CHAPTER31『火種は深海へと進む』
ゼオンの口から語られたのは、ブルータイド壊滅の真相だった。
死者にされたゼオン。
アビスロックで行われる、囚人の死体を使った兵器実験。
その闇を暴く証拠の写しは、第三階層に残されている。
金属筒を持つ男の名は、タイタン。
海割りのタイタン。
ジルたちが次に目指すのは、第三階層幽閉区画だった。
ジルは、ゼオンを見据えた。
「……タイタン。その男に会えばいいんだな」
ゼオンは、かすかに頷いた。
ジルの目が、鋭くなる。
「分かった。だが、その前に……」
ジルは、寝台の上のゼオンへ一歩近づいた。
「ゼオン。ここ第二階層から、第三階層へ抜ける道を知らないか?」
包帯の巻かれた胸が、浅く上下する。
「……いや。すまない」
ゼオンは、かすれた声で続けた。
「俺は影虎に背負われてここまで運ばれた。だが、その時はほとんど意識を失っていた」
ゼオンは、悔しげに目を伏せる。
「どこを通って来たのかまでは、覚えていない」
ジルは、唇を引き結んだ。
「……そうか」
横で、バレルが大きなハサミを鳴らした。
「俺らも前に、封鎖区画にあるって噂の抜け穴を探したんだがな」
バレルは、苦い顔で肩をすくめる。
「結局、見つからなかった」
バレルは、低く続けた。
「……だが、ないはずがねぇ」
その声から、軽さが消えた。
「影虎は第三階層からアンタを連れ出した。ドゥームも、カイゼルを第三階層から解放しやがった。そんで、アンタを殺そうとしたバルガって野郎も、幽閉区画まで入り込んだんだろ?」
バレルのハサミが、ギチリと鳴る。
「どこかにあるはずだ。第二階層から第三階層へ抜ける道がな」
ジルは、顎に手を当てた。
「……影虎に当たるか。もう一度、封鎖区画を探すか」
バレルが、すぐに首を振った。
「いや。影虎の野郎に話を通したら、また言われるぜ」
「教えてやる代わりに、誰々を殺れってな」
ジルは、わずかに眉を寄せた。
「……確かに」
だが、すぐに視線を落とす。
「かと言って、封鎖区画を探しても見つかるとは限らない。下手をすれば、また看守長レヴィアスと出くわす」
バレルの顔が、露骨に歪んだ。
「そいつも勘弁だな」
ジルは、しばらく考え込んだ。
そして、不意に顔を上げる。
「ディナイ」
部屋の中に、返事はない。
ジルは、扉の方へ目を向けた。
「ディナイ。いるんだろう」
次の瞬間――
誰もいなかったはずの扉の内側に、輪郭が浮かび上がった。
薄い霧が揺れる。
そこに、ディナイが立っていた。
バレルが、ぎょっとしてハサミを構える。
「うおっ!? いつからそこにいやがった!」
ディナイは、表情を変えない。
「……最初からだ」
「最初からだと?」
「話も、すべて聞かせてもらった」
ジルの目が細くなる。
「……何だって」
ゼオンが、寝台の上でかすかに笑った。
「フッ……さすがは霧の幻影だな」
バレルは、まだディナイを睨んでいる。
「何の術を使いやがった!?」
ディナイは、淡々と答えた。
「術ではない。俺はアオリイカ魚人だ」
そこで、体の輪郭が水面の影のように揺らぐ。
「必要なら、いつでも姿を消せる」
バレルの口が、半開きになった。
「何だそりゃ……反則だろ」
ジルは、短く息を吐いた。
「……まあいい。それなら話が早い」
ジルは、ディナイを見据えた。
「アンタは、第三階層への道を知っているか?」
ディナイは、ジルを見返した。
「……第二階層から第三階層へ抜ける道は、複数ある」
ジルの視線が鋭くなり、バレルのハサミが止まった。
「だが、その全てを把握しているのは、影虎様と梟様だけだ」
ディナイは、わずかに間を置いた。
「俺が知っている道は、一つだけだ」
ジルは、一歩前に出た。
「だったら、その道を教えてくれ」
ディナイは、すぐには答えなかった。
「……お前たちに、教える義理はない」
バレルの目つきが変わる。
「なんだと? ここまで話を聞いておいて、そりゃねぇだろうが」
ディナイは、バレルを見ない。
ただ、ジルを見ていた。
ジルも、視線を逸らさなかった。
短い沈黙。
やがて、ディナイが口を開いた。
「……だが、お前たちはクロウの恩人でもある」
バレルの眉が、ぴくりと動く。
「わかった。教えよう」
バレルは、すぐに口元を緩めた。
「おっ、ものわかりがいいじゃねぇか」
ディナイは、その軽口を無視した。
「その道は……深海の狂気のアジトのさらに奥にある」
ジルの表情が強張る。
「深海の狂気の……奥?」
ディナイは頷いた。
「奴らの縄張りを抜けた先に、古い祠がある。その裏に、第三階層へ続く裂け目が隠されている」
バレルの顔が、露骨に歪んだ。
「何だと!? またアイツらのアジトの近くを通らなきゃならねぇのかよ!」
ディナイは、淡々と告げた。
「近くではない」
バレルが、固まる。
ディナイは続けた。
「奥だ」
部屋の空気が、重く沈んだ。
ジルは呟いた。
「……だが、その道を行くしかない」
ジルは、ディナイから視線を外し、ゼオンへ向き直った。
「一度、俺たちのアジトへ戻る」
ジルの目が、まっすぐゼオンを捉えた。
「その上で、第三階層へ向かう」
バレルが、大きなハサミを鳴らした。
「チッ、仕方ねぇ。狂犬どもの相手は骨が折れるが……まぁ、何とかなんだろ!」
ゼオンは、寝台の上で浅く息を吐いた。
「……そうか」
ジルは、一歩近づいた。
「ゼオン。そのタイタンは、俺たちを信用すると思うか?」
ゼオンは、すぐには答えなかった。
やがて、かすれた声で告げる。
「奴は、力だけで動く男ではない」
ジルの眉が、かすかに上がる。
「では、何で動く」
「覚悟だ」
ゼオンの眼差しだけが、鋭さを取り戻す。
「タイタンは、口先の反逆者を嫌う。だが、本気で仲間を背負って進む者は見捨てない」
バレルが、鼻を鳴らした。
「厄介な大物ってわけだ」
ゼオンは、口元を緩めた。
「そうだ。厄介で、頑固で、恐ろしく強い」
そして、ジルを見る。
「ジル。タイタンに会ったら、俺の名を出せ」
「そして伝えろ。蒼い潮は、まだ引いていない、と」
ジルの瞳の奥が、かすかに揺れた。
「蒼い潮は、まだ引いていない……」
ゼオンは、ゆっくりと目を閉じた。
「それで、奴には伝わる」
ジルは、拳を握った。
「分かった」
ゼオンは、再び目を開く。
「ジル」
呼ばれ、ジルは足を止めた。
「証拠を手に入れろ。だが、それ以上に……必ず生きて戻れ」
ジルは、ゼオンを見返した。
「……ああ」
短い沈黙。
ジルは、静かに告げた。
「俺は死なない」
そして、バレルへ一瞬だけ視線を向ける。
「仲間も、死なせない」
ゼオンの瞼が、ゆっくりと動いた。
バレルが、口元を引き締める。
ジルは背を向けた。
「行くぞ、バレル」
「おう」
二人は、ゼオンの部屋を後にした。
第一階層、監獄長執務室――
重い扉が開いた。
入ってきたのは、リュウグウノツカイ魚人の看守長、レヴィアスだった。
長い身体を折り、レヴィアスは一礼する。
「監獄長。第二階層に、新たな動きがございます」
部屋の奥で、シャチ魚人ギルバートが目を開いた。
「おお、レヴィアスか」
ギルバートは椅子の背にもたれたまま、レヴィアスを見る。
「お前が直接、報告に現れるとはな」
レヴィアスは、姿勢を崩さない。
「……看過できぬ動きと判断しました」
ギルバートの表情から、わずかな緩みが消える。
「……フム、何があった?」
レヴィアスは、淡々と告げた。
「ローレンス率いる沈黙の牙の軍勢が、霧の幻影の拠点を襲撃。結果は失敗。影虎率いる霧の幻影に返り討ちに遭った模様です」
ギルバートの眼光が、鋭くなる。
「沈黙の牙が退いたか……」
「はい。さらに、撤退中の部隊は深海の狂気の襲撃を受け、ほぼ壊滅状態にあるとの報告です」
レヴィアスは、そこで一拍置いた。
「ですが、動きはそこで止まっておりません」
ギルバートは、無言で先を促す。
レヴィアスは続ける。
「現在、沈黙の牙の主力が大規模に移動しております。進路は、深海の狂気の縄張り……」
「今回は、沈黙の牙の軍参謀――ウルスが軍勢を率いている模様です」
ギルバートは、喉の奥で笑った。
「フン……ドゥームめ。霧に牙を折られて、ようやく動き出したか」
そこで、レヴィアスは少し声を落とした。
「それと、もう一つ」
ギルバートの視線が、レヴィアスへ向く。
「ジル・レイヴン率いる蒼海の解放軍が、沈黙の牙の幹部ヴィクターを消したとの噂も入っております」
ギルバートは、その名を低く呟いた。
「ジル・レイヴン……」
そして、短く息を漏らす。
「あの小僧どもも、盤上に上がってきたか」
レヴィアスは頷いた。
「三大派閥の抗争に紛れ、勢力を伸ばしている可能性もあります」
そこで、レヴィアスは目を細めた。
「奴らとは、一度拳を交え、その覚悟の程も測りましたが……」
ギルバートが、黙って続きを待つ。
「ただの寄せ集めではありません。特にジル・レイヴン。あの若造には、妙な芯がある」
ギルバートの喉が、低く鳴った。
「フム」
レヴィアスは続ける。
「まだ小さな火種です。ですが、放っておけば、第二階層の勢力図を崩すだけのものにはなり得るでしょう」
ギルバートの口角が、かすかに上がった。
「火種、か」
レヴィアスは、少しだけ目を伏せた。
「……ただの火種か、それとも海底まで焦がす炎か。見極めてみたいとは思いましたな」
ギルバートの瞳に、鋭い光が宿る。
「ほう……」
そして、ギルバートは、机上の監獄図へ視線を落とした。
霧の幻影。
沈黙の牙。
深海の狂気。
第二階層を支配する三つの名が、監獄図の上に並んでいる。
だが今、その隙間に、別の名が浮かび上がりつつあった。
蒼海の解放軍。
ギルバートの指が、監獄図の上をゆっくりと滑る。
「霧に敗れた牙が、今度は狂気に噛みつく……そして、その隙を新たな火種が狙う、か」
レヴィアスは、静かにギルバートを見ていた。
ギルバートは、監獄図の上に並ぶ名を見下ろしたまま、低く笑った。
「フッ、面白い」
その声には、冷たい愉悦が混じっていた。
「この監獄の渦に呑まれず、どこまで這い上がれるか……見物だな」
「ええ……」
レヴィアスは、表情を変えずに答えた。
「ですが、このままこの抗争が進めば、第二階層全域を巻き込む戦争に発展する恐れもあります」
ギルバートは、しばらく黙っていた。
やがて、低く告げる。
「構わん。囚人同士が潰し合うだけならな」
レヴィアスは、背筋を伸ばしたまま問い返した。
「……我々は傍観で、よろしいのですかな」
「第二階層は、そういう場所だ……」
ギルバートの指が、再び監獄図の上を滑る。
その指は第三階層の文字の前で止まった。
「だが、第三階層へ火が及ぶのは阻止せよ」
「第三階層側の侵入口は、すでに全て封鎖されているはずですが……念のため、第二階層側の接続口を私が直接、押さえましょう」
レヴィアスの細長い瞳に、琥珀色の確信がともる。
短い沈黙の後、ギルバートは告げた。
「任せたぞ」
「心得ております、監獄長」
レヴィアスは深く一礼し、踵を返した。
長い身体が、扉の向こうへ消えていく。
監獄長執務室に、重い沈黙だけが残った。
蒼海の解放軍のアジト――
岩壁に囲まれた小さな空間に、薄い灯りが揺れていた。
扉が開き、ジルとバレルがアジトへと戻ってきた。
ジルは、ふぅ、と一息ついた。
「戻ったぞ」
その目の前で、レクスが干魚を頬張っていた。
頬を膨らませたまま、レクスが片手を上げる。
「おお、ほうはえっへひはほぁ」
バレルの眉が跳ねた。
「オメェ……まだ食ってたのかよ!」
レクスは、すぐに手を横へ振った。
「ひやひや。ほえはひょうほのへざーほら」
「テメェ、何言ってんのか分かんねぇんだよ!」
レクスは、ようやく干魚をゴクンッ、と飲み込んだ。
「……いやいや。これは食後のデザートだ」
バレルの口が半開きになる。
「干魚がデザートなわけあるか!普通、果物とかだろ」
レクスは、得意げに片目を細め、チッチッチ、と人差し指を左右に振る。
「甘味だけがデザートとは限らない。食後に食えば、それは概念上デザートだ」
バレルのこめかみに、青筋が浮いた。
「屁理屈こねてんじゃねぇ!」
ジルは、そのやり取りを横目に奥を見た。
ヴォルグが、壁にもたれて立っている。
目元に巻かれていた布は、片側だけ外されていた。
ジルがそちらを見る。
「ヴォルグ。目はどうだ」
ヴォルグは、ゆっくりとまばたきをした。
「完全ではないが、輪郭は拾える。右目はまだ光に揺れるが、両目で無理に見ようとするより、片目の方が安定する」
指先で、目元の布に触れる。
「戦場で足を引っ張るほどではない」
ジルは、少しだけ表情を緩めた。
「そうか。なら良かった」
ヴォルグは、ジルの顔を見た。
「……で、ゼオンとやらには会えたのか」
ジルの表情から、緩みが消える。
「ああ……」
短い沈黙。
レクスが、干魚を持つ手を止めた。
「……随分と重い顔だな。感動の再開だけじゃなさそうだ」
ジルは頷いた。
「……ゼオンは生きていた。だが、政府に“死者”の烙印を押され、第三階層へ送られていた」
ヴォルグは思案するように、その言葉を繰り返した。
「死者の烙印……」
「ああ」
ジルは続ける。
「ブルータイドが壊滅させられた理由も、分かった。そして……ここアビスロックでは、囚人の死体を使った兵器実験が行われているそうだ」
レクスの表情から、わずかな軽さが消えた。
「……死体を、兵器だと?」
バレルのハサミが、ギチリと鳴る。
「胸糞悪ぃ話だぜ」
ジルは拳を握った。
「その実験の記録がある。ゼオンは、その証拠の写しを命がけで持ち出した」
ジルの声が、重く沈む。
「それが、第三階層に残されている……」
ヴォルグの片目がジルを捉えた。
「第三階層のどこに……?」
「タイタンという男が持っている」
ジルは、その名を告げた。
「海割りのタイタン。ゼオンが証拠を託した男だ」
レクスは、顎に手を当てた。
「なるほど。つまり、次の目的はそのタイタンに接触し、証拠を手に入れるってことだな」
「ああ」
レクスは、斜め上を見上げるようにして、口元を歪める。
「その証拠とやらがあれば、この監獄の仕組みを……いや」
レクスは、食べかけの干魚を置いた。
「政府すらも、揺らせるってわけだな……」
口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「これは、筆が進みそうだ」
ジルは、全員を見た。
「俺たちは第三階層へ行く」
ヴォルグが、壁から背を離す。
「その道はどうする……また封鎖区画を探すのか?」
ジルは首を横に振った。
「いや、霧の幻影のディナイが教えてくれた。ここ、第二階層から第三階層へ抜ける道が一つある」
バレルが、苦い顔で続ける。
「ただし、その道が最悪だ」
レクスが眉を上げる。
「最悪だぁ?」
ジルは、静かに告げた。
「深海の狂気のアジト。そのさらに奥の祠の裏にあるようだ」
ヴォルグの片目が、鋭く開いた。
「何だって……」
レクスは、干魚を置いたまま、肩をすくめる。
「奴らはしつけぇぞ。一度匂いを覚えた獲物は、骨になるまで追ってくる」
バレルが、顔をしかめた。
「犬みてぇな奴らだな」
ジルは頷いた。
「ああ。それでも行くしかない」
ジルたちは、深海の狂気の縄張りへ向かう。
目指すは、アジトのさらに奥。
第三階層へ続く、隠された裂け目。
海割りのタイタンへ辿り着くため、蒼海の解放軍は狂気の領域へと再び足を踏み入れる。
《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
もし物語を面白いと感じていただけたら、
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監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。
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これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。




