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家畜

「俺が負けた……?あんなやつの作戦に?」


「わ……渡辺」 「ジュンさん!」


 マウンドに蹲り立ち上がれない渡辺のもとにルチャリブレの選手たちが集まる。彼にとってこれはただのサヨナラ負けではない。


「渡辺ジュンが……引退だ」


「エースピッチャーだぞ………」


 どんな内容でも敗戦投手になったら引退、そう言い出したのは渡辺だ。だから三丸がレフトにフライを打ち上げ、失点するとわかった瞬間に崩れ落ちた。バックアップに走ることもなく、その場で。



「ジュン君………」


 VIP席から最後まで渡辺に声援を送っていた歩美も呆然としている。渡辺ジュンの夢が大きく前進するはずの1日が、彼の命日になってしまったのだ。



『やりました!東京グリーンペンギンズ、劇的なサヨナラ勝ちでカード勝ち越し!皆さん、勝利の合唱を……』


「……………」


『か…監督?え、マイクですか?ど、どうぞ』


 スタジアムDJからマイクを強奪し、つばめはゆっくりとマウンドに向かう。渡辺とルチャリブレの選手たちはまだ動けずにいた。



『外苑球場にお集まりの皆さん!この試合に負けた者はどうなるか……忘れたわけではあるまい!』


「まさかこいつ……引退セレモニーをやる気か!?」


「やめてくれ!これ以上敗者に鞭を打つな!」


 渡辺は蹲ったままだが、顔を上げてつばめを見る。2人の目が合った。



『8回と3分の2を投げ1失点、被安打は2本か。これでも負けてしまうのだから野球は怖いな』


「………」


『しかし……これで引退はもったいない。そもそも私はあなたの引退など望んでいない。いや、誰も望んでいないはずだ、そうだろう?』


 スタンドに問いかけた。ルチャリブレファンだけでなく、ペンギンズファンもつばめの言葉に応えた。


「ジュン!ジュン!渡辺ジュン!」


「ジュン!ジュン!渡辺ジュン!」


『この声が聞こえるか、渡辺。球場のファンからの熱い声援が。私も同じ気持ちだから、勝者の権利を行使しよう。引退ではなく、現役続行を命令する!』


 

 つばめが渡辺の命を容赦した美しい光景に、外苑球場は総立ちで拍手の嵐だ。VIP席でもつばめへの賛辞の声が至るところで聞こえた。


「つばめ監督……ありがとう………」


 歩美の感謝の言葉を聞き、みのりはつばめを改めて誇らしく思った。このまま終われば皆が幸せだったのだが………。




「正一つばめ………」


『引退するな。あなたは優秀なピッチャーだ』


 ここからがつばめにとって本番だった。わざわざマイクを握った理由が明らかになった。


『そう!ペンギンズにとって優秀な、とても役に立つピッチャーだ!』


「………ペンギンズ?」


 つばめの言い間違いに思えた。しかしつばめを3ヶ月間見てきた人々は、空気が変わったことを敏感に察知した。とても不穏で恐ろしく、寒気を感じた。



『あなたは私が来てからのペンギンズ相手に2戦2敗……今日は主力が何人かベンチスタートだったのに、この結果だ。一方で他球団には連戦連勝、これがどういうことかわかるか?』


「………?」


『あなたが投げ続ける限り、私たちは漁夫の利で浮上していく!ペンギンズには負ける、しかし他のチームを倒してくれる。そんな最高のピッチャーに引退されたら困るんだ、ペンギンズとしては!』

 

 つばめの生き方はとことん徹底している。ペンギンズのためになることを追求し、そのためなら何でもやる。渡辺を助けたのもそれ以外の理由はなかった。



『あなたはペンギンズに利益をもたらすためだけに投げる奴隷……いや、産業動物という表現のほうがふさわしいな。シンプルに家畜と言ったほうがわかりやすいか?』


「………!!」


『優秀な家畜として、これからもペンギンズに貢献し続けてくれよ、渡辺ジュンくん!』


 言いたいことを全て言い終え、つばめは渡辺に背を向ける。そしてマイクを返しベンチに戻り、帰り支度を始めた。



「バカヤロー!やっぱりオメーは鬼だ!悪魔だ!」


「家畜呼ばわりだと!?何様のつもりじゃゴラァ!」


 一度はつばめを見直したルチャリブレのファンたちだが、やはりつばめはつばめだったと知り激怒した。


『物を投げないで!物を投げないでください!』


「殺してやる!お前の家族も親友も全員だ!」


 荒れると予想された試合が平和に終わりかけていたのに、結局こうなってしまった。ルチャリブレのファンよりも、球場のスタッフや警備員のほうがつばめのことを恨んでいるかもしれない。



「ジュンさん!あのガキ、どうしてやりましょう!」


「試合は終わったが乱闘してやるか……ん?」


 ルチャリブレは選手たちも怒りに燃え、今にもつばめを襲撃しそうだ。ところが渡辺の様子がおかしい。顔を伏せながらわなわなと震えていたが、


「くふふ……あはひゃ!あーひゃひゃひゃ!!」


 突然大声で笑い始めた。周りにいた選手たちは思わず渡辺から離れた。


「この渡辺ジュンが家畜!家畜!か・ち・く!家畜だってさ!ぎゃははははははははは!!世界が崩れちゃう!地球が壊れちゃう!宇宙が乱れちゃうよ!ありえないありえないありえないっ!!あははははは!!」


 精神が崩壊したのか、笑い続けたまま止まらなくなった。その不気味な姿と声はファンや選手たちの怒りを鎮めたが、代わりに大きな恐怖心を与えた。




『ヒーローインタビューの時間です!今日は投打のヒーロー、加林投手と三丸選手に……』


「あ〜〜〜っはっはっは!あ〜〜〜っはっはっは!」


 ヒーローインタビューが始まっても渡辺はマウンドで笑っていた。誉と投手コーチを残してルチャリブレの選手や首脳陣は球場を去ったが、渡辺はそこから動こうとしなかった。


『三丸選手、サヨナラの一打ですが……』


「あははははははは………」


『あれはつばめちゃんのファインプレーで……っておい!いつまでいるんだよ、うるせーなっ!』


 マイクを使っての言葉が遮られるほどの笑い声に我慢できず、三丸が怒鳴った。その前から徐々に静かになっていたのだが、身体はますます震えていた。



「はははは……うっ……ぐっ……ぐぐっ………」


『えっ?』


「うわあああああっ!!あああっ!ああああっ!!」


 今度は激しく泣き出した。地面に両手どころか額までつけて泣いている。


「あ―――っ!!あ―――っ!!あ―――っ!!」


 先ほどまでの不気味さは影を潜め、渡辺の悲しみや悔しさが見ている者たちの心を打った。笑うことで強がっていた彼がとうとう堪えきれず、自分の感情を露わにしたからだ。



『………こんなもんでいいだろう。今日は終わりでいいな?加林さん、帰ろう』


『ああ……そうしよう』


 その男泣きに、三丸と加林はヒーローインタビューを打ち切った。インタビュアーも異議を唱えず、その場を締めた。


「ジュンさん………」


「……放っておいてやろう。俺たちも行くぞ」


 誉たちは球場を後にし、両チームのファンも普段より早く席を立った。いたたまれない気持ちになり、すぐにこの場を去ろうと思ったからだった。




「うあ――――――っ!!うあ――――――っ!!」


「………ジュン君………」


 歩美も大粒の涙を流していた。幼いころから一度も敗北を認めなかった故に泣くこともなかった男が、家畜扱いされるほどの完敗に泣き叫ぶ。彼のことを思うと、歩美の心は張り裂けそうになった。


 ちなみにみのりはすでにいない。つばめの悪魔のようなマイクパフォーマンスが終わるとすぐに席を立ち、「失礼します」と言ってから逃げた。つばめのせいで、とても歩美のそばにいられる状況ではなかった。



「おおおおおおっ!!お――――――っ!!」

 よわい

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