CHAPTER26『牙の怪物、霧の支配者』
第二階層深奥の地――霧の幻影の拠点では、なお激突の喧騒が絶えなかった。
怒号。悲鳴。刃と刃が噛み合う鋭い火花。
燃え広がった炎は黒煙を噴き上げ、広大な地下空間を不吉な色に染め上げる。
ローレンスはさらに梟との距離を詰めていく。
一歩、また一歩。
その歩みに合わせ、周囲を巡っていた高速回転の触手が軌道を変えた。
ブゥン……!
数本が梟の左右へ回り込み、さらに上へ。
逃げ道を塞ぐように、円を描いて展開される。
梟の周囲は、いつの間にか刃の檻に包まれていく。
その背後では、グリードが大錐を肩に担いだまま身を低くしていた。
獣のような眼で獲物を見据え、ただ一撃の機会を待つ。
ローレンスは歩みを止めず、冷たく言い放った。
「……貴様を潰せば、あとは影虎のみだ」
回転する触手が、唸りを増す。
高台の上で、梟は腕を組んだまま喉を鳴らした。
「フフフ……」
口元に笑みを浮かべ、細い目をローレンスへ向ける。
「そう上手く行きますかねぇ?」
その言葉が終わるより早く――
ブゥンッ!!
空中に浮かんでいた数本の触手が、突如として軌道を変えた。
左右、正面、上空。
死角を潰す軌道で、梟へ襲いかかる。
ブゥンッ……ブゥンッ!
だが、梟は焦る素振りすら見せない。
足運びをわずかにずらし、最小限の動きで双刀を振るう。
ザンッ! ザンッ!
鋭い斬撃が走るたび、高速回転していた触手が次々と断ち切られ、床へ落ちた。
梟は薄く笑みを浮かべたまま、ローレンスへ視線を向ける。
「……便利ですねぇ」
落ちて転がる触手へ一瞥をくれる。
「これを無限に生成できるんですか?」
「……ああ」
ローレンスの肩口がうねる。
分裂して空中へ放たれていた両腕の跡から、泥沼の泡のように肉が湧き上がった。
骨と筋が絡み合い、失われていた両腕が瞬く間に再形成されていく。
その異形を見せつけるように、背へ手を回した。
ギィ……
背中に背負っていた大鎌を、静かに引き抜く。
「冥土の土産に――目に焼き付けておけ」
その言葉と同時に、姿が掻き消えた。
次の瞬間――
梟の目前へ、ローレンスが踏み込んでいる。
「!?」
ガギィィンッ……!!
振り抜かれた大鎌を、梟は咄嗟に刀で受け止めた。
火花が散り、金属音が通路へ響き渡る。
鍔迫り合いのまま、梟は口元の笑みを崩さない。
「あなたも――相当に速いですねぇ」
だが、その背後。
ブゥンッ!!
別方向から触手が唸りを上げて迫る。
ザシュッ!
梟はローレンスの大鎌を押さえ込んだまま、もう片方の刀で背後の触手を斬り落とした。
ローレンスが鼻で笑う。
「フッ……器用な真似を」
ギギッ……!
大鎌に圧をかけたローレンスの声が、刃の向こうから落ちた。
「だが――終わりだ……!」
ローレンスの背後から、巨影が躍り出た。
大錐を大きく振りかぶったグリードが、獣じみた形相で飛び込んでくる。
「死ねぇッ!!」
血走った目が、梟を捉える。
「片手で防げるほど……」
全身の筋肉が膨れ上がる。
「俺の一撃は、甘くねぇぞ!!」
ブォンッ!!
唸りを上げる大錐が、梟へ狙いを定める。
梟の笑みが、ほんの一瞬だけ薄くなる。
その刹那――
グリードの眼前へ、ひとつの影が割り込んだ。
ギィィンッ!!
凄まじい金属音が炸裂する。
振り下ろされた大錐ごと、グリードの巨体が弾き返された。
「ぐあッ!?」
ドガッ!!
そのまま壁へ激突し、石壁に亀裂が走る。
砕けた破片が周囲へ降り注いだ。
その衝撃と土煙が視界を遮った一瞬――梟はローレンスの大鎌をすり抜けるように身を翻した。
瓦礫を蹴って高台へ跳び退き、着地と同時に下方の戦場を見下ろす。
その口元が、愉しげに吊り上がった。
「……残念でしたねぇ、ここからが本番ですよ」
ローレンスは大鎌を構えたまま、無言で割り込んで来た影を見据える。
「……ようやく現れたか」
黒煙の向こう――その男は、静かに立っていた。
黒衣の裾が揺れる。
霧の幻影――頭領、影虎。
その存在だけで、場の空気が変わる。
この地下で最も恐れられた男の一人が、ついに牙を見せる。
第二階層――蒼海の解放軍アジト。
旧配給所での死闘を終えた四人は、満身創痍のまま、どうにか拠点へとたどり着いていた。
ジルは壁を背に、その場へ座り込む。
「……ふぅ。何とか戻って来られたな」
バレルは肩に担いでいたヴォルグを静かに床へ降ろした。
その背から、レクスがひょいと飛び降りる。
「いやぁ~、悪くない乗り心地だったぞ、バレル」
「……ったく。てめぇだけは元気だな」
ヴォルグが苦笑しながら身を起こしかける。
「……すまないな」
だが、すぐにバレルの太い腕がそれを制した。
「寝とけ。無理して動くな」
顎で奥を示す。
「治らねぇようなら、救護小屋のオッサンとこに連れてってやる」
「ああ……それがいい」
ジルも短くうなずいた。
「……そうさせてもらおう」
ヴォルグは力なく横たわり、そのまま目を閉じる。
しばし、荒い呼吸だけが薄暗い部屋に残った。
やがてジルが、低く呟く。
「……ヴィクター。かなりの強敵だったな」
「ああ」
バレルは壁にもたれ、腕を組む。
「四人がかりでも、勝ち切れなかった……」
「……ガレオンがいなければ、負けていた」
ジルは痺れの残る右腕へ視線を落とし、拳を握り締める。
まだ感覚は鈍い。
鉛の一撃すら、あの怪物を沈め切れなかった。
(クソッ……俺の鉛の腕じゃ、決定打にはならないのか……!?)
バレルが、壁にもたれたまま鼻で笑った。
「ヘッ、そうでもねぇだろ」
ジルが顔を上げる。
バレルは鋏を軽く鳴らした。
「あいつ、お前の一撃を喰らってフラフラだっただろうが」
ニヤリと笑う。
「ガレオンの野郎が、美味しいとこを持っていきやがっただけだ」
レクスは床へどかりと座り込み、煤けた提灯を指で小突いた。
「まぁ、いいじゃねぇか」
にやりと笑う。
「結局、ヴィクターは死んじまった。俺たちは生きて帰った。それで今は十分だろ。後悔したって、腹は膨れねぇさ」
「……だな」
バレルは鼻を鳴らし、腹をさすった。
「腹が減っては戦ができねぇ。勝利の晩餐……といきてぇところだが。残念ながら、ここにあるのは乾パンだけだ」
「……ったく。段取りの悪りぃ野郎だ」
レクスが呆れたように肩をすくめる。
バレルの眉が跳ね上がった。
「何だと、テメェ!」
レクスは悪びれもせず、にやにやと笑う。
「元看守なんだろ? コネでも何でも使って、ご馳走のひとつくらい仕入れられねぇのかよ」
今にも飛びかからん勢いで、バレルが一歩踏み出す。
「俺の立場でそんな真似できるか、この野郎!」
その間へ、ジルが手を上げて割って入った。
「……待て」
低い声に、二人の動きが止まる。
「今は揉めてる場合じゃない」
ジルは通路の奥――戦場のある方角へ視線を向ける。
「そろそろ……決着がついてるかもしれない――沈黙の牙と、霧の幻影の戦争が」
部屋の空気が、わずかに張り詰めた。
バレルは鼻を鳴らし、腕を組む。
「……フン。まぁ、そうだな」
ジルは険しい表情のまま、低く言った。
「もし霧の幻影が負けたなら……幹部のヴィクターをやった俺たちのアジトに、沈黙の牙の軍勢が雪崩れ込んでくるかもしれない……」
バレルの顔つきが引き締まる。
「……何か打つ手を考えねぇとな」
「そうは言ってもよ」
レクスは後頭部で手を組み、天井を見上げた。
「この監獄に逃げ場なんざねぇだろ。深海の狂気にでも匿ってもらうか?」
バレルが鼻で笑う。
「ハッ。それこそ、鴨がネギ背負って鍋に飛び込むようなもんだ」
わずかな笑いも、すぐに消えた。
ジルは拳を握り、静かに言い切る。
「とにかく……今の俺たちじゃ、霧の幻影の力にはなれない」
その視線は、戦場のある深奥へ向いていた。
「戦争の結果を待つしかない……」
ジルの言葉を最後に、薄暗いアジトには重い沈黙だけが残った。
誰にも、戦場の行く末はわからない。
その頃――第二階層深奥の地では。
沈黙の牙と霧の幻影の兵たちが刃を交え、怒号と悲鳴が絶え間なく響いている。
黒煙の中を踏み越えるように進む影虎の姿に、ローレンスとグリードは表情を引き締める。
「……とうとう王様のご登場か」
グリードが大錐を肩へ担ぎ直し、怒りと嘲笑の入り混じった声で吐き捨てた。
影虎は答えず、静かな足取りで前へ出る。
やがて双刀の切っ先を二人へ向け、冷えた声で告げた。
「……随分と荒らしてくれたな」
その眼光が鋭く細まる。
「お前たちには――ここで消えてもらう」
ローレンスが静かに一歩、前へ出た。
「……お前を始末すれば、沈黙の牙の支配は確実なものになる」
冷えた眼差しが、真っ直ぐ影虎を射抜く。
「それを……わかっているのか?」
影虎は眉ひとつ動かさず、ローレンスを見据え返した。
「お前たちの支配など、たかが知れている」
黒衣の裾が、熱風に揺れる。
「所詮は――腐った看守どもの靴を舐めるだけの組織だ」
その一言に、ローレンスの口元がわずかに歪んだ。
「……その言葉、後悔させてやろう……!」
次の瞬間。
ズズ……ズズズッ……!
ローレンスの背中が、不気味に隆起した。
硬質な黒い突起が、骨を押し上げるようにせり出す。
それはただの棘ではなかった。
ズズズ……。
背中から伸びた突起が、蛇のように空中を這う。
節くれ立った黒い表面に無数の小さな棘が並び、その先端が生き物の顎のようにわずかに開いた。
ローレンスは大鎌を構えたまま、冷たい声で告げる。
「影虎――お前の実力が、どれほどのものか……試させてもらう」
ズズ……ズズズッ……!
突起はさらに伸びていく。
四本、五本、六本。
黒い背棘は意思を持つ蛇の群れのようにうねりながら、影虎の左右へ回り込む。
やがてそれらは、逃げ道を塞ぐように円を描き、影虎を包囲した。
大錐を肩に担いだまま、グリードは血の混じった唾を床へ吐き捨てた。
「ヘッ……久々にローレンスの本気が拝めるな」
高台の上でその光景を見下ろしていた梟も、細い目をわずかに開いた。
「……まだ、そんな技も隠されていたとはねぇ」
その声には、いつもの軽薄な笑みとは違う、わずかな警戒が混じっていた。
その瞬間、戦場の空気が変わった。
牙の怪物が、ついにその本性を剥き出しにする。
霧の支配者・影虎は、その中心で静かに双刀を構えた。
次に動く一手が――この戦場の流れを決める。
《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
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監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。
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これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。




