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CHAPTER2『第四の勢力』

深海監獄アビスロック第二階層――


その底で、二人の囚人が並び立った。

派閥にも属さず、看守の支配にも与しない。

ただ、生き抜くために手を組んだ――それだけの、不安定な同盟。

だがこの監獄では、そうした存在は“異物”だ――派閥に属さない者は、いずれ喰われる。


理由も理屈もなく、ただ空気がざわつく。

やがて、囁きが生まれる。

「聞いたか? 新入りが、ロークスの襲撃を弾き返したらしいぜ」

「あの狂ったウツボ魚人を、正面からだってよ」

「……一人じゃない。あのロブスターの野郎も一緒だったと聞いたぜ?……しかも、二人ともまだ生きてやがる」

その噂は、鉄と潮の匂いに混じりながら、第二階層の奥へ、静かに広がっていった。

まだ名はなく、ただの無所属の二人に過ぎない。

だがこの時すでに――監獄の均衡は、わずかに軋み始めていた。









通路に、短い沈黙が落ちた。

鉄柵の向こうからは、ざわめきと視線だけが残っている。

まだ何者でもないはずの二人に向けられた、測るような気配。




バレルは、それを薄く感じ取り、わざとらしく肩の力を抜いた。

腕を組み、口元を少しだけ緩める。

「ま、こうして名乗り合ったんだ。だったら、俺たちの同盟の呼び名も……欲しくなるだろ?」



「……看板か」

ジルは小さく息を吐いた。



名を掲げるのは、目立つということだ。

だが――この監獄では、名を持たない者から先に消えていく。



バレルは、気楽な調子で肩をすくめた。

「ま、俺たち無所属同士で手ぇ組んだんだからよ?

無所属同盟ってのはどうだ?」



ジルは一拍置いて、ゆっくりと頷く。

「……悪くないな」



だが、そのまま視線を落とし、続けた。

「でもどうせなら、もう少し意味のある名のほうがいいと思うんだが……」



「ほぉ?」


バレルは目を細め、にやりと笑う。

「じゃあよ――チーム・フライングフィッシュ・ロブスターってのはどうよ?」



ジルは思わず息を吐いた。

「……いや、そのままじゃないか」



「そうか? いいと思うぜ?」

バレルは本気なのか冗談なのか分からない顔で言う。



その軽口に、ジルはすぐには返さなかった。

ジルはしばらく考えるように黙り込む。



少しの沈黙のあと、ゆっくりと顔を上げる。

その声には、揺らぎのない芯があった。

「かつて……俺はブルータイドって組織にいた。弱き者たちの自由のために立ち上がった集団だったが……政府軍の罠に嵌められ、壊滅した」



彼の声には、静かな怒りと悔しさが滲んでいた。

「……だが、あの連中の意志は、俺の中でまだ生き続けている」



少しだけ目を細めて、ジルは続けた。

「あいつらの魂を、ここで終わらせたくないんだ……“蒼海の解放軍ブルータイドリベレーションズ”……そう名乗るのは、どうだ?」



バレルは拳を軽く打ち合わせたあと、にやりと笑ってジルに言った。

「いいじゃねえか!決まりだな、相棒……で、リーダーはお前な!」



ジルは少しだけ眉をひそめる。

「……勝手に決めるな」



バレルは肩をすくめ、笑いながら言った。

「看板を決めたのはお前だろ?名前には責任がつきまとうもんさ……それに、俺は細けぇことをごちゃごちゃ考えるのは、苦手なんでね」



ジルは小さくため息をつくと、肩をすくめた。

「……仕方ないな」



バレルは満足げに笑いながら、ハサミを鳴らした。

「決まりだ、舵取りよろしくな!」



ジルは一瞬だけ目を細め、口の端をわずかに吊り上げる。

「……強引なやつだな」



バレルは気にも留めず、張りつめた空気を払い落とすように肩をすくめた。

「……まぁ、こんな所でグダグダしててもしょうがねぇ」


そう言って肩をすくめると、懐に手を突っ込み、ガサゴソ音を立てて何かを取り出す。

乾パンだった。


「目立つのは――腹を満たしてからにしようぜ?」


無造作に放られたそれを、ジルは受け取り、わずかに眉をひそめる。

「……食糧は、どうやって手に入れるんだ?」



バレルは口の端を吊り上げた。

「いい質問だ。この監獄にもな、一応“ルール”はある。誰も教えちゃくれねぇが……知らねえと生き残れねぇ」



踵を返し、通路の奥へ顎をしゃくる。「ついて来い。この監獄で“腹を満たす”方法を、教えてやる」



第二階層の奥へ進むにつれ、通路の空気はさらに重さを増していった。



湿った石壁に囲まれた細い通路。


錆びた鉄板や木材を寄せ集めたようなバラックが無秩序に並び、スラムの路地を思わせる光景が広がっている。


ジルとバレルが歩くたび、あちこちから視線が絡みついた。


――値踏みする目。


――警戒する目。


――獲物を測るような目。


まだ何者でもないはずの二人に、囚人たちは敏感に反応していた。



小競り合いが起きている一角では、血の匂いが生暖かく漂い、別の場所では無言の取引が淡々と行われている。

勝者が敗者を踏みにじり、使える者は取り込まれ、弱者は自然と姿を消していく――そんな循環が、この監獄では日常だった。



やがて、通路の先がわずかに開ける。


粗末な布を敷き、木箱や鉄片を並べただけの露店が無数に並び、囚人たちが物資をやり取りしている。

乾パン、干し肉、刃こぼれした刃物、使い古しの防具。

監獄というより、貧民街に近い。




ジルが低く呟く。

「……なあ、バレル……ここは本当に監獄か?」




バレルは肩をすくめ、低く笑った。

「ああ、看守の配給だけじゃ生き残れねぇ連中が集まって……自然と、こうなっちまったんだろう」


秩序でも計画でもない。

生き延びようとした者たちが辿り着いた、結果。

――ここでは、鎖よりも先に、空腹が人を縛る。



ジルは無言で頷いた。



そのとき、通路の奥――市場のさらに向こうに、異質な構造物が見えた。


金属と人工石で固められた、無骨な縦穴。

壁面には分厚い補強材が走り、中央に巨大な棺のような箱型の昇降装置が据えられている。



「……あれは?」


ジルの視線を追い、バレルが答える。

「看守だけが使える階層間リフトだ。上と下を行き来できる」



ちょうどその時、重苦しい振動とともに、そのリフトがゆっくりと降りてきた。


金属が擦れ合う低音が、通路全体に響く。

重厚な音と共に扉が開いた。


現れた看守は無言のまま、袋や箱を掴み、次々と放り投げる。


配給だ。


箱が地面に叩きつけられるたび、鈍い音が鳴る。



その前に、いつの間にか形成されていた列が、微かにざわめいた。



「一日一回、決まった時間に放り込まれるんだ」


バレルが淡々と言う。

「数は決まってる。足りなきゃ、それで終わりさ」



ジルは列の外から近づいてくる数人に気づいた。

並ぶ様子もなく、当然のように前へ出る。

背中に刻まれた派閥の印。


「……並ばない連中もいるな?」



「……奴らは三大派閥だ」


バレルは短く答える。

「代表がまとめて受け取って、縄張りに持ち帰る。看守も、それを咎めやしねぇ」



ジルは小さく息を吐いた。

「無所属は……残り物を拾うしかない、というわけか」


「そういう場所なんだ」



市場と配給所。

生きるための工夫と、支配の構造が、同じ場所に並んでいる。



ジルはその光景を黙って見据えた。

――監獄は、檻だけで人を縛るわけじゃない。そう理解しながら、彼は歩みを進めた。



その時、配給を待つ列の中で、突如、荒い声が弾けた。

「てめぇ、横入りすんじゃねぇ!

俺のほうが先に並んでたんだよ!」


怒鳴った囚人が腕を掴み返すと、相手も即座に噛みつく。

「何だと? 文句あんのか!」



次の瞬間――


一人が懐から刃物を抜いた。


ざわ、と列の空気が揺れる。


周囲の囚人たちは一斉に距離を取った。



ここでは、配給の順番一つで命が動く。



バレルは短く息を吐いた。


「……おいおい。そんなことで揉めるんじゃねぇ」

低く、腹に響く声だった。



彼は列の脇から一歩踏み出し、二人の間に割って入る。


刃物を握った囚人が苛立ちを露わにする。

「うるせぇ! テメェに関係――」


言い切る前に、言葉が詰まった。

目の前のロブスター魚人が放つ圧。

分厚い甲殻、巨大なハサミ。

何より、その目に一切の揺らぎがない。


囚人は無意識に一歩、後ずさった。



その様子を、列の外から眺めていた連中がいた。

配給を受け取りに来ていた沈黙の牙の囚人たちだ。


数人が顔を見合わせ、にやりと笑う。


「……止めるんじゃねぇよ、ロブスター?」

嘲るような声が投げられる。



バレルはゆっくりとそちらへ視線を向けた。

「……フン」


鼻で笑い、低く言い放つ。

「テメェらには関係ねぇ。配給を受け取ったんなら――さっさと帰りやがれ!」


一瞬、場の空気が張り詰める。



沈黙の牙の囚人たちは、肩をすくめるようにして一歩引いた。

だが、口元の笑みだけは崩れない。


「……おい、ロブスター」

低く、粘ついた声が飛ぶ。


「いつまで正義感、撒き散らしてんだよ。俺たちゃ囚人だぜ?」



バレルは答えない。

ただ、巨大なハサミをわずかに鳴らし、視線だけを返した。


その様子を、ジルは一歩引いた位置から見ていた。

(……?)

ほんの一瞬、眉がわずかに動く。



――その時だった。


沈黙の牙の囚人の一人、アオザメ魚人が、列から離れ、ジルの方へ歩み寄ってきた。


距離を詰めるごとに、周囲の空気が張りつめていく。


「……テメェ、新入りだな?」

顔を近づけ、値踏みするように目を細める。


「いきなりロークスと揉めたそうじゃねぇか?」


口角を歪め、ニヤついたまま続けた。

「……なんで、ぶち殺さなかった?」



ジルは、沈黙の牙の囚人を真っ直ぐ見返した。

その瞳に、怯えはない。ただ、張りつめた意志だけがあった。

「……あのウツボ魚人は、引いた。あいつはただ騒ぎに来ただけだ」



一拍置き、肩の力をわずかに抜く。

「そんな奴の相手しても、意味がねぇだろ。無駄に血を流しても、奴を喜ばせるだけだ」



沈黙の牙の囚人は、しばらく黙ってジルを値踏みするように眺めてから、口の端を吊り上げた。

「……ほう。新入りにしちゃ、ずいぶん肝が据わってやがるな」



沈黙の牙の囚人は、舌打ち混じりに一歩引いた。

「……いいだろう。今日は見逃してやる……いずれ、な?」



その言葉を残し、沈黙の牙の囚人たちは踵を返した。




周囲に残るのは、妙に重たい沈黙だけだった。




バレルが小さく息を吐く。

「……チッ。目ぇ付けられたな」


ジルが、視線だけで問い返す。



バレルは、遠ざかっていく沈黙の牙の背中を一瞥し、鼻で笑った。

「……最大派閥の連中に目ぇ付けられたら、ちっと厄介なんだが……」


肩をすくめ、いつもの調子で続ける。

「まぁ、なるようになるだろ」



ジルは視線を外さず、静かに問い返した。

「……これで終わりじゃなさそうだな」


「ああ」

バレルは頷く。


「目立った以上、このまま二人きりってわけにもいかねぇ、 ここで生き残るには……もう少し仲間が要るかもしれねぇな」



ジルは一瞬考え、口元をわずかに歪めた。

「仲間、か……俺たちと同じ考えを持つ奴が――この監獄に、まだいると思うか?」



バレルは、わずかに目を細める。

「ああ。ひとり、心当たりはある。ただな……」


通路の闇へ視線を向け、低く続けた。

「この監獄は、思ってる以上に広い。どこに潜んでるのか、さっぱりだ」


ジルは、その言葉を聞いて――ふっと笑った。

「なら、探すだけだ」


その瞳には、怯えも迷いもない。

「どうせ、じっとしてても奴らに目を付けられたんだろ?」


バレルは、にやりと笑った。

「違いねぇ」



その瞬間、湿った通路を、冷たい潮風がひとすじ通り抜けた。


遠くで、怒鳴り声と金属のぶつかる音が響く。


誰かが揉め、誰かが殴られ、また一つの騒ぎが飲み込まれていく。


――だが、そのざわめきとは別のところで、確かに“何か”が動き始めていた。



沈黙の牙のアジト――


薄暗い空間で、ひとりの男が報告を聞き終え、静かに立ち上がった。

「……厄介な芽だな、小さいうちに摘んでおくか」


短く言い捨てる。

「……始末するぞ」




その男が一歩踏み出した瞬間――

沈黙の牙が、確かに動き出す。

そしてその矛先は、静かに、だが確実に――“第四の勢力”へと向けられていた。


《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。


もし物語を面白いと感じていただけたら、

あなたの一票(=★評価・ブックマーク)が、

監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。


▼作者Xはこちら

https://x.com/00aomiray00?s=21


これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。

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