外したら、ただのでっかいナマコだったりしてな!」
バレルのハサミが、ギチ、と鳴った。
「こんな時まで一言多いんだよ、テメェは!」
そして、低く唸る。
「あと、俺はナマコなんかじゃねぇ!由緒正しきロブスター一家、ラクロワ家の長男だ!」
レクスは、肩をすくめた。
「へぇ。だが、そんなことは聞いてねぇ」
口元が、にやりと歪む。
「お前も一言多いんじゃねぇか?」
バレルが、ハサミを振り上げる。
「なにおぅ!?」
ジルは、瓦礫の奥に残った黒い隙間を見つめた。
ここまで来た。
あと少し。
だが、このままでは全員では通れない。
ジルは、拳を握る。
「時間はかかるが、一つずつ瓦礫をどかしていくしかない」
バレルが、鼻を鳴らした。
「へっ。そういう力仕事なら任せろ」
ヴォルグも鉄棒を握り直す。
「だが、慎重にやらなければならない。崩れ方次第では、入口ごと潰れる」
レクスが、革袋を壁際に置いた。
「おいおい、俺まで肉体労働かよ」
それでも、腰を落として瓦礫に手をかける。
ジルは、亀裂の向こうに広がる闇を見た。
第三階層。
ゼオンの証拠。
そして、タイタン。
そのすべてが、この瓦礫の先にある。
「急ぐぞ」
ジルは、低く言った。
「ここを開けて、第三階層へ抜ける」
ジルの言葉に、三人が静かに頷いた。
急ぎすぎれば入口ごと潰れ、第三階層への道は閉ざされる。
だが、時間をかけすぎれば、中央戦場の混乱がいつここまで及ぶか分からない。
四人は息を殺し、亀裂を塞ぐ瓦礫へ手をかけた。
一方――
崩落隔離区画、中央戦場。
毒と雷の臭いが、血に濡れた瓦礫の上に漂っていた。
ウルスが、指揮台から降りる。
長い腕を揺らしながら、一歩ずつ戦場の中央へ進んでいく。
その先では、カイゼルがゆっくりと身を起こしていた。
そのカイゼルへ、バシリスクとドロマが迫る。
沈黙の牙の兵たちは、誰一人動けなかった。
槍を握る手が震えている。
毒に倒れた仲間の悲鳴が、まだ耳に残っていた。
ドロマが、毒針を揺らしながら笑う。
「ヒャハハハハ!」
濁った目が、カイゼルを舐めるように見た。
「俺の毒に耐えられるかァ? 雷野郎ゥ!」
その時。
バシリスクの目が、横へ動いた。
戦場の奥から、ウルスが近づいてくる。
沈黙の牙の軍参謀。
ミツクリザメ魚人の細い影が、瓦礫の上を進んでいた。
バシリスクは、にたりと笑う。
「ドロマ」
低い声が、戦場に落ちた。
「こいつは俺が喰らう」
バシリスクは、カイゼルを顎で示す。
それから、こちらへ向かってくるウルスを指さした。
「テメェは、あいつをやれ」
ドロマの顔が、ぬるりとウルスへ向く。
「ヒャハッ……」
口元が、さらに歪んだ。
「ああ、いいぜェ」
毒液が、口の端から滴る。
「ついでに、雑魚どもも潰しておくぜェ?」
次の瞬間。
ドロマの頬が、ぶくりと膨らんだ。
ブシュウウウウ……!
紫黒い毒霧が、ドロマの口から漏れ出す。
足元の瓦礫を這い、周囲へ広がっていく。
「下がれ!」
「毒だ!」
沈黙の牙の兵たちが、恐怖に顔を歪めて後ずさる。
ドロマは、毒霧の中を笑いながら歩き出した。
向かう先は、ウルス。
その背後で、バシリスクはカイゼルへ向き直る。
「さあ」
地底の暴君が、牙を剥いた。
「続きだ、カイゼル」
カイゼルは、低く鼻を鳴らした。
「フン……バシリスクか」
毒に焼けた腕を、ゆっくりと下ろす。
白い煙が、まだ皮膚から立ち上っていた。
それでも、その目に揺らぎはない。
「貴様の強さには、少々驚いた」
バシリスクの口元が、にたりと歪む。
カイゼルは、全身に力を込めた。
「ならば――」
青白い雷が、足元の瓦礫を走る。
バチ。
バチバチ。
次の瞬間、さっきまでとは比べものにならない電流が、カイゼルの周囲に迸った。
バリバリバリィッ!!
瓦礫が焦げる。
空気が震える。
沈黙の牙の兵たちが、思わず顔を庇った。
「俺の本気を見せてやろう……」
吹き飛ばされていたイシダイ魚人が、瓦礫の陰から顔を上げた。
「やっちまえぇ! カイゼル様ァ!」
その声に、バシリスクが笑う。
「ほう……」
巨体の重心が、低く沈んだ。
足元の瓦礫が、めきりと割れる。
「上等だ」
バシリスクの瞳が、獣のように見開かれる。
「叩き潰してやろう」
地底の暴君が、低く構える。
嵐喰らいの雷が、さらに激しく荒れ狂う。
バシリスクとカイゼル。
二体の怪物が、再び激突しようとしていた。
第二階層、階層間リフト前――
遠巻きに集まった囚人たちが、ざわめいていた。
崩落隔離区画の奥から、雷鳴のような轟音が響いてくる。
そのざわめきを裂くように、看守たちが現れた。
数十名。
槍を携え、担架や荷車を引きながら、第二階層の奥を見据えている。
先頭に立つのは、副看守長ルードヴィヒ。
アカエイ魚人の男は、冷たい目で崩落隔離区画の方角を見た。
「……多数の死体が出ているはずだ」
低い声が響く。
「全て回収するぞ」
看守たちは、無言で歩き出した。
向かう先は、血と毒と雷が渦巻く崩落隔離区画。
怪物の激突。
毒に沈む戦場。
そして、死体を求めて動き出す看守隊。
沈黙の牙も、深海の狂気も、看守たちも。
誰も、この混沌を止められない。
第二階層は、さらに深い地獄へ叩き落とされようとしていた。
《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
もし物語を面白いと感じていただけたら、
あなたの一票(=★評価・ブックマーク)が、
監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。
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これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。




